2-3

「え、そんなの食べるの……?」

「何ですかその顔は。普通に食べられますですよ?」

 山菜を見つけたので少女に勧めてみたが、かなり不評だった。

「何か巻いてるよ?」

「そんなものなのです」

「うぅ……焦げてるのかってくらい苦いよ?」

「アク抜きしてないとそんなもんです」

「……毒じゃなくて?」

「違います」

 半泣きながら、彼女はやはりお腹を空かせていたのだろう。素直に食べ始めると、その手は止まらなくなった。

「……あの、もうちょっとあっちに別の山菜がありますから、そっち行ってみません?」

「何かこれはこれでいける気がしてきたよ、ヒルメ」

「それは良いことですが、同じものばかり食べても身体に良くないですよ」

「こうやって自分の味覚を痛めつけてると……変な快感に目覚めそう」

「やめて!!それ以上食べるのっ、やめてください!!今すぐっっ!!」

 ヒルメは少女を引きずって、次の食料ポイントまで連れて行った。結局、ヒルメの面倒を見るはずだった彼女はヒルメに養われ、ヒルメの指す方向に歩くようになっていた。

 出会ってから。数日が経とうとしていた。

 相変わらずヒルメは迷子という設定だったし、少女がどうしてヒルメのことを助けようとするのかもわからないままだ。

 自分の生き死にだって危ういのに。

「もう、今日はやめましょう」

「えーまだ日も高いし、進めるよ?」

「疲れましたです。ごめんなさい」

「……そっか」

 しかしその言葉にほっとしたように膝をついたのは、少女の方だった。傍目にも彼女はすでに限界だった。どんなに空腹を満たしたところで屋根もない山中を歩き回ることは愚か、食料を見つけることさえ厳しい。体力以前の生き物として生きる精力が、尽きようとしていた。年端もいかない少女が何も持たないまま明日の命も知れぬままに森中を彷徨い続ければ、当然の結果だった。

 ヒルメは知れず目を閉じた彼女の額に手を当てた。そのことにも気付かないように少女は眠り続ける。気絶といった方が良いだろう昏睡。その額は異様に熱を持ち、いくら休んだところでろくな休みにもなるまい。

「今日か、明日かな」

 だからといって、手を尽くすつもりはヒルメにはなかった。

「どうせ死ぬなら、明日も。数十年後も変わらないと思うのです」

 それは、冷たさを孕んだ宣告の言葉ですらなかった。

「どうして、それなのに。あなたたちは生きようとするのですか」

 純粋な疑問。耐え切れないまでに答えを切望する問い。

 当然ながら、意識を失った少女からの返答はない。

 ヒルメはこの少女が目覚める前に、立ち去ってしまうことにした。それからまた一人遊びを始めようと思った。そんなふうにずっと、もう人間と関わることもなく。

 神様をやめてしまおうと思った。

 ぐっ。

 そんな音がして手元を見ると。額に当てたヒルメの手は握られていた。熱に浮かされたのか、強い力で何かに怯えるように。

「……怖い、よ」

 寝言のはずだ。ヒルメはその手を外そうとする。少女が何かに怯えようが、うなされようが。ヒルメには関係ないことだと思った。だから、立ち去るつもりだった。

「大丈夫……怖くないよ」

 思わず手が止まる。力が抜けて。最期まで看取ってやってもいいかという気になってしまう。いっそのこと、こんな少女一人救えない自分の無力さを目に焼き付けてやろう。そう思った。



 少女が目を覚ましたのは夜中だった。

「ヒルメ……?」

 火さえもない月明かりだけの晩。少女の手を握られたまま同じように眠ってしまっていたヒルメはその声で目を覚ました。

「起きましたか?」

「ヒルメ……そこにいるの?」

「……いますよ」

 月明かりとはいえ、満月の下。ヒルメには少女の顔がくっきりと見えていたが、彼女はもうその明かりを感じ取れないらしい。

「月がないですから。でも手を握ってるでしょう?」

「ごめんね」

 脈絡なく言葉が飛んだ。

「何がですか?」

「おうち探してあげるの遅くなって、明日は元気になるから」

 そしたら一緒にまた探そうね。

 うわ言のように続く彼女の言葉はやがて不鮮明になる。

「私のおうちはここなのです」

「……え?」

 話しかけないとそのまま要領を得なくなる彼女の意識をここに止めようと、ヒルメは思いつくままに真実を語った。

「私は神様なんです。この森に住んでいて、でもあなたの村を救う力はないのです。ごめんなさい」

「……そっか」

 それだけだった。責められることを期待したけれど、思った通り少女はそんな一言で、ヒルメを許し。目を閉じた。

「良かった……ヒルメのおうち。あったんだね」

 何かがヒルメの中で切れた。

 それは自分に対しての感情でもあり、少女に対しての怒りでもあった。

「どうしてっ……どうしてあなたは、そんな無駄なことを大切にするのですか?!」

 もっと大切にすべき自分の命や想いまで他人やヒルメのために使い潰してしまう。その姿が、とても憐れで。

 まるで昔の自分を見ているようだった。

「私も、あなたの残した想いも、消えてしまうのですよ!

 あなたたち人間はあと数千年もしたらみんなみんな、いなくなってしまうのですよ?!

 ぜんぶ無駄になるんです。どんなことしたって無価値なんです!!

 どうして、どうして」

 そんなものを大切に出来たのだろう。自分は。

 人が死ぬなんて、そんなの当たり前だ。予知なんてなくたって、人間がいつかいなくなることはわかっていたし、そうじゃなくとも一人ひとりの人間は簡単に死んでしまう。すぐに死んでしまう。

 そんな命とともに寄り添い、生きてきた自分はどうかしていたとしか思えない。どうしてそんな意味のないことに本気で夢中になって、愛することが出来たのだろう。

 何も残りはしないのに。

「無駄じゃ、ないよ」

 少女は信じられないほど強く、ヒルメの手を握った。

「価値は、何かに届くものじゃなくて。届かないものなんだよ」

「……」

「……」

 それが彼女の最期の言葉だった。

 手が落ちる。ヒルメは彼女の亡骸を見下ろしたまま長いこと動けなかったけれど。やがて立ち上がった。

 失望のため息混じりに。

「……わかんない、ですよ」

 こうして、自分の目の前に転がるそれを見てしまえば。それは無駄になったヒルメの想いであり、感情であり、祈りであった。

「うぅ……ぐっ、うわああぁぁ……あああぁぁ」

 声を上げて泣き出したヒルメは、その悲しみを恨んだ。出会わなければその悲しみはなかったはずで、傷付くこともなかったはずなのだから。

 人類が滅ぶ時も、同じような悲しみがあるのだろう。そう考えるからこそ、ひきこもったのに。

 いらないのに。無駄なのに。

 どうしてこんなに悲しいのだろう。

「……」

 答えてくれる人はもういない。



 ヒルメは次の日。朝から一日をかけて、穴を掘った。なるたけ暖かくて陽があたる場所を選んだ。狼や熊に掘り返されないように深く。そして次の一日をかけて彼女を埋めた。最後に石を立て、花を添えた。

「縁が出来ましたね」

 こんなに長い時間を人と過ごしたことはなかった。こんなにたくさんの感情を人に捧げたことはなかった。それこそヒルメと少女が深く結ばれてしまうほどに。

「もし生まれ変わることがあったなら、あなただけは私の名前を呼ぶことができると思うのです」

 たぶんそんなことはないと思うけれど。

 ヒルメはそんなことを呟きながら、サイコロを投げる。

 万が一またこの少女の眠る場所にたどり着くことがあったなら、お墓参りくらいはしてもいいかななんて。思いながら。

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