2-2
「木登り楽しいっ!三度のご飯より楽しいっ!そんな気がするよ!!!」
叫んでみたけれど。虚しさと残響だけが響いた。
ふと思いついて、別の遊びを始めるために木から降りることにする。
手品のように空中から取り出したのは二つのサイコロ。振って出た目を確認したヒルメは。
「……午にみっつ」
南に向かって三歩歩いた。
またサイコロを振る。
「戌にひとつ」
一人スゴロクを始めた。
恐らく誰が見ても何が楽しいのかわからない、彼女の部下が見れば顔を覆って嘆くほどのその行為。本人にも意外なことにこれが、熱中してしまった。
日が明け、月が明け、季節が変わる頃にはそんな牛歩よりも遅いスゴロクによる行進で、なんと結界の端まで辿り着いてしまった。
直線距離にして数十キロを行きつ戻りつ右往左往の果てに辿り着いたのだから、継続は力なりという言葉がヒルメの心に染みわたる。
「……世界で最も無駄な時間の費やし方をしてしまいました」
途中で決めたルールとして、結界の端に辿り着いたらそれでヒルメの勝ちとしていたのだが。
もちろん、そこでやめるヒルメではない。
というかすでに、やめ時を見失っていた。
「……なんか、もう少しだけ。この結界広げちゃってもいいんじゃないかな」
いい気がする。いいに決まってる。
キョロキョロと見回して、誰も見ていない(見ているはずがないのだけど、気分で。)ことを確認し。
そっと少しだけ、結界の壁を押し進めた。
外側の世界がこじ開けて作ったヒルメ空間の内側へと入ってきて、代わりに日本国土が地図に見えない形で物理的に消えた。
「よし、と。これでまだゲームクリアじゃないのです」
そしてまた、サイコロを振り始める。
そんなことをまた数ヶ月続けて季節を越えた時。ようやっと、ヒルメはその音に気付いた。
「あれ、蝉の声がする」
元々、森として最低限の体裁を整えたヒルメ空間に足のある生き物は用意していなかった。けれど拡張に拡張を重ねた過程で、外の生き物が数千単位で入ってきてしまい。いつの間にか独自の生態系を築きあげてしまっていたのだけど。
「夏っぽいですね!」
当の本人。まったく気にした様子もない。
サイコロをまた振り始める始末。遊び感覚でそろそろ本格的な創世記が始まってしまいそうなのに。外部の環境を破壊するような新種を産み出してしまうかもしれない下地を着々と用意してしまっているのに。
嫌なことを思い出してしまう、原因を招き入れてしまったのかもしれないのに。
「何やってるの?」
「っひゃぁああ!!!?????」
唐突に話しかけられ。危うくサイコロごと太陽を空から落としてしまいそうになるほど驚いた。こわごわと振り返ってみれば、妖怪でも神でもない一人の少女。
人間の、子供。
「あばばばば、えっと。な、なな……え?」
ヒルメは目を見開き声にならない疑問を口にする。久方ぶりに他人の声を聞いたから返事の仕方を忘れたというのは如何にもひきこもりっぽい。しかしそれ以上に、こんなところに人が入り込むはずがないという思い込み。そして。
人。
知りたくなかった。その因果。
「……迷子?」
「近寄るなっ……です!」
思わず声をあげてしまう。こちらに歩みだしかけていた少女が固まるほどの声を。可哀想になるほど、半ば怯え。同時に憐れみを以ってヒルメを見つめる。
憐れみ。それが、ヒルメを異様に苛立たせた。
「どうしてっ、こんなところまで人間がやってくるのです?!
今すぐヒルメの前から、消えてください!」
声にしただけで口にした本人が傷付いてしまうほどに刺を含んだ言葉。涙混じりに吐き出し続ける。
「……怖くないよ?」
それでもその少女はヒルメを厭いもせず、安心させようとする柔らかな微笑みで歩み寄った。
「うぅ……っ!」
「え?」
ヒルメは最後の手段に出た。
曲がりなりにも神。
「あれ、消え……た?」
人の目に映らなくなることなど容易い。ひきこもりらしい、コミュニケーション拒否である。
少しの間あたりを探しまわった少女は、一人不思議そうに呟いた。
「お化けだったのかな……?」
神様ですよ失礼な、と叫びたいのを我慢しながら、息を殺して。彼女がその場から立ち去るのを待ち続ける。どうやってこの空間に入ったのかわからないけれども、落ち着いてから適当に時空をこう、とんでもない感じに捻じ曲げて追い出してしまえばいい。そんなふうに考えていた。
「……?」
だから思わず首を傾げた。
少女はそこに座り込んでしまった。疲れたとか、隠れたヒルメが出てくるのを待っているといった雰囲気ではない。ただ体力がもったいないからそこに座ったというような。まるでたどり着くべき場所がないかのように。
改めて見てみると、彼女の姿は違和感だらけだった。
裸足。何日も森を彷徨ったかのような汚さの割りに、綺麗に長さを揃えて切られた髪。そして何より。
白装束。
だからといって、ヒルメが気付くことはなかった。それは少女の生まれた土地独自の風習であって、国内一般から捧げられたものでもなかったのだから。
「……あの」
「あれ?戻って来ちゃったの?」
ヒルメが痺れを切らして姿を表した時、眠りかけていた少女は嬉しそうな顔をした。ますます訝しむ。
「どうして、帰らないのです?」
疲れているなら食料を探すことくらい手伝ってやってもいい。なんなら外界まで案内してやってもいい。そう考えて実に約半年ぶりに他人に声をかけたヒルメであったが。
「帰る場所がないの」
「え」
「えっと……私は、生け贄として山奥に捨てられたから」
それは半ば口減らしの意味も含めた。仕方のない風習。
「神様に会って、雨が降るようにお祈りしないといけないのよ」
「……神様に?」
ヒルメはようやくそれだけを言葉にした。
少女は微笑んだ。
目の前の幼な子が、当のそれだとも知らずに。
ヒルメは目の前が真っ暗になるほど。怒っていた。
「そんなのっ……馬鹿げてます!」
「……どうして?」
「だって……」
だって、そんなことしたって。もうヒルメたちにその子の村を救うほどの力はない。正確に言うなら、そんな人間らの営みに対して力を使うことはもう許されていない。人は増えすぎた。のみならず、これからも増えていくだろう。一人を救おうとすれば。他の誰かを必ず不幸にしてしまう。多くなりすぎた人の中から特定の人を救う行為は、八百万の神々ほどの力にとっては細かすぎていつの間にか難しくなってしまったのだ。
だから救えない。ヒルメにだって救えない。
彼女の村に雨を呼ぶとして、その雨雲は何処から持ってこよう。隣の村だって。その向こうの山だって。きっとぎりぎりの雨量の上にその生態を維持している。
だからそんな生け贄なんて本当に、意味が無いのだ。
いや、それ以上に。
「無駄、だからですよ」
ヒルメは心が黒く染まるのを感じた。世界にひきこもってしまうほどに傷付き悲しんだ原因。いつもは口うるさく業務に戻るよう説教をする臣下たちが、一年もそっとしておいてやる程の。事実。
「無駄?」
「ぜんぶ、無駄じゃないですか」
でもそのことを口に出すほどの強さは持ち合わせていなかった。
「どうせ死んでしまうのに」
「そりゃ私は死んでしまうけど――」
「あなただけじゃなくてですよ。あなたが助けたかった村の人も。家族も。人は結局は死んでしまうじゃないですか」
人という種は数千年後に絶滅する。
それはヒルメら神々がつい先日、予知した人の未来。ヒルメの絶望。
男性が生まれなくなって、子供が生まれなくなるらしい。それは遺伝子上の種の老衰のようなもので避けようもない人類の滅亡なのだそうだ。
どんなに神々が手をつくしたところで人は皆、死んでしまう。
「今ここで何をしたところで価値なんてない……じゃないですか」
「どうしてあなたが泣きそうなのよ?」
苦笑気味に彼女は困った顔をした。
「そんな難しいこと私にはわからないけど、それよりあなたは迷子なのでしょう?」
「……は?」
あまりに見当外れな一言に、一瞬言葉に詰まったのは、事実ヒルメが家出したからで。ここが何処かと訊かれても答えようがないからだ。決して迷子だからではない。
「ほら、一緒に帰り道探してあげる」
だけど言えなかった。そんな言葉とともに差し出されるやせ細った手を握ってしまった。
「……」
数日ろくに食べてもいないのだろうその足取りは覚束なく、森中であったことが幸いしたか、木陰のない炎天下であれば数歩も行かずに倒れてしまったに違いない。
それでも彼女はヒルメの手を取り。ヒルメのためだけに歩き始めた。
その行動の理由がわからず。戸惑いの中、ヒルメはただ手を引かれるままに歩き出す。
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