第38話 彼方への言葉
ザッフェルバル辺境、フーダ城塞。
ティルたちがルタンを訪れたときに塔の上から見た、山脈を塞ぐように建てられた城塞だ。
かつて度重なる侵攻の折々で魔の者どもの軍団の通り道となった峡谷。その出口に設けられた、巨大な壁のごとき城塞。
その屋上に、トビウオが着陸する。細長い船体を器用に城壁の上に載せ、その後部タラップからティルはレファに手を引かれながら降り立った。
城壁の上からは、この壁が護る帝国の大地が――ザッフェルバルが一望できた。近くはルタンの街と尖塔が模型のように小さく見え、街や村々の向こうにザッフェルバルの恵みの源たるゼナル河が横たわっているところまでも。
「……護ります」
いま、ティルが背負っている土地。
遠く、けれども確かにそこに暮らす人々に向かって、ティルは小さく宣言する。
*
城塞の上で簡単な祭壇を敷き、和貴の目の前でティルは儀式の準備に入る。
敵からは十分以上に離れた場所だ。ティルの能力でもギリギリ届くかどうか。
かげつを降りたのは、この世界の敵は、おそらく魔力で彼我の位置を特定していることを鑑み、万が一にもかげつを巻き添えにしないためだ。
そして、ここでもターゲットになるリスクを負ったティルのために、万全の防御を敷いている。
征伐軍の中でも特に防御に長けた手練れの教導官が三人。彼らが特別製の防御結界を準備。
そして、いち早く敵を感知できるように、周辺警戒のための高等法官も一人。おおとりに座乗する大神将との連絡も即座に取れるようになっている。
そして、降下軍からは護衛のために第二中隊から三宅中尉の機械歩兵が一小隊。そして、
《
村瀬弓香少佐。淑女にして魔女。あけぼしのエース中のエース。その乗機と三機の無人機、あわせて四機の“迅雷”が複合装甲の盾を構えて護衛に付く。
その頼もしさと、ヘッドセットから響く穏やかな声に、和貴は自然と背筋が伸びる。
「クイーン00、伏原です。問題ありません。ティル様の準備もまもなく終わります」
《了解しました。私の分もしっかりと頼みますね》
「はい。ティル様にも伝えておきます」
そして和貴はティルへ視線を向ける。
総督代行に就くにあたって新たに与えられた法儀剣を手にし、総督代行の正装で立つティルを。
呼びかける前に視線に気づいたのだろうか、こちらを向いて、
「カズキさん?」
「弓香さんがティル様に、『私の分も頼みます』と」
「あ……ふふ。それは、責任重大ですね」
「ですね。でも、気負わず行きましょう」
……この交渉が決裂することは、目に見えている。
敵はおそらく、複数の共同体に所属する部隊の“寄せ集め”だ。
戦術行動は可能でも、『ろくに戦わぬうちから退却』などという政治的決断が可能な寄せ集め軍隊はそうはいない。
主力が壊滅した時点ですら、副軍の三軍ともが撤退できなかったのがその証拠だろう。
柔軟な対応など望むべくもない。
だからこれは失敗する前提の交渉。
ティルにもそれは伝え、彼女も承知の上でここに立っている。
「カズキさん。いつでもやれます」
「うん。やろう」
「はい……!」
ティルの表情にも迷いはない。
固さもあるが、これまでにも見た当たり前の緊張の表情。大丈夫、やれる。
「
《こちら1LMHQ。クイーン00、どうぞ》
「これより敵軍への交渉を開始します。許可を願います」
《了解。許可します。交渉を開始してください》
*
ザッフェルバルへ進軍する、竜人族軍。その指揮官を任じられたオベルム分団長のもとに、その言葉は唐突に、あるいは無作法に届けられた。
『我らが帝国の領土を侵し、我らが同胞を害せんと進む異族の軍団に告げます』
個人を狙った念話ではない。空間全域に叩きつけるような乱暴な声。
加減も効いていない。おそらく向こうも竜人たちが見えていないのだろう。鱗の同胞や翼人ならばまず取らない呼びかけだ。
『答えなさい。貴君らは、帝国の領域を侵犯しています。答えなさい』
その直感を裏付けるように、魔力の元を辿れば、はるか遠くの人間共の城塞の近くだった。
……
そうとしか考えられない。それが事実であれば、いったいどういう意図があるのか。
石柱の件もそうだ。今回の戦いは、明らかにおかしい。
だから、こうして調査の任を託されたのだろうが。
『答えなさい。我らが帝国の領土を侵し、我らが同胞を害せんと進む異族の軍団よ』
なおも続く呼びかけ。オベルム分団長はしばし考えていたが、
『分団長。どうされますか?』
『……答えよう。此度の軍務はただの征服や狩りではない。偵察だ。あの光と言い、この声といい、なにか異変が起こっているというならば、我々にはそれを調べ議場へ伝える義務がある』
結論を出し、声の主へ向き直る。意識を研ぎ澄まし、存在を捉え、念を送る。
『答えよう。無作法な声の主よ。貴様らは何者だ』
そう問えば、やがて答えは返ってきた。
『――我々は、この山々より西に暮らす生命にして知性持つ生物。その集合たる、アルフ・ルドラッド帝国です』
*
『帝国より代表に任じられし、ティルヴィシェーナ・カンネ・ユーディアリアが、改めて告げます。この山々より西側は我らの領土です。速やかに退去なさい』
ティルが法剣を振りながら念話を送るのを、和貴は意識を研ぎ澄ませながら聴く。
そして、敵の応答も。
『できぬ相談だ。我々は貴様らが手にした力の正体を暴くよう命じられている。家畜には過ぎた力だ。貴様らこそ、言葉を解するならば大人しくその身柄を我らに差し出し、畜舎に収まれ』
畜舎……!?
和貴には念話に織り込まれた概念翻訳魔法がバグったようにも思えた。だが、ティルが気丈に言い返す言葉を聞き、それが意図通りの言葉だと気づかされる。
『我々は家畜ではありません。ゆえにそれだけの力を持ちました。あの光を貴君らも見たでしょう。貴君らにもはや勝ち目はありません。どうか軍を退いてください』
『餌の王よ。貴様らが同胞を守ろうとする意気は買おう。だが全く下手な脅しだ。我々鱗と翼の民は必ずや愚鈍な貴様らを平定し、我ら天鱗同盟の繁栄のもと、畜舎での豊かな生活を約束しよう』
相手の言葉は、なおも強気だ。
おそらく、山脈の向こうでは相手が語るとおりになっているのだろう。
衛星からの観測、あるいは小型無人観測機による地道な調査によって、山脈の向こうにも人間の村落は確認されていた。だが、どこも文字文化を持たず、ほぼ石器時代レベルの生活だったため、その調査は難航していた。
翼人や竜人が大規模な建造物を擁する巨大文明であるにもかかわらず、なぜなのか。
幾つかの仮説は出ていたが、その言葉を額面通り解釈するならば、
……奴らは意図して、人間を飼っている、ということか。
おそらく存在を許されている村落もまた“放牧”程度の認識なのだろう。
家畜に噛まれぬよう、人間の文明レベルを定期的な弾圧や破壊、収奪で低く抑えているだろうことは、想像に難くない。
そして奴らは、帝国もそうしようというのだ。
『不要です。我々はこの地において十分に豊かな生活を手にしています。貴君らに隷従するつもりはありません。この平穏を乱すのであれば――』
そこでティルはわずかに言葉を止める。背を押す答えを求めるように、和貴に視線が向いた。
だから、和貴は即座に頷いた。ティルも力を得たように頷きを返し、
『――我々は貴君らを滅ぼさねばなりません』
『我々を滅ぼすとな! 長くこの山々すら満足に越えられぬ貴様らにそれができると?』
『できます』
もはや、ティルの言葉に迷いはなかった。
そのための力は貸すと和貴は約束した。降下支局、そして統合会議からも決済はおりている。
I.D.E.A.はもうあの敵に立ち向かうと決めた。反応弾はその覚悟の表れだ。
『繰り返しますが、我々は共存を望んでいます。ですが、それが叶わぬというならば、力でもってその首を縦に振らせましょう』
『面白いことを言う。ならばその言葉、我らが導きの翼竜猊下にも伝えさせてもらうぞ』
『ええ。どうかお伝えください。そして可能ならば、最後にこうお付け加えください。明日、貴君らの街に星が降り注ぐでしょう』
これは和貴たちからの一文だ。
軌道上には、今回の作戦に合わせて小規模な艦隊が待機している。先日、小型の耐熱合金弾の誘導投下実験に成功したばかりの、航宙軍の軌道爆撃艦隊が。
『それは我々が貴君らを滅亡させる力を持つことを示すものです。対話の門は常に開け放たれています。どうか一刻でも早く、賢明な選択を為されることを願います。――と』
『随分な言いようだ。だが、約束しよう。今のやり取りは全て記録させてもらった。それを持たせた伝令を本国へ帰す。彼らは、見逃してくれるだろうな?』
『逃げるものを追うことはしません。皆様も速やかに退去していただければ、攻撃は行いません』
『それはできぬ相談だ。……合戦の合図は必要か?』
『ええ。お願い致します』
『ならば赤の狼煙でもって開戦を宣言させていただこう。それまでは待っていただけるな?』
そして、交渉は予定通り不調に終わった。判断の権限を持たない相手への一方的な通告だ。成功することはない。
だが、本命は本国とやらへ向かった伝令だ。
人間の戯れ言を、どこまで敵の首脳が真に受けてくれるか。
和貴はただ祈る。敵の伝令たちが無事に本国へたどり着くように。
そして、彼らが伝えたティルの言葉が、敵国内で大きな衝撃となるように。
*
『そう言うことだ。行ってくれるな。ダント』
オベルム分団長は、隊の中で知る、最も年若い小隊長を呼び出していた。
ジンダ族のゾール分家より来た、ダント・ゾール・ジンダ。
父方の遠い親戚でもある彼に、オベルムは先ほどの念話を記録した赤い思霊結晶を手渡す。
ダントは複雑そうな念を浮かべながら、それを受け取った。
『承知いたしました。戦列に加われぬのは、口惜しいですが……』
『子が生まれたばかりであろう。無為に散ることもあるまい。それに、奴らの言葉が真実であれば、また遠からず機会は巡ってくる』
『はっ。では、ダント・ゾール・ジンダ以下、ジンダ族ゾール分家隊、伝令の任を確かに承りました!』
『頼んだぞ』
そうしてダントは自身の快速竜へ飛び乗り、部下とともに軍団をかき分けながら背後の駐屯地を目指して走って行く。
その姿を見送って改めて、オベルム分団長は自らに託された五千の兵たちへ念話を送る。
『さて、諸君。ようやっと、これより
キュイイ! と一斉に鬨の鳴き声が上がる。ガチャガチャ、と自らが手にした剣や弓を鳴らす。
戦意は上々。様々な部族からの寄せ集めだが、みな良い兵たちだ。
『心配は要らない。屠畜場の家畜どもは随分と紳士的だ。何しろ、お行儀よく解体されるのを待っているのだからな!』
オベルム分団長の軽口に、兵たちから笑いが漏れる。
未知の敵へ挑む。その恐怖は少なからずあるだろう。わずかなりともそれを軽くできればというジョークだ。
『だからせめて、我々も食材への敬意を持って料理をしてやることとしよう』
あの光。クメル軍将の戦死。そしてこの言葉。やはりこれはただ事ではない。
……敵の言葉。さて、どこまでがハッタリか。
だが、指揮官はそんな恐怖を一片たりとも兵に見せてはならない。
指揮官の戸惑いは、恐怖は、瞬く間に兵に伝播し、精強な兵をまたたく間に能なしへと変えてしまう。
だから、それは表には出さない。
冷徹に恐怖を抑え、勇ましい将軍を演じるのだ。
『分団長! ジンダ隊です。全員安全に渓谷を抜けました! このまま駐屯地へ戻ります』
約束通り伝令のジンダ隊にも攻撃はなかったようだ。狩られる側だというのに、律儀なことだ。
あの光がその余裕をもたらしているのだろうか。それとも、まださらに手を隠しているのか?
疑念は尽きないが、オベルム分団長は進むしかない。それ以外の選択肢はない。ゆえに、
『諸君。それぞれの部族の誇りと誉れのため、そして同じ念と意思を持つ竜人として、今は我がアブ・ケイルドの第三子たる我に命を預けてほしい。
全軍に命じた。
『開戦の狼煙を上げよ! 前進!』
*
かげつ。大隊戦術管制室。
そこで複数の偵察機から赤色の煙が高く立ち上った映像が送られてきた。
敵が通告してきたとおりの、開戦の合図だ。
「赤色の狼煙です! 同時に敵が進軍を開始!」
「外交部の言う通りか。なるほど、敵もやはりバカではないと……」
だが、いくら知能があれども妥協、和解できねば取るべき道は一つだ。
ここから先は、暴力装置たる軍隊の仕事。
第一大隊長、都築中佐は命じる。
「これより第一大隊は総力をもって、敵集団ベータ群を殲滅する!」
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