第21話 地平の先へ

 和貴の目にも、皇帝は明らかに動揺して見えた。

 妥協しないならこちらも強行策は取れるぞ、という簡単な脅し。しかも相手も承知の上のはずの事実を告げたまで。

 それで動揺するということは、向こうがそのことを想定もしていなかった、ということだ

 おそらくは、“神聖な存在ではない”と認識した瞬間から、彼らの中ではI.D.E.A.のことを“新しい家臣団”とでも捉えていたのだろう。

 長らく対等な国家が存在しなかった故だろうか。国内での権力闘争には長けているのだろうが、やはり対等な交渉事は不得手のようだ。

 ……魔族との交渉窓口も持っていないんだろうな。

 おそらくは、帝国は交渉そのものを無意味としているに違いない。

 普段から魔族相手に交渉事を進めていればこんなお粗末な対応にはなるはずもないだろう。

 ……さて、どう押し切る。

 相手方は未だこちらのことをよくわかっていない。

 ティルのプレゼンを経ても“対等”という概念も飲み込めていないようだ。

 帝国が他者を支配するか、他者に帝国が征服されるかという二元論でしか国家関係を理解していない。

 ならばどうするか。いくつかの予測と対応策がチャットに流れ、和貴たちは息を呑んで向こうの反応を伺う。

 シミュレーションが出揃って、しばらくしてようやく。

 皇帝が、重い口をゆっくりと開いた。



「枢機卿の中で、イデアの案に乗る者はおるか」

 皇帝の問いに、七人の枢機卿は揃って無言の否定。

 当然だ、と皇帝は目を閉じ嘆息する。

 彼らの存在は制御の及ばぬ力だ。その凄まじさは理解しているが、それゆえに自分の領国へ招き入れる恐怖がある。

 だが、帝国が彼らに抗う術は、ない。

 そもそも、魔竜を追い払ってもらったという借りは領国一つどころか、帝位を差し出すに足るだけの功績だ。

 当時はまったく八方ふさがりで、皇帝が魔竜と刺し違える覚悟すらしていたのだから。

 魔竜を討った功績、そしてそれを成した力で脅されれば、帝国は彼らに屈服せざるをえない。

 だからこそ、“対等”の付き合いを求めてきたという一点を突破口として、枢機卿たちはどうにか抵抗を試みていた。

 利益供与を完全に拒絶することで、彼らの手を振り払おうとした枢機卿たち。

 しかし、そのやり口に対し、サンジョウは明確な警告を出した。

 “墜落”。

 領土を寄越さねば、乗っ取る覚悟もあると。

 そして、彼らの力は十二分に証明されている。

 魔竜を相手に壊滅的な打撃を被り、消耗しきった帝国軍や聖導騎士団が、魔竜を倒した彼らに勝てる道理などない。

 ……もはや、帝国もこれまでか。

 彼らの口は帝国を助けると語るが、内部から乗っ取る気かもしれない。

 それでも、彼らの手を振り払うことは許されないのだ。

 ……ならば、差し出すべき領国は――

 皇帝は十七領国の幾つかに思考を巡らせる。

 力をつけ、乗っ取られた場合に、最も対処しやすい位置にある地は。

 仮に力をつけた場合、しばらくの間でも帝都の益となる領国は。

 そこで皇帝はひとつの領国を思い出す。

 忠臣の一人、今は亡き、勇ましき聖導騎士が総督の座にあった領国を。

 ……彼の地ならば、あるいは――



 この場に呼ぶべき人間がいる、と皇帝が言い、しばらく交渉は中断。

 和貴たちはその場で待たされる形となっていた。

 どこかの領国の総督を呼ぶのか、はたまた謁見の間でまとめて謀殺する準備を整えているのか。

 チャットでも懸念の声が上がったが、軌道上そらのうえに他の仲間がいることはティルのプレゼンで伝えてあるので、そこまで短絡した行動を取ることはないだろうという意見が大勢を占めた。

 あけぼしから連れてきた無人機たちはせわしなく動いているようだが、八智たち第一大隊からの退避勧告はない。

 ティルも大きく騒ぎ出す様子もないので、城内に怪しい動きはないようだった。

 やがて、皆が待ちくたびれ始め、チャットも動きがなくなってきた頃。

「入れ、ザッフェルバル公」

 皇帝が不意に声を発し、和貴たちが一斉に表情を変える。

 そして、呼びかけられたであろう者の声が、謁見の間の扉の向こうから響いた。

「しつれいいたします!」

 たどたどしい、高い声の宣言とともに入室してきたのは、子供。

 初老の付き人を連れて歩く彼は、十に届かないほどの男の子に見える。

「なんと……」「まさか、そんな」「いや、しかし……」

 それを見た枢機卿達は一様にざわめきだした。

 和貴たちもデータベースで見た覚えのない人間の登場に、どこの誰なのか、という疑問がチャットで飛び交う。

 やがて彼は皇帝に招かれるまま上座にたち、皇帝が紹介する。

「彼はディトレン。将来ザッフェルバルの総督となる者だ。ザッフェルバル公、名乗りたまえ」

「ディトレン・ツァル・ザッフェルバルともうします。父のあとをつぎ、ザッフェルバル家当主となりました」

 幼いながら、きっちり貴人としての礼を取る。

 そんな彼の頭をなでて、皇帝はさらに言葉を促す。

「彼の地は代々、彼の地に住まう民族の長を総督としてきている。そして彼は正統なザッフェルバルの後継者だ。――貴君の意見を申せ、ザッフェルバル公」

「は。おそれながら。まずは父のかたき、魔竜をたおしてくださったみなさまに、かんしゃを」

 その言葉に和貴は不意に思い出した。

 データベース上では、ザッフェルバル総督が聖導騎士団長を務めていたことを。

 その子が父の仇というのならば、

 ……なるほど。聖導騎士団長の顔が違ったのはこれが理由か。

 魔竜戦で帝国は大きな被害を出したと聞く。降下直前の出来事だったから、情報の整理が十分ではなかったらしい。

「……わたしは、魔竜をたおしたみなさんなら、ザッフェルバルのとちを、よりよくできるのではないかと、かんがえました」

 続く言葉は、概ね予想できた言葉。

 その先も読みきったチャットは、その時点で一気に活気づき始めた。

「だから、わたしはみなさんをうけいれます。ちからをかしてください」

 幼い決意。それを前にして、和貴たちは静かに計算を開始する。



「おおお、なんか行けそうな雰囲気!」

「いやもうコレ取ったも同然じゃね!?」

 八智と谷町のバカ二人がはしゃぎだすのを横目に、三宅は引きつった表情で即座にツッコミを入れる。

「いやいや待て。ザッフェルバルって言うと、……地勢的にかなり厳しい場所だぞ」

「みぃちゃん、どゆこと?」

 八智の疑問に、ひとつ息を吐いてから三宅は言う。

「ザッフェルバルは、帝国の北端であり東端。名目上はべファン山脈一帯までの領地が認められている。そして魔族の領土は大陸東側。べファン山脈を越えて東側全域だ」

 べファン山脈は大陸を南北に貫く大山脈。

 そこを境として、西側が帝国領、東側は人跡未踏の地とされ、魔族が跋扈する世界と言われている。

 暫定的には、山脈を境界として、人間と魔族は住み分けているとも言える。

 山脈はまさに天然の防壁であり国境線なのだ。

「つまり――ザッフェルなんとかって領国は、ド辺境の対魔族最前線ってことか?」

「え……それやばくない?」

 はしゃいでいた二人も事情を呑み込んだらしく顔をひきつらせる。

「ああマズイな。あんなところを獲れば、魔族との交戦の可能性はさらに高まる。そうなれば最前線は俺たち歩兵だ」

 支局長が堂々と約束した街道の防衛とやらも三宅たちに丸投げに違いない。

 熊野も少し怯えたように疑問を口にする。

「戦争になる、ってこと……?」

「今後の情勢次第だろうけどな。前回の侵入者騒動で、上も対魔族交戦を容認するような雰囲気にあるから、ありえない話じゃない」

 三宅は船団内ネットワークのニュースで報じられた上層部の公式発表を思い出して言う。

 ――“交戦やむなし”。

 魔族側が送り込んできたとみられる事実上の威力偵察を受けて、上層部の認識は大きく転換した。

 以前までは、積極的な攻撃を仕掛けなければ魔族はあけぼしを無視するだろうという見立てだった。

 だが、魔族側からの実力行使により、甘い見通しはもろくも崩れた。

 既に魔族側からは仮想敵として認識されている、そう判断せざるを得ない事件が起こった以上、今後も散発的な戦闘は起こりうるものとして覚悟しなくてはならなった。

「どのみち帝国との協力関係を築いていけば、前回みたいな侵入事案は増えてくるだろうさ。帝国の益になるような事業には妨害も入るだろう」

 三宅の言葉に、浜崎中隊長も頷く。

「ええ。そして前回の事案で明らかになった通り、帝国はそれを防げるだけの防諜能力はありません」

 御神体に近い扱いを受けていたはずのあけぼしに、悪意ある魔法使い二人があっさりと取り付けたことを見ても、それは明らかだ。

「国境線の防衛も、事前調査の段階で既に虫食いだらけと判明しています。さらに魔竜戦のために兵力を引きぬかれたのならば、現在はもはや瓦解していてもおかしくはありませんね」

「んじゃ、そんなところに領地なんかもらったら、マジで戦争しかないってことっすよね?」

 谷町の早合点に、確かにそうだが、と浜崎中隊長は頷きながらも、しかし、と言葉を続ける。

「こういう考え方もありますよ谷町少尉。……もはやどこに領地を得ても、魔族は帝国に入り込み放題なのだから関係ない、とね」

「それまた極論っすね……」

「確かに国境線から離れれば戦闘リスクの低減はできるでしょう。ですが、逆に我々が火種を持ち込む恐れもあります」

 そうか、と三宅は頷く。

「我々が狙われるならば、帝国の内地まで敵が浸透する可能性もある、と……」

 帝都にまでスパイを送り込める敵ならば、その程度はたやすいだろう。

 それ以上に、

「むしろ国境をザル警備のまま放置し、内地まで魔族の侵入を許せば、それこそ状況が泥沼へと転がっていく恐れもあります」

 浜崎中隊長が指摘したのは、自分たちの存在が帝国に混乱を引き起こす可能性だ。

 和平のためには、魔族が自分たちあけぼしを、I.D.E.A.を憎まぬようにするだけでは足りない。

 帝国の人々もまた、魔族への恐怖と憎しみを抱かぬよう、それらの脅威から遠ざけねばならない。

 I.D.E.A.側が火種となり帝国国民に疎まれるようになるなどもってのほかだ。

「そう考えると、内地でゲリラ戦やるよりは、最前線で殴りあった方がマシ、ってことなのかな……」

「そうです神田少尉。最悪は我々が、欲を言えば帝国自身の手で、国境線を維持できるのが最善なのですが――さて」

 浜崎はパネルを見上げてつぶやく。

 そこに映った使節団の姿を見つめながら。

「どちらを、選ぶのでしょうね」



「……ザッフェルバル公のありがたき申し出、深く感謝いたします」

 筋書き通りの支局長の言葉を和貴は聞いた。

 ザッフェルバルを提示された際はどうするか。この点についても当然に和貴たちは案を持っていた。

 特にこの最前線であるべファン山脈に面する三領国を提示された際の対応は、訪問前の対策会議において大きな議論となっていた。

 あくまでリスクを回避するべきか、リスクを得てもリターンを得るべきか。

 和貴たちが出した答えは――

「領国ザッフェルバルにて、我々は先に提示した治安維持、農業生産向上、衛生改善を始めとした全面的な援助を約束しましょう」

 承諾――それが和貴たち外交部の出した結論であり、最高意思決定機関“統合会議”でも承認された方針だった。

 皇帝と総督を向き、三條支局長は決然と言い放つ。

「対価としては、前に提示した通り、土地の利用権と、租税の一部を報償として頂くことになるが、よろしいか。ザッフェルバル公」

「はい。よろしくおねがいします!」

 言葉を弾ませたザッフェルバル公。それを見て和貴は小さく安堵の息を吐いた。

 ……よし。

 まずは第一歩。正式な場においてI.D.E.A.が帝国より領地の貸与を受けることに成功した。

 だが、借り受けた場所が場所だ。

 ……ここから先が肝になる。

 和貴は小さく息を整え、気合を入れなおす。

 三條支局長が皇帝から改めて格式張った儀式に則り、ザッフェルバルの各特権を正式に与えられていった。

 それがひと通り済んだところで、和貴たち外交部の意志を代弁するべく、三條支局長は口を開いた。

「ではいくつか、今後の協力のために、領国ザッフェルバルについて陛下やザッフェルバル公に質問がございますが、よろしいでしょうか」

「どのようなことか。申してみよ」

「領国ザッフェルバルについても、我々は様々な噂を聞き及んでいます。特に東方は、“魔の者ども”の散発的な侵攻が多く、民が苦しんでいるとか」

「そうだ。“まのものども”は、やまを越え、わがくにへあらわれる。へいかのぐんであっても、とめられないと」

 答えたのはザッフェルバル公。たどたどしい言葉だが、領国を預かる人間として、事実はしっかりと認識しているらしい。

「陛下。ザッフェルバル公の言葉は、まことですか?」

「……残念だが、そうだ。征伐軍は最善を尽くしているが、べファン山脈は長大だ。城壁は完全ではなく、山間を抜けて侵入する賊が絶えぬのが現状だ」

「そうですか。我々が聞いた限りでは、去年一年で五回にわたり敵が侵入。ザッフェルバル領国内だけで七つの村が新たに壊滅した、とか」

 支局長が挙げた具体的な数値に、またも皇帝の眉が釣り上がる。

 だがこれも事実だ。

 山脈沿いの村々は根こそぎ廃墟になっている。

 衛星写真の推移や、先んじて降下していた機械人間アンドロイドたちの報告によれば、その数は徐々に増えている。

 この事実を、皇帝はどこまで把握しているのか。

 そして、帝国として、領国を守る意志はあるのか。

 支局長は語気を強く保ったまま問いかけた。

「ザッフェルバル領内だけでなく、東方三領国全てが抱えるこの問題。偉大なる帝国がこの問題の解決にどう動いているかお聞かせ願いたい」

 この問題を解決すべきなのは、あくまでも帝国政府だと規定し、その対処を問う言葉。

 それは翻れば――



 ……易々と盾に使われるつもりはない、ということか。

 サンジョウの問いの意図を察した皇帝はひとつ嘆息。

 先も領国の情報をそらで述べた彼らだ。この程度のことでもはや驚くこともない。

 だが皇帝にとっては、この場においては触れられたくない話だった。

 ……彼らにザッフェルバルを任せて、征伐軍は他の二つの領国に集中させるつもりだったが……。

 魔竜との戦いを経て、帝国は教導官以上の位階を持つ優秀な魔法使い――法官クァジオッドを失ってしまった。

 今の兵力では三領国全て、南北の山脈全てを万全に守り切るのはとても不可能だ。

 ならばこそ、イデアをその穴埋めに使おうと考えたが――その程度は想定済みと言わんばかりに布石を打たれてしまった。

 外敵への対処は、領国の仕事ではない、と。

 皇帝はわずかに思考した後、サンジョウに答える。

「征伐軍の増強のため、他の領国からの徴兵数をさらに増やしている。魔竜の対処にあたっていた聖導騎士団も応援に向かわせる予定だ」

「それで、仰るように長大な国境線を守るに足りますかな」

 その疑問も当然だ。故に強がっても無駄だと観念し、皇帝は慎重に言葉を選びながら回答する。

「確かに、この対策だけでは及ばぬ点があることは認めよう。だが、領国一つを失うような大規模侵攻は、未だかつて許していない」

 幾つもの国難はあれど、これまで東方三領国のいずれもが陥ちたことはない。

 山中での小競り合いは幾度もあったが、建国以来の十七領国はひとつも失わなかったのは自身も含めた歴代皇帝の誇りでもある。

「今後も、魔の者どもの大軍が領国へ押し寄せることはないだろう。その上で、今後は征伐軍の増強を我が帝国の最優先課題として取り組むことを約束しよう」

 曖昧な約束を堂々と告げる。だが、この程度ではぐらかされる相手ではないだろう。

 言葉を待ち、やがてそれは返る。

「征伐軍が最優先との言葉、誠に心強いばかりです。それでしたら、我々も是非お力添えさせていただきたい」

 ……力添え、だと?

 皇帝が疑問に思っていると、彼らは再び大道具を持ち出してきた。

 巫女がイデアの出自について説明をしたときと同じ、宙に光の像を浮かべる遠具を用意すると、そこに図案が浮かび上がる。

 同時にサンジョウが告げるのは、

「『戦域警戒管制システム』。我々の秘奥の術です」



 八智は聞く。グラフィックパネルの向こうに立つ三條支局長の宣伝文句を。

 小型の無人航空機や偵察衛星群、固定式各種カメラ、センサー群。それらを山脈国境線に集中展開すると。

 同時に、城壁のない部分はセンサーとともに高圧の電気柵や鉄条網を張り巡らせる。

 そうやって大量に集めた情報を統合処理し、人間がひと目で管理できるよう整理する高度人工知能による管制システムを新たに一つ用意し、専任のオペレーターを置く。それにより、征伐軍は迅速に情報を得ることができ、効率的な部隊運用が可能になる――と。

 支局長が語るそれは、つまるところ、

「征伐軍のために、この管制システムを丸ごとひとつ貸し出すってこと……!」

 今まさに八智たちが座り、目の前にしている端末。

 情報の検索と、最前線に立つ無人機への指示が容易にできるよう洗練されたこれを、彼らに提供するということだ。

「街道警備に続いてシステムまで人身御供とは……ごめんねクマちゃん。苦労をかけるねぇ」

「いいっこなしだよ八智ちゃん」

「なに小芝居を始めてるんだそこ」

 三宅は脇の二人にツッコミを入れつつ、支局長のプレゼンを聞きながら思う。

 ……確かに、ある面では俺達にも利はある。

 十分な索敵警戒網の構築は無駄な労力どころか、結局は自分たちに入る情報が増えるだけのこと。

 どのみち国境がザルならば降下軍が最終的な対処を要求されるところだったのを、情報を流して征伐軍に下駄を履かせることで有効な盾にしようという話だ。

「なるほど、いい手ですね」

 浜座中隊長も、感心したように頷く。

「こちらの部隊が表立って動かない以上、明らかに手を貸しているようにも見えないはず。無線通信やセンサーの謎が解けるまでは、外交的にもしばらくは派手な対立関係に発展せずに済むでしょう」

 八智もポンと手を打つ。

「そっか。前線に立つのは今までどおりの征伐軍だけだから……」

「ええ。こちらの関与をぼやけさせるだけでなく、手の内を晒す危険も格段に少なくなりますね」

 降下軍の所有する兵装は、魔法の防御を突破するにはまだまだ十分とは言えない。

 前回の機械歩兵と魔法使いの交戦記録を見ても明らかだ。防御魔法の解除が狙えれば有効ではあるものの、圧倒的有利とはとてもいいがたい現状。

 その上で機械人間アンドロイドのハッキング魔法や、無線のジャミング魔法を発明でもされれば三宅たちとしてはお手上げとなってしまう。

 有効な対魔法技術、兵装が開発されるまでは、自分たちの技術は可能な限り謎のままにしなくてはならないのだ。

「でも、警戒網の構築って……あれホントに作れんの?」

 谷町がポツリという。

 視線の先にはグラフィックパネルのメインモニター。

 プレゼン資料として提示されている衛星写真に映った長大の山脈の姿だ。

「あの山脈めっちゃなげーじゃん? 鉄条網張るとか言ってっけど、人手とか足りんのかな」

「それは確かに厳しいかもな。確か、山脈は南北二千キロだったか……」

 緻密な警戒網というのは、おそらく宣伝文句にすぎないだろう。

 実際はそこまでガチガチにモニターすることはないだろうが、

「簡易な鉄条網の設置だけでも、大仕事だろうな。破られた場合の警報装置ぐらいは最低でもつけるだろうし」

 それでも膨大な作業量になり、要求される資材はどれほどになるか。

「二千キロかぁ……二千キロ……クマちゃん、二千キロって何センチ?」

「え、えっと、千の万の……二億センチ! ってそんな換算してどうするの八智ちゃん」

「いやイメージわかなくてさー。クマちゃん百六十一センチだから、クマちゃん百二十万人以上並べないとダメってことなのかな」

「わたしとしてはそんな絵面はイメージしてほしくないな……」

「…………」

 三宅は密かにイメージした。熊野が生真面目な表情で手足を揃えて山脈に寝転び、縦にずらっと並ぶ図を。

 ……妙に可愛い。

 ツボったが、表情に出さず、八智へ助け舟を出しておく。

「イメージするならほら、あけぼし二千隻ちょいの長さとかでいいんじゃないか」

「そりゃでっかいねぇ。結局まだ端から端まで歩いてないんだよね、この艦」

「そんだけ長いの監視網の設置って、やっぱ支局長は妙に太っ腹じゃねーの?」

 谷町もイメージできたようで、再び口をとがらせる。

 確かに、手間の掛かる仕事ではあるが……。

「太っ腹、な」

 この後の展開が予想出来るだけに、三宅は苦笑してしまう。

 秘術――敢えてそう大仰ぶって支局長が最初にぶちあげた時点で、何を狙っているかはわかりきったものだ。

 だから、浜崎中隊長も笑いながら谷町に言った。

「まさか。ただでくれてやるわけはないでしょう」



 サンジョウの語る夢物語。

 天の目、天の耳。無人の見張りを大量に配し、統制し、トカゲ一匹たりとも山脈を通さぬという監視体制。

 それは、今の帝国がどれだけ欲しても手に入らぬものだ。

 ……高位の魔法使いは、もはや前線におらぬからな。

 山一つ二つと飛び越えた先の敵を認知できる戦士は、もう征伐軍に残り少ない。

 聖導騎士団にも、後一人。

 皇帝自身や枢機卿が出られればいいかもしれないが、替えの利かぬ身。それぞれに何かあれば、帝国の存亡にも係るだろう。

 だが、イデアの力を借りれば、貴重な法官を割かずにそれらの代替となりうるカラクリが用意できるという。

 ……だが、その代価は――

「これは、我々にとっても秘術。そのうえ、事前の準備に膨大な手間と、時間がかかります」

 そうしてサンジョウは語る。これは手間のかかる品だぞ、と。

「さらに、魔族の異能、あるいは呪い、あるいは魔業まごうとも呼ばれる能力について、我々イデアはあまりに無知であります」

 次いで告げられる言葉で、皇帝は彼らの要求するものを理解してしまった。

 ……まさか、いや、だがそれは……

 戸惑いと焦り。認めて良いものか。だが。断ることができるのか。

 思考が渦巻く中で、サンジョウの言葉はスラスラと進んでいく。

「ゆえに帝国にはその点で我々にご助力いただきたいと考えています。具体的には――」

 そして、皇帝が危惧したとおり。

 想像通りの要求が、

「魔族に対抗するべく進化した帝国の神聖なる技。帝国の祭祀を司る――ナトワール法儀典をご教導頂きたい」

 、と。それと同義の、恐れていた言葉が告げられた。



「分をわきまえていただこうか! 舶来人よそもの!」

 和貴はまた、広大な空間に怒声が響くのを聞いた。

 皇帝が返答に窮していた間に、差し込まれるように飛んだのは筆頭枢機卿の声だ。

「帝国の国法は神々より賜った神聖なる法。貴様らのような新参者に行使が許されるようなものではない!」

 ……そう、その通り。

 帝国は建国当初より神聖なる奇跡の使い手が支配者として統治にあたっていた。

 だがその奇跡は、ティルが語るには、限定的であるが模倣し再現できる術であったという。

 始祖はその術を弟子に伝え、弟子はさらにその弟子に――やがて緩やかに広がったそれを、とある代の皇帝がひとつの体系としてまとめた。

 それが、“帝国国法”であり、その奥義書とも言えるのが“ナトワール法儀典”だ。

 血統と修行によって開眼しうる奇跡の能力とされた術は、国家規模で管理されるようになった。

 限られた人間にのみ門戸を開き、能力に加え家柄と人格的な信用に依って階級化し、段階的に上位の術の閲覧、研究を認めるという統制をもって、現在の帝国の貴族制はある。

 この国の貴族が真に貴族たるのは、奇跡を行使する祭祀者、国法庁の法官クァジオッドであるからこそ。

 自らの位階を権威たらしめる根幹を、そう簡単に新参の異人に渡せるはずがない。

 ……だからこそ。

 和貴たちもわかっている。真正面から反発されることは十分に予想された要求だ。

 それでもここで魔法――彼らの言うところの国法――を手にしておかなければ、今後予想される対魔族戦闘を始めとした魔法使いたちとの交戦に備えることはできない。

 だからこそ、三條局長はここでついに温存していたカードを切った。

「皇帝陛下。……我々は帝国のため、全力を挙げて彼の強大な魔竜を討ち果たしましたことも、ご配意賜りますよう、重ねてお願い申し上げます」

 三條支局長の宣言に、筆頭枢機卿も一瞬言葉を失った。

 魔竜を討った功績。その対価をカズキたちは魔法技術でもって引き渡せと要求したのだ。

 この巨大なカードと、秘奥の術と脚色した管制システム。

 対価としてI.D.E.A.が持つ最大のカードであり、同時にそれを切るということは、

 ……魔法だけは、何があっても取るという意思表示だ。

 逆に、この案を蹴るならば魔竜退治には別の対価を用意せねばならない。

 だが、帝国が国家として事実上対処不能であった問題を解決した対価など、“国そのもの”をかけて支払ってもらわねば割に合うまい。

 魔法を売るか、国を売るか。ならば、選択肢などあるはずもないはずだ。

 ……さあ、答えを出してもらおうか。皇帝陛下。

 うろたえながら再びがなり始めた筆頭枢機卿の声を聞き流しながら、和貴たちの視線はただ一点にあった。

 ゼナルド・ヴェルトナード五世。アルフ・ルドラッド帝国当代皇帝に。



「待たれよ、筆頭枢機卿」

 皇帝は苦々しい思いとともに、筆頭枢機卿の否定の言葉を遮った。

「ですが、陛下……!」

 その表情には怒りよりも、疲労と恐怖が見て取れた。

 普段は穏やかな筆頭枢機卿がここまで必死で声を荒げるのは、この場のすべての者の代弁をするためだろう。

 しかし、そんな彼らに向かって皇帝は敢えて告げる。

「諸卿らの気持ちは良くわかっているつもりだ。だが――」

 だが、もはや皇帝には他に取るべき道を見いだせないかった。

 国を、この地の人間たちを預かるものとして。正しくない答えだとしても、今このときにおいては選択肢はないに等しい。

「だからこそ今一度問いたい。この国難において、彼らの力を借りねばならないというのは、一致した意見ではないだろうか」

 返るのは、だが、しかし……という小さな声。

 しかし、多くは無言で、一様にうつむき、あるいは目をそらしている。

 ――そう、国難。

 魔の者どもはもちろん、イデアの存在もまた、確固たる脅威だ。

 今の時点で帝国はイデアに立ち向かうすべはない。彼らが帝国への攻撃を否定しないならば、帝国を戦火から守るには服従のほかに選ぶ道はない。

ただでさえ危うい国境線を抱えながら、頭上の方舟相手に戦争をはじめれば、帝国は遠からず焦土と化すだろう。

 認めたくない事実をつきつけられたような枢機卿たちに、皇帝はなおも告げる。

「彼らイデアは、確かに聖なるもの、天の御遣いではなかった。――しかし、彼らが魔竜を倒したという功は紛れもない事実だ。それを忘れたわけではあるまい」

 筆頭枢機卿は唇を噛みながら床へ視線を向ける。

 自らが魔竜を討つことができていれば。あるいは他の者が――そう言わんばかりに。

 だが、否定の言葉も出せなくなった彼らに、皇帝はさらに続けた。

「それに、ザッフェルバルを任せるというのだ。その地位に相応しき法を識る権利はあろう」

 これは皇帝自身としても、苦肉の言い訳ではあった。

 だがどのみち帝国に要求を断ることなどできない。

 魔族の脅威が緩やかに迫る中で、天上に現れた未知にして強大な“旅の一味”を前にしてしまえば。

「よいな。――イデアには、代表一名に限り領国教導官と同等のナトワール法儀典第三章までの法の開示、及び教導を認めよう」

 もはや臣下から否定の言葉は上がらなかった。

「ありがとうございます、陛下。これで帝国と我々、双方ともにますますの発展の道を歩むことが――」

 沈みきった枢機卿たちの表情とは対照的に、朗らかな三條の言葉を聞きながら、皇帝は心中で嘆息する。

 これで自分は帝国の歴史についぞ消えぬ悪名を残しただろう、と。

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