第20話 降り立つ者達

 その日、帝都に集まる人々は見た。

 空を。

 帝都の空を覆い尽くすような巨大な影を。

 魔竜を討ち果たした、伝説が顕現した存在。黒い長方形が海水を振り切りながら天へ昇ってゆく光景を。

 あるものは跪き、

 あるものは呆然と、

 あるものは大きく手を振り、

 帝都にいた誰もがその巨大な存在を見送った。

 そして。

「あれが、父のかたきをうった――」

 従者を連れた、貴族の少年は目を細め、その姿をただ瞳で追い続けていた。



 あけぼしが予定の高度まで浮上した後、“トビウオ”と呼ばれる小型の船があけぼしから飛び立った。

 和貴たち外交要員と警備の機械人間アンドロイドを乗せた連絡艇は、帝都の東端、城壁の前に静かに着陸した。

 折りたたみ式簡易階段タラップが展開し、三條降下支局長が姿を見せると、

「御遣いの御一行に、敬礼!」

 整列した帝国儀仗兵が敬礼の姿勢。

 太鼓に似た打楽器と、ラッパとオーボエのあいのこのような吹奏楽器の演奏が響き渡った。

 支局長に続き、ティル、外交部長、大陸南西課課長、満葉や和貴たちが続く。

 ……親書は無事届いたみたいだな。

 帝国側の準備万端の出迎えを見ながら、和貴はひとつ胸をなでおろした。

 あけぼし離水の前日、トビウオで帝城へ投下した一通の親書。

 ティルの直筆に拇印を付けた書簡には、あけぼしの離水に伴う津波の発生の予告、使者を小型の空飛ぶ船で送ることなどを記してあった。

 魔法使いたちがきっちり港に控えてくれたことや、こうして予告地点で儀仗隊が待ち構えていたことからも、彼らに無事書簡が届き、意味が通じたのは間違いない。

「ようこそ、天の御遣いよ」

 儀仗兵の列の奥から顔を出したのは、帝都の行政全般を預かる宰相。そして近衛騎士団に相当する皇帝の私兵、“聖導騎士団”の長。

 ……騎士団長は、資料と顔が違う?

 名乗る名も異なるようだから、おそらく交代があったのだろう、と和貴は思考の隅にとどめておく。

 挨拶もそこそこそこに、一行は仰々しい行列として帝都の東端、東城門から市街区へと入った。

 


 ティルは緊張とともに市街を歩く。

 聖導騎士団に護衛され行列で歩いたことは何度かあるが、今回は少しばかり居心地が悪かった。

 ……生きて、帰ってきちゃった。

 畏敬と尊崇の眼差しは街に出るたびに同じではあるが、今のティルは出戻りと揶揄されてもおかしくない状況だ。晒し者になっているようで、どうにもむずがゆい。

 誰から何も言われたわけではないけれど、どうしても後ろめたさのようなものを感じざるをえないのだった。

 ……だめ、弱気になっちゃ。

 自分の使命を思いだせ。あんなに“勉強”したじゃないか、とティルは自身を奮い立たせる。

 ――“勉強”の件をカズキに頼み込むと、カズキは快諾してくれた。

 上陸にあたっての事前折衝、という体で、ティルとカズキたちは様々な情報交換を行った。

 いろいろ教わりながら、ティルは帝国の求めているものを伝えていき、カズキたち、あけぼしの要求も教えられながらその目指すものがなんとなくわかるようになってきていた。

 推測される妥協点を洗い出し、予想される反発を抑えて、どう説得するのか。

 お互いにお互いの手の内を全て明かした上で、どうにか叩き台となるプランは完成した。

 ……あとは、宰相や枢機卿、皇帝陛下が受け入れてくだされば。

 この友好条約は、ティルの悲願でもあった。

 あけぼしと出会い、自分の使命、想いに向き合って、出した結論。

 その一つの形となるはずだから。

 どうか。

 ……どうか、うまくいきますように。



 あけぼし内、第一揚陸機動大隊オペレーションルーム。

 そこには八智たちをはじめ、大隊の全オペレーターが管制卓の前に詰めていた。

 大隊オペレーションルームは、扇状に機器を満載した管制卓が配置され、その前方には壁面を覆うように巨大なグラフィックパネルが据えられている。

 グラフィックパネルには複数の小型無人機から届く映像や、データリンクの情報を簡易図に集約したレーダーマップなど、各種情報が分割表示されていた。

「全護衛対象、連絡艇を降ります」

「さて、正念場か……」

 副官の報告に、司令席に腰掛けた大隊長が呟く。

 その声を遠く後ろで聞きながら、八智は管制卓の前で小さく息を飲み込んだ。

 ……来た。

 八智たち第一揚陸機動大隊は、持ち回りで担当していた艦内保安業務から本来の任務へ戻っていた。

 すなわち、要人の上陸における警護。

 強襲揚陸や拠点制圧、戦闘捜索救難に比べれば地味な任務であるが、重要度は高い。

 人員をギリギリまで切り詰めて運用している深宇宙探査船団において、対外交渉を担えるレベルの人材は数えるほどしかいないのだ。

 それを守るのが今回の八智たちの仕事である。

 ……って言ってもなぁ。

 無理だよ、というのが偽らざる本音だ。

 前回の対魔法使い戦闘の反省会デブリーフィングでは、「ティルがいなければ間違いなく負けていた」という結論だった。

 後日のティルのアドバイスによれば、物理的に魔法使いを倒すには、防御魔法を展開させ続けて周辺の空間の魔力を使い切らせるか、長時間戦闘で相手の集中力が切れるのを待つしかないとのこと。

 つまり、いま八智たちに取れる手としては、大出力レーザーを多数かつ長時間にわたって照射したり、実体弾を湯水のごとく撃ち込んだり、というヤケクソじみたものしかないというわけだ。

 今回は会談の場。大型火器の持ち込みなど夢のまた夢。

 黒い背広と生体外装で人間に似せた機械人間に、仕込みナイフとペン型レーザーガン、実弾拳銃をもたせるのが精一杯だ。

 有事の時は、またもティルの神通力に頼るしかないというわけである。

 ……何事もなく終わりますように……

 群衆の中を割って歩く行列をモニタ越しに見守りながら、八智は小さく祈るのだった。



 帝城内に入ったあけぼし一行が招かれたのは、謁見の間だ。

 吹き抜けの高い空間、ステンドグラスで光を取り入れられた大広間。

 その最奥には高く段差を付けられた帝座。背後には神話をモチーフにした大樹と御遣いの壁画があった。

 ティルは、懐かしさをわずかに抱きながら、緊張の面持ちでその場へ踏み入った。

 あけぼしの面々も、事前に打合せたとおり帝城の慣例にしたがって粛々と入室。帝座へと最敬礼を済ませる。

 入室の儀が済むと、皇帝が年老いた声でゆっくりと話し始めた。

「ゼナルド・ヴェルトナード五世。朕が、当代のアルフ・ルドラッドを預かる皇帝である。よく来られた、御遣いよ」

 響く音は翻訳魔法を通したものだろう。ティルよりもさらに強力なそれは、広い空間の中でありながら弱々しいはずの声を正確にその場の人間たちに届ける。

「“魔の海竜”を討ち取ってくれたこと、まずは礼を言わせて欲しい。おかげで帝国は救われた」

「もったいなきお言葉にございます」

 支局長、サンジョウ氏が深々と頭を下げる。

「よい。本来は私が頭を下げねばならんところだ。しかし、例の書簡のこともある。まずはそこをはっきりさせておきたい。よいだろうか」

「は。疑問などございましたら何でもお答えいたします」

「……では、早速で申し訳ないが、説明していただこうか。――貴殿らが天の御遣いではないという件について」

「承りました。ただ、その点については、我々自身の説明では要領を得ない点も多くあり陛下を煩わせることになるかと存じます。そこで――」

 サンジョウ支局長はやや大げさな身振りでもってティルを指した。

「貴国の巫女様は、我らが方舟に滞在の中で時間をかけて我々の異質さをよく理解されました。彼女のお言葉を借りるのが双方の最も良き理解につながるかと」

「左様か。献身の巫女よ」

「はい」

 呼びかけに答え、ティルは頭を下げたままゆっくりと立ち上がる。 

「皇帝陛下。彼らの出自は、私の想像を絶するところにありました。彼らの言葉も概念もまた難解であり、ゆえに私が理解できた点のみではありますが、簡単にお伝えしたく存じます」

「許す。申してみよ」

「ありがたき幸せ。――では、ご説明させていただきます」



 和貴は堂々たるティルのプレゼンを聞きながら小さく息を呑む。

 持ち込んだホログラフィックプロジェクターを展開し、スライド形式で模式図となるイラストを提示する。もちろんスライドはティルの意見を聞きながら和貴たちが作成したものだ。

 老人が多いことを考慮して、帝国の神話体系を真正面から覆すような表現は避け、情報量を抑えた簡易なイラストを中心に構成してある。

 それを腕で指し示しながら、大広間に高い声を張ってティルは語る。

 和貴たちは、“地球”という空の彼方の地から来た“人間”であること。

 ゆえに、伝説に語られる天の御遣いではなく、過去に帝国を訪れたこともないこと。

 願わくば帝国と対等な友好関係を築き、国交を持ちたいと考えていること。

 簡素化のため、小難しい政治組織についての言及は簡略し、『国際深宇宙探査機構、通称I.D.E.A.と呼ばれる組織が送り出した、三番目の探査船団』という事実は、『空から空へ、遊牧民族のように旅をする船団国家“イデア”』といったふうにぼかして説明するにとどめてある。

 事前に組み立てた説明を自分の言葉のように語るティルの物語。

 老人たちにとっては荒唐無稽な話だろうが、それでも真剣に聞き入っているのは、ティルの人徳だろう。

 真摯さ、ひたむきさが伝わる声。

 プレゼンの技術の基本は事前練習の際に幾つか伝えたが、それ以上に生来のカリスマ性というものがティルにはあった。

 ……すごいな。

 和貴にはない、ティルの才能。

 素直な関心と、小さな計算が同時に和貴の胸の内に浮かぶ。

 彼女には何ができるだろうか。

 何をしてやれて、何をさせられるだろうか、と――。



「なるほど。理解した」

 ティルの説明と、後の簡単な質疑応答を経て、枢機卿や宰相たちが全員がうなずいたのを見て、皇帝が改めて言葉を発した。

「我々は大いなる誤解をしていたようだ。旅の人々よ、許してほしい」

 ……よし。

 和貴はその言葉に、小さく手を握る。

 まず一つ、努力が実った瞬間だ。

「やむなきこと。伝説と偶然が整いすぎていたのですから――」

 支局長もにこやかに謙遜を返す。

 対する皇帝は穏やかに、しかし探るような口調。

「対等な国家としての友好の件、我々は検討の余地がある。……だがひとつ、はじめに頼みたいことがある」

「と、おっしゃいますと?」

「臣民のため、あなた方のことを今後も天の御遣いということにしていてもよいだろうか」

 ……来た。

 それはティルが予測していた要求の一つだった。

 帝国は皇帝の御名のもと天の御遣いが降臨した、という大風呂敷を枢機卿たちが広げてしまった。それを短期間で「撤回します」とはいかない。

 だが、和貴たちとしてはその扱いはいささか不都合だ。

 支局長はそれを代弁するように言う。

「我々としては、不本意であることをまずお伝えしたい。こうして身分を明かしたのは、天の御遣いという勘違いに甘んじて貴国を支配するつもりがないという誠意である。それが貴国の臣民方に徹底して伝えられないのは我々にとって望ましいことではない」

 百年単位で考えれば、いずれ民衆は真実を知るだろうし、その嘘に加担したI.D.E.A.にも程度はどうあれ怒りの感情を向けることは十分に予測された。

 だからまず支局長は伝えるべき言葉を述べた。

 それに対し、皇帝の返答はやや不機嫌を含んだ声。

「貴国の誠意は朕が確かに受け取った。それは感謝している。臣民への説明は朕が全ての責任を持ち、不敬はさせぬ。それで諸君らにどんな不都合があるのか」

 ……確かに、あなたがいる間は問題ないだろうけどね。

 和貴たちは帝国が崩壊した先を見ている。

 文明が浸透し、やがてこの星の人々が神を捨て去った世界。

 宇宙を目指し、惑星を巣立とうとする未来を。

 もちろん皇帝や帝国の重臣は、帝国がある間のことしか考えられないだろう。

 帝国がある間は、臣民は完全に皇帝と魔法使いの支配下にある。絶対的な力で、不満を抱こうとも力で押さえつければそれでおしまいだ。

 その食い違いはしかたのないこと。だから支局長も頭ごなしに否定は返さない。

「確かにそうでしょう。しかし、訪れる先々で臣民の皆様から“天の御遣い”との待遇を受けるのはいささか以上に心苦しい。その点をまず申し伝えておきたかったのです」

 なんとなく嫌だ、とぼかし、それでも否定の意思を伝える支局長。

 頼んでいるのは向こうだ。ならばこの程度の意思表示は当然だろう。

 ――なぜなら“こちらは要求を飲んでやる”のだから。

「その点を理解して、帝国が我々について過度な宣伝を自粛して頂けるのならば、御遣いの件については表立って否定しないことは約束しましょう」

 黙認。

 それは交渉カードともなり得るこの件を、帝国との友好のために破棄するという意思表示だった。

 ――和貴たちは、ひとつの弱みを抱えている。

 時間だ。

 そもそも、リスクを極限まで回避するならば、有人降下計画など論外。

 ルコのような、感情の模擬再現すら可能な学習型AIが運用できる現代において、自分たちが宇宙にいるままに情報を集めるだけならば、無人機だけで十分に事足りる。

 それでもなお、人間を降ろさなければならない事情。それは、

 ……上層部の、寿命。

 人工冬眠を繰り返し、どうにか延命してきた老人たちの寿命が迫っている。

 降下計画は、惑星到着直後の一時解凍で、年長の数人が相次いで死去したことで性急に進められてきたという背景がある。

 地球への帰還も困難な深宇宙を航行する宇宙船で生まれ育った人間たちにとって、大気と水の豊富な惑星への渇望は多数が共有する想いだ。

 特に、体力が低下し再冬眠が不可能とされた老人たちの焦りはすさまじい。

 地球外惑星に、そして人間そのものとも言える奇跡の異星人を目の前にして、降りること触れること叶わず死ぬなど断固として受け入れられない、とでも言わんばかりに。

 古い指導層でもある彼らのシンパも多く、居住可能惑星への渇望を持つ人間が多数を占める現状、多数の判断が冷静さを欠いてしまう土壌がある。

 ……それを自覚できている人間が、意識的にブレーキを掛けなければいけないのだけれど。

 植民と資源回収の速やかな達成を最優先とする過激派と、異星人との宥和共生を目指す穏健派。

 いまは穏健派がかろうじて優勢であるが、場面によっては反転することも多い状況。

 例えば今回の問題に関しても、そうだ。

 最高意思決定機関である統合会議は、交渉カードにもなりうるこの件を、帝国に大幅な譲歩をすることで合意した。

 つまり時間惜しさに、将来の大衆を敵に回してでも現在の利益をとる、という選択をしたのだ。

「感謝する。こちらも今後諸君らを祭祀に利用することは止めさせるよう厳に言い含めよう」

「よろしく頼みます。……今後、その指示が不徹底だったと確認された場合、後日改めて問題にさせて頂くが、よろしいな」

「無論だ。皆も、よいな?」

 皇帝の一瞥に、枢機卿を始めとした家臣たちは一斉に了解の礼をとった。

 ……まずひとつの難題は、これで決着、と。

 最低限の釘は刺し、今後も和貴たちI.D.E.A.は神様として尊大に振る舞うことはせず、しかし相手の信仰は否定しない。

 今後は現地に定住し、交流を深めながら人間らしさをみせて暗に誤解を解きつつ、科学技術が発展し、この星の住民たちが神話からの脱却を望むようであれば、改めてゆるやかに真実を伝えていくという方針ではあるが。

 ……後世の子どもたちに怒られなければいいけれど。

 それが正しかったかどうか判断しうるまだ見ぬ後代に、和貴は少しだけ思いを馳せた。



「して、汝らの望む友好とは、どういった形の友好であるのかな」

 一つの懸念が払拭されたことで、皇帝は次の疑問を口にする。

 支局長はその問いを待っていたように返答。

「は。同じ人間として、帝国の発展に力を貸したく存じます。特に、街道の安全確保や、農業生産量の向上、衛生状態の改善におきましては大きな役割を果たせると自負しています」

 事前に書き上げた文章を読み上げるように、支局長は宣伝文句をスラスラと述べはじめる。

「まず一つは治安の維持。我々は魔竜を打ち倒すだけの武を持つ一統。野盗や魔物の対処など造作でもありません。これによって各都市間の交易はますます活発になるはずです。

 二つめは農業です。現状、同様の面積と人員で三倍の収穫量を見込めるだけの栽培方法、技術などを持っています」

 そして三つめは衛生状態。病魔の類が広がらぬための予防方法を我々は知っており、実現する技術があります」

 立て板に水を流すようにそこまでしゃべると、大げさな身振りとともに支局長は高らかに宣言した。  

「この三つの貢献により、帝国の生産能力は向上し、生活は豊かになり、人が増え――魔の者へ対抗するだけの力を手に入れる事ができるでしょう!」

 皇帝はふむ、と小さくうなずき、

「とても魅力的な提案だ。――だが、それだけの貢献の対価に、貴君らは何を望む?」

 皇帝の問い。

 仮にも統治者ということだろう。容易には乗ってこない。

 だが想定どおりの反応。支局長も和貴たちが組んだシナリオ通りに言葉を返す。

「恐れながら、陛下。我々は旅の民族。持ちものは少なくはありませんが決して多くはありません。ゆえに」

 そこで、和貴は小さく息を呑む。

 続けられるであろう言葉を思い、小さな覚悟を決めて。

 ……さあ、勝負だ。

「領国を一つ、私たちに預けていただきたい」



「領国を……!?」

 支局長の言葉に、明らかに枢機卿たちがどよめいた。

「左様。我々が総督閣下や領主様の統治に対し適切な指導・援助をし、収益を向上させていただきます。その対価として、領内の土地の使用権と、増収となった租税の一部を我々が頂きたい」

「それは、総督や領主の地位を冒涜するものではないか……!」

 ……当然か。

 領国とは、帝国を構成する、区分けされた最大の行政単位のこと。

 それ一つで本来は国家と呼んでも差し支えない広さと人口を持つ土地を指す。

 高位の宗教的指導者たる魔法使い、枢機卿や領国教導官が“総督”を務め、その土地の世俗“領主”が実質的統治を行っている。

 魔法使いたちは実質的な経営には携わらないものが多いとはいえ、総督の地位は重要なステータスであるし、その統治を委任される世俗の“領主”もその土地の人間たちは喉から手が出るほど欲しい地位だ。

 三條支局長は、その十七しかない国の指導権を一つ寄越せと要求したのだ。

 簡単に承服できる話ではなかろう。

 ぼそぼそと話し合う言葉が漏れる。

 和貴たちからすれば、要求が通れば御の字。通らずともやりようはあるが、

 ……一つ取れれば、後への大きな一歩となる。

「領国をとは、また大胆なことをおっしゃる。その大きさを、貴君らはご存知か」

 皇帝が反応を返す前に、筆頭枢機卿が口を挟んだ。

 すかさず支局長が答えを返す。

「存じております。ですが、我々の技術が役に立つかどうか、帝国の皆様に証明せねばなりますまい。そのためにも、試験例モデルケースとして、領国ほどの規模は適切と考えています」

「試験例……とな」

「お言葉の通り、未知の技術にご心配もございましょう。ですから、まずは領国で試験を行い、そこで成果が上がれば、順次それを帝都や他の領国に導入すればよいのではと考えます」

「それは……そうだが」

 支局長の理屈に言いよどむ筆頭枢機卿。

 だが、別の枢機卿がおもむろに言葉を発した。

「それならば。なおさら領国を預けることはできませぬ」

「…………!」

 七人の枢機卿の中でも最下位で、遠方の領国を預かる立場にある彼は、しかし堂々と言葉を述べる。

「その施策とやらにどれほどの効果があるのか確信が持てない。旅人であるならば、この帝国の事情はご存知にならないだろう。そんな者達に国を預けろと。……その指導のもと、民がいたずらに弄ばれるのは看過できません」

 ……もっともな言葉だ。

 事前のプロファイリングでは、七位の彼は枢機卿の中でも自身の領国の施政に労力を割いているという。

 愛着があればこそ、他人の手に渡すことを嫌がる心は解る。

「当然、現地の領主をはじめとした行政官の方々からの助言を受けながらその地の風土に応じた対応は致します。強権的に全てを変えてしまうつもりはありません」

「だとしても、領国に住む人々にはそれぞれの誇りがある。行政官たちは旧くからその地に根付いた役人であるし、臣民はそれらを信頼しておる。いきなり中央から新たな主を迎えて、すぐに言うことを聞くようなものでもない」

「そうだな」

 七位の言葉に力を得たのか、三位の枢機卿が歩み出て言う。

「辺境の領国ともなれば民族も異なる。総督も、彼らに信用された一族が就くよう配慮しております。どんな領国といえどこの地の人間全ては帝国の臣民。

 確かにあなた方の技術は素晴らしいのでしょう。ですが、その実験に我ら帝国の土地や臣民を差し出すようなことはできません」



「うわ硬ぁ……」

 八智は画面の警備状況を目で追いながら、ヘッドセットから聞こえる交渉内容に思わずつぶやいた。

 翻訳魔法は機械を通して届かないが、現地の音声は警備の機械人間アンドロイドを通して拾えている。

 先日完成した自動翻訳システムを通せば、ある程度のタイムラグを経て交渉の内容は追うことができていた。

 八智のつぶやきに同じく熊野も苦笑いをまじえて言葉を返す。

「魔竜の武功で押しきれそうにみえたんですが、むこうもけっこう強気ですね。あいてが人間だと勝てるとでも思ったんでしょうか」

「きっとそうだよね。ほんとうに勝手なんだから、もー」

 親切で神様の立場をわざわざ捨ててあげたのに、と八智も不満に思う。魔法がなんぼのもんじゃ、小惑星拾ってきてお前らの脳天に叩きこむぞ、と八智の脳裏に物騒な思考がよぎる。

「じゃあさ、先に神様ぶって全部総取りにしちゃったほうが良かったんじゃねーの?」

 口を挟んだのは谷町。あんまり興味がなさそうに見えて、聞いていることは聞いていたらしい。

「そんなことをすれば後々『だまされた』って、大騒ぎされるぞ。暴動反乱でも起こされてみろ。俺達の仕事になるんだぞ?」

 反論を返したのは三宅。理屈臭い生真面目な彼なりの優等生な解答だ。

「あー、それは死ぬほどメンドイな……」

 三宅の言葉に谷町があからさまに嫌そうな顔をすると、三宅はさらに言葉を繋げる。

「外交部もそもそも領国一つ取る気なんかないだろう。最低限、ある程度の土地――農場と空港を確保できればいいと思っているはずさ」

「とにかくまずは食糧、ですよね」

 熊野が相槌を打ちながら、目線を上にあげる。その先にあるだろう、母艦ゆりかごを思うように。

「軌道上の“ゆりかご”は人員の六割を交代で人工冬眠にして、ファクトリーをほとんど無人で動かしてる状況ですし」

「そっか。……けっこう普通にご飯食べてたけど、考えてみればかなり資源食ってるんだよね、この降下作戦」

 月面の食糧工場はAI制御でフル操業……それでどうにか食糧の総収支はギリギリ均衡を維持してるラインだ。

 地上で食糧を追加調達できなければ降下計画は失敗。最終的に撤退もありうる。

「帝国が作った食糧を貰うんじゃダメなのか? たくさん蓄えてるだろあいつら」

 谷町が疑問の声を上げる。確かに土地よりも魔竜戦の成果としては要求しやすそうに見える素朴な案に、しかし三宅は反論する。

「生産性が低すぎるんだよ、帝国は。それに領主たちはギリギリまで巻きあげるから農村には余裕が無い。がめつい奴らのことだ。俺達が要求してもおそらくは民の税に上乗せされるだけだろう。貧しい民から余計に絞り上げることになれば、農村の余裕はいよいよなくなるだろう」

 現状でギリギリのバランスが保たれているところに、突然強烈な負担がのしかかれば、最悪の場合帝国の農業が瓦解する恐れもある。

 建前として“現地住民との共存共栄”を目指すI.D.E.A.の指針にとって望ましい結果ではない。

「それに、農場が手に入らないと、わたしたちはにんじんを目の前に下げられた馬状態になるから、ね」

「食べ物に釣られて走らされる……ってこと?」

 八智の疑問に頷いたのは浜崎中隊長。

「熊野少尉の言うとおり、食料の供給を帝国に依存することにでもなれば、我々は遠からず帝国の言いなりになるしかありません。……無論、我々降下軍がぶん殴って巻き上げることもできるでしょうが」

「そりゃ、穏やかじゃないっすね……」

「その通りです谷町少尉。そんな関係が健全な友好関係とはとても言えないのは明らかです」

 だから。

「ここで少しでも我々が主導権を握らねばなりません。――支局長閣下と外交部はどう頑張ってくれるのか」



「なるほど。確かにおっしゃる言葉にはいくぶんか理があるように見えます」

 支局長が言葉を返しながら、時間を稼ぐ。

 その間に和貴たちは通信会議デバイスを使って想定問答集をひっくり返していた。

 眼鏡に偽装したモニターと手袋に偽装した入力デバイス。外交部の職員と支局長が身につけたこのデバイスは、性能こそ高くないが、簡単なテキストチャットには十分。

 問答集のライブラリに目を通しながらめぼしいものを引用し、共有。最適かどうか合意を取り、決定を得る作業には問題ない。

 和貴も次にぶつけるに最適な文章を探しながら思考する。

 ……さすがに思った通りのタヌキっぷりだ。

 枢機卿たちが返した言葉は、和貴たちが想定した中では最も強い反発。

 それも建前としては民を思い、民のためにというお題目を掲げた誇り高い言葉だ。本音はどうあれ。

 ……ご立派なことで。

 建前はまだ失っていないという点では賞賛に値するが、どのみち面倒くさい話には違いない。本当に民のことを思うならこんな全面的な拒絶は返さないだろう。

 彼らは、自身の力を失うことを恐れている。

 自分の領国を乗っ取られること、他の領国が乗っ取られ、圧倒的な力をつけること。

 そのどちらも警戒し、結果として自他ともに領国を渡さないという選択をしたのだろう。

 領国を引き渡せば、もしかすると民のため、帝国のためになるかもしれないと解っていても。

 ……万が一のリスクも取らない、と。

 だが、和貴たちも簡単に引く訳にはいかない。

 領国一つは確かに過大な要求かもしれないが、広大な土地が必要なのは違いない。

 農地や住居、あけぼしを始め、後続の降下艦のための空港は今後のためにも絶対に確保せねばならない。

 ……それを叶えるためには……

 チャットの中で一同は攻め手を変える方向で合意した。

 続々とライブラリからシナリオが引き出され、編集を経て共有。

 それを読み、支局長は頷き、声へ変える。

「確かに、何も知らない相手に任せるという心苦しさは理解できます。では……そうですね。寺之内くん」

 支局長が振り向き呼びかけたのは、外交部の随員の一人。

 大陸南西課経済係の係長を務める男だ。

 彼に向かって、支局長は問いかける。

「メルドヴァラード枢機卿の領国、ルカシャードの概要を簡単に教えてくれるか」

「承知いたしました」

 唐突に名指しされた七位の枢機卿……メルドヴァラード氏は小さく動揺を浮かべる。

 領国の名など教えた覚えがない、と言わんばかりに目を見開く枢機卿に、寺之内係長はスラスラと言葉をぶつけていく。

「領国ルカシャード。人口はおよそ五十万人。面積は帝国の記録で二百アレー。昨年の税収は――ハフナが三十ゲルックほど。五年連続で減少傾向にあります」

 帝国の単位や固有名詞を交えながら、領国の地誌を簡単に述べていく寺之内。

 それに枢機卿はますます顔を青くした。

「……何故それを知っている!?」

 驚き、声を荒らげた枢機卿の問いには答えず、支局長は経済係の寺之内へ質問を投げる。

「例えば、空飛ぶ船が“不時着”しても、邪魔にはならない場所はあるか?」

「キンゼスの丘周辺は主要街道から外れ、開拓が進んでいません。整地作業を行えば“あけぼし”の着陸も可能です」

 その言葉に頷くと、ようやく支局長は枢機卿に向き直り、質問には答えず笑顔で言う。

「いかがでしょうか猊下。我々はこれだけのことを知っています。もっと深いことも」

「なぜ知っていると聞いた」

「数年前、この帝国を訪れた旅人から聞き知ったのです」

 もちろん三十年前から大量の無人機を降下させていることは言うはずもない。

 一時期、高度自律型AIを積んだ機械人間が、かの領国の行政官を務めたことがあるなど、枢機卿には想像もできないだろう。

「改めて、どうだろうか。我々なら“暁の群狼団”を退治することも容易い。税収の上昇も見込める。二年前の“吐血病”のような流行り病も封じ込めてみせましょう」

 さらに支局長は現実に直面している問題についてさらに具体的な固有名詞を出す。

 支局長が口にした野盗団や流行り病は、特に七位枢機卿の領国においては悩みの種とされているもの。

 それを解決できる、とちらつかせることで支局長は見え見えのエサとしてぶら下げたが、

「……私の領国は、私のものだ。他の誰のものでもない」

 絞りだすように応える声は、やはり否定。

 腐っても枢機卿。プライドが勝ったようだ。

「では、他の皆様はいかがでしょう。他の領国についても、我々は十分に知見を得た上でここへ参りました。必ずお役に立てると自負しております」

 支局長は他の枢機卿を見回し、営業スマイルを浮かべる。

 だが、これはあくまでポーズだ。最初の枢機卿が断った以上、ここでおそらく乗ってくる枢機卿はいるまい、と和貴たちもわかっている。

 ここまでコケにされたのを見た上で乗ってくるのは余程の大物か大馬鹿だけだ。

 無言の否定に、支局長は一度目を伏せる。

「……そうですか」

 残念そうに声を落とした支局長は、そこで一旦言葉を切る。

 それからしばらくの間を置いて、場が静寂で満たされた上で、改めて顔を上げる。

 浮かんでいたのはわざとらしいほどの笑顔で、

「ただ、これだけはご承知おきください。もし我々が十分な土地をお借りできない場合――」

 石造りの天井。支局長はその上を指さし、

「頭上の航空艦“あけぼし”がまたトラブルを起こして、帝国領内のどこかに、墜落してしまう――かもしれない、ということを」

 しれっと、言い切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る