第19話 星の行方
ティルが侵入者から保護されてから一夜明け、あけぼしの艦内は一連の侵入者事件への本格的な事後処理へ動き出した。
降下支局の各部による今回の事件の検証。その中では魔法対策を急ぐべきだという声が相次いだ。
外交部は「慣れない環境でのティルの心身の負担」を理由に長時間の研究、実験への協力には消極的であったが、今後は優先的に各研究所に協力するように約束をさせられた。
魔法が未知のままでは今後の自衛もままならない。今回の件を挙げてそう説き伏せられれば、カズキたちも、ましてティルは断れるはずもなかった。
「へう……疲れたぁ」
夕食後、ティルは妙な鳴き声を上げながら自室のベッドへ倒れこんだ。
ここ数日、朝から晩まで聞き取りや“実験”と称した魔法の連続使用を求められてきたティルは、体力的にも精神的にもそろそろ参ってきていた。
あけぼしの皆のために役に立ちたいという気持ちに変わりはない。
だからといって、日がな一日よくわからない人間に聞き取りをされたり、怪しげな機械の監視の中で同じ舞を何度も要求されたりすれば、流石に疲れてもくる。
通訳の一人としてアカリが一緒にいてくれるのが救いだった。
……これで、いいのかな。
あけぼしの役には立っている、とアカリは言う。
言葉の面では、いくつかの誤訳が判明したり、ひとりでに翻訳をする機械が完成に向かっているという。
……でも、帝国には、まだ。
先日の侵入者の件では、ティルが侵入者が魔の者どもの手先であることを説明し、帝国への濡れ衣を避ける事はできた。
だが、あれがもし“本当に帝国の人間だったら”と思うと、ティルはこのまま船の中に引きこもっているだけではいけない気がした。
二度とあんなことが起こらないようにするには。
“次こそ”上手くやるためには。
カズキの言葉を思い出しながら、ティルは思考する。
連なって思い出されるのは、祭りの時のユミカの言葉だ。
――ただのお祭りだけど、邪神の復活を企ててるとか、変な勘違いされると困っちゃいますから。
勘違い。
未だ帝都の人間は“あけぼし”を勘違いしている。
ティルは時間をかけて、彼らのことを知ることができた。
山のように積み上げた勘違いを、カズキたちが丁寧に解いてくれた。
だが、未だ対岸にいる帝国の人々は違う。
この巨大な船“あけぼし”を、天の御遣いと思い、それ以上の知識は何一つとしてない。
何かの拍子に勘違いが暴走につながらないとも限らないのだ。
……謁見の機会を、設けられればいいのだけれど。
皇帝陛下にカズキたちが謁見する機会が得られて、その場であけぼしのことを説明できれば。
その理解を、皇帝陛下が帝都へ――帝国全土に伝えられれば。
そうすることができれば、最低限、偶然の不幸は避ける事ができる。
魔の者どもへ対抗するための共同戦線の道も開けるだろう。
……うん、そうだ。
疲れで霞のかかった頭の中で、ここ数日にわたって考えていたことがようやくまとまった。
よし、と心に僅かな達成感を得てティルがベッドの上で身を起こした時。
突然、部屋の中に素っ頓狂な音楽が鳴り響いた。
「わひゃっ!?」
驚きベッドの上で飛び跳ねるが、すぐにその正体に気付いた。音の主は、
未だ慣れぬ手つきでティルが画面を瞳に映すと、一件の
当然ながら文は全てニホン語。ティルは意を決してアカリ手作りの簡易辞書を開き、ルコの助けを得ながらようやくその内容を読み解いた。
そこに書いてあったのは、
「流れ星を拾いに行きませんか?」
というものだった。
*
数日後。
双子の満月が天頂を過ぎるほどの深夜。あけぼしで採用されている時間の単位で「午前一時」と表現される時間帯。
帝都のことごとくは寝静まっただろう、そんな真夜中に、ティルを呼び出した人物はいた。
「こんばんは。ティルちゃん。アカリさん」
操縦士待機室。そう呼ばれる部屋にティルがアカリとともに顔を出すと、ユミカが笑顔で迎え入れた。
その身なりは以前に彼女が身につけていた白い制服ではなく、灰色の甲冑のような服装だった。布でできているように見えるが、金属の部分も幾つか見られる。
「こんばんは、ユミカさん」
「こんばんはです、村瀬少佐」
ユミカの挨拶に二人揃って答えると、すこし困った表情になってユミカは言う。
「ふたりとも夜遅くにごめんなさい。どうしてもティルちゃんには一度見せてあげたくって」
ティルは首をふる。
「本当はもう少し早く連れて行ってあげたかったのだけれど、複座の機体が借りれて、私の勤務と“流れ星”がちょうど合うタイミングが今日しかなくて」
翻訳魔法が伝えるのは、夜を流れる帯状の光のこと。
見ることができたものには幸運が訪れるという伝承が多く伝わる
「ナガレボシって、あの瞬きの星のことですか?」
「ええ、そうよ。……でも少し違うでしょうか」
ユミカは考えながら言葉を選ぶ。翻訳できるように、簡単な言葉で、と気を使っているようだった。
「今回のは、私達が意図的に作る偽物なのだけれどね。本物は宇宙にある……石ころとかが、空気にぶつかって燃え尽きる光のことなの」
「空気にぶつかって、燃える?」
ちょっと難しい話なのだけれど、と前置きしてユミカは続ける。
「断熱圧縮っていうんだけどね。惑星の大気の外から物が落っこちてくると起こる現象なの。速度を保ったまま地表に近づいてくると、落っこちてくる物にぶつかった大気が逃げ場を失って、ぎゅーっと押し付けられる。すると、すごい熱を出して、空気が物を燃やしちゃうの。そうして宇宙から落ちてきた物が燃える光が――こちらでは“まうにーれ”? っていうんでしたっけ。あんなふうに見えるわけなの」
ぎゅーと、押しつぶされた空気が熱を発する。その言葉にティルは手のひらを合わせてみる。当然、空気は圧縮されることなく手のひらから逃げていった。
「……??」
首を傾げていると、ユミカは笑いながら考えこむティルの頭をポンと叩いた。
「小難しい理屈は置いておくとして、今夜はそんな流れ星を、拾いに行きましょう」
「拾い、に?」
さらに重ねられたユミカの言葉に、ティルの頭にはますます疑問が渦巻くのだった。
*
乾期へ向かう湾内は深夜ということもあって、頬を撫でる風は少し肌寒い。
だが、首から下は嘘のように暖かい。
ティルも、“ナガレボシ拾い”に同行するに際して、ユミカとお揃いの灰がかった色の服に着替えさせられていた。
……これもまた、すごい服。
分厚さがありながら、コンパクトにまとまり動きをあまり妨げない。
ティルにはとても用途の分からない管や金具のようなものが付いた、機械兵士の服装にも似たそれは、“
元々ティルの丈に合うものはなかったそうなのだが、一着をティル専用に改造したということだった。
「これから、必要になるかもしれないから」
そう言って笑うユミカに手を引かれた先は、月明かりといくつかのカラフルな灯火だけが点いた、暗い甲板の上で並ぶ人型の巨大機械の前だ。
巨人は全部で四体。そのうち一体がひざを突き、腹を大きく開けていた。
「じゃあ、あれに乗りますよ」
「はい!」
ユミカの助けを得て、ティルはその腹の中へ潜り込んだ。
少し高所にあるため、補助の紐などを駆使しながら、どうにか潜り込む。
それから、後ろからついてきたユミカに押し込められて、なんとか後席に収まった。
身体は“ベルト”でしっかり固定され、頭には兜のような“ヘルメット”を被せられている。
おそらく、鏡で見た自分の姿は、さながらブカブカの甲冑を着せられた子供のように見えるだろう。
ユミカは「可愛い」と言っていたが、あまり見られたい姿じゃないなぁ、と思いつつ、席の周囲の機械や画面を見回す。
球形に浮かぶ世界の中、二人乗りの席がぽっかりと浮かんでいるように見える光景。
初めて乗った時は全く理解できず、神秘的にすら見えたものだが、今のティルは、機械が外の風景を映しているのだと知っている。
そんな球形の世界を切り取るように四角い“窓”が開く。画面に新たに映るのはアカリの姿だ。
《ティルさま、無事収まった?》
「は、はい! なんとか!」
機械を介した通信での翻訳魔法への影響を考えてか、彼女が話すのは帝国語だ。
《じゃあ、私はここで二人の会話を監視してるので、自動翻訳が変な訳を吐き出したら訂正を入れますね。村瀬少佐、私の話す帝国語は訳せてますね?》
「はい。ちゃんとヘッドセットから日本語の合成音声が聞こえてますよ。よろしくお願いしますね、アカリさん」
アカリは帝国語で話しているのに、ユミカはきっちりと返答を返していた。
今回の“ナガレボシ拾い”は、“機械による自動翻訳”の試験運用も兼ねているという。
ティルも試しに話しかけてみる。
「えっと、……大丈夫ですか? 私の言葉、伝わっていますか?」
「大丈夫ですよティルちゃん。バッチリ通じています」
「おお……」
ティルは驚きに目を見開いた。先日まで翻訳魔法も通じなかったというのに、今の彼女はややタイムラグをはさみながらも通訳の人間を挟まずに会話出来ている。
《これもティルちゃんが毎日頑張って実験に付き合った成果だよ》
「私が……?」
《言語チームのニュアンス調整とかにも付き合ってくれたしね。ティルちゃんは魔法があるから、まずはこちらが全員帝国語をわかるようにならないとってことで、急いで作ったんだ》
「そう、なんですか……」
《ルコは自律学習型高度AIサーバーだから自分で勝手に学べるけど、学習内容を擬似人格システムと切り離せないからね。あんな大掛かりなシステムを持ち歩かなくても運用可能な精度の高い翻訳システムが急がれてたわけですよ。前回の艦内戦闘のとき流れた自動翻訳なんか、やっつけ仕事で酷かったし――》
アカリは得意気に自慢するが、ティルは半分も理解できなかった。
けれどもひとつ、またティルの心に達成感が積み上がったのは、確かだった。
*
「ピックアップ1よりコントロール。離陸許可願います」
《コントロールよりピックアップ1。離陸を許可する。誘導に従い第三カタパルトから発艦せよ》
「ピックアップ1了解――」
時間を待っていると、ユミカがどこかとのやりとりをはじめた。
どういう意味なんだろうと意識を向けていると、ティルの身体が小さな振動を感じた。
ぐい、と視界が持ち上がるのを感じると、ユミカが振り向かずに言う。
「じゃあ出発しますよ。とっても揺れますから、覚悟をしておいてね」
「はい!」
画面の端、眼下の暗がりの中で灯火が動き出し、それを追うようにティルたちが乗った巨人が動き出した。
視覚の上下動のわりに感じる振動はわずか。
巨人の足元、灯火を持つ機械のようなものが身振りで誘導しているようにみえる。
ユミカもそれを目で追いながら操縦しているようだ。
やがて、足元で何かに引っかかるような振動が走ると、画面に映る視点がゆっくり低くなる。
「さて、もうすぐ大きいのが来ますよ。リニアカタパルトのGはさすがに慣性保護コックピットでも相殺しきれないから――舌をかまないように、口を閉じて、何かにしっかり掴まっててね」
「は、はい!」
ユミカの専門用語の意味は半分もわからなかったが、指示されたことは分かった。
……口を閉じて、しっかり掴まる!
続いて巨大な手が何か同じく大きな棒のようなものを掴んだのが見えた。
「ピックアップ1、カタパルト接続完了」
《……確認。これより射出します。リニアカタパルト、電圧上昇》
心の準備を整え、ティルは前席の後ろに備えられた持ち手らしきものを両手で握る。
そうして待っていると、不意に画面の隅、甲板の上で人影のようなものが動き回るのが見えた。ティルたちの乗った巨人を見て、何かの合図をしている。
ユミカもそれを見てうなずき、機械を操作。それが回答になったのか、人影は合図を返して、離れていく。
「来るわよ!」
「!」
ユミカの警告と同時、甲板の人影が腕を振った直後。
席に押し付けられるような強烈な圧力とともに、風景が一気に流れた。
*
「
《02了解》《03了解》《04了解》
離陸後、先頭を飛ぶユミカが命じれば、後続の巨人は行儀よく左斜めに等間隔で並んだのが見えた。そのまま巨人の斜列は高度を保ち、湾を越えて外海に出る。
ティルはしばらく自分が真夜中の空を飛んでいる映像を楽しんでいた。
あの日の夜、ひとりでに動く巨人に乗せられた時と同じ風景だ。
異なるのは、あの日に近づいていた船が、今はどんどん遠くなり、やがて岬の岩礁に隠れて見えなくなったこと。
やがてティルの全周が海と夜空に包まれる。
何度見ても凄い、と思うと同時。これは武器なのだ、ということを思い出す。
あのサイズの巨人が、四体。とんでもない速度で空を飛んでいる。
この四体の巨人だけでも、どれだけの魔の者を倒すことができるだろう。
どれだけの帝国臣民を守ることができるだろう。
そう考えると、思わずティルの口から言葉がこぼれていた。
「ユミカさんは、帝国のことをどうお考えですか」
「どう……とは?」
「私達は、帝国の助けを欲しています。魔の者達も、あなた方のことを調べているようです」
あの日。ティルを誘拐した二人は、あけぼしのことを調べに来たのだ。
彼らはおそらく、あけぼしの力をはかりに来た。その後どうするかは分からないが――
「共に戦いませんか? そうすればきっと……」
ティルの唐突な物言いに、ユミカは苦笑する。
翻訳は正確になされたのだろう。アカリからの注釈はない。
わずかに迷ったように、ユミカは答えを返した。
「うなずいてあげたいのですけれど……ごめんなさい。私にはそこまでの決定権はないの。軍人はあくまで剣でしかない。飛んできた石を払いのけることはできるけど、人を殺すと決めるのは剣ではなく、人でなくてはならないから」
一介の軍人に、戦争を起こすか否かなど決められない、というユミカの言葉はもっともだった。
あけぼしにおける皇帝――それに相当する人間に言葉を届けなければ、その助けは得られない。
「なら、それを決めるのは誰になるんですか?」
「最終的な決定権があるのは“ゆりかご”にいる第三船団統合探査会議だけれど……手近なところでは降下支局の三條局長でしょうか。どのみち、ティルちゃんのお願いをなんでも聞いてくれるというわけにはいきませんね」
「では、どうすれば……?」
「まずはお勉強。何が最善かを知る。ティルちゃんのお願いが聞き入れられない原因はどこにあって、何が問題で、どういうお願いを誰にすれば通るのかを、学ぶこと」
「難しい、ですね」
「そうしないと、無茶は通りませんから」
無茶を通してきた先人のアドバイスですよ、とユミカはいたずらっぽく微笑む。
「焦らず下から攻めていくというのだったら――外交部のフシハラカズキくん、かしら」
「カズキさん?」
「彼なら、ティルちゃんのお願いを実現可能な形に修正して、上の人を説得させられるかもしれないわ」
「そう、でしょうか。前にお話したら、遠回しに断られたようだったのですが……」
ティルがあけぼしに来た当初のカズキとの交渉では、共同戦線ではなく、ひとまず帝国と友好関係を結ぶということで決着した。
魔の者に知能があるならば、友好関係が結べるかもしれない。逆に戦って殺してしまえば復讐心に火をつけて泥沼の殲滅戦になるかもしれない、というのが理由だったはずだ。
だが、事態はあの時からさらに悪化している。既にあけぼしは魔の者に狙われつつあるのだ。
「今お願いすれば、答えは変わるでしょうか」
「どうかしら。私には政治の細かいところまではわからないから、なんとも言えないのだけれど」
ひとつ、とユミカは指を立てる。
「女子としてアドバイスできるのは、カズキくんともっともっと、誰よりも一番仲良くなれば、ちょっと無茶なお願いも聞いてくれるかも、ということですね」
「仲良く……」
その言葉の意図するところが上手く想像できないティルは、ううむと考えこむ。
レファと同じくらい仲良くなればいいのだろうか。
例えば、ねぼすけな自分をカズキが起こしてくれて、髪を整えて着替えを――
そこまで想像したところでティルは自分の頬が熱くなるのを感じた。
「……ぁぅ」
「もしかして、まんざらでもない?」
「わ、わかんない、です……っ」
そっかそっか、と笑うユミカに不機嫌そうなアカリが声を割り込ませてきた。
《もしもし? 堂々と人の兄をハニートラップに掛ける相談をしないでもらえますか》
「冗談ですよ、冗談。アカリちゃんもお兄ちゃん大好きなんですね」
《肉親として正常な反応ですよ。もう……》
アカリが聞いていたことをすっかり忘れていた。ティルは思わず赤面を深める。
《でもね、ティル様。お兄やミツバ姉なら、きっと力になってくれるよ》
「そう、なのですか?」
《こっちはこっちの事情があるから……ティル様がそういう“事情”を解るようになれば、うまいことI.D.E.A.を……“あけぼし”を動かせる可能性はあるよ》
「事情を解るように……つまり」
「私が言ったように、勉強できたら、ということですね」
《うん。ティル様が望めば、お兄も勉強には付き合ってくれると思うよ。あれで結構ティル様のこと――》
「私のことを……?」
《ううん。なんでもない。まずは勉強、頑張って》
星空と、その光を反射する暗い海面が流れていく。
行くべき場所へただ飛び続ける巨人の姿と、自分の姿がわずかに重なった気がした。
*
「着きましたよ」
そこは先ほどと変わった様子もない、海の真ん中。その場所にどういった意味があるのか、ティルには一見して解らなかった。
視線は低い雲とは同じぐらいの高さにある。ふわふわで乗ることのできそうと思った雲が、こんな煙のようなものだったなんて、と驚きながらあたりを見回していると、
「多分この辺りに落ちてくるはず、なのですけれど」
「……はず?」
曖昧な物言いに、ティルは思わず聞き返した。
「狙って軌道に投入しても、上手く行ったり行かなかったり。最後は風に流されてしまいますしね。だからいつも“だいたいこのへん”で受け取るの。海の上に放り投げるぶんには、多少目標とずれても怪我する人はいないから……」
言いながら、ユミカが手元で操作をすると、数字が表示される。
あけぼしで広く使われている、“アラビア数字”だ。
さすがにティルもその単純な記号の意味を理解できるようになっていた。
デジタル時計と呼ばれる表記方式で、一定のテンポで数字が減っていっているそれは、時間を減算しているようだった。
予定の時間が近かったのか残り時間は少なく、まもなくその数字が全て“00:00:00”で揃う。
「時間ね」
ユミカがつぶやくと同時、見上げた空に光が瞬いた。
「あ、あれ!」
「見えたわ。あれが今回の“流れ星”よ」
それは、確かに“
白い光を引き、天上を流れる星。
昔に見たものよりもはるかに大きく、明るい。
一瞬で消えてしまう光の筋のはずが、光は全く衰える様子もなく、尾を引いて流れていく。
「あれが……」
画面越しの奇跡に、ティルの瞳はただただ釘付けになっていた。
ユミカは前席から振り向いて、目を輝かせているティルを見ると満足そうに微笑んだ。
「どう? 綺麗でしょう」
「はい、とても……!」
「ふふ。よかった。……じゃあ、そろそろ拾いに行くわね。口を閉じてて」
「は、はい!」
ティルがあわてて口を閉じるのを確認すると、ユミカは再び流れ星へ目を戻す。
僅かな機械の操作音が聞こえると、ティルは一気にシートに叩きつけられるような圧力を感じる。
巨人が加速したのだ。
流れ星を追いかけるように巨人は速度を上げていく。
球形の画面に映される光る流れ星。それを緑の図形がその位置を強調するように囲っていた。
やがて、ティルたちが追っていた流れ星の光が消える。だが画面にはうっすらと白い点のような物体が落下し続けているのが映っており、球形画面の上の図形は変わらずその“白い点”を追跡していた。
そこに何があるのだろう、とティルが加速の圧力に抗いながら目を向ければ、
「あ……」
空中で花が咲いた。
“流れ星のあった場所”に、大きな白い円が三つ開いたのだ。
「あれは……」
「落下傘が開いたの。落下の速度を抑えるための空気のブレーキをかけているところ――」
ユミカは話しながら手元で何かを操作している。
すると逆向きの力がかかるのを感じた。加速の時よりはゆるやかなそれは、おそらくは減速の力だ。
そして間もなく、ティルの身体にかかっていた圧力は消えた。
「だいたい読み通りですね。無事着水したら、拾いあげましょう」
ゆるやかに動きながら、暗闇の中を落ちる白い花。
風に流れながら落下するそれを、ユミカたち四体の巨人は一定の距離を保ちながら追っていく。
やがて、花は暗闇の中、水しぶきを上げて海に落ちるのが見えた。
着水と同時に、花は一瞬のうちにしおれてしまった。
*
“流れ星”の正体は、巨大なドームのような形をしてた。
円形の底を持ち、緩やかな半球を描く天頂を持つ。それだけでも礼拝堂にでもできそうな大きさだ。
間近にするとその大きさが解る。ティルがあれだけ大きく感じた巨人よりも、まだ大きいのだ。
「これが今回の荷物です。月の
説明しながら、ユミカはせわしなく手元の機械を動かす。
巨人の腕がドームに被った花弁――“落下傘”を取り除き、その外壁をめくっているのが見えた。
外壁を取り外すと、見えたのは何かの持ち手のようなもの。それを取り出し、巨人の手が握る。
「よし、牽引帯固定完了。他の子達は――」
《02作業完了》《04、作業完了》《――03作業完了》
「いい子たち。行きましょう。牽引シークエンス開始」
《了解》《了解》《了解》
応答とともに三体がバラバラに散る。ユミカの巨人も持ち手をもったままゆっくり空へ浮かび上がった。
すると、持ち手から紐のようなものが伸び、上昇する途中でガクンと振動が走る。
「わ……!?」
「大丈夫よティルちゃん。――よいしょ、と」
言葉通りに、さらに機体が持ち上がる感覚。
周りを見れば、四方に散った他の巨人も、ユミカの巨人と高度を合わせて上昇し、持ち手から伸びる紐で“流れ星”を持ち上げているのが見えた。
「な、なるほど……」
“流れ星を拾う”とはこういうことだったのだ。
だが、ティルの頭に新たな疑問が浮かんだ。
「これは……月の工場からとおっしゃっていましたが」
「そうよ。空の上、双子の月の片方にある工場から、マスドライバーではるばる飛んできたの」
ティルは一瞬耳を疑ったが、同時にゆっくりと納得する。
彼らは空の上から来たのだ。双子月に作業場があって、何の不思議があるのだろう。
「正確には低軌道ステーションが一度重力減速リングで受け取ってから、突入軌道に投入してるのだけれどね」
幾つか翻訳不可能な概念がそのまま音として伝えられる。
もう慣れっこだが、あとでカズキさんに聞いておかなければ、とティルは単語を記憶しておく。
「この中には、何が入ってるのですか?」
「一回分の耐熱コンテナを使うから、それはもう色々入ってるんだけど……今回の目玉はやっぱり一号抽出炉の修理部品でしょうか。艦内で加工の難しかった基幹部品が、やっと届いたの」
「修理部品……ですか」
「……これで、あけぼしが飛べるようになればいいのだけれど」
憂いを含んだ、ひとりごとじみたユミカの言葉に、ティルは思わず聞き返していた。
「いまは飛べない、のですか?」
あけぼしが現われた時は空を飛んでいた。――というよりも、まさに天から舞い降りてきたというのに。
「ええ。聞かされていなかった? 最初に、あけぼしがあそこに落ちたのは、予定外の事故だったと」
「えっと……」
ティルには少し覚えのない話だった。
説明されなかったかもしれないし、いろんなことがありすぎて、頭から抜けていたのかもしれない。
「では、せっかくなのでお伝えしておきましょうか。どうしていま私たちが、あの湾の中で身動きを取れずにいるのか」
そうしてユミカが語ったところによれば、あけぼしはこの“世界”に降下する時、いくつかの機能が問題を起こして上手く飛べなくなったのだという。
その時、危うく帝都のど真ん中に落下しかかったのを、強引に湾に突っ込ませたのだと。
事前の点検で機器に不具合はなかった、故障もなかった。
先行して無人で降下していた一番艦は正常に動いていたというのに、あけぼしだけがなぜか原因不明のトラブルに見まわれ、落下する羽目になった。
何度か再起動を試みたけど、あけぼしの重力制御装置は一定以上出力が上がらない。
その後すぐに魔竜の攻撃で発電炉の一つが破損し、本格的にあの場から動けなくなったのだ――と。
「知らなかったです……」
「ティルちゃんに話しても仕方のないことだから、多分誰も言わなかったのかもしれませんね。ともかく、これでようやく一号抽出炉の修復が終わるから……また離水試験を始めると思うのだけれど」
はたして今度は飛べるものでしょうか、とユミカは苦笑い。
「あの……飛べるようになったら、あけぼしはどこへ向かわれるのでしょうか」
「海を越えて向こうにある、西の大陸。そこの無人地帯に降下隊の基地を造ってるんです」
先行して降下した無人艦隊がいて、かなりの規模の基地だという。あけぼしの各種装備の大気圏内・地上試験も全てそこのAIたちがやってくれたんですけれど、とユミカは続けた。
「そもそも、私達も最初はそこに降りる予定だったのよ。こうして帝国に来てティルちゃんとお話するのは、もっと先に、別の形になるはずだったの」
ティルは、その言葉を聞いてはっとした。
帝都では常識となっていた風習。大地の御遣いにまつわる、ある昔話と、規則を。
「まさか……」
「どうしたの?」
「はい。私の思い違いでなければ――」
*
帰還後、ティルは自室で、再び杖をとっていた。
舞台はなく、観衆もいないが、ティルはルコの助けで儀式装束に着替え、部屋の中心に立っていた。
さして広くない自室。けれども、この船の中では大きい方だと聞かされているこの場所で、ティルは再び神託を得ると決めた。
「ありがとうルコ。下がっていて」
「はい。……それが、ティル様の為すべきことなのですね」
ティルから離れながら、ルコが静かに問う。
「うん。これは、私にしかできないことだから」
献身の巫女。帝国国内で最も魔法の適性の高い、特別な少女が座るべき席。
“天の御遣い”への生贄として用意されたその座は、長らく有名無実と化していた。
生贄に捧げられる先のなかった、ティルの先代に当たる少女たちは、やがてその能力を無駄にするまいと、様々な試みを始める。
それが、嘆願を受けて臣民の謁見に応じ、その力で困難を祓うというものであったり。
――大地の御遣いから神託を受け取る、というものであった。
“神託”。
それは確かに、大地の御遣いの声だと、ティルの感覚は知っていた。
未来予知のようなものから、その時の単なる気分まで。問いかけに対話が成立する時と、言葉を一方的に押し付けられるときと様々であったが、確かなことは、それは帝国においても歴代の巫女でなくては聞こえないものである、ということらしい。
「もしも――」
もしも予想が正しければ、とティルは思う。
あけぼしがこの地へ降りてきたのは。
不自然に、この地から飛び立てなくなっているのは。
その答えを、大地の御遣いが持っているかもしれない、と。
――大地の御遣いには性格がある。
例えば、帝国全土の大地の御遣いは“祭りを好む”という点で共通し、地域ごとに“戦争を好む”“歌に喜ぶ”“踊りに反応しやすい”などの嗜好に分かれる。
帝都ヴィルマニカ全域に座す御遣いが好むのは、“新奇なもの”。
歌でも踊りでも、とにかく“新しく珍しいもの”によく喜び、反応し、魔力を集める。それは人間に対してもそうで、旅人や移民が多ければ多いほど帝都の魔力量は増強されていく。
そうなれば皇帝や枢機卿たちが使える魔法は大規模なものとなり、ひいては災害や外敵からの守りに繋がる。
だから、帝都は古くから他の地域からの人間を多く呼び寄せていた。その多くは旅人や行商で、それ故に帝都では活発な商業風土が醸成され、そこへ引き寄せられるように人が集まり、魔力が高まる。その正のスパイラルで帝都ヴィルマニカは人類国家の盟主、帝国の中心として大いに栄えたのだ。
ティルは思う。
そんな帝都の御遣いにとって、あけぼしは何よりも大切な客人だと。
“掴んで、離したくなくなるほど”。
……そう、そうだ。
あけぼしが天上から降りて以来のざわめき、魔龍の時や、甲板の上での演舞で集められた異常な魔力を見ても明らかだ。
彼らはこの存在を大いに気に入っている。
そのことからティルが思い出すのは、ひとつの言い伝え。
ある寡黙な旅人が、全く土産話をせずに帝都から離れようとしたので、帝都から出ること叶わなくなった、という昔話。
それと同時に、帝都に古くから残る規則として、“旅人は最低でも三日以上滞在しなければならない”というものがある。
皇帝への謁見や自由市場への参加の補助など、可能な限り帝都の人々と交流する場を設けるよう、帝城の人間が取り計らうように、とも。
ティルもその規則に従って、旅人の挨拶に付き合い、土産話を聞くという仕事をしたことは何度もある。
寡黙な旅人の昔話を聞かされた上で、「御遣いが飽きるまで旅人と遊ぶのが帝都に代々伝わってきた決まりなのだ」と教えられて。
そして、あけぼしの彼らは未だ、十分に帝都の民との交流を得ていない。
おそらくは。それゆえに、“帝都から出ることが叶わない”のだ。
……でも、これはあくまで私の推測。
だから、ティルは“問う”のだ。
双月の満ち欠けが一回りする毎に一度という規範を破り。
「願います、大地の御遣いよ――!」
杖を手に音鳴らし、神託を求める。
多くを語らぬ彼らに、言葉を語らせるという、他ならぬ自身にしか為せぬ業を。
彼らの総意の、在処を求めて。
*
「観測班より報告。事前通告通り、帝都沿岸部に津波対応とみられる魔法使いらしき人間たちが並んでいます」
「結構。予定時刻は変更なしだ。各部に再通達」
「了解!」
“流れ星”の一週間後。
一号炉の修復を終え、正常稼働を確認したあけぼしは、ティルと外交部の助言に基づき、慌ただしく動き始めていた。
艦長たる村瀬も、朝から艦橋であれこれと指示を飛ばしている。
……まさか、神様に引き止められていたとはな。
この地に住まう超自然的存在――魔法の原力を提供する不可視の意志存在。
帝国では“大地の御遣い”と呼称されるそれらが、あけぼしをこの場に引き寄せ、落下させたのだと。
そして、巫女の少女がその“超自然存在”に交渉を持ちかけたところ、帝国の上空に留まる限りという条件付きであけぼしの離水を許可した、という。
「そいつらは何様のつもりだ」と情報を寄越した外交部に愚痴ると「神様だと思います」と真顔で返されたのには本気で頭が痛くなった。
ずいぶんと身勝手な神様もいたものだ、とも思う。
だが同時に、その神様のお膝元に土足で踏み込んでいったのは自分たち自身でもある。
嫌われ、追い返されるよりはよっぽどマシだろう、と村瀬は半ば諦観していた。
「定刻です」
副長が告げる。
村瀬はひとつ深呼吸。成功するか失敗するか、もはや“神のみぞ知る”という次元だ。
本当に原因不明の故障が神様のせいならば、巫女の預言を信じるしかない。
どのみち炉を修理したら飛んでみるつもりだったのだから――
「よし。重力制御機関全始動。メインフローター出力、六〇」
重力機関全始動、メインフローター出力六〇! と機関長から復唱が返り、艦底、自重低減用の
落着以降、艦の自重を相殺するだけの出力は出なかったが。
「……メインフローター、出力六〇! 正常作動中!」
「あんなにへそを曲げてたのに、どういうことだよ全く」
五割までしか上がらなかった機関が、安定して六割の出力を出している。
やはり彼女の預言は本当だったのだろうか。どちらにしろ動いてくれるというのならば何も文句はない。
意を決して、村瀬は命じた。
「メインフローター出力七〇。あけぼし、微速上昇。離水せよ!」
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