第18話 護るべきもの

「合図確認! “成功”です!」

 八智がモニター越しに視認したと同時。熊野が中隊長に報告の声を上げた。

「全小隊、レーザー狙撃分隊の発砲を許可する! 同期射撃用意!」

 浜崎中隊長から即座に発された命令は八智が想像した通りの言葉。

 訓練でも聞き慣れた言葉に、八智を含めた小隊長オペレーター全員がほぼ反射的に復唱応答する。

「同期射撃了解。第一小隊レーザー狙撃分隊、同期射撃用意! 射撃管制を中隊サーバーへ譲渡!」

「第二小隊射撃許可、射撃管制譲渡完了です!」

 各小隊長が了解の復唱を返しながら、管制卓のコンソールから射撃指示を出す。

 その指示を受け、現場の機械兵士アンドロイドたちは、速やかに命令を実行に移す。

 最上階のキャットウォーク、輸送機の上、緊急閉鎖ゲートの裏、作業機の陰――ちょうど侵入者二人組を全周囲から囲みこむように配置された狙撃機械兵。

 それらが一斉に、伏せ構えたSL-15レーザー狙撃ライフルの銃口から、測距用レーザーを放った。

“エンジェルラダー”の愛称を持つその銃から、不可視の波長で放たれた微弱なレーザーは、標的の身体を反射し、受信機に飛び込みデータとして認識される。

 彼我の距離と予測着弾地点を示すそのデータを、他の中隊機の光学映像と、分隊観測機スポッターが収集したデータと合わせ、分隊観測機の上位AIで演算。艦の操舵データも織り込んだ上で正確な射角をはじき出し、狙撃機の各関節をマイクロメートル単位で制御、リアルタイムで射角を修正する。

 さらにそれら五機分の射撃データをひっくるめたものを、全中隊機を統括管制する中隊電算機カンパニー・サーバーが受け取り、射撃タイミングを図る。

 数秒の間に、観測データをシミュレート。最善の発射タイミングの理想値を弾き出し、秒単位の時間制限の中で現実の状況が限りなくその値に近づいた――ある、一瞬。

《ダリア2、発砲》《デルフィニウム2、発砲――》《デイジー2――》

 サーバーの指示とともに、全狙撃機が同時に大出力レーザーを発振。

 光速で放たれた五つの熱線は、瞬間に対象へ到達した。



 腕が、爆ぜた。

 デニルがその事実を認識したのは、視覚に続き、水を破裂させるような音の後、焦げ臭い匂いと、左腕に脳髄を焼き切られるような激痛を得てからだった。

 失神するほどの衝撃に、叫びにならない声が上がり、バランスを崩して床に叩きつけられた。

 わずかに遅れて右足の激痛と、倒れる際にその不在を直感したが、それ以上の思考は不可能だった。

「く――は――」

 痙攣し止まっていた息をどうにか吐き、小さく吸う。生存に必要な器官は無事なようだったが、激痛でショック死していてもおかしくなかった。

 ……助け――

 無意識に助けを求めたのは、体内に宿した精霊。

 精霊――帝国で言う大地の御遣いは、万物に宿る。当然、人間にも。

 人間に宿る精霊の魔力密度は高く、多少の魔法なら体内の魔力を用いて行使できる。だが回復に時間がかかるのと、大気などに宿る精霊から魔力を引っ張ってきたほうが簡便なため、その使用は非常時に限られる。

 今のデニルの周囲にいる精霊は完全にそっぽを向いてしまっている。今がその非常時だった。

 ……痛みを和らげ、生命の維持を――

 すがるように思考で呼びかければ、小さな魔力が応答する。

 意識をふき飛ばしかねない痛みが和らぎ、思考がゆるやかに回復する。

 ゆっくりと周囲を見れば、やがて同様に倒れたメネットの姿が目に入った。

 うずくまった彼女の側には熱で溶け落ちかけた短剣らしき残骸が転がり、彼女の両足は太ももの半ばから炭のように黒く硬化していた。

 デニルはそれを目にして、自分たちの敗北を悟った。

 ……ああ。やはりダメだったか。

 初めてこの大広間に足を踏み入れた瞬間や、通路でひとりでに扉が閉まりだした時になんとなく頭の隅にあった感覚に、デニルはようやく確信が持てた。

 思い返せば規格外の出来事ばかりだった。

 おそらくすべて何者かの手によると思しきこの建造物。

 ズラリ並ぶ巨人に、ひとりでに閉まる扉、どこからか聞こえる声。

 まるで生気を感じない兵士たち。

 奇妙な暗号と、直後の地揺れ。

 それに呼応するような巫女の一声に、周囲の精霊は軒並み全て恭順し、デニルたちへの魔力供給を即座に停止した。

 ……まさか、魔力封印とは。

 それは、高位の魔術士や魔者でも完全に行うことが難しいと言われている究極の一つだった。

 究極とされる理由は簡単で、魔力を供給する精霊は気まぐれゆえにその空間にいる全てが、どちらか一方の肩を持つことはあり得ないからだ。

 何割かの跳ねっ返りは、必ず現れる。

 どんな高位の魔術士でも、空間の半数を制圧できれば上等。精鋭の術士が全力を尽した合戦でも六割の精霊を味方にするのが精一杯だというのに。

 彼女は、たった一声でほぼすべてを制圧してみせた。

 それは彼女の精霊に対する圧倒的なカリスマ性を示すものだ。

 思えば、はじめからこの空間に集積していた魔力は巫女の“匂い”が強く染み付いていた。

 ……もしかすると、ここの魔力は、彼女が集めたもの、ということなのか。

 ならば彼女に干渉する魔術が通らないのは当然だ。もはやこの空間そのものにとって、彼女を害しようとしたデニルたちは味方ではなかったのだ。

 巫女に手を挙げた時点で、おそらく既に敗北は決まっていた。

 ……そして、この攻撃だ。

 防御が消えた、その一瞬にを見計らったかのような不可視の一撃。

 狙ったようにデニルの魔杖と足を消し飛ばし、メネットの短剣と両足を同時に奪った未知の攻撃は驚異的という他ない。

 まるで、創世神の手のひらの上でいいように転がされたような敗北に、デニルはどうすればそこから逃れ得たのか、とんと想像できなかった。

 もはや手は残っていない。

 魔杖は腕とともに失い、魔力はほぼすべてが封殺され、手足を欠いた肉体ももはや戦える状態にない。

 ここまでか、とデニルがぼんやり考えていると、やがて大勢の人影が集まり、何かを構える音がする。

 鎧が擦れるような金属質の音が、いくつもいくつも、デニルたちを囲むように空間に反響する。

 殺されるな、と直感した。

 そして後悔する。魔力が封殺されたこの空間からでは思霊結晶の情報は届くまい、と。

 そうなれば任務を放棄して逃亡したとみなされ、おそらく家族も見せしめに殺されるだろう。ここまで生命を張り、“人でなし共”に尽くした結果がこれとは。

 そして思う。無駄だと、不可能だと知りながらも。

 ……死にたくは、ないな――

 ぼんやりとしたデニルの思考は、やがて光に包まれた。



《ルヴィっち、ルヴィっち!》

 ぐっと目をつぶり身体を固くしていたティルは、自分を呼んでいるらしい声に、ようやく目を開いた。

「あれ……?」

 気がつけば、ティルの身体は濃緑の機械兵士の腕の中に抱かれており、

《聞こえる!? 無事? 大丈夫?》

 そこから、くぐもった女性の声が呼びかけていた。

 その兵士の奥の顔は全く判別できなかったが、

 ……ヤチさん!

 特徴的なあだ名と、彼女があの兵士の仲間だという話を思い出し、すぐに気付いた。

 機械を通しているらしく、ニホン語の意味は曖昧にしか取れなかったが、自分の身を案じていることだけは分かった。

「ダ……ダィジョブ!」

 おそらく通じるはずの単語を復唱。うまく発音できなかったが、《よかった!》と喜びの意思が返ってきた。

 また助けられたのだ、という事実に、申し訳無さと頼もしさ、安心感がない混ぜになった思いがよぎる。

 ああ、本当にこの人達はすごいのだ、という感動。そして、足手まといになってしまったことを謝罪しなければならない。幾つもの思いがよぎりながら、うまく言葉にできないでいると、

「ッ――!?」

 一斉に火花のような音がした。

 反響するのは破裂音と遠雷のような音。驚き振り向けば機械兵士たちが群れのように円になって何かを囲んでいる。

 何かを攻撃しているようだ、ということに気付くと、すぐにあの二人の顔が浮かんだ。

 ……魔の者どもの、手先……。

 どうしてか、彼らの手から逃れてみると、ティルは急にあの二人のことが哀れに思えてきた。

 彼らは、まぎれもなく人間だった。

 もし本当に人間でない、“魔の者”であれば、そもそもあのような禍々しい道具に頼らずとも、指先一つで魔法を使いこなせるはずだからだ。

 それが、魔の者から与えられた魔具を用いているということは、彼らはあくまで、奴らの手先として動いている人間ということ。

 どういう理由で彼らは帝国に敵対する道を選んだのだろう、とティルは見えぬ二人に思いを巡らす。

 ここは帝国だ。魔の者どもから逃げ出してここに来たならば、皇帝陛下に救いを求めれば一も二もなくその身柄を保護していただけただろう。

 情報と引き換えに寝返れば、多少はいい暮らしだってできるかもしれない。

 それが、何故危険を犯してまでこんなところに来たのだろう。

 ……ダメ、考えては――

 彼らは敵だ。ここで倒せれば、それでいいのだ。たとえ人間であっても、帝国に弓引く者を許してはおけない。

 反響する音の群れを、言葉にならないわだかまりを抱きながら見守っていると、ティルはふと違和感を感じる。

 どうしてか膨らむ敵の気配。

 封じた魔力とは別に、まるでような、未知の魔力。

 空間を通じて届いたその“匂い”からティルは一つ心当たりに至り、

《ちょっ――ルヴィっち!? あいつら魔法を――》

「まさか、あの魔具が――」

 二人の言葉が声にならぬ間に、格納庫に光があふれた。



「これは――翼の加護……」

 デニルとメネット、二人の周囲を純白の羽根が舞い散っていた。

 それは炭と化したはずの杖と短剣の残骸から吹き出しており、二人を守り慈しむかのように包み込み、敵の攻撃のことごとくを弾き飛ばしていた。

 気付けば体の痛みもすっかりなくなり、失った足を補うように不可視の支えが得られていた。

「デニル、これは……」

 メネットも気がついたようで、不思議そうに周囲を見回している。彼女の身体も魔力によって支えを得ているようだ。

 デニルはその奇跡じみた現象を目に、思わず言葉がこぼれる。

「まさか、翼人の羽根の中に蓄積された魔力が――」

 その現象にいくつかの仮説が浮かび、実証解明したい欲求に駆られたが、そんな自分に気づき思わず苦笑。どう考えてもそんな場合ではない。

「御託は後だな。――メネット、手に取れ」

「あ、ああ」

 メネットも頷き、二人は羽根を吹き出す自身の武器の残骸を手にした。

 あたたかみすら感じる加護を手に、デニルは脱出口を見据える。

 侵入に使った開口部からは、変わらず宵闇が姿をのぞかせていた。

 目の前は敵に囲まれている。破裂音とともに、筒から火のようなものを浴びせかける緑の兵隊たち。

 攻撃の全ては、羽根の加護が弾き飛ばしていたが、

「長くは持つまい。一気に走り抜けるぞ」

「あたし、足なくなってるんだけど――」

「どうにかなるさ」

「なってほしいけどさ」

 軽口の応酬のうちに、目配せを交わす。

 頷き合い、

「「――!!」」

 無言のまま、二人は同時に地を蹴り駆け出した。

 失くなった足の感覚は曖昧だが、身体は前に進む。それで十分だった。

 動き出したデニルたちに、兵隊たちの火花が集中するが、羽根はそのことごとくを遮断。

 その勢いのまま、

「どけ――!」

 デニルは残った左足で踏み込むと、加護を受けた不可視の右脚を兵士へ蹴りこんだ。

 異常な反射でその蹴りはかわされ、兵士は何か体術を打ち返してきたようだったが、それもまた羽根が吹き飛ばした。

「抜けた!」

 メネットの快哉に、デニルは言葉を返さなかった。

 見据えるのはただ視線の先、出口だけだ。

 ひたすらに走る二人を、後ろから間断なく火花が襲う。

 羽根の魔力はそれらすべてを遮断していくが、攻撃を受けるたびに舞い散る羽根は徐々に光を失い二人の周囲から脱落していく。

 その光景に焦りを感じながら、デニルたちはひたすら走り続ける。

 障害になる何かの構造物を避け、並走し撃ってくる敵を無視し、火花を受けながら、一枚、二枚と羽根を失っていく。

 ……間に合え、間に合え……!

 ただそれだけを一心に、敵の火花の中を駆け抜ける。

 また全面に新たな敵。今度は進路を塞ぐのではなく、遠巻きに囲むように火花を放つ。

 そこには同じ形、背格好の鎧の兵隊たちとは別に、二回りほど大きい鎧の姿が見えた。

 人間だとすればかなりの巨漢だ。部隊の長だろうか。《抵抗するな、降伏しろ》と無機質な呼びかけを繰り返しながら、それ自身も火花を放つ。

 ……だれが降伏など!

 情報が届かなければデニルたちの一族は揃って皆殺しだ。ここで捕虜になるということは、みすみす愛する者達を見捨てるも同然のこと。

 その巨躯を視覚に捉え、情報として記憶しながら、デニルはそれらを無視して走り続けた。

 集中して攻撃を受け、羽根が次々と削られていく。

 一定の距離を保ちながら立ちまわる敵に、薄気味悪いものを感じながら、しかし足は止めない。

 やがて遠目に見えていた出口が、にわかに現実味を帯びた距離感に変わっていく。

「……出口!」

 嗅覚に潮風を捉え、メネットが叫んだ。

 もうわずかの距離。絶えず火花に晒され、球のような密度だった羽の群れもまばら。

 進む。火花が咲き、羽が散る。

 もはや加護も尽きる。そう思えるようなタイミングで、

「飛び込むぞ!」

 境界を踏み越えた。

「あああああ!」

 もはや言葉にならない叫びを上げながら、何もかもを振り切るように。

 外へ突き出した床板から、二人は宵闇の海へ飛び込んだ。



 八智たちはモニター越しに、侵入者二人が海に飛び込んだところを視認した。

 そこで一息をつきたいところだったが、状況はそれを許さない。相手は魔法使いなのだから。

 だから、中隊はしばらく警戒態勢を解かなかった。

 中隊長は艦外の監視を命じ、八智たちは部隊を飛行甲板に上げて艦外を暗視、赤外線センサーで監視を続けさせる。

 その結果、ようやく二人の人間が陸側、岬の影まで離れたことを確認できた上で、

「敵……にげまし、た」

 熊野が、緊張の糸が途切れたような声で報告した。

 それに続いて、ようやっとその場の全員が安堵の息をついた。

 疲れきったような笑みと、吐息。

 互いに安全を確認できたことを喜び合う視線を送り合い、

「……揚陸装備で追うか?」

 やがて、谷町が茶化すようにそう口走った。

「冗談。これ以上あんな化け物との交戦はごめんだぞ」

 すると三宅が半笑いのまま肩をすくめ、

「行くならタニゾー一人でね」

 八智が乗っかり、

《…………うむ》

 竹橋が頷いた。

 それからひとしきり警備室に笑い声があがり、それらが収まったところで、浜崎中隊長が手を叩いた。

「今回はこれでいいでしょう。巫女ちゃんは無事、味方の損害は軽微。十分すぎる成果です」

 疲労をにじませながらも、中隊長は顔を緩ませ言う。

「この危機的状況で、暗闇の中の綱渡りのような戦いを、よく乗り切ってくれました。これも日頃の訓練の成果ということでしょうね。今後も自主訓練も欠かさず行きましょう」

 その言葉から、やたら厳しい“自主訓練”を思い出し、一同は苦笑い。

 だが、確かにその成果はあった、と八智は思い返す。

 ――曰く、駒を動かすような立場だが、ともすれば現場の感覚を失い、無謀で無駄な指揮を取りやすくなる。だから、自分がその場に立っているつもりで、兵士は人間と思って指揮を取れ。

 通信、モニター越しの僅かなタイムラグが一瞬の機を逃し敗北に繋がりかねない。常に先読みを欠かさずに動け――確かにこれらのことが訓練で身体に染み付いていたから、おそらくはこの土壇場で動けたのだ。

 イヤになるほど繰り返した訓練には多少の意味があったのだろうと、八智は小さな達成感に笑みをこぼす。

 そして、今日明日ぐらいはのんびり休みたいな、と隊長のお説教を右から左に流そうとして、

「さて、ともあれ初めての実戦はこれにて完了です。お疲れ様でした。……ですがまだもうすこし忙しいですよ」

 すぐ、聞き捨てならない言葉を耳にした。

「え、まだなんかあんの」と谷町が、八智の思いを代弁するかのように口走ると、浜崎中隊長の笑顔の質が変わる。

 穏やかな笑みから、能面を貼り付けたような、実に楽しそうな――

「戦闘レポートです。自身のオペレートの反省も踏まえて、次回の自主訓練で提出してもらいます。特に前半を二人で対処した神田少尉、熊野少尉は期待してますよ?」

 いっそ清々しいほどの悪魔の笑みで放たれたその言葉に、全員は顔を見合わせ、

「うええ……」

 ぐったりとコンソールに突っ伏したのだった。



 和貴はいてもたってもいられず、部屋を飛び出していた。

 外交部は侵入者の退去と巫女の保護の確認をもって緊急対応を終了。関係各部にその旨を通達し解散となった。

 最後に『明日の朝は一発目から今回の件についての会議になるから覚悟の上で』と満葉に言い含められた上で。

 解散後、和貴はすぐにティルにワンドで電話をかけ、真っ直ぐ彼女の部屋へと向かっていた。

 部屋の前に警備についた二機の機械兵士にIC身分証を提示して、呼び鈴を鳴らすと、

「カズキさん!」

 中から開錠された自動扉が開くと、ティルの姿が覗いた。

 寝間着として用意されたのだろう、ゆったりした淡いピンクのシャツとズボン。

 儀式装束や制服姿とはまた違った可愛らしい服装に思わずどきりとし、それ以上に、彼女が無事だったことを確かに確認できたことに心底安堵した。

「ティル様――よかった」

 それからなにか言葉をかけようとして、和貴はそれ以上言葉が出てこなくなった。

 伝えたいことはあったはずなのに、彼女の無事な姿を見たら、全て吹き飛んでしまった。

 そしてふと思い出す。今日の彼女はもうふらふらのはずだ、と。

 朝から広い艦内を歩き回り、いろんな人間に会って回り、いろんなことを一気につめ込まれた挙句の誘拐騒ぎだった。

 一刻も早く休ませてあげないといけないのに、自分の勝手で何をやっているんだ。今さらそのことに思い至ると、和貴は慌てて取り繕うように言葉を発する。

「ああ、すみません。夜遅くに。今日は大変だったと思うので、お早くお休みください。明日以降の予定はまた起きられましたらお伝えします。ではこれで――」

 立て板に水のように当たり障りない言葉を並べ立てて背を向けると、

「ま、待って!」

 ティルはその言葉を遮って呼び止めた。

「…………待って、いただいても……その……」

「ええ、はい……待ってます」

 振り向いた先、ティルの視線は泳いでいた。

 言うべき言葉を探しながら、言うべき重さに押しつぶされそうになるようで、

「カズキさん――あの! ……その、えっと……こ、この、度は――」

 そこでティルの言葉は途切れた。あの、その、と迷う声だけが小さくこぼれ続ける。

 じわり、と目尻に涙を浮かべながら、足と手は何かをためらうように前に後ろにさまよっている。

 和貴にはその姿が、幼いころの妹の姿にダブり――だから、思わず手を伸ばしていた。

「ふ……ぁ?」

 やさしく、流れるような髪に手を添え、撫でる。

 綺麗に整った銀糸を乱さぬよう、心臓の鼓動と同じペースで、小さく、小さく手を揺らす。

 悲壮の色に染まっていたティルの目が驚きから戸惑いへ変わり、やがて心地よさそうに閉じられたのを見て、和貴は小さく声をかけた。

「生きていてくださって、ありがとうございます。ティル様」

 不安そうな彼女を、泣きそうな彼女を見て、自然に浮かんできた言葉。

 和貴が本心から伝えたかった言葉。

 そして、ティルに届いてほしいと願う言葉だ。

「本当に、あなたが無事で、よかった」

 ティルは思いもよらぬ言葉を聞いたように目を丸くし、

「でも、私は……皆さんに大変なご迷惑を……」

 そして、表情を曇らせた。

 口にするのは自責の言葉だ。

「あの時、説得できると――そんな傲慢を胸に、飛び出さなければ、こんなことには」

 後悔を語り、涙をにじませるティル。

「ごめん、なさい……ごめんなさい……」

 謝罪を繰り返す彼女に、和貴は胸に鈍い痛みが走るのを感じた。

「ティル様……」

 そんなことはない、と叫んでやりたかった。素人考えの奪還作戦を成功に導いた彼女の魔法は素晴らしい物だったと。だから、そんな失敗は些細なものだと。

 けれど、多分そんな言葉では届かない。

 頑固者の、彼女には。

 誰かの為になることを願いながら、裏返しのように他者へ――おそらくは共同体へ、迷惑をかけることを怖がる彼女には。

 それは巫女としての、彼女の育ちゆえなのだろう。

 誰かの為になれなければ、自身の存在価値を認められない。

 誰かに守られる存在がゆえに、誰かの為になり続けなければいけないと。

 ……強迫観念じみたその思いを、少しでも和らげてあげられたら。

 涙をにじませるティルに、少し思案してから和貴は口を開いた。

「最善の結果を目指した失敗は、責められるものじゃない」

「……?」

「大切なのは失敗を正しく認めること、繰り返さないようにすること」

 どこかのだれかの受け売りの言葉。だけれども、和貴が自身に言い聞かせている言葉だ。

「それは――」

「僕らと、帝国の人と。どちらも傷付けたくなかったから、ティル様はあそこで飛び出したんですよね」

「…………はい」

「だから、“次は”、もっとうまく立ちまわって、平穏無事に解決するにはどうしたらいいか――そういうことを考えてみませんか?」

「次――」

「はい。次こそは、ティル様の想うように、ティル様が為したいことを、正しい形で成せるように」

「私の、成したいこと……」

 言葉を繰り返しながら、目を伏せるティル。

 不安の色は少し抜けて、そこには先へ向いた意志が宿り始めていた。

「次は……」その言葉に思いを馳せているであろう彼女を、和貴はただゆっくりと撫で続ける。そんな彼女を守ろうという、意志と力が伝わればいいと願いながら。

 やがて、ティルの伏せた目が、思考から眠気に落ちかけるのを見て、

 ……あ、やば……。

「あっと、すみません! ちょっと長話をしすぎましたね。――ともかく今夜はゆっくり寝て、嫌な気持ちを全部吹き飛ばしてから、明日考えましょうか」

 早く寝かせてあげないといけないということをやっとこさ思い出し、もう一度頭をなで、手を離す。

 すると、立ったまま眠りに落ちかかっていたティルも我に返ったのか、

「あ……あああ、はい! ごめんなさい!」

 慌てて恥ずかしそうに目をこするティル。

「じゃあまた明日。おやすみなさい。ティル様」

「お、おやすみなさい! カズキさん」

 少しだけぎこちなく、けれども嫌な空気はすっかりと消え去ったように。

 二人は扉越しに手を振り、それぞれの寝床へと戻るのだった。



「次に、成せるように……」

 ティルは、ベッドの上で和貴の言葉を繰り返していた。

 カズキに髪を撫でられてからは、夢を見ていたように頭がぼんやりしていたけれど、その言葉だけが妙に印象深く残っていた。

 ……私の、成したいこと。

 考えればすぐに浮かんでくるのは、祖国のこと。

 助けを求める臣民たちの姿。

 そして、

 ……カズキさん。

 どうしてかふと彼の顔が浮かび、とくん、と胸が揺れていた。

 思い出すと、撫でられたと頭が、熱を持ったように、あたたかい。

 ……だけじゃ、なくて。

 アカリ、ヤチ、ユミカ、ユズホ――

 ステージの前でティルに拍手を送ってくれた、全ての人間たち。

 その姿を思い浮かべ、想う。

「私は、私を助けてくれる、皆さんに報いたい」

 皇帝陛下と帝国臣民に。“あけぼし”のみなさんに。

 それを、正しい形で成せるように。

「今日の失敗を、次に――」

 暗く淀んでいた心が、ふわりと優しく浮き上がるような感覚を得て、ティルの思考は、眠りへと落ちていった。



「よろしく頼みます。……言葉通り、命がけの情報ですから」

 星明かりも届かぬ洞窟の中で、声が響く。

 デニルの声だ。

『よくやった。これは間違いなく翼長会議へ届けよう』

 応える声は、洞窟ではなくデニルの脳内に直接響いていた。

 傍らに控えた四足の魔物、小型肉食獣を模した“ズズブル”を経由して届く、本国の指揮官の念だ。

『実に驚くばかりの内容だ。会議も紛糾することだろうな。魔力を使わぬからくりの数々。そして、人間に近しいと推測される兵隊や音声言語……』

「巫女も彼らにある程度信頼を寄せていたようでした。今後の情勢次第では……」

『“人間ども”との協調はありうる、ということか。追放された龍神とは言え、魔力も使わずそれを撃退しうる存在。……我々にとっては大きな脅威となりうるな』

 指揮官の物言いにも、デニルの声音は平然を保ったまま。

「今後も情報収集は必要かと存じます。ですから……」

『ああ。君たちにはまだまだ働いてもらわねばならんようだ。その手足は、早急にどうにかするとしよう』

「は、有難き幸せ」

『うむ。これからも我々、“天鱗同盟”のため、良い働きを期待しているぞ』

「我が命に代えましても」

『今後のことは追って通達する。今は休むといい。ではな』

「は」

 そこで、念話は途切れた。

 デニルはひとつ息をつくと、脇に抱えた麻袋から干し肉を取り出し、かじる。

 疲れきった臓物に染みわたる味。

 どこかの隊商から“ズズブル”が奪ってきたものだろう。遠い領国の動物の肉だった。

「メネット、起きているか」

 問いかけるも、答えはない。

 代わりに聞こえているのは寝息だ。

 さっきまでぐしぐし泣いていたように思ったが、泣き疲れて寝てしまったのだろう。

 無理もない。デニルは利き腕と片足が残っているが、メネットは利き手と両足を失っている。

 デニルはまだ運がいい方なのだろう。

 ……まったく。

 ろくでもない仕事のせいで、ずいぶんな目に遭った。

 だが幸い、代わりの目処も立っている。

 “上”がどうにかすると言った以上、代わりの手足は届くだろう。どんなシロモノかはデニルは知らないが。

 “天鱗同盟”――帝国が“魔の者ども”と呼ぶ、彼らの役に立っている間は十分な特別扱いが受けられる。

 帝国で生まれたなら農家のどら息子が魔術士になどなれなかったろうし、戦場に駆り出され手足を喪ったところで木の棒で代用するのが関の山だろうが、彼らは違う。

 工作員たるデニルの家族には十分な手当を施し、今回の手足もおそらく本物と見紛うようなものを寄越すに違いない。

 無茶苦茶をさせられるとはいえ、今の地位はデニルにとって十分に満足行くものだ。

 たとえそれが、人間でないものが、人間を喰って得た力のおこぼれだとしても。

 デニルたちにとっては、全く関係がないのだ。

 ……母と姉と、ついでに自分が無事ならそれでいい。

 人間は、世界を背負えるほど、そんなに都合良く出来てはいない。

 生まれた場所のルールに従い、手の届く範囲の幸せを守ることしかできない。

 その結果どれだけの人間が食われようが、帝国が滅びようが、デニルにはどうでもいいことだった。

 ……そう、どうでもいい。

 どのみち人間は、彼らの家畜になるほかないのだから。

 そうしてデニルは詮無い考えを打ち切り、“ズズブル”がどこからか奪ってきた毛皮の上に横になる。

 疲れからか、すぐにまどろみは訪れた。

 失われた右足と左腕に違和感を感じ、“代わり”がさっさと届くことを祈りながら、デニルは長い長い眠りについた。

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