第13話 その輪の中へ4

 キャットウォークから降り、ティルたちは格納庫の床をゆっくりと歩いて回る。

 見上げれば四層分というはるか高い“格納庫”の天井。その中を余さず照らす強力な光に、人間やそれ以外の形をした機械たちが照らされている。

 ティルにとっては異次元のようなその光景だったが、見て歩くうちに不思議と違和感が薄れてきた。

 ……人の匂いがする、からでしょうか。

 整理整頓が行き届き、様々な異形の機械にあふれていても、その空間は確かに“人間”を基準に組み立てられていた。

 整備するべき機械たちを第一にしながらも、第二には人の姿と息遣いがあった。

 火急に伝達すべき情報はやはり肉声で飛び、顔を合わせれば雑談もする。

 見学に歩く自分たちを見つければ会釈をしたり、ユミカに「少佐殿、お疲れ様です!」などと声をかけてきたりもする。

 そんな人間たちが機械を分解し、それに真剣に向き合う姿を見て、ティルはどことなく機械に抱いていた幻想と不安が薄らいでいくように思えたのだ。

 ……あくまで、人間が作り、人間がその面倒を見るもの、ですか。

 ティルにはさっぱり理解できない理論に基づき運用される、鋼の機械たち。

 ……でも、この機械たちには人の暖かさが宿っている。

 あれらの機械は全く化け物ではなく、神の使いでもなく、人が作った人のものなのだ。

 その風景を見ることができただけで、ティルにとっては大きな収穫だった。

 そうやって歩いているとやがてユミカが足を止める。

「よし、着きました。……これがティルちゃんを乗せてきた巨人――拡張人型航空機、重力下第一世代機、GH-07“迅雷”よ」

 言葉の先、仰ぎ見たそこに“巨人”が立っていた。



 ユミカが手を伸ばし示すのは、ティルの身長の十倍はあろうかという巨人。

“迅雷”――雷の名で呼ばれたそれは、拘束具のようなものを肩や四肢に嵌められ、壁に張り付けにされ、そこに立っていた。

「この巨人の正式な名前は“拡張人型航空機”って言って、元々は宇宙服と航宙作業艇の中間として生まれた、宇宙空間での作業機械なの」

 それは一機だけではなく、目で追えば両手で数えきれないほどの数がズラリと並んでいた。

 兜のようなもので表情の隠されたその顔は確かに、ティルがあの夜目にし、その腹へ潜り込んだ巨人だ。

 ……すごい。

 改めて、落ち着いて正対すると、その巨大さ、存在の大きさが改めて伝わってきた。

 威圧感に、ティルは思わず今にも動き出して襲ってきそうな錯覚にとらわれ、

「……これも、“機械”なのですよね」

 ティルは思わず呟き、アカリは「そうだよ」と頷く。

「人のように似せて作ってあるけど、生き物じゃないんだ。……そういえば、ユミカさん。これが人型をしてる理由ってなんでしたっけ?」

「いくつか理由はあるのだけれど……」

 アカリの問いに、少し考えこむユミカ。やがて、思いついたようにティルの肩を叩き、

「ねぇ。ティルちゃんはこれを初めて見たとき、びっくりした?」

「……それは、もちろん」

 ティルはコクリと頷く。

 身長の十倍近い巨人が目の前に現れたのだから、驚くのは当然だ。

 ……それゆえに、天の御遣いと勘違いしてしまったのですが……

「うん。びっくりするわよね。実はそれが狙いで人型にしているわけなの」

「びっくりさせるために、人型に?」

 思わずティルは問い返す。アカリがそれを通訳して伝えると、ユミカは「そうなの」とゆっくり頷き、

「人の形で武器を持っているのが、一番わかりやすく怖いもの。――変な球形の塊が宙に浮かんでいるだけじゃ『なんだろうあれ』としか思わないでしょう?

 敵が、巨大な兵士がいることにびっくりして、『怖い』と思ってくれて、『逃げろ!』と思ってくれれば、無駄な戦いもしなくて済むものね」

 そこまで上手くいくとは思っていないけれど、とユミカは苦笑するが、

「だから、人の形に……」

 ティルはどこか納得するような思いを得た。

 ……そう言えばカズキさんも、戦いは避けるものだと言っていましたっけ。

 この“あけぼし”――その乗組員たちは強大な力を持ちながら、あくまでそれを用いることをよしとしないのだ。

「儀式や式典に使えるようにもしてあって、儀礼用の大きな剣とかマントとかも着けれたりするの。また機会があれば見せてあげるわ。カッコいいんだから」

 そう楽しげに語るユミカ。その姿は巨人のことを心底好いているようにも見えて、

「ユミカさんは、巨人さんが好き、なのですか?」

 なんとなく問うてみる。アカリを通して伝わった疑問に対する返答は、

「そうね。宇宙にいた頃からのお付き合いだから。愛着はとてもあるわ」

「宇宙にも、この巨人が……」

 幾度か聞いたその言葉。空のさらに上、神話で言えば世界の裏側にあたる、遠い世界。

 彼らはそこから来た――その言葉に疑いはない。このような異質なものを見せられて、疑えるはずもない。

 けれど、それはどんなところなのか。ティルは断片的に見せられた映像から想像するしかない。

「そうそう、迅雷が人型である理由のもう一つは、もともと宇宙でこの形で使っていたというものね。宇宙船の総積載量や資材が限られている中では、特化型の機械を少数づつ揃えるより、万能機を十分な数用意した方がいいってことになってね。どんな状況にでも対応できるよう、人型になったの。中身や外装も、地上用に再設計するにあたってそれはもう総取っ替えの勢いで原型をとどめていないらしいけど――私達にとっては操縦システムは宇宙うえとそんなに変わらないので助かってるわ。空気抵抗は思っていた以上に手ごわかったけれど――」

 その後も未知の言葉を織り交ぜながら饒舌に話すユミカの言葉に、やはり彼女はあの巨人が好きなのだ、と感じるティル。

 アカリの補足によれば、彼女はティルが乗ったように、あの巨人の腹の中に乗り巨人を自由自在に操る達人なのだというが、

 ……操縦……馬のように乗るのでしょうか。

 巨大な人間を、あの小部屋からどうやって動かすのか、ティルにはまったく想像もつかなかった。

 仕組みは気になるところも多かったが、多分聞いてもわからないだろうな、とも思う。ティルにとって機械は怖い存在ではなくなりつつあるが、まだまだ謎である。

 ……そうだ。これも、機械。

 威圧感を与えるための人型――その言葉は、ティルの心にかかる圧力が証明していた。

 人の形をしている、ただそれだけのことなのに、何体も立ち並ぶ巨大なその姿は絶対的な力の象徴のように見える。

 けれども、それらもまた機械でしかないのだ、とティルはゆるやかに理解する。

 巨大ではあるが、これも道具。

 その上で、改めてその強大さを理解する。魔竜を打ちのめしたという、その力を。

 ……この力を、皆さんはどう使われるのでしょうか。

 それが帝国にとって善いものであれば、とティルは密かに心のうちで願うのだった。 

 


「じゃあまた会いましょうね。ティルちゃん」

「はい! また――」

 ティルたちの格納庫見学が終わるとユミカとナオヤは去っていった。

「すぐに会えますから」という言葉に少し引っかかったが、ミツバたちにも予定があるようで素直に別れることになった。

「さて、時間を潰せたのは良かったが、少し潰しすぎたかもな」

 手元にいつもの棒のような機械を取り出しつぶやかれたミツバの言葉。それにアカリが反応する

「ミツバ姉、この後何か予定あったっけ?」

「図書室だ。せっかくの機会にってユズホを呼びつけたのはアカリ、お前だろう。忘れてやるな」

「あ……あー! 格納庫見学が楽しすぎてすっかり失念を……」

 その会話からティルは次の目的地が“図書室”なる場所らしいと知り、

 ……“図書”室というからには、書物がある部屋、なのですよね。

 その名称からティルがイメージするのは、帝城地下の国法書庫だ。

 高い書棚に、古い本がところ狭しと並べられた場所。埃くさい空間に押し込められた貴重な知識の山――

 外出の機会が極端に制限された巫女のティルにとっては、その書棚の山が唯一と言っても良い外との接点だった。

 神話、寓話、国法の手引書や歴史事典。

 好奇心を満たすような不思議な書物たちをたくさん読み漁ったものだ。

 ……格納庫のような大きな空間のある船なのだから、その知識の収蔵量はどれほどのものなのでしょう。

「図書室という場所には、どれくらいの本があるのですか?」

 きっとたくさんの本があるに違いない、そんな期待を込めてカズキに問うと、

「あー、紙の本は一応置いてありますけど、そこまでではないかな……」

「紙の本は、一応……?」

「そう。情報類は基本的にデータでサーバーに置いてあるから……って言っても通じないですよね。つまりこういうものなんですが」

 そう言ってカズキが差し出して見せたのはミツバのものと同じ棒のような機械。

 見れば、宙に四角い光の窓のようなものが浮いていて、文字の羅列が並んでいた。

「こんな感じに、機械で読み書きできるような形で文字や写真、映像が保存してあるんです。要は書庫は書庫でも、機械化された書庫、というのでしょうか」

「機械の、書庫……」

「実際に見れば解ります。行きましょう」



 その部屋に入ってみれば、確かにティルのイメージしていた書庫とは大きく異なる空間だった。

 こぢんまりとした空間に十数個の映像を映す機械――ミツバたちが手に持つものよりも倍以上も大きい――が数多く並ぶほか、紙の本もいくらか置いてあるようだった。

 機械の方はさっぱりなので、先に書棚の方を見ていると、

「これは、帝国語の書物……?」

 背表紙に見慣れた文字を目にし、不思議に思い手に取ってみれば、“チキュウの歴史”と帝国正字体で書かれた表紙が目に入った。

「これって……」

「アカリちゃん謹製、チキュウ解説書だよ!」

 堂々とそう言うアカリ。その言葉を遮るように、ミツバがすぐに補足を入れる。

「作ったのはアカリ一人じゃないだろう。……学者達が解りやすくまとめたチキュウについての解説を、アカリ含む帝国語に堪能な言語チームが翻訳した本だ」

「名づけて“映像見せたらぎっくり腰を起こしそうな層向けガイド本”! 貴族のおっちゃんたちには本の方が馴染みはあるかなって思って作ったんだ」

 ……たしかに、びっくりはされるでしょうね。

 ティルもいきなり歴史の紹介と称して見せられた音楽と声と動く絵の“映像”には度肝を抜かれた。

 それと比べれば、この本の中身は帝国語で書かれた簡易な文章が主体のもの。

 写真と呼ばれる、現実そのものを写し取ったような挿絵が数多く掲載されているものの、取っ付き易い見た目には仕上がっていた。

 何頁かをめくって読んでみるが、帝国流の史書の形に則りながらも簡潔な文章で読みやすい。

 ……私も、これならあそこまでビックリしなかったのに。

 と、ティルは心の中で苦笑いする。

「じゃ、今日の本題に行きましょう。隣に小さめの講堂みたいなところがあるんです。そこにプロフェッショナルを呼んでいますので」



「ユズホは大変に不機嫌です」

 開口一番、言葉通り――というにはやや無表情な少女が、ぼんやりとした半目を向けてそう言った。

 そう、少女だ。

 今まで会った人たちは大人の女性ばかりだったが、そこにいた“専門家プロフェッショナル”と呼ばれた彼女は、アカリや自分と大差ない年齢に見えた。

「いやーごめんごめん。ちょっと魔女に迷いの館まで連れて行かれちゃって……」

「仔細は係長さんからメッセージを貰ったので承知しています。ただ、それはそれとしてやはりユズホは不機嫌です」

「たはは……ごめんねゆずぽん」

「だからゆずぽんは止めてくださいと……んむ」

 アカリはその言葉を遮るように、くしゃくしゃと少女の頭を撫ではじめる。少女もややむくれながらだが、黙って撫でられていた。

 その様子は背丈の違いから、まるで姉妹のようにも見える。

 ひとしきり撫でられていると、少女はアカリの手をとって頭から下ろし、

「……今回はこれで勘弁してあげます。次からは気をつけてください」

「はい。気をつけます」

 怒られているはずのアカリは笑顔でそう答えると、少女もそれを見て少しだけ表情を崩す。

 何だか不思議なやりとりだな、と思いながらカズキの方を向くと、

「あの二人のことが気になります?」

「あ、はい。……どういう間柄なんでしょう?」

「友達……でしょうか。歳が近いからか、妙な波長が合うのか、あけぼしに来て以来の仲で」

 二人揃って最年少での乗艦で、名前は知れあっていたから、とりあえず会って話してみたら、それ以来すっかり仲良しになった……とか。

 どこか変わったところのある二人なので、ぱっと見は何をやっているのか解らないこともあるが、二人はそれで通じているのだという。

「変なコンビだと思いますが、ティル様も仲良くできたらいいですね」

「……は、はい。頑張ります……!」

「頑張るほどのことでもないと思いますけど」

 意気込んでみるが、カズキに苦笑されてしまう。

 と、その少女がティルの方へ向き直り、声をかけてきた。

「で、そちらが噂の客人さんですか」

「あの、ティルヴィシェーナ・カンネ・ユーディアリアと申します! どうぞよしなにお願い致します……!」

「……おや? 何だか空耳のようなものが。この子、いま日本語喋ってたですか?」

「お、ゆずぽんにも聞こえた? この子の魔法で、翻訳の術をかけてるんだけど」

「だからゆずぽん言うなです。――摩訶不思議ですね。では、こちらの言葉も通じているのです? ……ティルさん?」

「は、はいっ」

「おお。本当に通じたですね」

「はい、通じています、です」

「…………」

「…………」

 それ以降、お互いに無言。

 周囲のカズキたちも、何を思っているのか無言のままじっとティルたちの様子を見つめている。

 ……ど、どうしましょう!?

 今まで、あけぼしで出会った人々は皆一様に友好的だったので、ティルはこのような状況に陥ったこと自体経験がない。

 ……思い返せば、巫女として対面した時も皆向こうからペラペラ喋ってくださって……!

 本当に無口な相手に出会ったのはこれが初めてかもしれない、ということにティルは今さら気付き猛烈に焦り始める。

「あ、あの。えと……」

「…………」

 対して、相手の無表情に近い瞳も何を考えているのかまったく読めない。

 まったくティルに興味が無いようにも、あるいは冷徹に品定めしているようにも見える。

 ……カズキさん……! 

 助けてください、と口に出そうになった、その時だった。

「……ああ、そういえば自己紹介でしたか」

 思い出したように言うと、少女はティルの手を取り、そのまま二度三度上下に振られる。

 それはどうやら“握手”のような仕草で、

「とりあえず、サクラ・ユズホです。所属はI.D.E.A.第一降下支局の情報部電算課です。どうぞほどほどによろしくです」

 気の抜けた調子で言いながら、にぎにぎ、と手はつながったまま上下に振られている。

 相変わらず彼女は無表情だが、どうもティルに興味が無いわけではないらしい。

「何とお呼びすれば……?」

「普通でいいですよ」

 普通と言っても普通は何と呼ばれているのか聞いたことがないのでティルにはわからない。

 だから、アカリが呼んでいたものを使わせてもらおう。そう考えて、その呼び名に敬称をつけて呼んでみる。

「では……ユズポンさんとお呼びしても?」

「ぶっ」

 瞬間、周囲にいた人間がまとめて吹き出した。

“ユズポンさん”は僅かに眉をひそめて無言。

「…………」

「だっ、ダメでしたか?」

「指定を怠ったこちらの落ち度です。サクラ、もしくはユズホと呼んで頂ければ」

「はい、では――よろしくお願いします。ユズホさん」

「どうぞ、――こちらこそよしなにお願いしますです」

 小さくお辞儀をするユズホ。

 何を考えているのかは相変わらず良くわからないが、

 ……それでいいのかもしれません。

 カズキさんも変な子、とおっしゃっていましたし、と内心で失礼な認定を下しつつ、

「では、とっとと本題に入りましょう。個人端末の引き渡しと、初期設定でしたね」



「まずはブツをお渡しします」

 ユズホから手渡されたのは、カズキやミツバがよく手にしているのを見る、黒鉄色の棒のような機械だ。

「これは“ブライトワンド”と言う機械です。“賢明な杖”と小洒落た名前ですが、ただの携帯通信機器です」

「杖……ですか」

 ティルの小さな手でも片手で保持できるサイズで、重さは多少あるものの苦にはならない。

 その触感は、木や布、金属とも異なるもので、不思議な素材で出来ているようだった。

「正面から見て右側、上の方に小さな突起があるので、ギュッと三秒押し込めば起動します。――はい。起動したら、トラッカーに親指を乗せる形で握りこんで――ワンドの先端、黒いところに光学素子が入ってるので、そこを見ててください」

 言われたとおりにすると、ミツバたちに見せてもらったようにワンドの前に四角い窓が表示され、紋章のようなものと名前が表示される。

「では、以降のセットアップはこちらで済ませます。ひたすら画面を見ててください」

 そう言って、ユズホはティルの持っている“ワンド”に紐のようなものを差し込み、自身のものと繋いだ。

 ティルが言われたとおりに“ワンド”を握って四角い窓を見ていると、やがて画面がめまぐるしくくるくると変わっていき、やがてひとつの画面に辿り着いた。

「あ、きれいな絵……」

 風景なようなイラストの上に、幾つもの紋章の乗った画面が表示された。

 下には文字がくるくると入れ替わったりする小窓もある。

「……完了しました。これで使用する準備は整ったわけですが――」

 そこでユズホはおもむろに立ち上がり、カズキたちへ目をやると、

「ところでお三方。この子にワンドを貸与して何をさせたいんです?」

「あれば便利かなって」とカズキ、「後で必要になるかと」と、ミツバ、「何となく?」はアカリ。

 一同のその返答にユズホは大きくため息を付きながら頭を抑え、

「つまり考えなしの見切り発車だったということはよーくわかりました……」

 そんなユズホに向けて、ミツバは悪びれることもなく笑顔で言ってのける。

「悪いな。君なら初心者にも解りやすく教えられると思ってな」

「文明を飛び越えた初心者に教えるのはどう考えても無理があります。……というか電算課ってだけで機械の大先生っていう扱いはやめてもらえますか」

 ユズホはがっくりと肩を落としながら、

「ひとまず基本的な機能を使えたらよしとしましょう。後はマニュアルを渡して本人の努力に委ねます」

「うわゆずぽん投げた」

「そちらこそ人に丸々ぶん投げておいてよく言いますね……まあこんなことだろうと紙でマニュアルを刷ってきましたので」

 そう言ってユズホが机の上に置いていた鞄から取り出すのは、

「紙の本……」

「しかも正式版と手作りのやつと二冊とか気合入ってるな。すごい」

「……頼られた限りはちゃんと働きます。私は真面目なので。――翻訳はアカリちゃんが責任をもってやっといてくださいですね?」

「了解ですゆずぽん」

「だからユズポン言うなと」

 手渡された冊子、分厚い方は読み取りにくい字の羅列だが、手作りの方は――

 ……これ、すごい。

 手書きではないようだったが、それでも翻訳魔法で意味を拾うことができる。

 それは、作り手が直接手がけたものであることも大きいだろうが、

 ……こんなにも強い想いで、伝えたいと……

 ユズホが真摯に伝えようと文字を綴ったからこそ、意思の残滓としてはっきり受け取ることができるのだと、ティルには解った。

 表情には出なくとも、少なくともこの人は真剣に自分に伝えようとしてくれているのだと理解できた。

 そのことが嬉しくて、ティルは思わず笑みを浮かべて

「ありがとうございますユズホさん! ……これ、大事にしますね!」

「大事にしないでちゃんと使ってください。いきなり難しいと思いますけど、どういう意図で組み立てられたものか、理解すれば……すぐに使えるようになります、から……」

 後半は何だか尻すぼみで、目を逸らしながらだったが、

 ……照れてる、のでしょうか。

 それに自分が気づけたことが少しだけ嬉しくて、ティルは思わず頬を緩める。

 そして改めて

「では頑張って使いますね! ユズホ先生。お願いします」



 和貴は、どうにもここのところ自分が急速にじじむさくなったように感じていた。

 もともと活発だった方ではないが、そういう意味ではなく。

「これは“ポストオフィスネット”っていう業務用SNSです。――ちゃんと意味訳せてるですか?」

配達屋ポストオフィスネット? …………組織的集団ソーシャル網でできた仕組みネットワーク奉仕サービス……ですか?」

「わぁど直訳……帝国では無いもんなぁ、こんな概念」

「配達屋さんの網、の方はなんとかわかる気もします」

「それ網じゃないからね? 郵便屋さんが投網ぶん投げるワケじゃないからね?」

「ち、違うのですか……」

「言い換えますと、このアプリは――」

 例えばこう、ティルたちの悪戦苦闘を脇から微笑ましげに眺めているときなどは、特に。

 ……大丈夫かなー、これ。

 連絡手段があれば、というのと、少しでも文化に馴染む足しになれば、と思いとりあえず手に取らせてみたが、現在もかなり悪戦苦闘しているようだった。

 まず初っ端、音声通話機能を使おうとして“アドレス交換”の概念でまず盛大につまづき、30分ぐらい掛けて同じ説明をループしていたり。

 電話がどうにか通じるようになった次、SNSの概念をイチから説明する羽目になっているようで。

 そのあたりのティルと自分たちの隔絶を目の当たりにするにつけ、普段は意識しないが、自分たちはずいぶん抽象的なことをしていると再認識させられる。

 電子マネーを使わせるのはもうちょい先になるなぁ、などと思いながら、

 ……ともあれ、柚歩とは上手くやっていけているようでよかった。

 柚歩は難儀な生徒相手にぜーはー言いながら教えてはいるものの、少なくともティルは楽しそうにしている。

 感受性の豊かなあの子が楽しそうということは、柚歩との距離感を上手くつかんだのだろう。

 ……確かに、この方が良かったな。

 和貴は最初、総務部の備品担当に解説を頼もうかと考えていたが、明里の発案(とゴリ押し)でわざわざ情報部から彼女を引っ張ってくる事になった。

 迷惑だろう、とも思っていたが(事実第一声から迷惑そうだった)、こういう強引さはティルと柚歩には必要だったようだ。

「じゃーティル様、メール送ってみる?」

「はい、では、えっと……」

「明里、待ってください。そもそも音声とキー入力ともに日本語と英語にしか対応してないです」

「えっと……そこはなんとか、帝国語IMEを自作とか――柚歩大先生、お願いっ」

「バカ言わないでください。無茶ぶりにもほどがあります……。むしろ外交部から宇宙うえの開発局に圧力をかけてください」

「わ、わたし、みなさんの言葉、覚えますから!」

「ティルちゃんよく言った! じゃあとりあえず『こんにちは』って打ってみようか。五文字だし」

「コンニチワ……挨拶ですね。では――」

「キーユニットは五十音順に円形に並んでいます。トラッカーを動かして……」

 三人の声はかしましく講堂に響く。

 


 それからどれくらいの時間が経っただろうか。

 普段使わない頭を全力回転させた結果、ティルの頭はくらくらしていたが、

「以上、ごく基本的なところになりますですが、ブライトワンドの使い方でした」

 ようやく、ユズホが“ごく基本的”と呼ぶべき範囲は修得することができた。

“デンワ”はもう間違いなく掛けられるようになったし、手紙の開き方も解った。

 ……読んだり書いたりだと、まだルコやアカリの助けが要りますが……

 機械相手には翻訳魔法の通りが悪いので、そこもまた勉強であるが、“ワンド”そのものの操作には大分慣れることができた。 

図書室メディアルームのデスクトップ機もおおむね似たような設計思想です。キーは古きよき物理キーボードですが。……そこら辺の解説はややこしくなるだけなのでまた今度ですね」

「ありがとうございました、先生!」

「…………。別に先生ではないですが。ああ、そうです。ストラップを用意しときましたので、慣れるまでは首からかけておいてください」

 ユズホは鞄から赤い紐を取り出すと、ティルのワンドを手に取り、手際よくそのしっぽに細い紐を括りつける。

 そして、その赤い紐で出来た輪っかをティルの首にかけると、

「……ふふん」

 妙に満足気な笑みを浮かべるユズホ。

 それが何だか可愛らしくて、ティルも思わず釣られて笑ってしまう。

「ユズホさん。今日は親切に教えてくださってありがとうございました」

「……聞かれたことに答えただけです。依頼された仕事ですから」

 憮然として答えているように見えるが、どうもそれはユズホなりの照れ隠しらしい、ということをティルはもう理解できていた。

 ……うん、仲良くなれるかもしれません。

 少なくともティルはユズホに対して好意を抱き始めていた。

 彼女はどうかわからないけれど、少なくとも嫌われていないことくらいは、解る。

「そうそ。珍しく年の近い女の子同士だし、仲良くしようよ!」

「はい。……ユズホさん、よろしくおねがいしますね」

 言いながら、今回はティルの側から、その手を取る。

 握り、上下に振りながら笑顔を向けると、ユズホの無表情も少しだけ緩む。

「ええ、まぁ。……ぼちぼち、よろしくです」

 ……そっか、これがこの子の笑顔、なんだ。

 ぎこちなく分かり難いけれども、それが分かるようになったのは、とても嬉しいことだと思う。

 三人がどこかそんな暖かさを共有したところで、ミツバがまとめるように言葉を挟んだ。

「うむ。交友も深まったようでなによりだ。――さて、ボチボチいい時間になったし、そろそろ上へ行くとしようか」

 上? とティルが疑問に思うと、アカリも自分のブライトワンドを取り出し、

「あ、もうこんな時間! そっか、もう移動した方がいいよね――もちろんユズホも行くよね?」

「ええ。拒否権のない強制参加ですし。……まあまあ、楽しみでないわけでも、ないです」

 二人は何のことか知っているようだった。カズキの方へ目を向けると、

「行けば解りますよ」

「……カズキさんもご存知なのですね」

 さわやかな笑みでそう答えられると、ティルはがっくりと肩を落とすしかない。

 せっかくなので教わったばかりのブライトワンドを手に取り、時間を見てみる。

 表示されている文字は“PM-06:35”との表示。これが時刻を表す文字らしいが、翻訳魔法が通じなければ見ても意味が無いのだった。

 ……一刻も早く文字を覚えなければ……!

 ぐぬぬ、とくやしげに眉をひそめていると、カズキが横から補足をくれた。

「これは、昼中から六の刻と半分ほどが過ぎた、と言う表示です。確か秋から冬へ向かうこの時期だと、そろそろ日が沈む時間のはずですが……」

「な、なるほど」

 カズキの言葉を聞き、覚えておこうと心のうちに留める。アカリから辞書を借りて勉強しなければ、という静かな決意とともに。

「もうそんな時間なのですね……では、日没に何かあるのですか?」

 それに対してカズキは「秘密なんですが」と前置きしてから、言う。

「今日は空も晴れているらしいですし――いい月が見れそうだとか」

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