第14話 その輪の中へ5

 潮風がティルの身体を撫ぜる。

 鼻孔をくすぐるのは、久方ぶりの海の匂い。

 陽が傾き、朱から濃い紫に暮れる空は、いくつかの星と双子の満月を浮かべていた。

 二重扉を抜けて昇るのは鉄の階段。通じる先は甲板だというそれを、促されるまま登ると、

「ティルヴィシェーナ様。あけぼしへ、ようこそ!!」

 登りきり、着いたそこでティルを迎えたのは歓声。

 百どころか千を超えるであろう人の群れが、大きくティルを取り囲んでいた。

「これって……」

 呆然と見回すと、そこはティルがかつて巨人に降ろされた広い甲板の上だと解る。

 だが、異なるのは、待ち受ける大勢の人々と、いくつかの弱い灯火に数々の机。

 そして二つの言語で『歓迎、ティルヴィシェーナ様 あけぼし乗組員一同』と記された大きな布が光で照らされ、掲げられていた。

 突然の、予想外の出来事にティルが呆然としていると、種明かしをするようにアカリが楽しげに言う。

「歓迎会だよ。ティル様の」

「私の、歓迎会……?」

 アカリの言葉を聞き、ティルはようやくこの事態に納得がいった。

 そういえば、かつてティルもお偉方と地方へ訪問した時は領主などに手厚い歓迎を受けたものだった。

 ……そうか、歓迎会……

 沢山の人達が自分を迎える光景に懐かしい気持ちになりながら、ティルは人々の輪の真ん中へと案内される。

《さあ、では本日の主賓、ティルヴィシェーナ・カンネ・ユーディアリア様から挨拶をいただきましょう!》

「ふぇっ!?」

 唐突に司会者らしい男性から何の準備もなく挨拶を振られティルは固まってしまう。

 どうしたら……とアカリの方を見ると、

「てきとーでいいよ。てきとーで」

 と小声で何の助言にもならない言葉が。

 カズキが司会者からなにかの機械を受け取り、ティルに渡す。その際に小声で耳打ちするのは、

「挨拶だけしましょうか。名前を名乗って、『よろしくお願いします』を言って、あとは前に教えた“おじぎ”をすればオッケーです」

「わ、わかりました……」

 ティルも頷き機械を受け取る。これは声を大きくして周囲に届ける機械だから普通に喋って欲しい、と付け加えられた説明に首を振って了解を伝えるとカズキが何らかの操作をする。すると機械に光が灯った。

 喋って、と合図を受け、ティルは小さく息を吸い込み、

《ティルヴィシェーナ・カンネ・ユーディアリアと申します……今日はこんな場を設けていただきありがとうございます》

 発した声は思わぬ大きさで周囲に響く。

 だが、ティルは内心驚きながらも、平静を装ったまま言葉を続ける。

《その……私のことは、ティルと気軽にお呼びください。仲良くしていただけると、嬉しく思います! よろしくお願いします!》

 カズキの助言にティルの今までの経験から得たアレンジを加えた言葉。

 短いそれを言い終わり、ティルはゆっくり身体を折る。教えられた角度通りに深々と頭を下げ、

「わあああああああ!」

 ティルのおじぎの直後、周囲から歓声が湧き上がった。



 その後も偉い人の挨拶がいくらか続き、“歓迎会”は始まった。

 ティルが慣れ親しんだ会食とはずいぶんと異なる雑多な雰囲気に、どんな特別な作法があるのかと戸惑ったが、

「さぁさぁじゃんじゃん焼いてるのでじゃんじゃん食べてってー!」「めーさんこっち肉よこして肉!」「お前もっと食えよ!」「あっテメその肉は俺の!」

 超自由だから何も気にすることはないよ、とアカリがはじけた笑顔で言った通り、その場は実にティルの想像を超える混沌とした場だった。

 ルコとは異なる型だという機械人間アンドロイドたちが 給仕係を示すらしい衣装を身にまとい、網の上で肉を焼いていく。

 人々は手に皿(陶器ではないが似た手触りのとても軽いもの)を持ち歩き、串に刺さった、あるいは切り分けた何かの肉をガツガツと食べている。

 飲み物も提供され、黄色い色に白い泡を乗せたものが特に人気なようだったが、皆各々に好きなものを頼み、機械人形たちがそれに応えて届けるのだった。

「豪快な場ですね……」

「上品な会食もいいですけど、たまにはこう、庶民的な場も楽しいものですよ」

 隣に立つカズキが“ハシ”を上手に使って肉を食べながら言う。

「ほらほらティル様。小さめの串持ってきたよ。どうぞガブっと」

「ありがとうございますアカリさん……これ、本当にそのまま食べていいんでしょうか。切り分けたりしなくても?」

「いいのいいの。直接いっちゃって」

 アカリの言葉に従い、恐る恐るかぶりつくと、絶妙な歯ごたえと柔らかさが口の中に広がる。

 塩気と合わせて不思議な辛味を感じ、さらに肉の旨味が引き立てられていく。

 口の中に広がる感動をゆっくりと噛み締め、味わいながら飲み込み、

「美味しいです……!」

「にはは。お口にあってよかったよ」

「ほんとうに美味しいです! これは何のお肉なんですか?」

“ウチュウ”に住む生き物のお肉だったりするのだろうか、そんな想像をふくらませながら聞くと、アカリは言いづらそうな表情で目をそらし、

「それは……そのー……合成肉で」

「ごうせい肉?」

「うん。脂とタンパク質を合成して牛肉っぽい味と食感を再現してるんだけど……」

「…………?」

 ……油と何かを合わせてギュウのお肉を再現、ですか?

 また妙な言い回しが出てティルは首を傾げる。ティルの世界にない概念では翻訳魔法は十分に機能しない。

 そういう場合は、補足しようとアカリたちが近似の単語を探しながら説明してくれるが、どうにも困ったような顔をさせてしまう。

「ごめん、解りづらかったね。“ウシ”って生き物のお肉、ってことで」

「ウシ……ですか」

 どんな生き物なのだろう。ラダットのような家畜だろうか、とティルはぼんやりと想像を巡らせ、もう一口。

 ……やっぱり美味しい……!

 とりあえず美味しいものは美味しいのだからそれでいい、と素直に受け止めることにして目の前の肉をむさぼることに集中するのだった。



 時間が経つと、一通り肉争奪戦も落ち着き、歓談がはじまる。

 ティルの周りもはじめは遠慮していた人達が集まって賑やかさを増していた。

「ティル様でいいんですか?」「声聞こえたんですけど、魔法ですか?」「可愛いですね! 歳いくつ?」

 まさに質問攻めで、ティルは目を白黒させながら一つ一つ答えていく。

 翻訳魔法が通じない人のためにアカリやカズキは同時通訳に奔走し、

「ごめ、さすがに、もうダメ……」

「僕もちょっと休憩を……」

 二人は体力、気力の限界に達したようで、アカリの上司だという女性通訳さんに引き継ぎ、休憩に行ってしまった。

 その女性曰く、同時通訳は相当強烈に頭を使うから交代で務めるのが普通なのだそうだ。

 そして、「アカリちゃんったら『ティル様が艦に慣れるまでは自分一人でやります』って聞かなくって」と少し困った顔で言うのだった。

 そんなところまで気を使わせていたのか、とティルは少し申し訳なく思いつつ、そんな中、聞き知った声が自分に呼びかけたのを聞いた。

「やはー! ルヴィっち、元気に食べてるかーい!?」

「ヤチさん……!」

 昼を一緒に食べた、あのはっちゃけた女性がそこにいた。

 周囲には三人の男性ともう一人女性を連れていて、

「お前また他人に変なあだ名をつけて回って……」

 細身で長身の男性が頭に手を当てため息混じりに言うと、

「いいじゃねーか! むしろなんでミィちゃんは偉大なるハッチの名づけセンスを疑うわけよ?」

 ヤチと同じか少し低いぐらいの男が笑いながらそれに食ってかかる。

“ミィちゃん”と呼ばれた細身の男は半目で見下ろしながら、

「……お前もいい加減その呼び方やめろっつったろ。部隊内に妙に蔓延して迷惑だ」

 ますますため息を深くする“ミィちゃん”。ヤチはその肩を叩き、親指で自分を指して、

「や、全力で布教してるのは私だし、タニゾーに罪はないっすよ」

“タニゾー”も、並んで自身を指さし、

「いや、布教度なら俺も負けないね!」

「このアホアホコンビは……」

 そんな二人を見てますます眉間にしわを寄せる“ミィちゃん”。そんな中に別の女性が割り込み、

「まあまあ、ヤチちゃん、ミツヤくんも、シロウくんも、ね? ティルさんもおいてけぼりですし」

「やー、ごめんねクマちゃん」

「むぅ……クマちゃんに言われたら仕方ねーな」

「だから最初から大人しくしていろと……すまんなクマノ」

「いいえー」

「…………」

 そして、一番後ろにいた大柄の男は一言も喋らないまま黙々と肉を食べていた。

 ……すごい取り合わせですね……

 ヤチもヤチでなかなかどうして印象的な人柄だったが、知り合いと集まるとこうなるのかという図。

 ティルを置いてきぼりにした一連の流れに思わず圧倒されてしまった。

 そんなティルに、クマノと呼ばれた女性が歩み寄り、

「ヤチちゃんからお昼のお話は聞きました。はじめまして、わたしは、ヤチちゃんと同じ部隊のクマノ・タマキといいます。よろしくおねがいしますね」

 そう言って、最初に短い髪を切りそろえた彼女は、物腰柔らかにおじぎをする。

 制服はヤチと同じ緑だ。

「俺! 俺っちはタニマチ・ミツヤな! タニゾーって呼んでくれていいぞ!」

 続いて割りこむように言うのは小柄の男性。底抜けに明るく落ち着きのない感じは男性版ヤチと言った印象だ。

「……I.D.E.A.第一降下軍、第一揚陸機動大隊、第二歩兵中隊所属のミヤケ・シロウだ」

 淡々とそう自己紹介するのは細身の男性。

「でアダ名はミヤケからミの字を取ってミィちゃ――ぺぎゅ!?」

 口を挟んだタニゾーに最後まで言い終わらせる間もなく、ミヤケが無言で肘を打ち込み、

「なんと呼んでもらっても構わんが、普通にミヤケで頼む」

「あはは……」

「で、後ろのおっきいのはタケちゃんね」

 最後にヤチが指さしたのが後ろの大男。ヤチの二回りは大きいであろう彼は黙々と肉を食べていたが、

「…………タケバシ・ケンゴだ。よろしく」

 低い声でそれだけ言うと、小さく頭を下げ、また黙々と肉を食べ始めた。

「皆さん、個性豊かですね……」

「やー、的確な表現をどうもありがとう」

 ヤチは笑いながらそう言い、

「にしてもルヴィっち大人気だったねー。声掛けようとしたけど、なかなか割りこめなかったよ」

「皆さん、たくさん質問されるからびっくりしちゃいました」

「めっちゃ興味津々って感じだよね。外交部がなかなかルヴィっちを外に出さんかったから、噂が噂を呼びすごいことになってたし」

「ど、どんなですか……?」

「一説によると、その者は龍を素足で蹴り殺せる巨乳の銀髪美少女しかも槍使いとか」

「は、はい?」

「あ、俺っちはでかい魚を生で丸呑みしたって聞いたけど、マジ?」

「えええ!?」

 ヤチやタニゾーからさらっと語られる恐ろしい“噂”を聞き、ティルは愕然とする。

 ……そんなとんでもないことに……!?

 じゃあ通路ですれ違った時に「あれが魚を一匹生で丸呑みした噂の……」とか言われてたのだろうか、とティルは想像し、

「なんてことですか……!」

 これはもっと真剣に質問には答えねばならない。

 もっと皆さんと仲良くならねば、私の、ひいては帝国臣民のイメージが、と一人ティルは悶絶する。

「まあ、そういう意味でも、ルヴィっちがみんなとお話出来たのは良かったかもね。おねーさんは嬉しいよ、うんうん」

「確かに、ずいぶんとイメージと違ったな。可愛らしく和やかな方で少しホッとしたよ」

 ……ホッとした、って元はどういうイメージだったのでしょうか……

 真面目そうなミヤケですら何やら不穏なイメージを持っているようなのだから、おそらくは相当な尾びれ背びれがついていたに違いない。

 この機会に撤回せねば、と心に決めるティル。

 そんな時、

「……っと、そろそろ交代の時間なんで、私とクマちゃんはこれで失礼するね」

「交代……と言いますと?」

「お仕事お仕事。隊長からの直々の指名でさ、『お前の頭は年中お祭りだから半分でいいだろう』って。あの冷血眼鏡ったら」

「大変なんですね……」

「そうだよー。クマちゃんと相勤なのが何よりも救いなんだけど。せっかくのお祭りなのに警備室で詰めるなんて、花の乙女に失礼しちゃいますわよねー」

 そう言ってクマノの顔をのぞき込んだヤチ。彼女も笑顔で、

「ふふっ。ヤチちゃんもおおげさだよ。――ちょっとたいへんですけど、がんばってきますね。ティルさんも、また機会があったらお話しましょう」



 ヤチとクマノが去って行くと「もっといろんな人と話すといいよ」と言って男性三人も去っていった。

 嵐のような五人組の通過に、ティルはしばし頭をクールダウンさせていると、

「……やっと見つけた!」

 入れ替わるかのように後ろから抱きしめられた。

 聞き覚えのある声に振り向くと、

「ユミカさん?」

「はいかんぱーい!」

 顔を紅潮させたユミカの姿。

 お昼よりも少しはしゃいでいるようで、話を聞いていたのかいないのか、手にしたグラスとティルの皿を打ち合わせて一方的に話し始める。

「人一杯で大変でしょう。こんなにいたのか、と思わない?」

「はい。思いました。けど、噂の払拭のために、頑張ってお話しないとと思って」

 ユミカは翻訳が通じないから――と思って通訳さんにも聞こえるようゆっくり話すと、

「噂? ……ああ、杖とか目から光線出せるっていう、あれですか?」

「それ初耳! 初耳です!」

 すぐに返ってきた答えに、噂は一体どこまで広がったのか恐ろしくなり、

 ……あれ? 通じてるんでしょうか。

 ふと、通訳を介さずに会話が成立したことに気がついた。

「ユミカさん、私の言葉が分かるんですか?」

「よゆー、ですよ?」

「よ、よゆー、ですか」

 言いながら笑って頭をなでられる。優しいようで若干雑な撫で方で、

 ……話が通じるのはいいけれど別の意味で話が通じていない気がします!

 なんだか格納庫巡りの時の凛とした雰囲気をまるで感じない返答に、ティルは戸惑いを隠せずにいると、

「少佐、ばっちり精霊に召されてよっぱらってますね」

 苦笑しながら通訳さんがそう言う。どうも場違いじみた言葉にティルは思わず聞き返す。

「……それって神水ナクラを頂いた時に使う言葉では?」

「あ、ごめんなさい。気分を害したかしら。ちょうどナクラもアルコールだと聞いていたものだから」

「“あるこーる”……? あけぼしにも、似たような飲み物があるのですか?」

「ええ。少佐が手にしてるそれとか」

 コップには、皆が飲んでいる黄色い飲み物。

 どんどん振る舞われているようで、皆が好きなように飲んでいる。

「……これが、ですか?」

「ええ。お祭や、羽目をはずしていい日だけに飲める大人の嗜好品よ。……神水は確か、帝国では厳重な管理を受けた神聖な品なんだっけ?」

 帝国では、豊穣を呼ぶ祭りなど、神聖な儀式に用いる神水。

 飲めば精霊の元へ近づけるとされており、その効果は初心者が全くの訓練なく魔法を行使し得たと記録にあるほど。

 それ以来、禁制品として市中には出まわらず、限定された儀式の場、帝国の魔法の一切を取り仕切る国法庁の管理下にある。

「そうです。神水は滅多なことでは人の口にいれてはならないとのしきたりで……」

 そんなティルの前でユミカはぐいっとコップを飲み干した。

「メイドさん、おかわり!」

「はい、ただいま」

 ユミカに呼び止められた給仕服の機械人形はすぐに振り向き、彼女のコップになみなみと黄金色の飲み物を注ぐ。

 白い泡が溢れ、それを零れないように口をつけるユミカを見ながら、

 ……いいのかなぁ。

 帝国のごく中枢の人間しかその製造方法を知られない“神から賜った水”らしきものがじゃんじゃん振る舞われる光景に、ティルはどうにも複雑な思いを抱くも、

 ……ここは“あけぼし”だから大丈夫。うん。

 あくまで異世界の出来事だ、ここではそういうものなんだ、と思考を止めた言い訳で胸の内を落ち着けつつ、ある種の納得も得ていた。

 神水ナクラは精霊との同調を強める聖なる飲み物。

 だからユミカさんにもそう作用し、翻訳魔法が通じるようになったのではないか、と。

 ……話せるうちに話してみようかな。

 多少ちぐはぐになっても、折角の機会だからと思い、満足そうに自分の頭を撫で続けるユミカに一つ疑問を向けてみた。

「ユミカさんは、このお祭りのこと知っていらしたんですか?」

「みんなで準備したもの。とうぜん。――あそこで突っ立って暗幕吊るしてるの、私が動かした迅雷ですよ?」

 ややろれつが回っていない声で指さしたのは、帝都があるであろう、岸側に面した甲板の端。

 ぼんやりと輪郭が見える、それは三体の巨人と、それらが支える棒。そこから吊るされている黒い巨大な布だった。

「岸からこっちが見えないようにね。ただのお祭りだけど、邪神の復活を企ててるとか、変な勘違いされると困っちゃいますから」

「ああ……」

 ティルにも今なら解る。みんなが気にしている対象に、少しでも情報が投下されると、そこにどんどん尾ひれがついていくのだ。

 ……このお祭りの光だけでも、見られたらそうなるってことですよね……

 向こうがこちらをどう見ているか、今のティルには解らない。人々が恐怖に震えていたとしても、声をかけることも叶わない。

 ……遠くまで来たんだ。

 海を挟んですぐそこなのに、暗幕で遮られて、見えない。

 レファは、何をしているでしょうか。

 そう思って暗幕を見ていると、不意に袖を引かれる。

 振り向けば、ユミカが空を仰いでいて、

「お月様、二つあるのですね?」

 唐突にそう呟いた。

「あの、月とはそもそも双子のものでは?」

「そーですか? んー……?」

「違う、のですか?」

「私たちの星だと一つ……らしいの」

「らしい?」

「私は……というより、あけぼしのクルーは全員、生まれも育ちも宇宙船の中だから。記録でしか、みたこと、ないんですが」

 記録で。

 それはあの“写真”や“映像”と言った媒体の情報だけということで、

「……そう思うと私たちにとっての月も、ティルちゃんたちと同じ双子月、なのでしょうね」

 ユミカは、――ユミカたちはチキュウの人。

 でも、チキュウで生まれたのではない――人。

 なんだか考えてきたらよくわからなくなって、

「お月様はふたつ。それで、いいのかもしれませんね」

 茫洋としたユミカの言葉に、ティルはとりあえずの頷きを返すことしかできなかった。

 


 その後、ティルの頭に手を乗っけながらユミカがこっくりこっくりと船を漕ぎ始めた頃。

 艦長が「引き取りに来た」と言って、ユミカに肩を貸して去っていった。

「ばいばーい」と眠たげに手を振るユミカをティルはどこか不思議な気分になりながら見送っていると、

「すみません、もう大丈夫です。お世話掛けましたフクヤマさん」

 カズキが小走りで戻ってきた。

 アカリの上司はカズキに手を振りながら、

「おかえりなさい。……野次馬もだいぶ落ち着いてきたし後は任せても大丈夫かな」

「はい。アカリもじきに戻りますので」

「了解。じゃ、私もそろそろお酒でも飲んでこようかな。……アカリちゃんに、楽しいと思うけど頑張りすぎないで、って伝えておいてね」

 そう言い残して、アカリの上司は去っていった。

 カズキは彼女を見送ってから、ティルの方を向いて申し訳無さそうに言う。

「すみません。二人揃ってダウンしてしまって。僕らがいない間、大丈夫でしたか?」

「大丈夫です。ヤチさんも、ユミカさんも来てくれましたから」

「なら、よかった」

 それを聞いて少しホッとしたように頬を緩めるカズキ。ふいと人混みの方へ目を向け、

「アカリももうすぐ来ますよ。お月見ダンゴを取りに行ってくれてます」

「おつきみ、だんご?」

「古い習わしで、月を見ながら食べるとされてるものです。穀物の加工品なんですが――けっこう美味しいんです」

 そんな話をしていると、アカリが手に皿を持って近づいてきた。満面の笑みで差し出すのは、

「はい、お月見ダンゴお待ちどうっ」

 白く丸々した塊……の山。

 簡単なその姿に、“ダンゴ”とは穀物を練り丸めるような加工が施されたものだと解った。

 小さく、わずかに光を反射するそれを薦められるままに食べると、上品な甘さがティルの口の中に広がった。

「美味しいです……」

「あはは。ティル様、そればっかり」

 アカリの笑い声にティルはすこし頬を赤らめるが、毎度のやり取りなのでそろそろ慣れてきた。美味しいものは美味しいのだから。

 もちもちした歯ごたえと優しい甘みを噛み締めながら、あと何度こんな驚きが得られるのだろうか、と思いながら月を見上げる。

 常に付かず離れずに空を巡る双子月ガドゥム

 それを見ながら、お月見ダンゴを飲み込む。

 周囲を見てみれば、幾人かはティルたちと同じくダンゴを食べている人が見かけられた。

 だが、どうも食べながら特に月を見ている人ばかりでもない。

「……そういえば、お月見ダンゴということですが、月を見ながら食べるものではないのですか?」

「んー? どうだろう。お供えするものだとは思うけど、食べるときは自由じゃない?」

「お供え、ですか?」

「そうそう。お月様どうぞーって、祭壇に載っけとくの。で、期間が終わったらみんなでお下がりをいただく、みたいな」

「お、お供えした分も食べちゃっていいんですか!?」

「だってお月様は食べられないし」

「そ、それはそうですが……」

「ティル様のところだとお供え物食べちゃう行事って――そう言えばなかったっけ。地霊祭は埋めたまま土に還っちゃうもんね」

 地霊祭。

 豊作に感謝し、その年に取れた初物の作物を地面に埋め、神水を注ぎ、舞を奉納する儀式だ。

 当然、地の御遣いにお渡しした供え物に手を付けるなど、断じてあり得ない。

「埋めちゃうと食べるって発想にはならないよねぇ。確かにビックリされても仕方ないかぁ」

 にはは、と笑うアカリに、ティルもなるほど、と思い至る。

 食べられない相手に食べ物を捧げるという発想がまずなかったが、そういう相手ならば、儀式などの了承を得て“お下がり”を頂くという論理展開はできなくもない、と妙に感心し、

「じゃあ今回もお供えを?」

「一応あったよ。ほらあそこ、十五個のおダンゴ建造物が」

 アカリが指さした先には、確かに宗教的な意匠を感じる飾り物とともに、台に載せられ三角形に積み上げられたダンゴの山があった。

「あれが、お月様の分ですね……」

「多分撤収の時にみんなで食べちゃうけどね」

「なんと……」

 ティルの感性ではやはり背筋が寒くなるような暴挙だが、彼らはそれでいいのだろう。遠い世界での祭事がそのようにあったのなら、ティルが口を出すのは筋違いだろう。

 そもそも、この空の上にあるのは彼らの祀っていたであろう“ツキ”ではなく、“双子月ガドゥム”。本来ダンゴを捧げるべき相手はここにはいないのだから、厳密にやる必要もないのだろう。

「“オツキ様”ですか……」

 供え物を食べられても平然とするかみさまとは、一体どんなものなのだろうか。

 ティルはふと疑問に思い――そして、先ほどのユミカとのやり取りを思い出した。

「そういえば、アカリさん達は、本物の“ツキ”を見たことがないと聞きましたが、本当ですか?」

「うん。元々の“ツキ”は、映像でしか見たことないよ」

「では、皆さんはなぜ“お月見”という行事を伝えてこれたのですか?」

 それもまた、ティルには不思議だった。本物の“ツキ”を見たこともない彼らが、なぜ“お月見”を伝統として受け継いでこれたのか。

「そりゃ、毎年やってるからだよね」

 アカリの回答は実にシンプル。それに付け加えるようにカズキが続ける。

「僕らが今まで暮らしていた“ゆりかご”――この星の遥か上、双子月近くにある宇宙船では、毎年ご先祖様たちの残した習慣を、なるべく廃れさせないように続けてきたんです」

「と言ってもかなりアレンジ入ってるよねー。本来は地上ですすきを飾ってお月見ダンゴをお供えするイベントのはずが、ほぼ“団子付き秋季定期宴会”みたいになってるけど」

「定期宴会……」

 申し訳程度にダンゴの祭壇はあるが、確かに言われてみれば、月を敬う会や祭礼にはとても見えない。

「そうやって肩の力を抜いて、気楽にやれるように変えてきたのは確かですね。月も何も見えない宇宙にいた頃は、映像投影の夜空に大きめの満月を浮かべて、公共空間で宴会してただけだったみたいで」

 今だと、基本は双子月をいい位置から映像で写しての宴会だったり、船外に出て肉眼での双子月ツアーをやったりもしてますけれど、とカズキは付け加えるように言い、

「ま、そう言うわけで……騙し騙しどうにか続けてきたから、という答えになりますが、どうでしょうか」

「なんだか、苦労が忍ばれるお話ですね……」

「苦労っていうか、ただ騒ぐ口実にしてただけだよね先人」

 アカリの指摘にカズキとティルは苦笑い。

 けれど、

「そんなこんなで受け継いできたイベントであるお月見を、今回ついに原点に近い地上で、お月様を見上げてできたのはちょっと感慨深いな……って僕は思いますけど」

「そう言われてみると、意外に感涙モノのストーリーだよね、お兄?」

「意外にとか言うな、感動が半減するから。……ま、そういうわけで、脈々と星を渡ってきた風習なわけです」

 疑問の回答を得て、ティルは思う。

 機械に、武に長けた彼らが、思い思いの食べ物を取り、大いに騒ぎ、そして“月”を愛でている。

 まるで人間のように。……いや、現に人間なのだ。

 こうして一緒に御飯を食べて。お祭りをして。

 思いを馳せながら、月を見上げながら、もう一口、ダンゴを口に頬張る。ちょうどよいサイズで、ほのかに甘い、素敵な“供え物”。

 それはツキに捧げられたものだけれど、いまは双子月ガドゥムに向かって祭壇はある。

 ……違うものだけれど、その思いは多分、変わらないものなんだろうな。

 適当でありながら、息の長い行事。

 本質は失われてしまったかもしれないけれど、それでも伝統として残っているこの祭り。

 双子月ガドゥムとツキ。異なるけれど“同じ”それに共通点を見出して、先祖伝来のお祭りをあけぼしの皆が楽しんでいるという光景。

 それは。

「なんだか、嬉しいです」

「嬉しい?」

「皆様の星にもガドゥムに近い、“ツキ”があって、ガドゥムにその意味を見出して――こうして祭り事に取り入れてくださったというのなら、嬉しいです。私たち帝国の者も、双子月とともに生きてきたのですから」

 暦の軸として、宵闇を照らす支えとして、――儀式の守護者として、ティルたちの夜の上に常にその双子はいた。

 ティル自身も、幾度も双月の下で踊ったことを思い出しながら、

「それを大切に思って頂けて――そんな風習を持っていらっしゃるということが分かって、とっても嬉しいです」

 ティルの言葉に、カズキは小さく頷き、

「そうですね。……人間はきっと、月と太陽なくしては生きては来れなかったでしょうから」

 それは、おそらく全く足元の違うティルたちと、カズキたちとの共通点のひとつ。

 そのことを知ることができて、ティルはまた一歩、カズキたちに近づくことができた気がした。



 ふと、音楽が流れ始めたことに気づいた。

 少し離れた場所、音量を抑えたそれは喧騒に紛れてあまり良くは聞こえなかったが、ティルにははっきりわかった。

 空間が、跳ねたのだ。

 楽しい祭りに、ここぞとばかりに放り込まれた新奇な音楽。大地の御遣いが黙っていられるわけがない。

 猛然と空間に力が集まっていくのを感じ、ティルは少し苦笑する。

 ……私でも、なかなかここまでは出来ないなぁ。

 おそらく“あけぼし”流の、まったく異なる祭りと音楽だからだろう。

 好奇心旺盛な大地の御遣いは異文化に目がない。聞いたことのない楽器たちの、未知の音楽理論による演奏は彼らの大好物といっていい。

 ティルもそんな音に興味が惹かれ、ゆっくりと耳をそばだてる。

 異なるようで、どこか通じるもののある音は、どこか予想外に、けれども欲しいところに流れていく。

 いつしか目を閉じ、その音楽に聞き入っていると、

「音楽、好きなんですか?」

 演奏が止んだタイミングで、カズキが不意に声をかけてきた。

「あ、その――性分、でしょうか。巫女として、大地の御遣いが惹かれる音楽は聞いておかないと、と思って」

「巫女として、ですか。なるほど。真剣な表情でステップを踏んでいたからどうしたのかと思いましたよ」

「あ……」

 言われてティルははじめて気づく。

 自身の足がたんたん、たん、と知らず知らずのうちにステップを踏んでいたことに。

 いつの間にかティル頭が儀式モードに切り替わっていたようだった。

 そんなティルを見て、思いつきのようにアカリは言う。

「ねぇティル様。ステージ借りて、踊ってみる?」

「ええ!? そ、そんな……いいんでしょうか」

「もちろん! きっとあの魔竜騒ぎの時みたいにすごい踊りを皆の前で見せたら、拍手喝采間違いなしだよ!」

 アカリはティルの手を握って断言する。

 確かに即興で踊ることはティルにとって不可能ではないが、

「私なんかが、割り込んでいいのでしょうか……」

 光で照らされた舞台には演奏家の人々や芸達者な人たちが芸を披露する場のようだった。

 そこに突然割り込んでしまっていいのか、とティルは戸惑っていると、

「よし、じゃあ私がステージを取ってきてやろう」

「「ミツバ姉!?」」

 今までどこにいたのか、突然ひょっこり現れたミツバが横からとんでもないことを口走った。

「私もティル様の踊りは見てみたかったしな。丁度、彼女がどんな人間なのか、皆に見せるにはいい機会だ」

「あ、あの、そんな、ご無理なさらず――」

「心配するな、吉報を待っていろ!」

 慌てて止めても時すでに遅し。ミツバは鮮やかな身のこなしで人混みに消えていった。



「取れたぞ。五十分後のトリの舞台を貰った」

「えええ……」

 案の定、というべきか。ミツバはきっちり出場権をかっさらってきたのだった。

 ……でも、出るからにはしっかりやらないと……!

 決まってしまったのなら、とティルは気持ちを切り替える。

 踊りは、自分ができる数少ない特技だ。それを期待されているならば、ティルは全力で応えたいと思う。

「やったねティル様! やっぱり、さっきの音楽で踊りたい?」

「そう……ですね……」

 アカリの問いに、ティルは少し考える。

 せっかくならさっきの曲で踊りたいと思うも、一度聞いたきりでは踊りと上手く合わせられるか不安もある。

「もう一度ぐらい聞けるのなら、音楽と合わせてみたいと思いますが……」

 せめて楽譜だけでも、とは思ったが、あっても帝国とは記載方法がまったく異なるだろう。先ほどの演奏家さん達にお願いして聞かせてもらえれば――と思い、ティルがそれができるか聞こうとしたところで、

「……さっきの曲なら一般サーバーに有りますですよ?」

「ユズホさん!?」

 どこからともなく……と言うより、ミツバに連れて来られたらしいユズホが、ダンゴを頬張りつつそう言った。

 ただ、一般サーバーと言う言葉にティルは首を傾げてしまったが、

「そっか、ワンドあるよね? それで聞けるよ!」

 アカリが理解したように取り出したのは、先ほどユズホに教えてもらった“ブライトワンド”。

 ティルも自分のワンドを取り出してスイッチを押してみると、教わったように宙に浮くように表示された窓が表示される。

「えっと……ここからどうすれば?」

「時間もないですし、こっちから遠隔操作しますです」

 また、初めての時のようにユズホが自身のワンドを取り出し、やがて画面がめまぐるしく切り替わっていく。

「ティル様、ちょっとお耳冷やっとしますよ?」

 じっと画面を見ていると、不意にアカリのそんな言葉がして、

「ひゃうっ!?」

 言葉通り、ティルの耳が何か冷たいもので塞がれた。 

「な、何ですかこれ!?」

「耳元で適度に鳴る――楽器?」

「楽器、って、こんな小さな……」

「ヘッドセットつけたですね。じゃ、音楽流しますですよ」

 ティルの疑問などまったく気にした様子もなく、ユズホは操作を終える。

「え、あの、ちょ」

 そして、ティルの戸惑いを吹き飛ばすように、

 音楽が、来た。



 耳元で音楽に包まれるような、そんな感動に浸った後、ティルは舞の組み立てを始める。

 ほとんど演奏そのままとしか思えない明瞭な音を何度も繰り返しながら、ティルは想像の中で踊る。

 詰めが甘い部分は幾度も繰り返して聞き、自身が習得している舞の型と武の型を当てはめていく。

 ……あとは、出たとこ勝負。

 演奏家と合わせるのはいつも一発勝負だ。大地の御遣いは遍くどこにでも居て、人の営みを見守っている。故に幾度も同じ練習を繰り返していれば飽きられてしまうのだ。

 至高の奉踊、預言の儀においてはいつも一発勝負だった。

 ……でも、いまの観客は“あけぼし”の皆様。

 張り詰める必要はない。

 国を左右する預言を受けるわけではなく、これはあくまで宴会の余興。

 なるべく派手に動き、美しく見せることに集中する。それでいい。

 そうして、

「そろそろ時間ですよ。ティル様、大丈夫ですか?」

「はい!」

 カズキの呼びかけに、ティルは力強く応える。

 幾度も聞き、徹底して組み立てた。

 まったくのアドリブを要求される場に比べれば、はるかに恵まれた舞台だ。

 もはや、ティルの心に不安はなかった。



「ティル様。これを」

「うん、ありがとう、ルコ」

 舞台の裏。機材で隠された場所にティルはいた。

 そこでルコに渡されたのは巫女の正装。

 あの日、岬で儀式に臨み、ここへ連れて来られた時の衣装だ。

 ルコの手伝いもあって着替えはすぐに終わり、続けて手渡されたのは、杖。

 しゃん、と耳馴染んだ硬質な音が鳴り、持ち慣れた重みが返ってきた。

 愛用の杖。唯一自分がここへ持ってきた持ち物。

 ……また、力を貸してね。

 小さく相棒に思いを乗せる。

「では、お時間です。ティルさま、どうぞ」

 呼びかけに顔を上げる。

 舞台は、すぐそこだ。



 星と双子の月の下。

 灯火のような明かりに照らされ、ティルは舞台に立った。

 見慣れたはずの群衆の姿も、いつもと違う。

 黒、白、緑、青……色とりどりの制服や、作業服の群れ。

 彼らが創りだすのは、緊張感がなく、さざめきやまない空間。

 ……大丈夫、これは儀式じゃない。

 こちらを見ているもの、互いの雑談に夢中なもの、様々だ。

 彼らにはティルを見る義務も、見なければならない逼迫した事情もない。

 だから、自分も気負う必要はない、そうティルは小さく深呼吸。

《――次はなんと、飛び込みプログラム! 今回のゲスト、献身の巫女――》

 機械で大きくした声で、司会が何かを語るが、もはや半分もティルの耳には届いていない。

 ただその意識には、舞うべき自身の姿と――

《では、どうぞ!》

 ――音。

 演奏家が奏で始めた。それは聴き込んだ通りの音だ。

 同時に、ティルはそれに合わせ、想像通りに身体を乗せていく。

 音楽に乗せて杖を振り、鉄房の銀音を旋律に重ねていく。

 ……楽しい……!

 幾度も聴き込んでなお、胸を震わせる音楽に、ティルの心は身体以上に踊っていき――

   

*  


 気がつけば、音楽は止んでいた。

 汗と高揚感、そしてかつて無い達成感の中にティルはいた。

 ……やっ、た……

 気づけば観客は、皆表情に喜色を浮かべ歓声を上げていた。

 同時に、手を叩き合わせる音の嵐が祝福のようにティルの身へ浴びせられる。

 踊りきった。

 かつて無いほど夢中で、一心にティルは踊りきり――それは伝わった。

「可愛いー!!」「すげぇぞちびっ子ー!」「かっこよかったぞー!」

 投げられる声は、実に不慣れなもの。巫女の威厳も何もあったものではないが、ここはこういうものなのだろう。

『それさえすればとりあえず大丈夫だ』と教えてもらった“おじぎ”を一度。

 速やかに下がろうかと思ったその時、

《いや~素晴らしい踊りでしたね! ありがとうございました! ではでは、ティル様に一言いただきましょう》

 あろうことか、横から出てきた司会に言葉を求められてしまった。

「え……あ……」

 アカリがいないと言葉は――と思うと、アカリが実に如才なく舞台脇に顔をのぞかせていた。こちらを満面の笑みで見て、小さく手元で仕草を見せる。

 それは帝国貴族界では多少広く意味が通じるジェスチャー。小さく刃物を振る仕草で、この場合の意味はおそらく、

 ……思い切って行け、という意味、ですよね……

 言うべき挨拶はさっき全て言ってしまった。ならば残っているのはティルが言いたいこと。

 声を大きくする機械を向けられ、小さく息を吸い込む。その間にぼんやりと自身の想いに意識を向け、

「私の踊りを見てくださって、どうも、ありがとうございました」

 言いたいことを探りながら、話し始める。

「今日一日、船のいろんな場所を見せて頂いて、私の国にない、様々なものに触れることができて――」

 できて、どう思ったのだろうか。

 ……私は――

「私は、皆様のことを、神様の遣いだと思っていました」

 そう。天の御遣いだと、国を上げて勘違いをし、

「すごい船、すごい力、すごい機械。それらに驚き、畏怖すらも覚えて――」

 魔竜を追い払うに至り、全く勘違いをしてしまって、

「でも、今日一日かけて、皆さんに『それは違うのだ』と教えていただきました」

 底抜けに陽気なヤチが、穏やかで強いユミカが、素っ気ないけれど優しいユズホが。

 歓迎会を開き、この場でティルを迎えた全ての人間が。

「ここにいるみなさんも、私も、生まれた場所が違うだけの――同じ人間だと」

 傲慢な物言いかもしれない、と思う。ティルたちと和貴たち、帝国とあけぼしの力の差は歴然なのだから。

 それでも、とティルは感じた。

 礼を尽くし、美味しいものに喜び、道具を使い、争いを忌む。

 ティルの踊りに声を上げて喜んでくれる。

 それはティルが知る人間そのものだ。

「私も皆さんと同じ場所に立ちたいと思います」 

 そして、

「もっと皆さんのことを知り、私の祖国の――アルフ・ルドラッド帝国のことを知ってもらい、ともに歩めるように」

 一息。

「どうかこれからも、私と……私達と仲良くしてください」

 言葉を終え、舞台袖のアカリの通訳もすべての言葉を伝え終わる。

 少しだけ、余韻のような静けさが残り――やがて、二度目の音の嵐が巻き起こった。

 ……届いた、かな。

 浴びせられる手の音にその答えを聞いた気がして、ティルは満足気に顔を綻ばせた。



 そうして、盛況のうちに祭りは終わった。

 騒々しい笑い声をあげていた人々はバラバラに持ち場や自室へと戻っていき、甲板は指示を飛ばす声と機械の駆動音に取って代わられていた。

 司会を担当していたレクリエーション部の少佐相当官の指示の下、エレベーターを使ったコンテナの上げ下ろしが行われ、照明設備や大量に並べられた焼き台の撤去などに追われていた。

 そんな慌ただしい艦の下。

 水面の上に“立つ”二つの人影があった。

 おぼろげな魔法光を足元に浮かべて、海をあたかも地面のように踏みしめるのは、フードを被った男と女。

 二人は物理法則を無視した動きで水面を動き、ゆっくりとあけぼしの懐とも言える舷側に取り付く。

「よし、行くぞ」

「はい」

 短いやり取りの後、絶壁のような側面をヤモリのように這い上がる二つの影は、やがて艦外の巨大なエレベーターへと飛び移った。

「――貴様らが本当に神の使いかどうか、確かめさせてもらう」

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