第一章 あなたの呼ぶ声 3
耳鳴りが落ち着いたのと同時に目を開く。そこにあったのは真っ黒な世界と耳が痛いほどの無音だった。
何も見えないし聞こえない。確かに感じていたはずの温もりも一切感じることが出来ない。
不安になって口を開いた時、どこからか声が響いた。
「ようこそ、異世界へ。君とは色々と話をしたいんだけど、今は時間がない」
それは男性とも女性とも、大人とも子供ともとれる、不思議な声だった。
「だから僕達からはこれだけ伝えさせてもらうね」
声はだんだんと遠くなりながら、それでも強く強く真美花の中で響いた。
「”
そして完全に声が遠くなる。それを追い掛けるように手を伸ばす。すると、何かに持ち上げられるような感覚に襲われた。
それでも声を追い掛けて、
「まっ……!」
真実花はそう叫び声を上げた。
途端に視界が開ける。見えたのは見覚えのない天井だ。
心臓がばくばくと音を立てている。
それを落ち着かせるように何度か深呼吸を繰り返した。
さっきの声はなんだったのか。まだ声の主が近くにいるかもしれないと耳をそばだててみたが周りからは音一つ聞こえなかった。
「………………夢?」
思わずそう呟く。
だとしたら、どこからどこまでがそうなのか。
疑問が鎌首をもたげる。真美花はとにかく周囲に目を凝らすことにした。
真正面に見える天井。塗装された気配がなく、むき出しの木目がじっとこちらを見つめている。じっと目を凝らしてみるがやはり見覚えはない。
今度は意識を手に向ける。少し曲げた指がつるりとしたものを撫でた。
次に全身。体は何かに覆われていて少し重みを感じる。首を少し曲げるとそれが汚れ一つない手触りの柔らかい毛布であることがわかった。さっき指に触れたものは白く清潔なシーツだ。
ゆっくりと体を起こす。
「ここは……」
視界が広がるような感覚。見えたのは少し手狭な部屋だった。
真美花が今居るのはシングルサイズのベットの上。壁にぴったりとくっつくようにして設置されている。
視線を前に向けるとベットの斜め左にこじんまりとした机が置いてあるのが見えた。最近まで誰かに使われていたようで短くなった鉛筆と古びたノートがそのまま置いてある。
ここからは手を伸ばしても届きそうにない。
今は少しでも手掛かりを掴もうと真美花はベットから地面へと足を下した。
小さく息を吐いて力を込めて立ち上がる。
「わ……っ!?」
しかしその瞬間に足元が覚束ない様な、気味の悪い浮遊感に襲われてそのまま床に倒れ込んだ。
何が起きたのかわからなくて目を白黒させる。
驚きのあまり声が出ない。困惑した表情のまま口を開いては閉じた。
しかし戸惑ってばかりいても状況が好転しないのもわかっている。なんとか状態を起こして、体を反転させるとベットを支えにして立ち上がる。
ぐらりと地面が歪むような感覚に襲われながら倒れ込むようにベットに腰を掛けた。
座っていてもまだぐらぐらと世界が揺れている。
気持ちが悪い。堪えきれずにぐっと硬く目を閉じた。
しばらくそうして、ゆっくりと目を開く。その時には揺れは収まっていた。
ふうと安堵の息を吐く。しかしまだ気を抜くのは早い。そう判断した真美花はベットを伝って机まで移動することにした。
横に両手をついて体を支えながら進む。ぎしっぎしっとベットの軋む音が大きく響いた。
そうして机のすぐ近くまでたどり着く。手を伸ばしてノートを手に取った。
ノートの表紙には見たこともないような字が書いてある。しかし不思議と意味はわかった。
それはどうやら”日記”のようだ。初めて見る字なのにあまり上手じゃないということもなんとなくわかる。
真美花は不思議な気持ちでそれを開いた。
しかし開くと同時にパタパタと何かが駆ける軽快な音が響いて、思わず動きを止める。
どくん、と心臓が大きく脈を打つ。
音の出所を探るとそれはベットの真正面に見える扉、その向こうから聞こえているようだ。
そこでようやく真美花はここが建物の一室であることに気づいた。この扉の外にはまだ部屋が続いているのだ。
音はどこに行くのだろうと耳をそばだてていると、意外なことに部屋の目の前で止まった。
自分の耳にも聞こえてきそうな程、鼓動ががなり立てる。
「え……」
見るからに動揺した表情を浮かべる真美花。咄嗟に体を強張らせる。
それを増長するようにドアのノブがきぃっと音を立てた。
「っ」
小さく唸って僅かに身を後ろに引く。心の準備も出来ないまま扉が開いた。
現れたのは目鼻立ちのはっきりした女性だった。少し肌が日に焼けており、とても健康的に見える。
「あ、起きた?」
女性は真美花を見ると顔を綻ばせた。
「このまま起きなかったらどうしようかと思った」
親し気に語り掛けてくるその人。知り合いなのかと思うが真実花の記憶にその姿はない。
「それにしても」
何も言えずにいると彼女は矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「いきなり儀式をするなんていうから驚いたよ。しかもそのあと丸一日ずっと眠りっぱなしで。今日も集まりがあったのに居ないからどうしたんだってすっごい怪しまれたんだから。誤魔化すの大変だったよ。まあ、そこはあたしの巧みな話術でどうにかしたけど。今風邪で寝込んでるってことにしたからしばらくは外出禁止ね」
言葉の激流。返事もできずにぼんやりとその話を聞いていると、女性の眉を跳ね上がった。
「聞いてるの?」
ずいっとその顔が目の前に迫ってくる。細められた瞳が怖い。その威圧感に真実花は肩を強張らせた。
「ファイクラル?」
何を言おうか悩んでいたところで声がかかる。
それは聞き覚えのある名前だった。
白い世界で聞いた、別の世界の自分と言った少女の名前だ。彼女は今その名で真美花を呼んだ。
「っ……!」
自然と息が漏れた。それはつまりあの出来事が夢ではなかったと告げている。
自分は彼女の言葉に従い別の世界に来たのだ。
「ねえ」
女性は焦れたように声を上げる。
咄嗟に何か言わなければと思う。
すると不意に黒い世界で聞いた言葉が頭に浮かんだ。
必ず最初に会った人に伝えるようにと声は言っていた。
あの白い世界での出来事が夢でないなら、あの声も夢ではないかもしれない。
「ラ……」
絞り出した声は僅かに掠れていた。
軽くせき込んでからもう一度口を開く。
「ラ・ツェ・エスディ、シオン」
そうして一字一句噛み締めるように呟くと
「――嘘……。成功したの?」
女性はそのはっきりとした瞳をさらに見開いて、食い入るようにで真美花を見た。よろめくように数歩後ろに下がり、両手で口元を押さえる。手は小刻みに震えていた。
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