第19話「揺蕩う者」

 一瞬の事に呆気に取られていたのか、無言でマリモを見送るドルヴィンだったが、数拍後には我へと帰り、触手を振るって声を上げる。


「逃がすな! 追え!」


 ドルヴィンの指示を受けた数人がマリモと同じ方角へ変えだした瞬間、青白い光の旋風が螺旋を描きながら彼等の身体を宙へと舞い上げた。


「やっぱりこういう使い方も出来るんだな」


 呟いた正一の体制は、剣を振り下ろした直後の様であった。

 刀身には、魔力の残滓が渦巻いている。

 魔力の矢に回転を加えて威力を上げた時のように、今度は高速回転する魔力を斬撃と共に放つ一撃。

 咄嗟の思い付きで試してみた正一だったが効果の程は、想像以上であった。


「貴様……」


 ドルヴィンは、既に余裕等消失していた。要正一という個人の戦力を低く見積もり過ぎていたのである。

 所詮ドルヴィンも町人も戦闘に関しては素人同然。

 寄生虫による基礎戦闘能力の向上はあってもそれらを所謂武術のように技術体系化はしていない。

 そこに正一の付け入る隙がある。

 数も基礎戦闘能力も上かもしれない。

 魔法の腕前も半人前同然。だがそれでも十七年間、身を投じ続けた技術がある。

 要家が連綿と研磨し続けた総合戦闘術。

 その全てを信じ、身に委ねれば活路は見出し得る。


「来いよ。遊んでやる」


 正一が指招きをしてみせるとドルヴィンが出会って初めて明確な殺意を体外へ放出した。


「図に乗るなぁ!」


 既に触手に包まれている左腕だけでなく右腕からも触手をひり出したドルヴィンは、両腕を振り被ってから正一目掛けて叩き付ける。

 だが所詮素人だ。

 パワーで押し切ろうという意志しか感じられない。

 力任せの一撃は、戦術の一端としては成立し得る。

 だがそれは、あくまで兵法の一部分。

 技術の一欠けらに過ぎない。

 戦闘という行為は、自身の望む行動をいかに実現するかだ。

 技術と身体は、その領域に辿り着くための手段に過ぎない。

 心技体全てを揃えねば、闘争に勝ち得る事は絶無。

 身体のみに優れているドルヴィンは、戦いという行為において膨大とも言える不足を抱えている。

 確かにドルヴィンの攻撃は素早く力強い。

 まともに受ければ多大なダメージを負わされるだろう。

 だが裏を返せば技術も理想もありはしない愚直で直線的な動きだ。

 正一は、手にした剣に魔力を込めると、振り下ろされる触手を絡め取る様にして受け流し、地面を蹴り、ドルヴィンとの間合いを詰めんとする。

 正一の身体能力は、魔力によって強化されている。

 そしてドルヴィンとの明確な違いは、それを使いこなし得るだけの技術がある事。

 その相乗効果は、日本に居た正一と比較した際、戦闘能力を数百倍に向上させる。

 故にその踏み込みも常人の域ではない。

 達人でも数歩要する距離をほんの一足で詰める足さばきは、ドルヴィンの反射神経を置き去りにしていた。

 正一が懐に飛び込んでいる事すらドルヴィンは気付いていない。

 今も視線は、正一が先程立っていた場所を見ている。

 完全な無防備。

 反射と意識の留守を狙った奇襲に抗う術はない。

 正一が踏み込みの勢いを殺さないまま放った剣閃は、ドルヴィンの喉元を容易く捉えた。

 しかし正一の繰り出した一撃は、ドルヴィンの表皮を切り裂いた時点で動きを止める。

 凄まじい硬度に刃が阻まれたのだ。

 ――強引に力押すには危険だ。

 正一は、ドルヴィンの懐から飛び退いて構え直すと、改めて先程斬り付けた部位を見やった。

 皮膚は切り裂かれているがその下、筋肉が異様に蠢いている。

 すぐにそれが体内に救う寄生体である事を正一は理解した。

 ドルヴィンが反応出来ない攻撃でも体内の寄生体にとっては違う。

 宿主の危機に反応し、急所に集まって宿主を守ったのだ。

 首元の傷に、今更気付いて呆気に取られている辺り、正一はドルヴィン自体の実力を正確に測れている。けれど体内の寄生体、その性能を見誤った。

 やはり外来種には、あらゆる常識が通用しない。

 どのような世界で、どのような生態系での果てに、かの生命体が生まれ得たのか。

 ぐじゅる、ぐじゅると正一の背後から湿ったが省が聞こえてくる。

 見れば町人たちがそれぞれに腕から触手を生やし、正一へと一歩一歩を踏みしめるように近付いてくる。

 一撃で頭のドルヴィンを倒し、混乱に乗じて町人たちを叩く。

 そんな正一の策は、前提からして覆されていた。

 相手は一太刀で倒せる規格内の存在ではなかったのだと。


「少年よ。愚行を来世では繰り返さぬようにな」


 マリモは間に合いそうにない。

 もしもの場合。どうせ死ぬなら一人でも多く道連れにして逝こう。

 死地に立たされながらも正一に、後悔や恐怖の念はなかった。

 そう言った感情が麻痺している訳ではない。

 現実として死という概念にぶつかった時点で慌てても、打開の助けにならない事を知っている。

 生き残るにしろ死ぬにしろ正一に残された選択肢は、剣を振るい、弓を射り、恐れず戦う道だけだ。

 正一はイメージし、実行する。

 体内に流れる魔力、その奔流を激しく掛け巡らせる様を。

 全てを解き放ち、障害を打ち砕くために。


「行くぞ!!」


 自らを鼓舞する雄叫びと共に剣を振り上げたその時、正一の視界を血飛沫と肉片の渦が支配した。

 人体と寄生虫がまるでミキサーにでも放り込まれたかのように、渦を描いて砕けていく。

 誰しも悲鳴を上げる間もなく、自らに起こった悲劇を察知する事も出来ず、彼らは一様に命無き血肉と化したのだ。


「な、なんだ」


 正一は、ただ呆然の足元に広がる血だまりを見つめていた。

 自らの死を覚悟しようと、相手の命を奪う決意をしていようと、目の前で数十人が炸裂する様を見せられれば動揺するなという方が難しいだろう。

 けれど何が起きたのか、理解出来なかった訳ではない。むしろ正一は、この惨事の原因を重々理解している。

 頭から爪先へと突き抜ける粘着質な重圧。空を照らす赤黒い光の雨。見上げるとそこに居たそれは、まるで微笑んでいるかのように顔面の肉を微動させた。

 肉塊から無数に伸びる触手は、天を撫でる事すら叶いそうなほど高く渦巻き、身体は痩せ細った牛に似ていて、四肢は干乾びた人間の手足に黒い蝋をなすりつけたようである。

 触手の間から覗く瞳は黒く小さい。身体の大きさが正一の十倍はあるというのに、眼球の大きさは人間の物の半分足らずだ。

 形容しがたい異物とでも名付けるべきか、そんな存在が空から正一の前に降り立つと、頭を低くして、その恰好はまるで跪いているかのようである。


「正一!」


 聞き馴染みのある声に、正一が異形の頭を見ると掌大の小さな毛玉が左肩に飛び乗って来た。


「マリモ……だよな? お前は」


 あまりの事に確信を持てないでいるとマリモは、ニカッと牙を見せてながら笑んだ。


「当たり前だろう。こんなキューティーな生き物が他に居るものか」


 マリモだ。この無駄に溢れる自信と傲慢さ。間違いなくあのマリモだ。

 さらに、マリモがここに居るという事は、正一の策が上手く運んだという証明でもある。


「容易く説得に応じたぞ」


 正一の計画。それは揺蕩う者の開放だ。

 彼女を解放させしてしまえばドルヴィンの野望は砕かれる。

 それに揺蕩う者自身がこの町の住人を殺してくれる事も期待していた。

 日記帳によれば、この町の人間の大半は、彼女の子供か、その血筋。

 人でも外来種でもない彼等を揺蕩う者は、殺したがっていたのが日記からも見て取れる。

 愛情がないからでも、恨んでいるからでもない。

 無償の愛故に彼等へ引導を渡したかったのだ。

 そして揺蕩う者は悲願を果たし、恐らくはその機会を与えた正一に謝意を示しているのだろう。

 彼女は垂れていた頭を僅かに上げると、その小さな瞳で正一を見つめた。


『少年。あなたに感謝します。我が身を弄んだ者の誘惑に負けず、我を救ってくださった』

「喋った……」

「言ったろ。喋らんだけで人の言語も喋れるのさ」


 人語を理解は出来る事は想定していたが、ここまで流暢に人の言語を操れるというのは想定外であった。

 さらに言えば非常に声が可愛らしい。

 図書館の美声の君よりあるいは上か。

 だがどう贔屓目に見ても人間からすれば化け物以外の何物でもない。

 そんな存在と相対してまず美点を探す様になっているあたり、正一の感覚も相当この世界に毒されているのだろう。

 今後この世界に居続けたらどうなってしまうのか。

 自らの先行きに悲観的観測しか見えない状況に正一が肩を落としていると、揺蕩う者は右手を正一の前に差し出してそっと開いた。


『これをお持ちになられよ』


 揺蕩う者の掌に小石が乗せられている。

 けれどそれがただの小石でない事は一目瞭然だった。

 小石は、中心に熱でも帯びているかのように赤黒く輝いていたのだ。


「音叉……」


 ドルヴィンが見せた小瓶に入っていた小石と同様の物に見える。

 だが何故か正一にはドルヴィンの持っていた物よりも揺蕩う者の見せたこちらの方が質が良いと理解した。

 それは直感のさらに深層に位置する動物的感覚。

 本能とでも呼べばないのか。そういう部分で感じていた。


「いいのか。貰っても」

『尋常の道具ではない。使い方を誤まれば身を滅ぼす。だがこれは人に馴染んだ音叉。人の調律にはこれが良かろう』

「人に馴染んだ?」

『我が眷属の体内より取り出した物。人の精神との親和もよろしいかと』


 恐らくあの妊婦だろう。

 彼女の中に居る胎児の一人が音叉になるとそう言っていた。


『心配なさるな。子供は無事です。これを取り出された事で全うな人間になりましょう。混ざり物ではない。真珠貝でもない。人間に』


 頭の中を読んだのだろう。

 けれどなぜか不思議と不快感はなかった。

 この外来種は、今まで遭遇してきた外来種とは違う。

 根本的な異質さという物に欠けてすら見える。

 本来の性質なのか、人との悍ましい交流の果てかは分からないが、敵と決め付けるにはあまりに純粋な感情の発露があるように思えた。


「さて、揺蕩う者」


 左肩のマリモの声音は、荘厳な響きを伴って空間に沁み込んだ。

 いつもと違う。

 正一も思わず息を飲み、左肩の小さくそして偉大な竜の動向を見つめていた。


「約束通り、この世界に害をなさんと誓うなら見逃してやろう。だがもしもまたこの世界に破滅をもたらさんとしたら」


 日記を読んでいる時からもしやと正一は考えていた。

 やはり日記に出てきた守護者とは――。


「その時は、この俺がもう一度相手をしよう」


 マリモの鮮烈な宣言に対して揺蕩う者は、沈黙で答えると大地を蹴って雲を突き抜け、空へと消え去ってしまった。

 恐らくこの世界を襲おうなどと考えてはいないだろう。

 それでも危険因子をむざむざ見逃してしまったのも事実と言える。


「いいのかな。封印解いちまって」


 ぽつりとなんと気なしに呟いた言葉に、マリモが凝固した。


「な!? お前のアイディアだぞ!」

「でもさ……」


 助かるためにはこうするには一番手っ取り早かったし、何より外来種の寄生虫を世界中に広める煮を止めるにはこれ以外の手段はなかったのだ。

 しかし唯一の最善手とは言え、懸念がないと言えば嘘になる。

 恐らく揺蕩う者の力は人智を超えている。

 人間に弄ばれたのも封印されて自由に動けなかったからだ。

 もしもそんな存在が人間への憎悪を剥き出しに、行動すれば、事態がどうなるかは明白である。


「まぁあれは俺の実力を知っている。約束は守るだろうよ」


 たった一頭で惑星ないし、それ以上を制圧、防衛出来る戦闘能力。

 日記にはドラゴンの戦闘能力について、そう記述されていた。

 もしもそれがドラゴンの平均だとしたならマリモは樹牙竜の反応からするに、ドラゴンの中でも最高位の一頭。


「それに奴は、人と云うものにも凝りたろう。恐らく二度と人間とは係わらんだろうさ」


 そんな存在が何故人間に封印されてしまったのだろうか。

 魔力に覚醒し、この世界の人間と手合せした正一には分かる。

 マリモの力は、人間程度ではどうこうしようのない強大な物であると。

 例え人類が団結したとしても傷一つ付ける事が出来るかどうか。

 そんな存在をどうやって?

 あるいはそんな存在ですら封じ得る何かがこの世界にあるのか。


「なぁマリモ。お前の言うとおりだな」

「何がだ?」

「人間って怖いな」


 どちらにせよ、そこに作用していたのは、人の悪に他ならないだろう。

 マリモをどうにか出来るならそれはきっと人間のそういう部分以外に有り得ないから。


「そうだな、だが」


 頬を撫でるような温かい声に正一がマリモを見つめると、


「時に眩しい人間が居るのも事実さ」


 そこに居たのは、慈悲を体現したかのような優しいドラゴンだった。







 精神病棟の檻の中、音叉を持ちリゼルと向かい合っていたマリモだったが、首を振るかのように身体を横にゆすった。


「すまんが、こいつは助けられん」


 調律の様子を見守っていた姉リエラは、その宣告に狂わんばかりに食らい付く。


「どういう事ですか!?」

「こいつの精神は破綻したんじゃない。抜き取られてるんだ」

「それは……分かるように説明して!」

「あの森でこの少女は、精神の大半を奪われたんだ。そして何者かが残った精神で自我を形成し直した。だからこんな風になったのさ」

「それじゃあ、妹はもう二度と……」


 壊れた精神を治す事は出来ても失われた物を取り戻す事は出来ない。

 尋常を超えた道具にも限界はあるのだ。


「奪われた精神を見つけられれば話は別だが」

「それは一体どこに!?」

「俺にも分からんよ。誰かが奪ったとしかな」

「そんな……」


 あの森で何かがあった。容疑者は二つ。外来種か人間か。

 しかし現状で手を打てるだけの材料は存在していない。

 動こうにもどうするのが最善なのか、今この場ではどうにも手が思い当たらない。


「何とか出来ないのか?」


 それでもマリモなら何か策を授けてくれるかもしれない。

 だがマリモは、正一の縋る様な期待を打ち砕くしかなかった。


「リエラから話を聞いて擬似人格を形成し、埋め込む事は出来るが」

「それをしてください!」

「だがそれは俺がお前の話を聞いて作った擬似人格に過ぎない。それはもうお前の妹ではないだろう」


 マリモがそう言うとリエラは、その場に泣き崩れた。

 無理もないだろう。

 彼女がどれほど妹を愛しているかは見れば伝わってくる。

 そして正一も何もしてやれないし、何も言ってやれない。

 今日程、無力を悔しく思った事はないだろう。

 しかしこうなってはマリモ自身何かしてやれる事はない。

 リゼルと一緒に居た調査団の仲間に話を聞けば何か糸口を掴めるかもしれないが、もしも連中が絡んでいたらことは一層厄介になる。

 今は静観するしかない。

 事態が動き出すまで。果実が熟して誘いの芳香を出すまでは――。

 そしてきっとその日は近い。

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