第18話「隔離都市アルバンの真実」

 要正一は、困惑をありありと剥き出しにして、写本を閉じた。


「これを揺蕩う者が?」


 外来種の各日記とはいったいどんな内容かと勝手に想像を膨らませ、読む前は警戒した正一だったが、その中身は想定とまるで異なる記述であった、


「ふむ。どうやらここの事情は、想像と違うらしいな」


 それはマリモも同様であったらしく、彼としては珍しい驚嘆の念を顔に出している。

 アルバンが隔離された真実。そして行われていた狂気の所業。

 共和国政府がどこまで知っていたのかは分からないが、その判断は間違いだったと言わざるを得ない。

 隔離では生温い。もっと厳正な対処をすべきだった。

 事は最早誰かを救うだのと言う範疇を越えている。ここに留まって音叉を探したいがそれよりもまずはこの真実を外に伝えなければならない。


「ありがとう」


 どこへともなく消えた美声の君に礼を述べ、正一は写本を抱えて図書館から飛び出した瞬間、


「探偵気取りかね」


 視界を埋め尽くしたのは、武装した人間の群れだった。

 男も異形の頭を持つ女も皆が皆、錆びた剣や折れ曲がったナイフ。果ては包丁や農具と言った日用品で。

 その中央、笑みを湛えて立っている紳士が一人。


「ドルヴィン……」


 町長ドルヴィン。揺蕩う者の思念日記からすれば彼の一族もしくは彼自身が全ての元凶である。

 そして町長を除いた町民全員の様相は、まるで狂犬のそれであり、今にも牙を振るいながら正一とマリモに襲いかかって来そうだ。

 彼等も全てを知りながら町長に加担している。この状況を見る限り、そう信じるしかない。


「詮索と好奇心は、寿命を縮めるぞ」


 きっと本心は、笑顔とは裏腹だ。何もせずに帰してくれるような温厚な対応はまず期待出来ない。

 正一は、すぐさま抜刀出来るよう剣の柄を逆手で握り込んでからドルヴィンに声を掛けた。


「日記を読んだ。真実を話してもらおう」

「ああ。やはりな。この図書館。潰そうにも結界が強くて出来ないんだ」


 ――なんでこんな事を?

 そう尋ねるべきなのだろうか?

 もちろん納得のいく答えを得る事は出来ないはずだ。

 手前勝手な理屈を並べてさも正論である事を装おうとする。

 人間という物は得てしてそういう類の生物なのだ。

 正一もそれを痛い位に知っている。


「なぜこんな事をしたんだ?」


 それでも尋ねに居られないのが人間だ。

 そして自身が優位な状況ならば、どんな悪事や狂気の吐露を厭わないのも。


「この街の資源は、とっくに無くなっている。君も人なら分かるだろう。資源で発展した場がそれを失えば、待っているのは疾風の如き衰退だ。そうならないために次なる資源が必要なのだ」

「それが音叉ってわけか」


 ドルヴィンは、微笑を湛えたまま、上着の懐に手を入れた。


「それだけではないよ」


 ――何かしてくるか?

 正一の手に力が籠るも、刹那の間に気付いた。人が敵意を持つ相手に何かを仕掛ける時に生じる圧がドルヴィンからは感じられない。

 攻撃の意志を持つ時人は必ず害意を放つ。

 それはおよそ達人と呼ばれる人種ですら抑ええない言うなれば宿命のようなモノ。

 ある極致に達した人間のみ、達人の中でも極一部だけが消し去る事の叶う意志。

 ドルヴィンがそれほどの達人でないのは見れば分かる。どう見ても素人だ。

 能ある鷹は何とやらと言うが、ある程度の実力を持っていれば相手の実力をはかり知るのは容易い。

 正一には断言出来る。

 ドルヴィンは戦闘闘争の類はまるで素人だ。

 だから何か攻撃を仕掛けようとする意志はなく、ただ何かを取り出そうとしているだけだと。

 それでも警戒を緩めずに静観していると、ドルヴィンは二つの小瓶を取り出した。

 小瓶の中身はそれぞれ異なっており、一つは赤黒い液体だが命を得ているかのように蠢き続けている。

 もう一つは、小さな石が入っており、石は黒いが中心だけが蛍のように淡い光を帯びていた。


「まず一つは音叉」


 そう言ってドルヴィンは、小石の入った小瓶を指差した。


「そしてもう一つは武器だ」


 液体の入った小瓶をドルヴィンが指差すと、音叉の入った小瓶を上着の懐にしまい、武器と呼ばれた小瓶を指で弄んだ。


「人間と神格種の交配により生み出された成果だよ」


 日記に書かれていた血を濃くするという話と音叉の養殖。全て真実だった。

 外来種の書いた事と多少の疑念を持っていたが、これで全ての点が線で繋がり、符合した。


「音叉を使う必要があった。何せあんな化け物との交配。精神が保てるわけがない。毎年選ばれた男達が十日の毎夜、あれを抱くのだ」

「生まれたのがこの街の住人ってわけか」

「三十年かかった。人間の身体に馴染む神格種の血を作るのに」


 ドルヴィンの笑みが狂喜の度合いを増し、彼は左腕をまるで天を突き刺すかのように掲げた途端、皮と肉を引き裂きながら赤黒い触手が無数に飛び出し、それが絡み合って塔のようにそびえ立った。


「完璧に制御出来る」

「あんた……自分に?」


 人体実験をしている節は、日記にも書かれていた。

 だがその対象がドルヴィン自身であるとは正一も、そして恐らく揺蕩う者すらも想像していなかった。


「俺は人間同士の交配によって生み出された純粋な人間。その俺が血を入れても体に馴染み、制御出来る。人の身体に馴染む血だ」


 それに一体何の意味があるのか。人が人を捨てて何になろうと。


「神格種にでもなろうってのか?」

「あんなものにはならんさ。これはビジネスなんだよ」


 ドルヴィンの笑みが途端に卑しく歪んだ色へと変じる。


「この血は、今やマーケットで流通している。魔法なんぞを覚える必要はすでにない。何十年と言う研鑚の果てにようやく辿り着く境地にこの血を使えば、赤子ですら辿りつける」


 結局の所、人間という存在が求める物は一つしかない。

 地球で夢想の存在とされる剣の魔法の世界にあっても、やはり人間の世界である以上本質は変わりようがないのだ。

 アルバンという小さな鉱山町が今ではブラックマーケットを闊歩する存在へと肥大化している。

 そしてこうなったのは誰の策略でもない。

 揺蕩う者が仕組んだわけでもない。

 それはドルヴィンを見れば分かる。

 町人の目を見れば分かる。

 彼等は望んで掃き溜めを歩み、血肉と正気を金と引き換える生を望んだのだと。


「音叉も同様にマーケットに流れてるってわけか?」


 養殖をしているという事は買い手の需要があるはずだ。

 何に使われているのかを想像もしたくない。

 人間の残虐性は、時に人間の想像すらも逸脱するからだ。


「音叉は使用法が多岐に亘る。むろん相手を選んでいるさ」


 そう語るドルヴィンだが、常識や分別があれば最初から音叉を求める訳がない。

 自分達に危害を加える可能性が無ければ、文字通りどんな相手にも売っているはずだ。

 アルバンの住人は畜生というよりに他にない。

 自らの利益さえ守れればなんだってする。

 秘密を知った正一を黙って見逃すはずがない。

 あの血を一体何人が服用しているか定かではないが、例えドルヴィン一人だとしても相手にするのは容易くないはずだ。

 どうするべきか。

 正一が最善の手を模索する中、ドルヴィンは目を細め、柔和な声で語りかけてきた。


「取引しないか」

「なんだと?」

「この街で行われている事は政府にもまだ漏れてはいない。だが揺蕩う者が呼んだり、音叉の噂につられてこの街に来る者も居る。その全員に持ち掛けた事だ」


 ドルヴィンは、三本の触手の先端で血の入った小瓶を挟むように掴むと、警戒を与えないためか、ゆっくりと正一の目前まで伸ばしてきた。


「この血には、術式が埋め込まれている。この街の秘密を口に出来ない代わりに、この力を手に入れる」


 信用出来る筈もない。

 赤黒い色をしているからと本当に彼の言う血である保証はなかった。

 仮に本物だとしてもその中にあらかじめ毒を入れてあるという可能性もある。


「毒の間違いだろ」

「いや。この街に関する記憶の一切を改竄する。これもまた音叉から得られた技術の恩恵だよ。ちなみにこの町に来た人間全員がこの取引をした」


 真贋を確かめようと正一が小瓶を凝視する。

 離れていては分からなかったが正確には、ただの液体ではない。

 何万という単位、いやそれすら生ぬるい膨大な数の赤黒い糸のようなモノが蠢めいている。

 恐らくこれは寄生虫のようなものだ。

 体内に取り込むとこれからが増殖成長し、宿主と共生する。

 ドルヴィンが行ってきた人間に馴染ませる行為は、この寄生虫が人間を食い殺さず共生出来る生物にするための品種改良だったのだろう。

 そしてこれ自体に人間の記憶に干渉する魔力が込められているという話も、音叉の養殖をしていた事実を鑑みればドルヴィンの言葉が嘘でない事は分かる。


「それを飲むと力を得る代わりに記憶の一部が消えるってわけか」

「消えるんじゃない。改竄されるだけだ。どうするね? 断れば無論君達を殺す」


 今まで本当に取引があったとして、そして全員がドルヴィンの提示した条件を飲んだとしたら。

 恐らくは真実であろう。

 強大な力を記憶の一部と引き換えるのならば、よしとする人間は多いはずだ。

 そもそもこれだけ大それた計画を共和国政府が微塵も知りえないという事があり得るのだろうか?

 政府の中枢にもドルヴィンの魔手が伸びている可能性を考慮すべきではないのか?

 この取引をしたところで無事に帰れる保証はない。

 政府がドルヴィンの行いを黙認している可能性もある。

 正一は、この世界にとって外来種と同等の存在だ。

 下手な動きをすれば結末は一つしかない。


「じゃあ選択肢ないじゃねぇか」


 正一の決断は、最初から決まっていた。

 潔く剣を引き抜き、ドルヴィンの触手が持つ小瓶を薙ぎ払った。

 中空に舞う微細な繊維のような赤黒い虫たちは、石畳に落ちると、のたうちながら溶けていく。


「お前ら全員皆殺し以外にな」


 ここで我を捨てれば生き残る事も叶うだろう。

 ドルヴィンの言葉に嘘の気配は感じられない。

 強大な力を手に入れ、命を守る事にもつながる。

 けれどそれでは助けられない者も居る。

 そして我を捨て、自身が悪と断じる者に傾倒すれば、それは要正一という自己をこの世から消え失せてしまうに等しい暴挙だ。


「馬鹿な。勝てると思っているのか」


 ドルヴィンの問いに、正一は沈黙で答えた。

 確実な勝算があるわけではない。

 けれど濃厚とは言え、敗色に染まり切っている訳でもない。


「愚かな」


 ドルヴィンからすれば、この少年は酷く滑稽な存在に映っているだろう。

 歳若さゆえの傲慢で身を滅ぼそうとしていると。

 けれど正一は、無策でドルヴィンに立ちはだかっている訳ではなかった。


「マリモ、ここは俺が抑える」

「無茶を言うな。俺がやる」


 確かにマリモの力なら仮に全員が寄生虫を飲んでいたとしても、対処は容易だろう。


「つっても、お前は積極的に手出し出来ないだろ?」


 しかし今マリモが置かれている立場は微妙だ。

 仮に政府の内部にドルヴィンの間者が居れば、二百年前の件を蒸し返されて、再封印と言う事になりかねない。

 そうなっては正一としても困る事の方が多い。


「解決法があんだろ。とびっきりのな」


 無策ではないがある種無謀な賭けでもある。

 そのアイディアを正一が頭の中で思い描くと、さしものマリモですら顔色を変えて飛び上がった。


「正気か! お前!?」

「ああ、いたってね」


 現状をマリモの力無しで打開する方法は一つしかない。

 あとはその時間を正一が稼げるかどうかが鍵だ。

 策というにはあまりに拙いかもしれない綱渡り。

 けれどマリモの浮かべる表情はとっくに嬉々とした笑顔へと転じていた。


「仕方がない。やってやろう」


 そう言ってマリモは、正一の肩から飛び降りると、町人の頭を踏み台にしながら飛び越え、町の中心部へ向かって瞬く間に姿を消してしまった。

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