第14話「隔離都市アルバン」

 正一とマリモがリュベイルの街に着いた数日後――。

 樹牙竜と共和国政府との話し合いにより、正一とマリモは、ドラグン地区とフェアリ地区に居る限りにおいては、反逆罪を不問とする決定が下されていた。

 二百年前は、マリモの討伐作戦に参加したフェアリ地区だったが、友好的な関係を築いているドラグン地区からの要請――正確には、正一が樹牙竜に働きかけて――と、マリモが罪を犯しながらも神竜とも言われる程位の高いドラゴンである事実とを合わせて寛大な対応をした形となった。

 当然と言えば当然だが、ヒュマン地区はこの決定には同意しておらず、二人がヒュマン地区に行けば即刻逮捕。死刑を回避する事は出来ないだろう。

 正一が転移してきた異世界の大国バルツ共和国は、地区ごとに自治権が与えられており、地球で言うところの連邦制と似ている所がある。

 共和国政府もドラグン地区とフェアリ地区が反逆罪の撤廃を、ヒュマン地区は身柄の引き渡しを求め、獣人たちが統治した歴史を持つビストリア地区は、中立姿勢を貫いているため、このような決定が一番波風を立てないと判断したらしい。

 そしてドラグンとフェアリでの自由を得たさらに数日後。

 飛行船を利用して正一とマリモが訪れていたのは、件の隔離された町、アルバンだ。

 リエラの壊れてしまった妹、リゼルを助けるための手段があると、マリモが話した場所。

 そこは異様な姿の町だった。

 日本のビルですら比較にならない背丈の高い巨大な樹木の壁によって街の周囲が完全に封鎖されている。

 樹木の壁は、魔法を使って生やした木を魔力製錬された鋼材を使って補強する形で構成されており、樹牙竜曰く神聖な祝福に守られたその防護性能は、火竜のブレスですら弾き返してしまうという。

 壁を飛び越えれば入る事は可能らしいが、目測で百メートル以上はある壁だ。鳥でもない限りは飛び越えるというのは難しいだろう。

 現在の正一でも魔力を覚えたおかげで十数メートル程度なら飛び越える事も出来るが、この壁の前では、城壁を前にしたアマガエルも同然だ。

 また樹木の壁といっても枝や葉などは一切ない。いわゆる丸太状の形をした樹木で手掛かり足がかりになる様なものを頼って登るという選択肢も取れなかった。

 補強材として使われている鋼材を伝う手もあるが、こちらも生憎と一番低い物でも三十メートルは上空だ。正一の跳躍では歯が立たない。

 そして当然ながら世界から隔離された町だ。律儀に入口などあるはずもない。

 文字通りのあまりに高すぎる壁を前に正一は、途方に暮れていた。


「どうやって入るんだ、これ」

「飛び越えるしかないな。しょうがない。本来の姿になるから俺の上に」


 マリモの提案に正一は、折り畳み式の弓矢を展開する事で答えた。

 指先に魔力を集め、その形状のイメージは矢の末端部分、ノックから指先を繋ぐワイヤーが伸びる形状、そして着弾の瞬間、性質を変える。

 思い描いた要素で魔力が矢を象ると、正一は壁の天辺を狙って矢を放った。

 火竜のブレスすら跳ね返すなら人間の魔力で作った矢程度では、壁には絶対刺さらない。

 だが正一が矢に込めた魔力は、刺さる事を目的としたわけではない。

 壁の頂点に当たった魔力の矢は、その性質を糊のように変じさせ、壁にへばりついたのだ。

 正一は、指先から伸びる細い魔力の紐を引き、矢の貼り付き具合を確かめる。

 渾身の力を込めて引いても糊状魔力の矢が壁から剥がれる様子はない。


「手助けはいらねぇ」


 正一は、吐き捨てるようにマリモに告げると、大地を渾身の力で蹴り、跳躍した。

 そして指先の魔力をジャンプ距離分縮めると、壁に足を付いてから再度飛翔する。

 正一はそのままどんどんと壁を登って行き、わずか十数秒足らずで頂上に辿り着きそうだ。その様子を地上から見上げていたマリモは苦笑した後、微笑する。


「やれやれ」


 呟きながらマリモは光の粒子を振り撒きながら本来の狼牙竜としての姿に変じると、一足飛びで正一に追い付き、毛玉の姿に戻ると正一の頭頂部に着地した。


「おい」


 頭の上に乗ったマリモを鬱陶しく感じ、手で振り払おうとする正一を、マリモの柔和な声音で制してくる。


「怒るな。俺が一緒に居た方がいい」

「いらねぇってんだよ」

「誰の道案内でここまで来たと思ってる?」


 ずいぶん痛い所を突いてくる。それを言われると正一としても返す言葉がないのが実情だ。

 無論地図は見ながら歩いていたのだが、やはりそこは異界人なのである。

 現地を知り尽くしている相手の前では、ただの迷子に等しかった。

 アルバンに来るまでの道中二日間、マリモからのガイドを聞いていないふりをしながらしっかり聞いて正一は、今日ようやくここまで辿り着く事が出来たのだった。

 こんな状況で正一が返せるのは、せいぜいがひねた罵声位の物である。


「うっせぇ」

「ったく。お前も子供だなぁ」


 やっぱり痛い所を突いてくる。

 何せ正一自身今の自分が如何に狭量な態度を取っているか分かっているからだ。

 如何に幼稚か思い知っているからだ。


「っせぇな!」


 それでも言い合いをして勝てる気がまるでしない正一は、このように駄々をこねる以外になかった。

 そんな態度を貫いていると、マリモの方が折れたのか、溜息を付きながら呟いた。


「……はぁー。まぁいいさ」

「俺は良くねぇ。とっとと降りろ」

「こっから落ちたら怪我するわい」


 現在地上までは約九十メートル弱。着地の瞬間にドラゴンへ変身すれば耐えられるだろう。

 だがこの高さでさすがにマリモを振り払って落とすのも気が退けてくる。


「悪かった。この間の事は、全面的に俺が悪かった。謝るよ」


 その上で誠意の籠ったと感じられる謝罪をされてしまえば、やはり地面に落とすのも気が退けるという物だ。

 正一は、マリモを頭に乗せたまま壁を蹴り上がって、壁の頂上に立つと、先程使った粘着質の魔力矢を足元に撃ち込み、ワイヤーを引きながら吸着具合を確認する。

 それから正一は、視線を動かして頂上からアルバンの様子を窺った。

 イベルンやリュベイルに比べると小さいが、それなりの規模の町である事は分かる。

 一通り町並みを見回しても人が歩いている姿は見受けられず、かわりに暗い気配が所狭しと闊歩している。

 出来れば下へ降りたくないが、ここまで来て引き返すのであれば何の意味もない。覚悟を決めて正一は、壁の頂上から街に向かって飛び降りた。

 恐らく魔力強化された今の肉体ならこの程度の落下衝撃は殺せるだろう。

 だがわざわざ体を痛め付ける事もない。先程壁の頂上に取り付けた粘着矢と正一の指先を繋ぐワイヤーにより、正一の足元から地上十メートルの高さで落下が止まる。

 指先から伸びる魔力のワイヤーを正一が切るイメージをすると、独りでにワイヤーは千切れ、正一は膝を折って衝撃を殺しながら地面に着地した。

 するとその途端に、マリモが声を掛けてくる。


「ドラゴンの謝罪なんてそうそう聞けないんだぞ。いい加減許せ」


 もうすでに地上に着いたからここなら落としても怪我はしないだろう。正一は、マリモを頭から手で払い落とすと、何も声を掛けずに歩き出した。


「まったく。人間ってのは、あいつもこいつも怒ると本当に根に持つな」


 マリモは、唇を尖らせてぼやきつつ、石畳を飛び跳ねながら正一の後ろをついて行った。

 上から見ると分からなかったが、アルバンの街並みは、清潔感に溢れている。三十年間、外とのやり取りがない町とはとても思えない程に。

 だが、それでも足元を這いずっている黒い大気が尋常な場所でない事を示していた。


「誰も居ねぇな」

「三十年間隔離されているから、殆どの人間が死に絶えているだろう」


 物資のやり取りも消滅し、あるのはこの街で自給自足出来るものだけ。

 それはこの規模の街に住んでいる住人全員を支えるには不十分と言うより他にない。

 街の人々への同情を感じないわけではないが、正一の目的はあくまでリエラの妹リゼルを救う方法を入手する事だ。

 だからこそ、マリモに対して見栄や意地を張り続けても、やはり仕方がない。


「それでこの街のどこにリエラの妹を助ける方法があるんだよ」

「音叉だ」


 聞き覚えのある単語に正一は首を捻った。

 音叉は、楽器の調律などに使われる道具だが、そんな物で一体どうやってリゼルを救おうというのだろう。


「音叉? 楽器の調律に使う道具だろ」


 心に浮かんだ疑問をそのままぶつけると、珍しくマリモがもったいぶらずに答えてくる。


「それとは別種さ。それとは別の音叉と呼ばれる魔道具がこの街にあるはずだ。事前に樹牙竜の奴にも聞いたがこの街から持ち出されてはいない。ならここにある」


 マリモの説明だけでは、どんな物なのか全く見当も付かない。

 普通の音叉といえばY字型をしているが、別種という表現をマリモが使う辺り形状は、まるで異なりそうだ。

 もしかしたら音に関係する道具なのかもしれないが、正体を考察しようにも名前だけでは情報量が少なすぎる。


「煤と同じで抽象的だな。どういう代物なんだ」

「それは」


 そう言い掛けた所で数瞬マリモが口籠る。どうやらいつも通りの秘密主義を貫くつもりだ。

 再びマリモが口を開こうとしたが、どうせ言い訳と判断し、正一は呆れと落胆の混じった声を割り込む様にぶつける、


「はいはい。どうせ教えないんだろ」


 立ち止まってマリモを見やると、彼は申し訳なさそうな顔をして穏やかに語たり出した。


「正一、今回に限ってはお前の質問に答える。だが一つ頼みがある」


 今までの行為を詫びる様なマリモの態度に正一の心はぐらついた。

 傲慢な性格のマリモがこうもすまなそうにしていると、いっそすべてを水に流したくなる。

 だがそれと同時に最後の文言『頼み』というが引っ掛かるのだ。


「なんだよ」


 反省の色など表面上だけ。どうせろくでもない条件付けをするつもりと踏んで正一が溜息まじりに尋ねると、マリモは両肩を手でこすりながら大粒の涙を流し始めた。


「頼むから肩に乗らせてくれ! なんかこの地面、薄気味悪くて踏み締めていたくない!」


 そう言えば喧嘩をしてから一度もマリモを肩に乗せてやっていない。見れば球体上の身体の下半分の毛が土や泥の汚れにまみれてしまっていた。

 薄汚れた姿で涙を流して懇願する様が正一の罪悪感を槍のように深く突き刺してくる。

 これで今日何度目か分からない溜息を付いた正一は、自身の左肩をポンと叩いた。


「分かったよ! 乗れよ、もう」

「恩に着る」


 嬉々とした声を上げてマリモが正一の左肩目掛けて跳躍する。しかし正一は気付いた。あの泥汚れで乗られるとジャケットが汚れてしまうと。

 正一は、飛んできたマリモを空中でキャッチすると、毛に付いた汚れを払ってから左肩に乗せた。

 久しぶりの肩に掛かる微かな重量。それが懐かしくてマリモに視線を向けると、彼は正一の肩の上で身もだえしながら艶やかな声を上げた。


「正一……お前なんてところを触るんだ」


 ほんのちょっぴり芽生えていた慈悲の心は、悪鬼の如く嫌悪となって、正一は渾身の握力で以てマリモの身体を潰さんとした。


「変な声で気持ち悪りぃ事言ってんじゃねぇ!」

「ぎゃあああああああ!! 悪かった! 悪かったら潰すな!!」


 正一は、その後数分間、マリモがぐったりとするまで握り続けてから肩の上に戻し、改めて音叉について尋ねる事にした。


「じゃあ質問に答えろ」

「……分かり……ました」


 マリモは、疲労困憊といった様子で口から泡を吹いているが、正一は気にも留めずに質問を続けた。


「音叉ってのはどんな物なんだ」

「使うと対象の精神が解放され、干渉出来るようになる代物だ。それを上手く使って精神を調律してやればリエラの妹は、元に戻るだろう」


 これでも恐らくは肝心な部分をぼかした概要である。詳細を省いているのだろうが、マリモが話したがらなかった理由を正一は察した。

 上手く調律すれば崩壊した精神を元通りに出来ると言うなら、同時に上手く使えば人の精神を自分好みに造り替える事が出来るという事でもある。

 そんな物の存在を大部分の人間が知ってしまえば、誰もがそれを求め、そしてそんな物を欲する人間に渡れば、世は地獄と化すだろう。


「随分危険な代物なんじゃないのか。いくら隔離したって言ってもそれを放置してたのか」

「普通の人間には見つけられんし、見つけた所で使い方を知らなければ役に立たたない」


 確かに人の精神を造り替えるなんて道具が民家の納屋にあってはたまらない。

 この街のどこかにそれが隠されている。そして推測ではあるがマリモも、その場所の詳細は知らない。

 大きさも分からないがリュベイルまで持って帰ろうと言うのだから掌に収まるサイズだろう。

 それを探す場所としてアルバンは、いささか大きすぎる玩具箱だ。


「じゃあまずは、そいつを見つける所からか」

「そうだな……小僧」

「マリモ?」


 突然動きを止めたマリモを訝しく思っていると、正一の全身を針で刺すような感覚が走り回った。


「気配を感じるか?」


 マリモに問われ、正一はブレードの柄を握り締めた。


「ああ。何か近くに居る」


 殺気や敵意といった物は感じないが、敵ではないと判断するのは早計過ぎる。

 この町は尋常な町ではない。ここに居るモノは、あの森に居たモノと同様と考えて警戒すべきだから。

 少しずつ気配が正一に近付いてくる。

 正面からだ。

 数は一つ。

 人間か、それとも外来種かの区別はつかないが、場所を考慮すれば後者を想定するのが妥当だろう。


「こりゃ厄介かもしれないな」


 左肩のマリモは、珍しく渋みを色濃く浮かべている。


「なんでだよ」


 気配のする方向から視線を逸らさずに正一が尋ねると、マリモが強張りの混じった声で答えた。


「こっちは近くないが音叉の気配も動いてる」


 ――先客に先を越されたか?

 今すぐにでもそちらを確認しに行きたいが、ここが森と同じ外来種に支配された場所なら罠という可能性も濃厚だ。

 それに前方から来る気配に対してあからさまな隙を見せる事も出来ない。外来種に隙を見せればどうなるかは森で嫌と言う程味わった。

 こつり、こつりと靴底が石畳を叩く耳心地の良い音が迫ってくる。人間なのか。それとも森で初めて出くわした女のような人間の姿をしているだけの怪物か。


「お前さん見ない顔だな」

 気配の主。

 それは、無害そうな年老いた男の姿をしていた。

 服装は、茶けて擦り切れたシャツとズボンを身に着けており、お世辞にも身綺麗とは言えない。

 甚大な毛量を誇る眉毛と口髭のせいで表情や顔立ちを判別する事は難しかった。

 だが深い茂みの奥で光る瞳からは、敵意の類は見られず、ただ人の良さそうな老人という以上の情報を得る事は、出来そうにない。


「マリモ」


 念を入れてマリモに尋ねてみるも、


「人間の様だ」


 得られた答えは、正一の考えと一致した見解だった。

 世界から隔離された町で三十年間、生き続けてきた男。

 アルバンの醸し出す気配からは想像出来ないが、他にも生き残りが居る可能性も視野に入れるべきだろう。

 この老人に聞くべき事は一体何なのか。正一が思案しようと考えた時、老人の方から声を掛けてきた。


「何か用かな。ここは捨てられた街」


 老人が味方である保証は一切ないが、敵である保証もまた一切ない。

 彼の問い掛けに対してどう答えるのが最善か。

 今は、検討の時間を稼ぐべく、はぐらかすしかない。


「ちょっと観光でね」

「観光? 目に焼き付く物も、舌を躍らせる物も、心を明るくする物もこの街にはありません」


 確かにこんな場所に好き好んでくるはずもない。そんな人間はそうそう居ないだろう。


「若い方、音叉をお探しか?」


 老人は、最初から正一の目的に見当を付けていたのだ。

 勿論難しい要素なんて何もない推理だ。この町に外から来る人間の目的は端から一つだけ。


「以前にも俺みたいなのが来たんですね?」

「おやめなされ。皆この街から帰る事は出来なんだ」


 樹牙竜もこの町から音叉が持ち出された形跡はないと言っていた。

 つまりこの町に来た人間は、全員目的を達成出来なかった事になる。

 ではなぜ失敗したのか?

 その理由もやはり想像に難しくない。

 動き回っている音叉の気配から察するにトレジャーハントを妨害する勢力がこの町に居る。

 そしてそれが誰なのかも――。

 正一が腰を落としてブレードの柄をより強く握り込むと、老人は狼狽えながら後ずさった。


「いや誤解してほしくない。あれをここから持ち出してくれるならそれに越した事はない。だがそれは叶わないのです」


 語調からすると、嘘を付いているとは思えない。

 それでもこれが外来種なら人を丸め込む話術もお手の物だろう。

 しかし反面、彼が真実を言っているなら音叉に近付く前に、『それが叶わない』理由は、仕入れておきたいものだ。


「理由を聞いても?」


 正一が尋ねると老人は申し訳なさそうに首を振った。


「それを言えば私が殺されます。ご勘弁を」


 やはり真実を言っているようにしか見えない。

 丸々信じて飲み込むわけにもいかないが、少なくとも頭の片隅に留めておいて損はないだろう。

 それに彼の言っている事が本当だとしたらこれ以上情報を話すわけもないし、話したせいで殺されたのでは目覚めも悪い。


「誰にって聞こうとしたけどそれも禁句でしょうね。ありがとう」


 正一が軽い会釈をしてその場を立ち去ろうとすると、


「口の軽い者は、大抵酒場に居まする。半分以上が嘘だが本当も混じっておりますよ」


 老人は、去り際にそう言い残して、靄の中へと消えていった。


「ありがとう」


 聞こえているか分からないが一応礼を述べて、正一は左肩のマリモを見やった。


「結構音叉って有名なんだな」

 マリモに声を掛けてから正一は気付いた。

 よくよく冷静になって考えてみると先程からマリモと普通に話してしまっている。

 ――悔しい。

 なんだか妙に悔しいのである。

 これではまるで仲直りしてしまったようではないか。

 正一は、まだマリモの発言を許したわけではない。

 たとえそれが真実であっても、どう謝られようともだ。


「言っとくが俺はまだ怒ってるからな。それを忘れんなよ」

「ああ、分かっておる。肩に乗せてくれるだけでも感謝してるよ」


 こうして素直になられてしまうと、それはそれで話しかけにくいものだ。まだ怒りが燻っているなどと 宣言してしまった手前、意識してしまうと余計上手い台詞は出てこなくなる。

 かと言って沈黙も気まずく、ヘドロのような困惑を紛らわせようと正一がアルバンを眺め始めた。


「森ほど嫌な雰囲気はしないな」


 視覚的にはともかく、実際降り立って、その空間で過ごしてみると、森のような深層心理を抉る様な嫌悪感は薄かった。

 それに人が居ない町並みは気味が悪くもあるが、同時にかつてそこに人が居た痕跡を感じられる分、未開の森に居続けるよりは精神的負担も軽い。

 まだ足を踏み入れたばかりとは言え、外来種が襲ってくる気配も感じないが、やはり尋常の空気感ではないから居るには居るのだろう。


「ここにもやっぱり煤みたいな大物が」

「ああ。厄介なのがな。まぁ話してもいいだろう」

「そんなにやばいのか」

「神格種だよ。名は、揺蕩う者」


 煤と同様、姿形を想像しにくい漠然とした名前である。

 正一は、頭を掻きながら想像を膨らませようとしたが、すぐに無駄な行為である事を悟り、マリモに問い掛けた。


「どんな魔物なんだ?」

「詳しい事は言えん」

 ――またか。

 やはり飛び出た秘密主義に、正一の眉間にしわが寄ると、マリモは慌てた様子で付け加えて来た。


「隠したいんじゃない。それは分かって欲しい。俺が言える情報は、こちらは煤以上に直接的な方法で人間に危害を加える。二百年前よりも封印が緩んでいたら厄介だ」

「街を隔離したって事は」

「まぁやばいだろうな。やばい魔力が漏れ出たから早々に隔離したと樹牙竜は言っていた」

「じゃあ」

「まぁ安全とはしばらくご縁はないと思っとけ」


 もしも完全に封印が解けていたら正一としては、生の神格種と初めてのご対面という事になる。

 そんなのは遠慮願いたい正一だったが、ここまで来てしまった以上場合によっては覚悟するしかない。


「音叉の気配はまだ移動してるのか?」


 もう一つの気掛かりについて聞くとマリモは、西南の方角を真っ直ぐ見つめた。


「ああ、だが素早くはない。しかしどうすべきか。もしもこれを揺蕩う者が持っているとなると事はかなり厄介だ」


 さすがのマリモも音叉を持っているのが誰かまでは分からないという事だ。

 つまり音叉が持っているからと下手に追い掛けたら神格種と真正面からぶつかる事にもなるかもしれない。

 仮に音叉を持っているのが揺蕩う者だとしても、そうだと分かっているなら多少なりとも対策の立てようもある。


「なら情報収集がてら酒場に行ってみるか。酒の匂いとか分かるか?」

「そうだな。こっちだ」


 マリモが指差したのは北東。

 とりあえず音叉の気配に近付かなくて済んだ事に安堵しつつ正一は、マリモと共に酒場に向かった。

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