第11話「リュベイルの長」

 ドラグン地区最大の都市、リュベイル。

 イベルンと比べると街全体の空気感は、牧歌的な風味を醸しているが、人の活気や町の大きさという点ではイベルンと同等か、あるいはそれ以上である。

 特に目を引くのは、明らかに普通の人間でない種族が平然と歩いている事。

 耳の形が動物のようになっている者。尻尾が生えている者。髪の隙間から角が覗いている者。

 小説やゲームなどで所謂獣人と呼ばれているような存在が街の至る所に見られるのだ。

 マリモが依然ヒュマン地区は人間が収めた土地で、ここドラグン地区は、ドラゴンが収めた土地と言っている。もしかしたらそういう成り立ちがこの差に関係しているのかもしれない。


「何とか辿り付けたな……」


 疲れの籠った声のマリモだったが、ここまでの道中、別段歩いても走っても居ない。左肩でくつろいでいただけのなまけものに過ぎないのだが。


「そうですね」


 正一の言葉遣いにマリモは、狐狸に化かされたかのように唖然としてしまった。


「どした」

「何がです?」

「なぜ急に敬語になる?」


 マリモの方は、全く見当もつかないらしく、尚も眉間に深いしわを寄せているが、彼の本来の姿を目撃してしまっては、敬語の一つも使いたくなる。

 頭から尾まで数十メートルはあり、黒鋼のような力強さを体現した皮膚を纏い、竜と狼を合わせたような気品に満ちた面立ち。

 今までマリモが取って来た尊大な態度全てに納得がいった瞬間であった。

 あれが正体となれば、正一など赤子同前。マリモの気まぐれで正一の命などカトンボよりも容易く消し飛んでしまう儚い物だ。


「いえ、俺マリモさんがあんなにすごいとは」

「やめろ、敬語なんて。今更気持ち悪い」


 心根からの言葉に聞こえた。尊大傍若無人のマリモも嘘だけはあまり付かないという信頼はある。無論嘘を付いていないだけで隠し事は、山ほどある様だったが。

 なんにせよ。再度確認を取って万全に。そう考えた正一はもう一度了承を得る事にした。


「じゃあいつも通りでいいですか?」

「ああ、もちろんだ」


 そう言うなら。正一は、万感の想いを込めてマリモを握り潰した。


「てめぇあんなに強いなら最初から変身しろやぁ!!」

「ギャアアアア!!」

「まったく。何がボディーガードだ。あんなデカい化け物一撃なら俺なんかいらねぇだろ。むしろ嘘ついた罰だ。これからはお前が俺を守れ!」


 正一の握力は、まだまだ本領ではない。ここからさらに混信をと指に力を込めた瞬間、マリモの悲鳴が天にまで木霊した。


「待てえ! 待てえええ!! 確かに元の姿に戻れない訳じゃない! だがあの状態で居られるのは極々短時間だ。今の俺では一日の内に二、三分しか本来の姿を維持出来ないんだ!」

「本当だろうな」


 正一が握力をやや緩めてから射抜く様な視線で見つめると、マリモは罠にかかったウサギのようにつぶらな瞳を返してくる。


「誓って本当だ! 今から行く場所でもそれを証明してくれるだろう」

「今から行く場所?」

「ああ。俺の知り合いがいる場所だ」


 さすがのマリモもそこに正一を誘いこんで仲間と一緒にがぶり、と言う事まではしないはずだ。

 マリモが正一を殺すなら正面から堂々と殺しに来る。命の恩人を罠にかけるような真似はしない。そうしたマリモの人格に対する信頼を正一は、この数日で培えた自信があった。

 それにリエラの妹の件や、マリモの封印を解いた反逆罪に関する事も合わせると、行かざるを得ないだろう。


「分かった。リエラ、後で行くから先にこっちの用を済ませてもいいかな?」

「ええ。東リュベイル病院で待ってます」


 そうしてリエラと一旦別れた正一は、マリモの案内で街の中央にある神殿まで来ていた。

 石造りの白い神殿は、膨大な巨体を都市の中心部に下ろしており、その威容は街を守護する番人の様ですらある。

 しかし巨大建造物に見られる市井の人々の犠牲の上に成り立っているという下品さはなく、むしろ富める者も貧しい者も、等しく愛を注ぎ込んだ故に生まれた。そんな印象を抱かせる。

 街を流れる人々がこの神殿の前を通ると必ず足を止めて、一礼している姿からもここに祭られている何かが尊崇な存在であるのだとこの世界の住人ではない正一にすら理解させた。

 ドラゴンが収めていた場所に人々が集まって出来た街。マリモの知り合い。その事実を考慮すると中に居るのは、恐らくマリモと同様の存在だ。

 緊張を唾に絡めて飲み込んで、正一は神殿の入り口らしき門へと近付いていく。すると門を開いて黒い装束を身に纏った男性が正一を掌で制した。


「今竜神様への参拝は出来ない。すまないが出直してはくれないか?」


 やはりこの中にはドラゴンが居る。マリモも、そのドラゴンに便宜を図るように頼むつもりなのだろう。

 だが中へ入れないならそれも叶わない。相手は竜神。謁見出来る機会は限られているのだろう。

 正一が明日出直して来ようかと考えたその時、マリモは何時の偉ぶった口調で軽く言ってのけた。


「竜神に伝えてくれ。狼牙竜が来たとな」

「狼牙……竜!?」


 マリモの言葉を聞いた男の顔は、どんどんと青ざめていった。もしかしたらマリモの行いについて詳細を知っているのかもしれない。

 正一が男にその事を尋ねようとした瞬間、


「大変なご無礼を! どうかお許しを!」


 男は、悲鳴のような声を上げながら神殿に引っ込んでしまった。しかも門を開けっ放しである。

 どうやらマリモの人類を滅ぼそうとしたという話。ドラゴンの神殿で働いている彼がこうも怯えるのだから真実である可能性が極めて高いと判断するしかなかった。

 開け放たれたままの門は、中に入ってくださいと言っているようなものだが、マリモの恐ろしさに慌てて閉め忘れたという可能性もある。

 それに入ったら入ったらで人類の守護竜VS破壊竜なんていう怪獣映画も真っ青な対決が繰り広げられる事もあり得なくはない。

 さらにそのドラゴンの封印を解いた正一に何かの罰を与える事すら考えておかねばならないだろう。

 正一が限られた情報から最善手を吟味していると、マリモは気楽そうに門の中を指差した。


「行くぞ」

「勝手に入っていいのかよ」

「気にするな」


 マリモの反応から察するに、少なくとも神殿の中に居るドラゴンと敵対しているようには思えない。

 先程一分ほど変身していたから今日の残り変身時間は一,二分。もしも敵対している存在と会うならマリモだって万全の状態で会う筈だ。

 正一は、門をくぐり神殿の内部へと足を踏み入れた。そこは人が二人通れるぐらいの狭く薄暗い通路でかなり先の方から鈍い光が漏れている。

 正一は足元を見つつ、壁を伝いながら先を目指した。そうして一分ほど歩いた頃か、ようやく狭い通路を抜けて、今度は開けた場所に出る。

 そこは外観から想像していたよりもはるかに巨大な空間で、正一の目測だが恐らく野球場の倍は広いはずだ。

 その空間の中央に、巨大な樹木が横たわっており、その周囲を先程正一を出迎えた男と同じ衣装を来た人々が数十人は居るだろうか、樹木を取り込む様にして跪いている。

 木を神として祭っている? そんな予想をしていると、マリモは正一の肩から飛び降りて、樹木の前まで跳ねて行った。


「樹牙竜よ、元気にしてたか?」


 マリモが樹木に声を掛けると、乾いた音を鳴らしながら樹木が動き出し、長い幹がマリモの方を向くと先端が割れ、牙を覗かせる。

 割れ目の末端の上に、二つの光点が並んで緑色に光ると、それが旧友との再会を懐かしむような輝きを見せた。


「これは! 狼牙竜様!」


 しゃがれた老人の様でありながら荘厳な音色の声が神殿に反響し、正一の身体にも染みわたっていく。なんと安らぐ声なのだろう。

 樹木と思っていたものは、よくよく見やれば四肢があり、長い尾も付いている。

 枝のように見えていたのは羽や角で、身体が樹木の様である以外には、哺乳類的要素を含んでいるマリモよりも正一がイメージしていたゲームや映画に出てくる通りのドラゴンの姿に近い。


「おお、二百年ぶりにございます……なんとお労しいお姿に……」

「じゃかまかしい」

「失礼を」


 どうやらこの世界のドラゴンというのは随分とノリがいいらしい。少なくとも正一が思っていた恐ろしい怪物の印象とはまるで異なる。

 特にゆるキャラにしか見えないマリモは、普段よりも一層高く跳ねると光の粒子に包まれ、本来の竜と狼が綯い交ぜになったかのような本性を現した。

 その姿を見た途端、樹牙竜を囲むように跪いていた人々が感嘆の声を上げながらマリモの周りを囲むと、樹牙竜の時よりもさらに低く頭を地面に擦り付けている。

 世界を滅ぼうとしたという割には、人間からの信仰は熱いようだ。これが一体どうして人間を滅ぼそうとしたのか、そして封印されたのか、改めて正一の疑問は強くなっていく。

 それでも分かる事は、人々に囲まれたマリモが鬱陶しそうにしている事だ。


「面を挙げよ。そして元の場所へ帰れ」


 いつも通りの尊大な口ぶりだったが、この姿となると迫力の格が違う。跪いていた人々はマリモに一礼すると、散り散りになり、やがて樹牙竜を囲んで再び跪いた。


「樹牙竜よ。すまんが暫し、ここに滞在させてもらいたい」


 マリモの言葉に樹牙竜は、まるで人々が彼自身にそうしているのと同じように深く頭を上げてから答えた。


「もちろんです。あなた様の時が許す限り、ここにおいで下さいまし。もしよろしければ現在の私の座を」

「それには及ばん。俺は、人の上に立って統治するというのがどうも苦手だ。だが根無し草にも根を下ろしたい時がある。そういう時、この街に居させてもらえると助かるのだがな」

「おお、ありがたきお言葉です。狼牙竜様が我が街をお選びになった光栄、身に余りまする」


 樹牙竜が言い終えると、マリモは再び光の粒子に包まれて、いつもの毛玉の姿に戻ってしまった。


「実はちょいと厄介な事になっていてな」


 樹牙竜は、首を下ろし、小さくなったマリモと視線を合わせてから口を開いた。


「ヒュマン地区での噂は、我の耳にも入っておりまする。事前にこの街に来た兵士どもは我に仕える者達が追い返しました」

「そうか。それではしばらく世話になるぞ」

「はっ。してそちらの従者殿は」


 そう言って樹牙竜は、目だけ動かして正一を見つめる。

 優しい瞳をしていて怖さは欠片もないのだが、やはり独特の威圧感があった。


「えっと……俺は」


 上手く口が回らない。全身を鉄で覆われた様に身体が重く、医師の通りに動いてくれなかった。

 マリモの本当の姿と相対した時も、そうして今樹牙竜とこうしている時も正一は実感させられる。

 これが神に等しき存在を前にした自分が、悍ましいほどに矮小な存在である事を。

 答えなければ。答えなければ。考えれば考えるだけ鼓動が高鳴り続け、この場に居続ける重圧を味わうなら、もういっそ死んでしまった方がマシかもしれない。


「俺のボディーガードだ」


 そんな窮地にマリモは助け舟を出してくれる。これほど彼の存在をありがたく思った事はない。

 一方の樹牙竜は、正一がマリモの護衛という事実が咀嚼し切れないのか、胃物価死んだ様子である。


「狼牙竜様の? ですか?」


 しかし樹牙竜は、マリモを暫し凝視してから納得したのか、再び正一に視線を戻した。


「ああ、なるほど確かに魔力がだいぶ制限されているようですな。これでは一日の内に僅かしか元のお姿には戻れますまい」

「ほら言ったろ」


 もはや緊張のせいでマリモの元に戻れる時間が三分だろうが三時間だろうがどうでもよくなっていた。

 そんな正一の心中を見抜いたのか、それとも除いたのか、樹牙竜は先程以上に優しい瞳と声音で正一に語り掛けてくる。


「少年よ、名は?」

「か……要正一です」


 正一が絞り出すように答えると樹牙竜は、微笑みを湛えながら頭を下げて来た。


「カナメ様、我が最愛の心の父にして母なる方をよくぞお守りくださった。ありがとう」

「いや、俺は別に」


 大した事をしていないのは事実だ。精々兵士二、三人を倒して後は森で赤子のように叫んでいただけ。とても助けたとは言える状態ではない。

 しかしマリモは尚も武勇談でも語るかのように、正一の行為を樹牙竜に聞かせた


「封印を解いたのもこいつだ。いや、こいつが居なかった今の俺はここに居ないな」

「なんと。それではここでとにかくゆるりとされよ。ヒュマンの役人どもや共和国政府には私から話を通しましょう」


 樹牙竜は、この街で神と崇められていると同時に、政治的なコネもある。この事実に正一は、マリモがここに逃げ込もうと提案した理由にようやく納得出来た。

 上手くすれば無罪放免。そうでなくてもここに居る限りヒュマン地区の連中も下手な手出しは出来ないだろう。

 この世界に来てようやく得られた平穏の場所。その伝えきれない歓喜に正一はただただ深い一礼と感謝を言葉にするしかなかった。


「ありがとうございます。本当に……ありがとうございます」

「だがそれにはしばらく時間がかかるだろう。それまでは、なるべくこの街か、ドラグン地区を出られない方が良い」

「はい」


 無論ここから出るつもりは毛頭ない。出来る事なら数日は、惰眠を貪りたい気分だった。

 樹牙竜は、自身の従者をぐるりと見回すと、慈愛に満ちた声音で指示を下す。


「お前達。すまないが狼牙竜様とお連れの方の為に、住まいを用意しておくれ」

「御意に」

「あのー。出来れば探偵事務所的な所がですねー」


 どうせだったらわがままになってしまおう。それは思い上がり過ぎかもしれないと警戒する正一だったが、従者の一人は笑みでもって答えてくれた。


「分かりました。ではこちらへ」


 正一とマリモは従者の案内に従って神殿を出ると、歩いて五分ほどの所に建っている煉瓦造りの三階建てアパートを紹介された。

 従者によって中へ招き入れられると正一とマリモは、二階の部屋に通される。

 そこは年季の入った部屋で元々白かったであろう、脂でベージュ色となった壁紙。窓際に置かれた飴色のデスク、その向かい側の左手が入口で右側にはキッチンが見えている。

 確かに古く如何にも急ごしらえで用意された場所だが、手入れは行き届いている様で埃一つなく、むしろ清潔感に支配されているぐらいだ。

 それに適度に古めかしい空気感は、昔読んだ探偵小説の挿絵の情景をそのまま切り取ったようですらあり、得も言えぬ高揚感を正一に与える。


「急だったのでこんな場所しか」


 すまなそうにしている従者に正一は、満開の笑顔を咲かせて瞳のきらめきを撃ち出した。


「いやいいっすよこれ。なんかこう雰囲気? 探偵っぽい!」


 正一の見せる態度が世辞や遠慮ではなく、本音であると悟ったらしく、従者も微笑を返してお辞儀をしてきた。


「何か御用があれば、いつでも神殿にいらしてください」

「ありがとうございます」


 正一も頭を下げ、従者が出て行くのを見送ると、早速と言わんばかりにマリモが声を上げた。


「さて。ここでくつろぎたい所だが、病院に行くか」


 探偵事務所を得られたテンションのせいですっかり一番大事な用事が抜け落ちていた。

 思い出させてくれたマリモに感謝しつつ、正一は頷き答える。


「そうだな。リエラの事も気になるし」


 正一は、名残惜しさを感じつつ事務所を後にし、リエラの待つ病院へと足を向けた。

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