第9話「森の屋敷」
誘い込まれた。
マリモの放った言に正一の混迷は深みを増した。
「嘘だろ……」
正一は、立ち上がってブレードを抜き、ドアと向き合った。
だがマリモの主張を裏付けるかのように、奇怪な生物達がドアを破ろうとする様子はない。
それはつまり、彼等が目的を達成した事より他にないだろう。
結局パニックを起こして敵の良いように弄ばれただけ。外に出て奴等を殺してやりたい。そんな殺意の籠った憂さを正一は足に込めてドアにぶつけた。
「古典的すぎんだろ。なんだってんだよ、まじ!」
「慌てるな」
「むしろ少しは慌てろ! ここは慌てるべき状況だ。だから俺は今慌てる。あああああああああああああああ!」
正一の咆哮が屋敷中に伝わり、木霊となって帰ってくる。全ての想いをとりあえず吐き出せた事で正一の精神に幾ばくかの安らぎが生まれ、改めて自分が逃げ込んだ屋敷の内観を見つめた。
玄関ドアから見て正面に二階へと続く階段があり、その左脇に扉がある。
玄関右手のリビングには薄い埃化粧のテーブルセットが置かれており、その上には食べ残しだったのだろう、茶色に変色したゼリー状の物体がこびり付いた皿が何枚か置かれていた。
空気も全体的に埃臭いが年季が入った家屋独特のカビ臭さはない。正一の左肩で屋敷の様子を眺めていたマリモが訝しんだ調子で口を開いた。
「随分と新しい屋敷だな。こんな物があるとは知らなんだ」
「マリモが知らないって事は、つまり迷ったって事か」
「お前がやったらと走るからな。まったく。パニックを起こすにしても、もう少し品良く出来んのか、お前は」
「品の良いパニックってなんだよ」
「んなもん俺が知るか。さて現在位置も知りたいし、探索でもするか」
「探索?」
正一が首を傾げると、マリモは天井を仰ぎ見た。
「これは明らかに人の手で建てられたものだ。それに森を行くにも地図がないと迷い放題だ。きっと屋敷の現在位置を書いた地図があるだろう」
「人って。こんな場所で人が生きていけるのかよ」
「言ったろう。囚われたら出られなくなると。それでも生き残っている人間がいくらかは居るんだろう。これはその遺物か、もしくは現在進行で使われているか」
「このほこりじゃそれは考えにくいな」
埃の積り方から考えても、数年使われていないという風には見えないが、確実に数ヶ月は人の出入りがあったようには思えない。
もっとも化け物だらけの森だから食料や水を探しに行って戻ってこないというのは珍しくないだろう。
この正一の内心を見透かしたのか、
「まぁ別にここの住人の行方は重要じゃない。じゃあ行くぞ」
マリモの意見も同様であった。
確かにこの屋敷がどれほど安全かは分からない。相手の動きから考えて誘い込まれた可能性が高いのだ。
それでも体勢を立て直すには、うってつけ。怪物が闊歩する外に居るよりはましである。
正一は、リエラの手を取ってから、まず階段左脇にある扉を開けた。
埃が舞い上がり、目と鼻を刺激する。顔に付いたほこりを拭ってから中を確かめると箒やバケツなどが収められていた。ただの物置の様だ。
それからリビングルームも確かめてみたが、先程目についた物以外は特になく、リビングの隣にあるキッチンも覗いてみたが、洗い掛けの汚れた皿しかなく、地図らしき物は見当たらない。
正一はキッチンから出ると、リエラの手を引きつつ、玄関正面の階段を上りながらマリモに問い掛けた。
「なぁ地図がなかったら、どうする?」
地図があるというのはあくまでマリモの予想だ。地図がないという可能性も当然ある。
「その時考える」
だがこれに対する答えをマリモは、まるで当たり前であるかの如く、明朗な声で言った。
端から聞けば、ただの考えなしを自白したも同然。しかし正一が抱いたのは苛立ちではなく、むしろ頼もしくすらある彼の楽観姿勢だった。
「ポジティブだな、マリモ」
「クーゥルゥ! と言ってくれ」
「その発音はやめろ。この状況でシャレにならん」
「お前のネタは良く分からんな。異世界ジョークを使う時は元ネタの解説もしっかりやらんか」
「やめとく。割とこの状況シャレになってねぇからな」
「じゃあ森を抜けたら聞かせろ」
「頭の中覗かねぇのかよ」
「さすがの俺も、毎度は自重するわい」
正一が階段を上り終えて左右に伸びている二階の廊下を見る。廊下の両端には人が通れそうな大きさの窓がそれぞれあり、部屋と思しき扉の数は、八つ。この八部屋の中になければ三階の部屋も探索する必要があるだろう。
「行こうリエラ」
まずは手前の扉から。そう思ってリエラを引っ張ると彼女が単調なリズムで言葉を紡いだ。
「アバルスの鍵が近くにある」
やはり意味の分からない単語だ。もしかしたらマリモが知っているかもと思いマリモを見やる正一だが、マリモは首を横に振っている。
「本格的に脳を犯されてきているな。本人はこれでも正しく答えてるつもりなんだろう」
「いよいよ大ピンチか」
「この森入った時点で人生終わったレベルでピンチだぞ」
そもそもこの森に入ろうと提案した犯人の言葉に正一は、マリモを掌で思い切り圧殺したい衝動に駆られる。しかしこれをいくら言った所で議論が堂々巡りするだけだ。
反論するだけ無駄と判断して、その気が失せた正一は、何も言わずに歩き出す。
それでもやはり燻る激情をどう処理しようかと正一が思案する最中、落ち着きのある優しい香りが屋敷の中が満たされている事に気付き、足を止めた。
「なんかいい匂いがするな」
「香木の匂いだな、これは」
リラックス効果は間違いなくありそうだが、先程の煤の匂いの一件もあり、正一はマリモに尋ねた。
「これは嗅いでも平気か?」
マリモは、こっくりと頷き、答える。
「ああ、これは市販されている香木でリベルシャイの物だ。いい香りだな。頑丈だから建築材に使われる事もある。恐らくこの家の材木に使われたんだろう」
「じゃあこの森特有の物じゃないんだな」
「ああ。その心配はない」
なら存分にこの香りに包まれて心を癒そう。正一がそう考えて音を立てて鼻から空気を吸い込んでいると、マリモが怪訝な顔付きで左目の少し上辺りを撫でていた。
「しかしこの森にリベルシャイが生えているとは考え辛いな」
「じゃあ建築材を外から持ってきた……変だな」
確認の意を込めてマリモを見ると、彼はしたり顔で微笑んでいた。
「確かにな」
正一は、自身の推論が正しい事に確証を得た事でそれを口にした。
「森に囚われたら森から出られない。なら……ていうかそうだよ。掘立小屋ならともかくこんな立派な屋敷、大工でも一人じゃ無理。人材や材料、道具をどこで」
「人間達がここを作ったんだろうな」
マリモの推理に正一も同意した。だがそうなると新たな疑問が生じる。
「目的は何だ?」
こんな化け物だらけの森に好き好んで立派な屋敷を建てた目的。正一に見当の付かない理由をマリモはあっさりと推察してみた。
「調査が一番妥当だろうな」
「いわくつきの森を。ああ、だからか」
「人は、未知に引かれるからな」
煤を探しに来たリエラのように、調査隊はこの森に何かがあると判断した。そしてこの屋敷を拠点として調査をしていたのだろう。
こうなってくるとやはり気掛かりは、何故この屋敷が無人であるかだ。正一は思い当たる仮説を言いながら顎を撫でる。
「じゃあその調査隊は全滅したか、森を出て行ったんだな」
「前者は必然。後者は聡明な判断だ」
「つまりここも安全とは言い切れないってわけか」
屋敷に閉じこもっていれば平気と言うなら屋敷に籠り続けているはずだ。ここも危険と判断したから退却した。それかここに化け物が入り込んで調査隊を殺してしまった。
得策は、いち早くここの森を抜ける事。そして唯一の幸運は、ここが調査隊の拠点だったならこの森から近くの街に抜けるためのルートが書かれた地図があるはずと言う事だ。
「とっとと地図を見つけよう。調査隊なら余計にあるかもしれん」
正一は、マリモの提案に頷きながらリエラの様子を確認する。すると不思議と彼女の瞳に生気が戻っているように感じられた。
この変化が良い方向なのか、悪い方向なのか、どちらにせよ本人に確認をするべきと判断した正一は、リエラに声を掛ける。
「リエラ、大丈夫?」
「……平気です」
受け答えが成立している。
この状況にマリモですら目を丸くして唸っていた。
「まともな回答だな。どう言う事だ」
そう言ってマリモは、正一の肩からリエラに向かって跳躍すると、彼女の前髪を掴んでぶら下がり、瞳を覗き込んだ。
「目に生気が戻ってきている。何故だ」
「マリモでも分からないのか」
正一が尋ねるとマリモは、正一の左肩に戻ってから口を開いた。
「俺もこの森の全てを知っている訳じゃないからな。この屋敷に何かあるのか。他に何か」
マリモが瞳を閉じて、思案に耽り出したので、正一はリエラに視線を合わせて彼女の様子を窺う事にした。心なしか顔色も先程よりもよく見える。
「ここは……どこです……あなたは確か。そうだ。森で会って!」
先程までの状態が嘘のようにリエラの語調が生命力に溢れていく。無論森の影響が進行した可能性も考慮すべきだろうが、少なくとも今は意思疎通が出来る事に喜び、彼女の質問に答えるのが最善であろう。
「まだ森の中だよ」
「……! なら探さないと!」
彼女が煤から受けている影響はまだ抜けていない。もしくは正常に戻った様に見えて結局先程と何も変わっていないのか。
リエラが下手なアクションを起こせば正一を含めた全員を危険にさらす事にもなりかねない。彼女への同情心を練り混ぜながらも正一の吐き出した言葉は、彼女の意志を留める物だった。
「それはやめた方がいいと思う」
「ど、どうしてですか」
「君は覚えてないみたいだけど、さっきまで意識が混濁してたんだ」
「そんな、私は」
「俺と会った直後から今までの記憶が飛んでるだろ?」
正一の指摘に、リエラはそれ以上何も言わずに俯いてしまった。いや何も言えないのだろう。
彼女は、この森の事を恐らく正一よりも知っている。自分の置かれている状況の意味は、察しているはずだ。
落ち込むリエラをどうかしてやりたい正一だったが、どんな言葉を掛ければよいのか、分からなかった。
正一が過ごしてきた人生で今回のような非常事態に遭遇した際の慰めなんて考慮した事がない。
正一もリエラも沈黙を貫いていると、突如マリモが口火を切った。
「この館、森の影響をある程度は緩和するらしいな。おい小娘、今の内に聞かせてもらおう。何故煤を求める」
マリモの問いにリエラは、まるで全身を罪悪感に支配されているかのように俯いたまま、視線を合わせようともせずに答えた。
「あれは、人のどんな願いも叶えると聞きました。だから私は妹を助けたい一心でここへ」
そう聞かされたマリモの視線が鋭さを増す。
「煤が必要な程か?」
「……心を」
リエラの言葉にマリモは、腑に落ちたかのように、穏やかに目を細めた。
「この森に入った事があるんだな」
「ええ……そうだ。ここはあの子が言ってた屋敷?」
そう言ってリエラは、身体をくるりと回して周囲を確認すると、続きを話し始めた。
「妹は、ギルドの調査団に居たんです」
「調査団って?」
正一の問いにリエラは、一呼吸おいてから答えた。
「この森を調査しようとエルクさんという富豪の方が資金を出して調査団を作ったんです」
「どういう目的で?」
「詳細は、極秘という事で妹も話してくれませんでした。でも妹は若いながらもリュベイルの街でも大きなギルド、ガヴァルナギルドに所属していたんです」
正一にその凄さは理解出来なかったが、ギルドの名を聞かされたマリモは、感嘆の声を漏らしていた。
「ほう。聞いた事がある。二百年前にもあった由緒あるギルドだ。お前の妹と言うとせいぜい十四、五か。それでギルド所属とは、確かに優秀だな」
マリモの賛辞を贈られたリエラは、ほんのりとした笑みを零した。出会ってから初めて見せた笑顔は、あまりに美しく、正一の心を容易く囚われてしまう。
しかしそんな事を知る由もないリエラは、そのまま続けて言った。
「その腕を見込まれた妹は、エルクさんに雇われたんです。そして半年の調査を追えて先週帰って来たんですが」
「壊れていたのか」
無遠慮な言い方に正一がマリモを睨みつけるが、悪びれた様子は微塵もない。一方のリエラはと言えば、曖昧な感情を隠すかのように微笑を浮かべていた。
「あの子は、姉である私ですら認識出来ませんでした。それに私も妹とは思えなかった。あまりに違い過ぎて」
「それで妹を治せるのが煤だけだと考えた訳か」
「はい……」
事情は分かったがそれでも疑問は残る。正一はそれをぶつける事にした。
「どうしてその煤なら治せると?」
「正一、そこがソイペーストだ」
「あ!?」
いい加減ネタにするのも鬱陶しいマリモの言葉遣いを怒気を込めて咎めると、マリモは渋々と訂正してきた。
「……そこがミソだ」
「よろしい」
正一が満足げに頷いているのを横目に見ながらマリモは、語り出した。
「つまりは、煤の事について知ると、そういう発想の飛躍が起きる。そしてこの森に引き寄せられる」
「つまり森に人が入れば入るだけ被害者は、どんどん増えていく。上手い仕掛けだな。なぁ何度も言うけど、なんでこの森を抜けようと思ったんだよお前は」
「人間に追われるよりはましだと思ったんだ」
どこがマシなのだろうか。ドラゴンの危機観念に辟易としながら正一は吐き捨てる様にして言った。
「人間の方が万倍マシだろ」
「それはお前が人間だからだ」
あっさりと言ってのけたマリモだったが正一は、脳髄を串刺しにされたような錯覚すら覚えた。
「お前、そんなに人間が危うくないとでも?」
マリモは怒っている訳ではない。それは分かる。憎悪を正一に向けている訳でもない。それも分かる。だが得も言えぬ感情の籠ったそれに正一は言葉を失っていた。
「俺は、別に……」
何も言い返せない。反論の余地はない。そう確信させる迫力がマリモの言葉にはあった。
「俺から言わせれば人間もこの森もどっこいどっこいだ」
しかしマリモから伝わってきたそうした感覚は、既に左肩で微笑みながら茶化した調子で喋るマリモからは感じられなかった。
「意地の悪い言い方するな」
だから正一のいつもの調子で返す事にした。それに答えるようにマリモもいつものように笑みを浮かべている。
「性分だ。許せ」
きっと今の話題は、これ以上足を踏み入れてはいけない領域だ。そう判断して正一は話題を変える事にする。とにかく今はどんな話題でもいい。
「じゃあお詫びに、質問に答えてくれ」
「お前は知りたがりだな。煤や、この森の事なら何度も言うが」
「ちげぇよ。煤の事じゃない。この屋敷、どうして入った途端に影響が薄れたんだ」
これは、正一自身、実際に気になる点だった。正一もこの館に入ってからは精神的に落ちつけているし、リエラに至っては劇的な改善である。
そんな正一からの疑問をマリモは、正一の左肩に乗ったまま周囲を見回しつつ、口を開いた。
「調査団の功績だろう。建造の際、腕の良い魔導師が結界をかけたんだ。だから影響が薄れている。小物は入って来られないだろう」
「じゃあしばらくは安心出来るな」
小物と言う事は、大物だったら入って来られるのだろうが、そう都合よく大物が襲って来るとも限らない。
そんな希望的観測をマリモはまるで読んでいたのか嘲笑うかの様に、破顔した。
「いや。これがまたそうもいかなくてな」
「どういう事だよ?」
「この森にはな。小物なんていないのさ」
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