第5話「実戦」

 時に路地を、時に通りを歩きながら正一は、イベルンを抜けるべく街の出口へと向かっているが白い軽装鎧を着た兵士たちがあちらこちらを巡回している。

 慣れた土地ならいざ知らず、正一にとって初めて来る場所で土地勘なぞ全くない。

兵士たちに見つからないよう、行き当たりばったりで動くのが精々である。


「なぁマリモ、この街の地理分かんないのか?」

「あまり街に入った事はないからな。それに俺が居た頃と随分変わってしまっている」


 左肩で尚も尊大な口ぶりを貫くマリモであるが、発言内容を合わせると威厳も何もあった物ではない。

よくこの状況で態度を崩さない物だと呆れ半分尊敬半分に正一は溜息をついた。


「おいおい。じゃあどうやって脱出すんだよ」

「スニーキングだ」

「簡単に言うな」

「しっかりしろ。ボディーガードだろ」


 生憎と数々のミッションを成功させた伝説の傭兵でもなければ、歌姫の為に身体を張れるベテランボディーガードでもない。

 マリモの求めるあんまりなレベルの高さに、正一は顔を手で覆った。


「赴任初日の新人がやる仕事じゃねぇよ、こんなもん。ベテラン連れてこい。ベテランを」

「そうは言うがな。この街を脱出した後の方が問題だぞ」

「なんで?」


 正一が尋ねるマリモは、鼻を鳴らした。


「リュベイルに行くためには北にある『森』を抜けねばならない」

「森?」


 首を傾げる正一にマリモは、楽しげににんまりと笑みを零した。


「ただの森じゃない」

「どんな森なんだよ」

「名はない。誰も付けなかった」


 もったいぶった口振りが苛立たしくて正一が眉間を寄せる。。


「どうしてだよ」

「森の事を考えるだけで精神を汚染されると言われるぐらいいわくつきだ」


 曰く付きどころか確実に呪われている。そんな場所を抜けなければならないという事は、イベルンとリュベイルを隔てる壁は、信仰だけではないらしい。


「リュベイルとこの街って交流あるのか?」


 素朴な疑問だった。

 マリモの話を聞く限り、行き来も出来ず、価値観も違う。二百年前には人類存亡の危機にすら杯を別った。

 現状どんな関係なのかを聞きたかったのである。

 それに対してマリモの答えは、淡泊な調子で紡がれた。


「あるぞ。むしろ互いにあらゆる取引の最大手だ」


 随分得られた情報から推察できる状態とは違う関係だ。


「え、だって森を抜けないといけないんだろ」

「いや別に。安全な街道を通ればいいからな。飛行船を使えばもっと早い」


 じゃあ何故その安全な街道を通らずに、飛行船にも乗らずに、あえて修羅の道を行こうというのか。


「なら俺達も」

「こっちは追われてる身だぞ。各所にある検問所や空港には、既にお前や俺の情報が行ってるはずだ」


 これに関してはマリモの言う通りだろう。イベルンの厳重警戒を見てもマリモはバルツ共和国政府にとって、相当な危険因子だ。

 それをむざむざと逃がす真似をする程、この世界の司法機関も甘くないだろう。


「その森を行くしかないのか」

「行くしかないな。陸路なら最短距離なのは間違いないし」


 詳細は聞いていない。マリモとも短い付き合いだ。

 それでも、あのマリモがわざわざ忠告するぐらいの場所が安全であるはずがない。

 そういう点に関して正一は、マリモに全幅の信頼を置いている。嘘もついている素振りはない。

 このままイベルンに居てもいずれ捕まり、それこそ絞首か、斬首か、電気椅子か。なんにせよ死刑台が待っているのは確かである。

 異世界人であると主張しても信じてもらえないだろうし、もらえた所で情状酌量してくれる保証もない。

 今正一が頼れるのは左肩でこの状況を楽しんですらいる人格破綻した毛玉ドラゴンだけなのだ。


「いざという時は守ってくれるんだろ?」

「まぁそれなりにはな」


 飄々とした返しが正一の不安を煽り立てた。そしてこれが困っている姿を見たくてわざとやっている。そう推理した正一は、カミソリのような眼光をマリモに突き付けた。


「言っとくがさっきは助けたぞ。一回は一回としてちゃんと返せよな」

「分かった。俺もお前に死なれるのは具合が悪い」


 ニヤニヤとしながら言われても真意を測り兼ねるが、今はそれよりもこの町を抜ける事の方が先決だ。


「じゃあまずは、街を上手い事抜けないとな」

「そうはいかんぞ少年」


 男の声に正一の意識が強張った。聞き馴染みのない声である事もそうだが、声音に微かな殺気が混じっている。

 石畳を蹴り、正一は後方へと飛び退いた。理性的な行動でも思慮による物でもない。動物的直観・本能、そう言った部分が送るシグナルに肉体を委ねたのだ。

 そしてそれが正解である事を悟りながら正一は、両の拳を握り固めて構える。

何故なら先程まで正一が立っていた場所は、白装束の男の剣で貫かれているから。


「それなりに腕は立つ様だ」


 女と見紛う美しい顔をした男だった。しかし体躯は顔立ちと反比例するかのように鍛え上げられているのが服の上からでも分かる。年の頃は正一よりも一回り上だろうか。

 特に印象的なのは、肩まで伸びた桃色の長髪だ。しかし不思議な事に自然ではありえないはずの髪色なのに、不自然さがない。

 恐らくはこの世界ではこういう髪色も生来の物なのだろうと、そう思わせる。

 だが問題なのは、この男が一体何者なのかだ。

 ――なんだ?

 最初に相手をした髭面や痩せ男、そして街にあふれている鎧姿の兵士達とはまるで違う。格という物がまるで別の場所に存在している、そんな印象だ。

 男は、石畳に突き刺さった剣を抜くと、切っ先を正一に向けてくる。


「共和国軍・特殊作戦部アラン・クーヘン。貴公は?」


 間違いない。正一が叔母と真剣に立ち会った時のみ感じた空間や雰囲気。


「町人、その一かね」


 紛う事なき強者なり。


「その体捌きでは、通じん洒落だ」


 視界に飛び込んでくる桃色の筋は、疾風すら追い越し、雷光の如く正一を捉えんとする。

 常人では到底対応出来ない。

 人間の持つ反射神経では、影を見る事すら出来ずに闇へ落とされる。


「今のも避けるか」


 ――なんだこれ。

 死すら覚悟した。なのに正一は、アランの刺突を、身体を捩ってかわしていたのだ。

 アランが微笑すると剣先が翻り、正一の眉間を目掛けて猛進する。

 ――時間が固まっていく。

 その様を、達人の業を、正一の視覚は的確に捉え、状況を正確に判断した脳が回避行動を指示してくる。

 見切れる。まるで見切れない筈の攻撃を。正一では、否人間では対応不可能な速攻を。

 もしかしたら今なら出来るかもしれない。

 アランの攻撃の戻り際。次弾を繰り出すまでに発生する極小の隙。

 そこを狙ってこちらから打って出れば――。

 ガラ空きになっている顔面。狙い澄ました左拳を正一が打ち放つ。

 並みの拳速ではこちらがカウンターを喰らう筈。だがそうならない自信が正一にはあった。

 そして確信通り左拳は、アランの顔面に突き刺さり、彼を大きく後退させる。

 その凄まじい手応えは、ある種の快感となって正一の身を震わせた。

 対するアランは、両方の鼻腔から血を流しながら数瞬呆気にとられた顔をしていたが、すぐさま立ち直り、血を拭ってから構えを取り直している。

 打撃力もスピードも桁違いだ。人智を超えた理想形。武の理想像。自身で体現する日を幼少の頃から空想する事もあった。だが夢想が現実になると思えたのは、ただの一度もなく、形となった現状に眩暈すら起こしかねない。


「この若造が。なるほど。仕事ではどうにもならんか」


 背筋をせせらぎの様に汗が流れた。次第にじっとりとした温度を持ち、油のような粘り気を帯びて、脳髄を直感が刺す。

 空気が変わったのは錯覚ではないが、そうであると信じたいほどだった。それほどの変容をアランは見せたのである。

 同じ人間が放てる種別の気ではない。けれど体内にそれを内包していたのなら、間違いなく彼は、紛いなき本物だ。

 正一は、叔母の言葉を思い出す。

 いざという時は、迷うな。手段は、問わずに敵を討て。

 命をくれてやるのなら殺しの業を背負って生きろ。

 微かな苦痛の死を選ぶより、永久なる地獄の生を選べ。

 そしてそうと決めたら迷わず殺せ。

 腰から下げたショートブレードを正一は、鞘から引き抜いた。シャランと刃と鞘の擦れる音は、傍からすれば耳心地が良い。

 けれど正一には、覚悟を突き付ける音色でもある。今からする行為に対して。

 取るなら先手だ。それしかない。迷いを見せれば付け込まれる。

 そんな正一の選択は、愚直とも言える突進だった。ただ正面から真っ直ぐに懐へ飛び込む。通常であればカウンターの格好の餌食だが、そうされない自信が正一にはあった。

 今の自分なら出来る。そう確信しての圧倒的初速は、アランをもってしても知覚する事の叶わぬ極致。

 おぞましい程の速攻、その起点となる左の掌底がアランの顎を身体ごと跳ね上げる。続く二撃目、相手の足が地に付くより速く正一は、ブレードを逆手に持ち替え、柄の先端を鳩尾に捻じ込んだ。

 鈍い衝撃にアランは、背中をくの字に折れ曲げながら両膝を石畳に付ける。鳩尾を押さえながら止めどなく嘔吐を繰り返し、一回りも年下の少年に見下ろされている。

 騎士としての屈辱よりも、今のアランを支配するのは、畏怖と尊敬であった。

 この男にやられるのならば悔いはない。そんな覚悟と共にアランは意識を手放し、闇に沈む事を受け入れた。

 敵前での気絶。致命の無防備。そんな相手を前にして正一の胸中は揺れていた。

 昔、叔母から授けられた掟がある。

 中途半端は、やめろ。

 確実に相手の息の根を止めろ。

 それが出来ないなら最初から戦う選択はするな。

 半端に生かせばこちらの情報を多分に与える事になる。抵抗の有無は関係ない。戦うと決めたら、それがどんなに愛しい相手でも確実にとどめを刺す。

 それが叔母の教えた掟だった。

 正一を冷血に育てようとしたのではない。命の重みも同様に教え込まれた。

 そうでない人間に、命の重みを知らぬ人間に、命を奪う資格はない。それもまた叔母の言葉だ。

 そしてこうも言われた。一度殺せば引き返せない。

 しかし異世界に迷い込むという不条理の中でも生きる選択を正一は選んだ。だったらやるべき事は、この男の命を奪って業を背負う以外にない。


「やめておきなさい」


 振り下ろされる切先を留めたのは、女神と見紛うしとやかな声音だった。その持ち主は、正一の左肩に乗り、父性に満ち満ちた目を細めている。


「これを殺すと厄介な事になるぞ」


 マリモはずるい。きっと頭の中を覗かれたせいなのだろう。本能的に正一が欲している言葉をぶつけてくる。


「お前に武芸を叩き込んだ人物は、良い師だったようだが、その意を曲解しているぞ」


 彼女の何を知っているのか。思わず生じた怒気を込めて左肩のマリモを睨むが、すぐに怒りは萎えていった。


「彼女は、誰構わず殺せと言ったわけではないだろう。これを殺せばいよいよ後には戻れなくなる」


 マリモの瞳を見れば分かる。彼は、真摯に正一と向き合っている。その想いを汲み、身を案じている。


「でも逃がせば」


 ここで逃がせばアランは、正一の戦闘力を始めたとした様々な情報を他の兵士にも伝えるだろう。それに彼の名乗りが本当なら相応の立場であるらしい。これを倒したという事実も軍からすれば面白くないはずだ。

 もちろん出来れば殺したくはない。何も積極的に人の命を奪いたいという訳ではないのだ。だが自分の命を守るためなら。

 天秤の針が揺れていた。どちらにも傾き得る。自分の判断を信じるのか、マリモの言葉を受け入れるのか。


「どうすればいい? 俺は……」


 正一は、尋ねた。マリモなら答えを知っているような気がして。答えをくれる様な気がして。


「俺がお前に言える事は、最善手を打ち続けろ。だ」

「最善……」


 この状況における最善とは何なのか。

 殺す事か、生かす事か。

 自分の感情を守る事か、掟を守る事か。


「少なくともここでやめておけば、咎めの回避もあり得るぞ」


 少なくとも殺さなければまだ希望はあるのかもしれない。これから行くドラグン地区やリュベイルは、ドラゴンを信奉している。マリモが口を聞いてくれれば、庇い立てしてくれるかもしれない。

 ドラゴンの封印を解いて助けたという点が考慮されるかもしれない。共和国とは言え、マリモの言葉通りなら地区ごとの特色というのは無視出来ないし、ある程度尊重される物でもあるようだ。


「分かった」


 そう言って正一がブレードを鞘に収めると、マリモが左肩から飛び降りて口からロープを取り出した。

 それで手早くアランを雁字搦めに縛りあげると、マリモが正一の左肩に戻ってくる。


「じゃあ逃げるぞ」


 先程の威厳や温かさはどこへやら。いつも通りの気楽で尊大な調子に戻ったマリモが言った。

 確かに、ここに留まり続けるのは得策ではない。アランが帰らない事を心配して仲間が探しに来るかもしれない。

 正一は、大通りに通じる方向に背を向けて路地を走った。少なくとも通りにはどこも兵士がうようよしている。路地も当然兵士が居るのだが、通りに比べれば身も隠しやすい。

 今の正一が取れる行動は、とにかく北へ進む事。敵の視線を交わし、警戒を避け、進み続けるしかなかった。

 しばらく進むとT字路に差し掛かり、正一は足を止める。方角的には左の道が北であるが、どちらに進んでも兵士が待ち受けている可能性もある。

 正一は耳を澄ませた。軽装とは言え、兵士たちは鎧を付けている。近くに居れば否応なしにその音が鼓膜を揺らすはずだ。

 幸いにも金属の擦れるような音は聞こえない。正一は、顔だけ曲がり角から出して左右を確認し、誰も居ない事を確かめると左の道を進んだ。

 またしばらく進むと左への曲がり角に突き当たった。恐らくこれを進むと通りに出てしまう。今来た道を戻るのが最善かもしれないが、通りの様子を確認しておくのも状況把握のためには悪くないだろう。

 正一は、足音を殺しながらそれでもなるべく早足で路地を進み、壁に背を預けた状態で通りの状態を窺った。

 通りには、溢れんばかりに兵士が居り、街の外へと続く道は、完全に封鎖されている。


「あの向こうが森だ」


 マリモが声を上げた。あそこが目的地へと続く道と言う訳である。中々に困難と言わざるを得ない。


「つっても。うまく抜ける方法が……」


 ここに来て正一も万策尽きたと言わざるをえない。

 まず通りとは言っても町の人々の姿はなく、兵士しか居ないのだ。

 マリモ曰く危ない森であるらしいから一般人はそもそもこちらにはあまり来ないのだろう。人込みに紛れるという作戦は使えない。

 それなら強行突破は、と言えばそれも不可能だろう。敵の数は、目測で数十人。とてもではないが突破出来る数ではない。

 何食わぬ顔をして通るというのは論外だ。確実に捕まるだろう。

 服は着替えているから一瞬なら誤魔化せるだろうが、この世界の住人はみな西洋人っぽい顔立ちをしている。日本人丸だしな正一が出て行ったら顔立ちですぐにばれてしまう。

 それでも今まで思い付いた作の中ではこれが一番無難かもしれない。運を天に任せるわけだが、一般人と一瞬でも勘違いしてくれれば隙に付け込み、あわよくば突破の可能性もある。


「何食わぬ顔でってのは……」


 マリモに自身の提案をぶつけてみると、さしものマリモも顔色を曇らせてしまう。


「服装は、ともかくお前の顔立ちは目立つからな」

「イケメンだからな」

「いやそうじゃなくてな」

「え」

「いや。え、じゃなくてだな」


 どうやらドラゴンには人間の美醜を判断する機能が備わっていないらしい。


「お前、今失礼な事考えたろ」


 これ以上話を続けるのも厄介だと思った正一は話題を戻す事にした。実際ふざけている余裕はないのだから。


「それでドラゴンさん。どうやって抜けるんだよ」

「ダッシュ?」

「自殺願望でもあんのか?」

「何をトークか。俺程生存本能が強い奴も居ないぞ」

「じゃあ妙案を授けろ」

「そうは言うがな。こっちがフォレストに行く事を見越している」


 向こうも馬鹿ではないという事だ。こちらの狙いを恐らく最初看破していたのだろう。人込みのないところなら正一の姿も探しやすい。もしかしたらしてやられた可能性もある。

 とは言っても街道へ向かった所で結果は同じだろう。無事抜けられてもマリモの言う様に検問で捕まるのが精々なオチだ。

 正真正銘策が尽きた。正一を諦めが支配しようとした時、ふと妙案が思い浮かんだ。左肩に乗っている毛玉の真価を発揮してもらえれば。そんな期待を胸に正一がマリモに声を掛けた。


「今こそいざという時なんじゃねぇの?」

「仕方ない。一か八かってところだが、お前さんの才に賭けてみるか」


 思わぬ提案に正一の眉が下がった。


「俺の?」


 正一が自身を指差してみるとマリモが力強く頷いた。どうやら本気で言っているらしい。


「まずは魔力だ。身体に流れる力を知覚しろ」

「はいよ」


 そう言って正一が瞼を閉じると、マリモが意外そうな声を上げた。


「急に言うなとか言うと思ったぞ」

「四の五の言ってらんねぇだろ」


 この状況で出来る出来ないを論じている暇はない。やるか、やらないか。この二つを突き付けられたら前者を選択する以外にない。

 魔力。髭男と痩せ男を殴った時、そしてアランとの戦闘中に感じた力だ。自分の限界を容易く超えさせてくれる力。その源は体内にある。

 力が身体を流れると言うなら、きっと心臓の辺り。血流と一緒に魔力も体を駆け巡っているはずだ。

 そんなイメージを固めていくとともに正一の身体から痩せ男を殴った後のように蒸気のような物が身体中から立ち上り始める。

 自分の身体から得体のしれない物が溢れる恐怖はあった。しかしそれ以上に自分の力で何が出来るかという好奇心が勝ったのである。


「いいぞ。そうしたらそれを指先に集めるんだ」


 この力は、身体を流れる。身体を巡る力が指先に流れ込み、溜まっていく。

 身体中が溢れていた魔力は収まり、湧いたやかんの蒸気のように激しい魔力が指先の身から噴き出した。


「その性質は光り輝き、轟く。決して人を傷つける力ではない」


 マリモの言うとおりに自分の力の性質をイメージしていく。そうすると激しく燃えるようですらあった魔力は、やがて緩やかな光へと変じ、正一の指先で柔らかな光球へと姿を変えた。


「その力を矢の形に整えるんだ」

「どうやって」

「自分の力は、粘土のような物。伸ばせもするし、細くも出来る」


 矢の形。それは鋭く、細く。全てを射抜く。心を落ち着け、矢の具現にのみ意識を向けると光は、まさしく矢を形取り、正一の手に握られた。

 それを見たマリモは、自分の事様に偉ぶった顔をしてみせる。


「やはりな。お前の魔力は、形成と放出向きだ。しかしぶっつけで成功するとは中々やるな」

「こういうイメージトレーニングは良くやらされたからな」

「よし。弓を展開しろ」


 ベルトに取り付けてある折り畳み式の弓を手にすると、持ち手についているトリガーを引き、弓を展開する。


「当たると同時に走り出せ」


 そして手にした矢をつがえ、たむろしている兵士たちの足元に撃ち込んだ。その瞬間、網膜を焼き尽くさんばかりの猛烈な閃光と破裂音が周囲を包み、兵士たちの五感のうち二つを奪い去る。

 ――今しかない!

 覚悟を決めて正一が路地から飛び出した。

 この瞬間に駆け抜ける以外にチャンスはない。

 最初は何名かの兵士に襲われるかと思った正一だったが光と音の洗礼は、彼等の戦意を根こそぎ奪ったらしく、目と耳を押さえ、蹲ったままである。

 絶対に追ってこない。

 その確信を抱いて正一は、イベルンの街を抜け出して、ようやく目にする事が出来た目的地、『森』を目指して舗装されていない道を走り続けた。

 まだ距離は離れているが、既に黒い木々が生い茂っている様は、見て取れる。尋常でない事は察しが付くし、マリモ自身そう言っているのだから安全な場所とは言えないはずだ。

 正一は、一旦振り返って追手が来ていないかを確認する。だが想像通り、人影は一つもないし、今後追手が来そうな気配はない。

 マリモの言う通りなら追手が来るにしても後ろからだし、そもそも森に入ろうと言う人間に対して追手が来る事もないだろう。

 ペースを落とす事なく走り続ける正一だったが、鼓動の高鳴り続ける心臓とは裏腹に、心は冷静であった。

 追手が来ないという安心感。それだけでも街の中でジリジリとしていた数分前よりどれほどよいのか。

 そしてようやく森の入り口に差し掛かったところで、


「来たぞ!」


 正一の安堵を突如打ち砕く男の声。聞き覚えのない声を受けて、進行方向に目を凝らすとアラン同様の白い装束を着込んだ男が三人、剣を構えて正一に向かって来ていた。


「やべぇ!」


 正一が足を止めて迎え撃つ事を決めた瞬間、マリモの声が上がった。


「叩きのめせ!」

「でも!?」


 相手は三人だ。服装から考えてもアランと同格。さすがに三人相手に真っ向からでは分が悪すぎる。


「お前ならあの程度やれる。迷うな!」


 この状況で茶化しや嘘を付くわけがない。本当に出来ると思っているからマリモはそう言っている。きっとそのはずだと正一は腹を決めた。

 イメージするのは、矢を作った時と同様の感覚、身体に流れる力を良拳と両足の裏に集める感覚。そして踏み込みの瞬間、蹴り足から魔力を放てばアランと対峙した時よりもさらに速くなれるはず。

 正一は、踏み出す瞬間、足元で魔力を炸裂させた。その推進力は、正一の身体を限りなく音速に寄り添わせる。

 突然の強襲、敵の三人は呆気に取られている。正一は、魔力を込めた両拳を左右の二人の顔面に叩き込んでから身を翻し、真ん中の男の鼻っ面に裏拳を見舞った。

 三人の身体は、抵抗する間もなく地面に倒れ、正一は踏み込みの勢いのまま走り続け、森の中へと消えていった。

 唖然として少年の背中を追う三人の男達。だがその意識は街の咆哮から来た聞き馴染みのある足音で取り戻された。


「隊長!」


 自分達と同じ白い装束に桃色の長髪。見間違う筈もない。三人の大将、アラン・クーヘンの姿だった。


「森に入ったのか」


 三人は、アランの足元に跪き、内一人が口を開いた。


「追いますか?」

「やめておけ。お前達を失う訳にはいかない」


 どこか惜しそうなアランの口振りが気になって三人は同時に顔を上げる。


「どうかされたのですか?」

「あれは紛れもなく天賦に愛された少年だった。この森で果てるのが堪らなく惜しいのだ」


 そう。あの少年を飲み干した黒い森の様は、怪物が口を広げている姿にも見えた。

 しかし確実視されている事実が一つある。

 少年の命が果てようとも伝説通りならもう一方は存命するかもしれない。たとえ邪神の憤怒の烈火に晒されようとも。


「封印場所に居た兵を呼んできてくれ。詳しい話を聞きたい」

「それが……どこへともなく消え去ったとか」

「なに? どういう事だ」

「そもそも……あそこを警備していた者の記録はないのです。あそこには警備兵など配置されていないのですから」

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