第3話「少年の憂鬱」

「それにしてもまずは金を作らないとか」


 イベルンに来て数時間。正一は、広場のベンチに腰掛けて強張った足の筋肉をほぐしながら街行く人の群れを眺めていた。

 正一の現在の服装は、夏期講習への通学途中であったため、学校指定のシャツと学ランのスラックスという出で立ちである。

 ここが日本なら何の問題もないのだが、生憎と異世界のバルツ共和国に居るのだ。

 当然目立つ。実際街行く人々の視線が定期的にチラチラと突き刺さる。この町に住んでいる人々の服装は男性の場合、シャツとズボンと字面だけなら正一と同じだ。

 しかしシャツとズボンのデザインは、正一の着ている物と比較して一世紀~二世紀程度昔風に異なっている。きっとポリエステルなんか一パーセントも配合されていない。

 この世界に溶け込むためには、まず服などを変えねばなるまい。追われている事も考えると一石二鳥だ。

 だが問題もある。この世界の相場は分からないが服を一式そろえようと思うと決して安くはすまないだろうという事だ。

 正一の手持ちは、もちろんゼロ。

 どんな仕事をしてもそれだけ一日で稼げるか微妙なラインであるし、そもそもこの世界の事を何も知らない正一では出来る仕事も限られる。

 正一を縋り様に左肩でくつろいでみるマリモを見やった。


「マリモ、楽に稼げる仕事はないかな」

「労働は、人間の義務だ」


 人類を滅ぼそうとしたドラゴンという割には、随分人間目線に立った至極真っ当な答えだ。

 いっそ浴びるように金塊を生み出してくれたり、財宝の隠し場所でも教えてくれるのを期待していたが魔法のある世界でも現実は切ない。人間の本質は世界を跨いでも変わらないのだ。


「イヤナ義務ダ」

「楽して暮らしたいか?」

「ああ、楽して暮らしてぇよ」

「緩慢と怠惰は、精神を殺すぞ」

「いや俺の精神は、特に頑丈に出来てるから耐えられる」

「頑丈なら労働にも耐えんかい」


 まるで叔母が傍にいるような感覚だ。彼女がこの場に居たらきっとマリモと同じような事を言うだろう。


「うるせーな。お前は俺のおばさんか」


 正一がそう言うと、マリモは不服そうに唇を尖らせた。


「俺は男だぞ」

「オスだったのか」

「声音で察しろ」


 察したら金貨でもくれると言うならいくらでもそうするだろう。

 けれど世の中、そう簡単に金を得る手段などあるはずもなく、地道な労働が一番の近道という事かもしれない。


「でも皿洗いから始めるか?」


 追手が居る以上同じ場所に留まり続けるのも良くない。手っ取り早く金を手に入れてこの町から移動した方がいいだろう。

 結論が出れば行動あるのみ。

 正一が近場にバイト募集でもないかとベンチから立ち上がるとマリモが口を開いた。


「働くにしても情報を得られ、武器を持ち歩ける仕事にした方がいい」

「どういう事だよ?」


 正一が首をかしげるとマリモは、やれやれとでも言いたげに身体を振った。首がないなりに首を振っているつもりなのだろうか。


「忘れたか? お前は俺のボディーガードだ。さっきの連中は死んでるわけじゃない。俺の封印が解けた事は、共和国政府に伝わるだろう。何百年も前で半ば逸話と化していた存在だからあの手薄な警備だった。だがこれで二百年前から続く伝承が本物だって世間に知らしめた訳だ」

「お前、なんて大変な事を」


 つくづくどうしょうもなく厄介な事をしょい込んでしまった。辟易とする健一を尻目に、マリモは左肩で飛び跳ねながら牙を剥き出した笑顔を見せる。


「俺の封印を解いたのはお前だぞ。それに連中をのしたのもお前だ。いくらなまくら相手でも素手は辛かろう」

「でも魔法が使えるんだろ」

「フール。素質があると言ったんだ。一朝一夕で使える訳がない」


 一朝一夕で使えたらこれほど楽な事もないが、やはり現実は、努力に優しく怠惰に厳しい。

 正一が肩を落とすとマリモが落下しまいとシャツの肩口に齧りつきながら言った。


「この世界で武器を公に持てる職業は限られている。まずは軍だな。まぁ却下だが」

「そっか。自分を追ってる奴の懐に入るわけいかないもんな」

「次にギルドに所属するって手もあるな。開拓者ってやつだ」

「おお、なんかゲームの主人公っぽい」


 それらしい響きに男として部分をくすぐられるが、


「だがこいつも報酬関連でお役所とのやり取りも必要になる。第一即戦力の腕っ節が無けりゃあは入れないしな」


 マリモの補足は、残酷だった。


「じゃあどうすれば」


 兵士もダメ。開拓者も無理。こうなってくると皿洗いがやはり妥当か。

 正一が諦めかけた時、マリモが光の様な眩い単語を放ってきた。


「も一つあるぞ。探偵だよ」

「探偵?」


 これほど男心をくすぐる言葉があるだろうか。これども甘美でダンディーな響きがあるだろうか。

 少年らしい輝きを取り戻した正一に、マリモは微笑ましげに続けた。


「ああ。情報屋とも言うがね。様々な情報を入手する仕事さ。ギルドから依頼を受けて特定の事象に対して調査したり、そして護身用に武器の携帯も認められている」


 異界の地で相棒の怪物と探偵業を営む少年。美しい依頼人を守るため武器を右手に、魔法を左手。迫る巨悪を打ちのめす。

 これほど日本人男子のストライクゾーンを打ち抜く職業があるだろうか。いや間違いなくこれが究極にして至高。唯一無二のお仕事だ。

 だが探偵という響きに対して正一の感情はやがて現実味を帯びていく。

 日本の探偵は届け出れば、事務所を開業出来たはずで特別な資格も必要ない。しかしこの世界の探偵は軍人や開拓者のように武器の携帯許可が与えられているようだ。

 それならば当然、誰でも勝手に探偵を名乗れるものではなくて、特別な資格が必要なはず。

 この気掛かりについて正一は、マリモに尋ねた。


「でも資格とか必要だろ」

「心配いらん」


 そう言ってマリモは、口を大きく開けると豆粒のように小さく短い腕を喉奥へと押し込む。

 何をしようというか見当もつかない正一であったが、マリモが大きくえづいた瞬間、名刺サイズの紙片を口内から取り出した、


「なんだ!?」

「あーきもひわるい。ほれ、探偵のライセンスだ」


 マリモからライセンスを受け取って眺めると、見た事もない文字が書かれているが、これもマリモの魔法の効果なのだろう。何が書かれているかは理解出来る。

 そこには正一の名前と年齢。国歴一三五年・七月十二日生まれというのは、この世界の年号に合わせた正一の生年月日だろう。

 誕生日の方は実際の誕生日と一致しているので、どうやら一年が十二ヶ月なのは、地球と同様らしい。


「これは?」

「偽造した」


 正一の問いにマリモは悪びれる様子も微塵も見せなかった。追及するだけ無駄と判断して、正一は解説を求める事にする。


「どうやって」

「この状態でもこれぐらいの魔法は使える。まぁ人間では逆立ちしても出来んだろうがな」


 この数時間で掴んだ人格から推測するにマリモは、自分の自慢をする時に嘘を付くタイプではない。ありのままの事実を言ってそれが如何にすごいかを誇示するタイプだ。

 無から有を作り出すというのは、たとえ紙切れ一枚でもとてつもない事だろう。それが人間に出来ない事も事実のはずだ。

 しかしそんな人間に出来もしない事を息を吸うようにできるマリモが人間に守ってもらわないとならない存在という点について疑問の余地が膨らんでくる。


「お前この状態でも強いんじゃないか? やっぱ俺を騙そうと」


 正一の疑念に、マリモは間髪を入れなかった。


「この状態で強いならあの兵士どもはとっくに殺している。こういう生産系の魔法と戦闘系の魔法では質が違ってな。この状態ではその手の魔力は扱いにくい」


 そしてマリモには必ず裏があるが、少なくともこの発言で嘘は付いていないと断じる自信が正一にはあった。

 目を見れば分かる。可愛いなりをしていても目が醸し出すのだ。この怪物は、人間が息をするよりも容易く他者の命を奪えると。そういう特有の冷徹さがある。それはまるで叔母が時折見せていたそれのように。

 初めてマリモの事を怖いと正一は思っていた。そしてこの感情すらもマリモは感じ取っている事も。


「さてっと、武器を手に入れたら東にあるリュベイルという街に行こう」


 どこまで信頼すべきなのか。少し距離が近付いたと思ったら途端に離してくる。今の距離感をマリモ自身が保ちたがっているのか。それとも正一の無意識がそうさせるのか。

 提案されたリュベイルという街にしてもそうだ。そこに行く事が本当に正一にとっての最善なのかは分からない。


「なんで?」


 だから尋ねるより他にない。そして信じるしかない。真意はともかくマリモの言葉を。


「この国は、四つの地区があるんだが、リュベイルはドラグン地区の最大の町だ」

「それで?」

「あそこはドラゴンを神の使いと崇めている者が多い土地でな。俺の封印の時にも反対派が多数で討伐作戦に参加しなかった」

「二百年も前の話だろ? いまだにそうなのか?」

「人の信仰とはそう容易く変わらんさ。まぁいざという時ここに居るよりはましだ」


 確かにマリモにとってはそうかもしれない。だがそれがイコール正一にとっての最善とは限らないのだ。

 策を立てようにも正一は、この世界の事を知らなさすぎる。共に居るしかない。そしてマリモから約束通りに教えを乞うしかないのだ。


「ここは何地区なんだ」

「ヒュマン地区。人が初めて収めた土地さ」


 ドラグン。そしてヒュマン。

 意味もなくこのような名前になるはずがない。


「ドラグンとかヒュマンとか、何か意味があるんだろ?」

「そう。四つの土地の名前は、その土地を最初に収めた種族に由来している。ここは人間が最初に収めた土地だからそりゃあもうドラゴンを含め他の種族が嫌いさ。何せ呪いを信じずにドラゴンを自分の土地に封印したぐらいの連中だ。信心深さとは無縁よ」


 確かにこの街に居る人間の数は、東京のそれに匹敵する。人間が収めた土地に人間が集中するのも当たり前だが、そう考えるとマリモが目的地として挙げたドラグン地区に人は居るのかという疑問が生じていた。

 もしかしたらドラゴンが収めるドラゴンしか居ない土地かもしれない。そうだとしたら下手すると正一がドラゴンたちのティータイムの茶菓子にされる可能性もある。


「ドラグンは、ドラゴンが収めた土地ってわけか」

「その通り、そこに後から来た種族たちが住みつくのを許可してやり、彼等を守る代わりに収穫物の一部を貰っていたのさ。その千年以上の風習は、そう容易く消えはせん」


 嘘を付いているようには見えない。人間も大勢いると考えていいだろう。ドラゴンを守護神とか神の使いと崇める国民性は、マリモを信用し切れない正一のとってやや怖くもあるが、竜を連れている人間なら――マリモが竜に見えるかは置いといて――神の使いの使いぐらいにはなれるかもしれない。

 ドラゴンを連れて、この街に居るよりは風当たりもきつくないだろう。

 それに反対した所でマリモが聞き入れるとも思えないし、もし一人でも行くとなってこの街に一人放置される状況は避けたい。

 選択肢はない。マリモの提案を受け入れる以外には。


「ならまずはそこを目指すか。どれぐらいかかるんだ?」

「人間の足だとそうだな……マンスリー?」


 左肩で楽しそうにしているマリモが酷く腹立たしく思えた正一はマリモを鷲掴みにして五指の先端に力を込めた。


「寝ぼけてんのか、てめぇ」

「ウィークリーかなぁ」

「ボディーガード辞めようかな。あとそのインチキ英語やめろ」


 眠気覚ましにはちょうどいいだろうと正一がさらに握力を強めると、マリモは小鳥のような明るい声で鳴き始めた。


「そう言うな。どっち道、俺達は運命共同体さ。さぁ武器屋に行こう。時間はないぞ」


 元凶に言われると妙に苛立ちが増すという物だが、怒りに任せている余裕は確かにない。

 正一がマリモを左肩で開放すると、彼は一息吐いてから呟いた。


「あとその服もだな。目立つぞ」


 今の服装は通学途中だった事もあって高校の制服だ。わざわざ言われなくても注目を集めているのは重々承知だが、先立つものがまるでないという問題がある。


「金はどうするんだよ」


 その事について正一が尋ねるとマリモは、微笑みながら耳を動かした。


「心配するな。手を出せ」


 正一が指示通り、右手をマリモの眼前に持っていくと、突如金貨が湧水のように掌から溢れ出始める。

 空から降ってくるという空想よりも魅力的な光景に、最初は見惚れていた正一だが、零れた金貨が石畳で跳ね始めると周囲の注目を集めまいと右手を握り締めて胸に抱いた。

 地面に落ちた金貨を手早く拾い集めると早足で歩き出し、近場に合った路地裏に身を隠してから改めて掌で踊る黄金を見つめる。


「すげー」


 この力があれば地球に戻っても億万長者だ。

 帰る時には、事前に大量の金貨を生み出してもらおうと決意する正一だったが、マリモの声がその希望を打ち砕く。


「偽造品だがな」

「金じゃないのか?」


 どう見ても金だ。

 叔母が「金価格が安いから」と買った百グラムの金を触らせてもらった事があるがあの時の手触りと金独特の重みも感じる。

 鑑定士ではない素人の正一には紛れもない本物にしか見えない。


「本当に本物じゃないの?」

「本来の力があれば生み出せるが、こいつはせいぜい一日程度しか持たん」


 つまりは偽造通貨。本物ならいざ知らず、これはどう考えても犯罪である。


「犯罪じゃ」


 素直に口にしてみるとマリモは、意地悪く笑んだ。


「俺の封印を解いた時点でお前は大罪人だ。気にするな」


 そうなのかもしれないが、一度罪を犯したら次は犯さないように気を付けるのが普通ではないのだろうか。

 この世界でもそれが常識のはず。結局人間とドラゴンでは考え方や感覚が違い過ぎるのだ。

 それに今は非常事態。四の五の言っている場合じゃないのもまた事実である。

 正一は、マリモが生み出した偽造金貨を握り締めて、イベルンの商店地区を目指し、歩を進めた。

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