第37話 ムンバイ港より輸送船団撤収
「敵艦隊だと!」
三川は警戒部隊からの通報を聞くと驚きを隠せなかった。
しかも敵は戦艦二隻だと言う。
「長官、ムンバイにあるのは―」
「分かっている」
矢野が三川へ懸念を述べようとして三川は遮り、「ムンバイには軽巡と駆逐艦しかおらんのだからな」と言った。
「雷撃で牽制はできそうですが」
三川は考える。
このままでは、ムンバイの海でドイツ戦艦が蹂躙する悲劇が起きるのだと。
「信濃」で助けに行きたいが、警戒部隊が伝える敵艦隊の速力を考えれば間に合わない。
ムンバイで防ぐ戦力は軽巡洋艦2隻と駆逐艦が20隻
水雷戦を挑んで足止めできないか?
いや、敵の戦艦を沈めたにしても今度はUボートとの戦いがある。
戦艦との戦いで護衛戦力を減らす訳にはいかない。
「参謀長、<神通>へ伝えろ。輸送船団を連れてムンバイより撤収せよと」
三川は決心した。
「しかし、ムンバイ市民とインド軍の乗船完了がまだですが・・・」
「乗れるだけ連れて行くしかない。撃たれて死なせる訳にはいかん」
三川と参謀長は胸が苦しくなる。
この撤収作戦が最後なのだ。
またやって来る事など出来ない。
「ムンバイへ進軍中の陸軍と連絡は出来るか?」
三川の問いに通信参謀が「出来ます」と答える。
「よし、ではこの<信濃>で支援砲撃を再開する。と伝えろ」
通信参謀は聞き終えると部下を通信室へ走らせた。
「長官、どうして陸軍への支援を?」
参謀長が尋ねる。
「海の道を閉ざすのだ。陸の道を通す手助けぐらいはしないとな」
三川の答えに参謀長は納得した。
もはやムンバイからの軍民撤収は陸軍による包囲を破り、道を開くしか無くなっている。
「艦長、再び沿岸へ向かってくれ」
こうして「信濃」は再び陸に向けて主砲を向けようとしていた。
三川の決断により、ムンバイの港は混乱に陥る。
多くの輸送船を見て、皆が乗れると期待していただけに乗船を打ち切り船が全部出て行くと聞いたムンバイ市民は憤懣を爆発させた。
迫る異教徒の敵に囲まれる不安は、日本艦隊による撤収作戦への期待で抑えられていた。だが、期待が叶わないとなると絶望になる。
行き場を無くした自分自身と気持ちがムンバイ港で爆発したのである。
誰もが「乗せろ!」「行くな!」「薄情者!」と叫ぶ。
船と離される寸前のタラップにしがみつく者や、埠頭から海へ飛び込み泳いで船に乗り込もうとする者が現れる。
港で乗船を誘導するインドの警官は落ち着くように呼びかけるが、万単位の怒りを鎮めるには非力であった。
そこへ連射する銃声が響く。
「静まれ!静まれ!」
一人のインド軍人がイギリス軍から滷獲したブレン軽機関銃を空へ向けながら叫ぶ。
銃声とその軍人の気迫に怒声は徐々に止み、静かになる。
「海から敵艦隊が来ている。だから船はすぐに出発する!」
軍人は危機を訴える。
群衆はそれに背筋を冷たくした。
だが、すぐに「どうすればいいんだ!」「ここで死ねと言うのか!?」と怒号が飛ぶ。
「アンタだって分かるだろう?異教徒が攻めて来ているんだぞ!」
その軍人に一人の中年男が掴みかかる。
「このまま家族と共に死ねと言うのか!」
その男は父親なのだろう。妻と二人の息子らしい子供が男の背後にあって、不安そうな顔をしている。
このドイツ軍によるインド侵攻は、ドイツと同盟を組むパキスタンやアラブ地域からの志願兵が参戦するイスラム対ヒンドゥーの宗教戦争の要素も含んでいた。
戦争において、敵対する生活習慣から考えが異なる異教徒に対して非情な態度が取られたのは過去な様々な戦争で見られた事である。
それを誰もが知っている。だから逃れたいと必死なのだ。
「みんな聞け!聞いてくれ!」
軍人は叫んで呼びかける。
「ここに居ても、敵が来るだけだ」
ようやく静かになってから軍人は語る。
「日本軍は陸からもムンバイへ向かっているそうだ。俺達はそこへ向かう」
軍人がそう言うと皆がざわつく。それは大丈夫なのかと。陸路を行くと言う事は戦火の中を行くのだから。
「俺は行くぞ!船が無いんだ、逃げられる先があるなら行くぞ!」
軍人に掴みかかっていた父親が言った。
すると「そうだな」「それしか無いな」と皆は不安を持ちながらも、方向性は示された形になった。
「ありがとう。貴方のお陰で皆が分かってくれた」
軍人は父親に礼を言う。
「それよりも、ちゃんと俺達を連れて行ってくれよ」
「勿論だ」
「名前を教えてくれないか。脱出ができた時にまた会いたい」
「インド陸軍大佐、スレッシュ・コーリだ。また会おう」
名前を教えてからコーリは去って行く。
自分から言い出した事だが、コーリはこれから大勢の市民を引き連れて日本軍と合流する困難な仕事を始めるのだ。
コーリによって混乱が収まりつつあるムンバイ港
そうした様子を見てから輸送船団は出港する。
乗せられなかった市民を惜しむ様にどの輸送船も長い汽笛を鳴らした。
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