第16話 戦艦「比叡」の最期

 「<霧島>を前へ出せ」

木村は「アーダーベルト」が被雷したのを見て「霧島」を敵前へ出すように命じた。

動けない「比叡」の乗員を退艦させる為だった。

艦長代理の長野は木村の意に沿うように「霧島」を動かそうとした時だった。

「<比叡>から発光信号です。<我ガ艦ガ殿ヲ務メル、各艦ハ撤収セヨ>です」

見張りが告げる「比叡」からの伝言に木村は天を仰ぐ。

「<比叡>が犠牲になるか…」

「その<比叡>に報いる為にもすぐに撤収を」

原村は「比叡」を惜しむ木村に促す。

「アーダベルト」へ魚雷が命中したとはいえ戦況が有利になった訳では無い。

突撃した巡洋艦と駆逐艦を集合させて撤収するべき時だと原村は考えていた。

「うむ…撤収をしよう」

木村は「比叡」を除く全艦に撤収を命じた。

すぐに「霧島」と合流できたのは魚雷を発射して離脱中だった「球磨」と駆逐艦4隻だった。「足柄」と「那智」は木村艦隊本隊を追いかけるか形で木村艦隊の撤収が始まった。

「よし!これから我が<比叡>の一人舞台よ!」

撤収する木村艦隊を見送りながら「比叡」艦長の村越源三郎大佐が意気を上げる。

「火災で爆沈するが先か、敵の攻撃で沈むが先か、とにかく撃ちまくれ!」

村越は負傷した頭部を包帯で巻きながら激を飛ばす。

「比叡」の火災は乗員による消火が行われているが衰える気配は無い。インド洋を照らす炎は攻撃を呼び寄せ砲弾が幾度も「比叡」を叩く。

まさに動かぬ「比叡」は火災か敵の攻撃どちらかで沈み命運が尽きようとしていた。

だが命尽きる前にと「比叡」の主砲は「アーダベルト」へ向けて放たれる。

「あの敵艦は最後まで抵抗を続ける気か」

クメッツは「比叡」が戦い続ける意志を見た。

外から見ても動けず炎上する満身創痍の「比叡」

乗組員を退艦させるべき状況だが主砲を撃ち戦い続けている。

それは退却を始めた木村艦隊を掩護する為だとクメッツには分かった。

「あの敵戦艦に止めを刺せ」

クメッツはその献身さに感服しつつも我を攻撃する敵を沈めよと命じた。

「だがあの敵艦を仕留めるのはこの<アーダベルト>だけだ。他の艦は敵艦隊主力を追え」

「比叡」が食い止めようとする意志に従わないようにクメッツは艦隊を動かそうとしていた。手負いの「比叡」を手負いの「アーダベルト」が仕留める事となった。

この時の第2インド洋部隊は巡洋艦「ハーメルン」と「ポツダム」が「足柄」と「那智」の雷撃を受けて損傷、「ハーメルン」は沈み始め駆逐艦2隻が「ハーメルン」の乗員の収容をおこなっていた。

「ポツダム」は火災を消し、かろうじて戦列に復帰していた。

「追うのは我が艦だけで良い!」

「ロイター」の艦長であるラウク大佐はほぼ無傷である「ロイター」だけで木村艦隊を追うと決めた。

「もう1隻の敵戦艦を仕留めるぞ。前進せよ」

ラウクは独自の判断で付き従う「ポツダム」を従えて木村艦隊へ向かう。

だが最大で28ノットが発揮できる状態の「ロイター」は被雷と火災で25ノットに最大速度を落とした「ポツダム」を引き離してしまう。

「<ポツダム>が遅れています」

「構わん。我が艦が敵に追いつければ良い」

ラウクは「ポツダム」を置いてひたすらに木村艦隊へ近づく。

「敵艦1隻が追撃して来ます。おそらく戦艦」

撤収する木村艦隊は追撃する「ロイター」に気づく。

「僚艦を置いて1隻だけ突出か。舐めているな」

「足柄」と「那智」の第五戦隊司令である沢村は「ポツダム」を置いて追撃する「ロイター」を電探と見張りで捕捉するとそう感想を述べた。

逃げる敵だから1隻だけでやれると思っているのかと沢村は不快になる。

「司令、こまま進めば水雷戦ができます」

第五戦隊参謀が沢村へ進言する。

「魚雷はあるのか?」

第五戦隊は「ハーメルン」と「ポツダム」と交戦していた。沢村は魚雷が残っているのか尋ねる。

「右舷側の発射管は使っておりませんので残っております」

参謀は沢村の返事を期待するように答えた。

「それならやろう。第五戦隊は敵艦の左舷側へ向かえ!」

第五戦隊は「ロイター」の右舷後方から取舵に針路を変えて「ロイター」の後ろを横断する。

「後方の敵艦が我が艦の左舷後方へ移動しました」

第五戦隊の動きは「ロイター」のレーダーで掴んでいた。

ラウクは「霧島」を狙っていた。だから巡洋艦である「足柄」と「那智」にはそこまで警戒をしていなかった。

だが、いきなり針路を変えたとなると注意を向けねばならない。

「あの2隻は何をする気だ?」

「霧島」へ向けて主砲を撃とうとしている時に水を差すように動きを変えた第五戦隊にラウクは苛立つ。

「おそらく魚雷で攻撃する為に位置を変えたのでしょう」

副長がラウクに答える。

「小癪な…」

ラウクは怨嗟の声を漏らす。

「艦長、このままでは我が艦も<アーダベルト>のように被雷してしまいます」

「針路を変えよと言うのかね?追撃を止めて」

副長の進言にラウクは苛立ちを表に出した。

「はい。深追いは禁物かと」

副長は毅然と言った。

「分かった。だが戦艦が巡洋艦に接近されて逃げたとあっては情けない。あの2隻を撃つぞ」

「了解です」

ラウクは「ロイター」の主砲で第五戦隊を砲撃する。

命中はしてないが40センチ主砲の砲撃は「足柄」と「那智」を揺さぶる。

「こっちを向いてくれたか」

沢村は攻撃がこちらに向いた事で笑みを浮かべる。

やっとこっち、第五戦隊を脅威と認めた事と何も撃たず木村艦隊本隊への追撃を止められた事に満足したのだ。

「離脱しつつ敵を引き付ける」

沢村は水雷戦を諦めた。だが本当の目的は果たしつつあった。

「砲撃を続けろ。手ぶらでは戻らんぞ」

ラウクは離脱する第五戦隊への砲撃を続ける。せめて「足柄」と「那智」どれかを沈めようと。

 「第五戦隊が敵艦に撃たれながら離脱中です」

 第五戦隊からの通信と「ロイター」の発砲炎から第五戦隊が「ロイター」と交戦している事を木村は知っていた。

だが何も出来る事は無い。「霧島」の艦橋から交戦している証である砲炎が瞬くのを見て第五戦隊の奮闘と武運を祈るだけだ。

その瞬く夜の闇に一際大きな炎が吹き上がる。

「あれは<比叡>か…」

何が爆発したか木村には分かった。

炎上しながら殿として残った「比叡」の断末魔なのだと。

「孤軍奮闘した<比叡>に敬礼!」

木村は声を張り上げ敬礼する。

原村や長野など木村の周囲に立つ将兵も続いて「比叡」に敬礼する。

「艦長、<アーダベルト>から集合せよと連絡が来ました」

「ロイター」にクメッツからの命令が届く。

「くそ、時間切れか」

ラウクはクメッツの命令に従い「ロイター」を艦隊へ戻す。

「敵艦遠ざかります」

第五戦隊は辛うじて無事だった。至近弾の雨を浴びてマストが倒れ電探が破損したが命中弾は免れていた。

「生き残れたな」

さすがの沢村も戦艦からの砲撃が止んで安堵する。

「これも<比叡>のおかげですね」

参謀の言葉に沢村は「そうだな」と重く答えた。

「比叡」は炎上しながらも砲撃を続けて「アーダベルト」に二発を命中させたが、「アーダーベルト」がからの砲撃を浴びながら大爆発を起こして轟沈した。

この大爆発が「アーダベルト」の砲弾によるものなのか、火災が火薬庫に達したのか、火薬庫の温度が限界に達しての爆発かは定かではない。

だが「比叡」はその身で木村艦隊撤収を助けたのは間違い無かった。

この爆沈した「比叡」の乗員2300名で助かったのはドイツ駆逐艦に救助された5人だけであった。

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