第8話第一次撤収船団

 アラブ義勇軍からムンバイ沖に敵艦を近づけないで欲しいと言う要請はドイツインド洋艦隊司令部に届いた。

 「空母の戦力が低下しても日本軍は積極的だな」

 チクリアヌスは感心したように言う。

 「我々も積極的になるべきでは?」

 インド洋艦隊司令部の参謀長は意見する。

 海軍が必要とされる局面なのだから。

 「私も参謀長の意見に賛成です」

 マテウスも行動を求めた。

 「何か案はあるかね?」

 チクリアヌスは幕僚達へ尋ねた。

 「戦艦には戦艦です。敵は夜間に艦隊を繰り出しています。戦艦を含む艦隊で迎え撃つのです」

 作戦参謀がまず意見を述べた。

 実に率直な意見でチクリアヌスは聞いていて心地よさすらある。

 だが作戦と言うには単純過ぎる。

 「ムンバイ近海にはUボートが居ます。水上艦隊とUボートが連携した作戦はどうでしょう?」

 潜水参謀が提案する。

 「Uボートと水上艦隊が密に連絡はできない。連携は無理ではないか」

 情報参謀が指摘すると潜水参謀は納得さざる得なかった。

 「マテウス大佐はどうかね?」

 チクリアヌスは黙っているマテウスへ尋ねる。

 マテウスはベルリンの海軍本部から派遣されたこのインド洋艦隊司令部にとっては外部の人間である。マテウスは強引に意見を述べる事は遠慮していた。

 「私も作戦参謀の言う戦艦には戦艦と言う提案に賛同します」

 マテウスに肯定された作戦参謀は僅かに口元を緩ませた。

 「ですが私は迎え撃つのではなく、こちらから敵艦隊を攻撃に向かうべきだと考えます」

 マテウスの積極論に皆が色めき立つ。

 誰しも米英に勝った日本海軍に対して慎重だった。

 だがマテウスの攻撃に向かうと言う意見は心を掻き立てた。

 「野心的だな」

 チクリアヌスはマテウスの積極さを素直に褒めた。

 「だが私は迎え撃つ作戦を採用する」

 しかしチクリアヌスはマテウスの案を却下した。

 だがマテウスの顔は曇らない。

 「日本海軍の空母戦力を低下させたとはいえ水上艦は我が軍より多勢だ。今少し慎重にやるべきだろう」

 チクリアヌスの意向に浮き足立ちかけた参謀達の頭は冷えて冷静さを取り戻す。

 「出撃する艦隊は戦艦「アーダルベルト」と「ロイター」を中心にしようと考えます。これに8隻から10隻の巡洋艦と駆逐艦を付けます」

 作戦参謀が提案する。

 この二つの戦艦は「アーダベルト」級と呼ばれる。

 ドイツの新型戦艦計画であるH42とH43を進めるにあたり新型戦艦の雛形をドイツ海軍は作る事にした。

 それが「アーダルベルト」級である。

 艦名の由来はプロイセン海軍成立に貢献したプロイセン王国の王子ハインリッヒ・ヴィルヘルム・アーダルベルトからである。

 基準排水量5万トンで40センチ主砲8門を装備する戦艦として設計された「アーダルベルト」級は42センチ主砲を装備するH41の計画に近いが最大速力は28ノットになるのを受容するものとは違う。

 「アーダルベルト」級は「ビスマルク」級に劣らぬ速さも求められた。その速力を得る為に当初は40センチ主砲9門から8門へ減らしている。

 そして得た最大速力は29ノットになった。

 ドイツ海軍としてはこれでH43とH44計画を進める事になるがこれも修正される事になるがまた別の話である。

 「よろしい。その戦力で出撃させたまえ」


 ムンバイの撤退作戦は進んでいた。

 「榛名」と「金剛」の挺身隊と入れ替わるように正式な撤退第1陣となる船団がムンバイに入港した。

 船団は大型の貨客船2隻だった。

 この船は本土から陸軍部隊の輸送にチェンナイへ入港して陸軍部隊を降ろしてすぐに撤退船団に加えられていた。

 護衛をするのは戦艦「長門」を旗艦とした重巡洋艦「高雄」と「愛宕」に軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦6隻だからなる前衛部隊とチェンナイへの船団護衛任務を終えてそのままムンバイ撤退作戦に加えられた海上護衛隊の海防艦2隻が輸送船となっている貨客船2隻を直に護衛する。

 ムンバイに入港した2隻は待っていたムンバイの市民やインド軍の負傷兵を乗せる。

 その作業は乗る人々の尻や背中を蹴り押すような慌ただしさだった。

 夜間の内に乗せて出港しなければドイツ空軍が輸送船を攻撃するだろうからだ。

 輸送船への乗り込みを指揮監督するのは現地に派遣されている日本陸軍の船舶部隊であるがムンバイの市民や負傷したインド軍将兵の誘導をするのはインド海軍だった。

 ムンバイのインド海軍部隊は2隻の哨戒艇に沿岸砲台4基に港湾管理の部隊が居た。

 輸送船への乗船を誘導し整理しているのは哨戒艇の乗組員達だ。

 彼らは乗っている哨戒艇がドイツ軍機により沈められたのでこうして陸に上がり港湾の警備と避難民の誘導をしている。

 「さあさあ、急いで!夜が明けたらすぐ船を出すぞ!」

 混乱を増長させかねない言い方だが船が来て一安心と安堵する人々を急がせる必要があった。

 体の弱い老人や病人に負傷者に肩を貸したり背負う事をしながらインド海軍の将兵は乗船を急がせた。

 その甲斐あって合わせて1万人の乗船が日の出に完了する。

 輸送船は急いでムンバイから出港する。

 朝日を浴びてムンバイから去る輸送船を眺めながらインド海軍の将兵は「まだこれからだ」と思い直す。

 ムンバイの市民はドイツ軍が迫ると聞くと自主的に避難をしていた。

 包囲される前に120万人が徒歩や鉄道でムンバイを脱出した。

 その避難した住民はヒンドゥー教の信仰者達だった。ドイツ軍にアラブ義勇軍が同盟軍として加わっているのは知られていた為だ。

 包囲により避難ができず残ったのは60万人になった。その内で避難を希望するのは30万人のヒンドゥー教徒だった。

 イスラム教徒は同胞が来るのではと待ちキリスト教徒はドイツ軍なら危害を加えないだろうと考えていた。

 日本側が撤退作戦に懸念を持っていたのは30万人の市民をどう運ぶかだった。

 更にムンバイを守る7万のインド軍将兵もある。

 37万人の撤退作戦はまだ始まったばかりであった。

 「敵機だ!」

 インドの内陸から飛んできた四発の大型機を見て誰もがそう言った。

 それは確かに敵機でドイツ空軍のJu290哨戒機だった。

 「ムンバイより輸送船2隻が出港しつつあり。近海には戦艦1隻を含む敵艦隊」

 Ju290の乗員はすぐにムンバイの海にある光景を報告する。

 ドイツ空軍第4航空艦隊は報告を受けて攻撃隊を発進させる。

 その攻撃隊はDo217爆撃機12機だった。

 この8機はそれぞれ500kg爆弾4発を搭載している。

 ムンバイへの爆撃を行う編隊と共に進む12機は1時間後にムンバイに到達した。

 「輸送船の前へ出せ!空襲を受け止める!」

 戦艦「長門」がまだムンバイ港の沖から離れていない輸送船を守る為にムンバイの近くへ寄る位置へ進み出る。

 「敵の戦艦があんな近くに」

 「輸送船を守るつもりだろう」

 Do217のパイロットは「長門」の意図が分かった。

 「輸送船はUボートに任せればいい。俺達は予定通り戦艦を攻撃する」

 攻撃隊の目標は戦艦と定められていた。

 ムンバイを攻めるアラブ義勇軍から戦艦の脅威を取り除く意味があった。「長門」が輸送船の護衛が任務であり艦砲射撃をしない事をドイツ軍は知らないが戦艦が重要な目標に変わりがない。

 「敵爆撃機を撃て!」

 「長門」は主砲から高角砲・機銃をDo217の編隊へ向けて撃つ。2機が主砲から放った三式弾により撃墜されたが残る10機が「長門」へ襲い掛かる。

 「爆弾投下!」

 対空砲火を受けながらも10機のDo217は編隊を保ったまま爆弾を投下する。

 「長門」は面舵で右へ向きを変えながら爆弾の雨を少しでも避けようとする。だが5発が命中し「長門」は炎上する。

 「これは大破だな」

 炎上する「長門」を見てDo217攻撃隊の隊長は戦果をそう判断して帰投する。

 「長門」は高角砲と機銃にカタパルトとそれに乗っていた水上偵察機を爆弾で破壊されマストも損傷して通信能力が低下する損傷を受けた。

 だが砲塔や機関は無事であり「長門」の損害は炎上した姿の割には軽度であった。

 「敵機は離脱しつつあり」

 「チェンナイへの進路に戻せ!前衛部隊の指揮を高雄の田川少将へ移譲する」

 前衛部隊は指揮権を変えながら輸送船と海防艦に合流するべくチェンナイを目指す航路に戻る。

 だが今度は輸送船に危機が迫る。

 「金剛」と「榛名」を雷撃し損ねたUボートが雷撃を仕掛けた。

 「1万トン・・・もないか8000トンぐらいか。戦艦の代わりには釣り合わんが」

 輸送船を狙うU-885の艦長は潜望鏡で狙いを定める。

 「魚雷戦用意!1番から6番まで装填!」

 艦長の号令で魚雷発射管へ6本の魚雷が装填される。

 「艦長!1隻来ます!」

 ソナー員が警告を出す。

 「感づかれたか!」

 艦長は降ろした潜望鏡を再び上げて迫る敵を見る。

 海防艦1隻がU-885へ近づいていた。その海防艦「日振」は見張りが波間からU-885の潜望鏡を見つけその方向へ進み出たのだ。

 「潜りますか?」

 副長が問う。爆雷を浴びる前に深い深度へ潜るべきだと。

 「いや、あの護衛艦はこちらの正確な位置を掴んでないな。あの護衛艦をやろう」

 「日振」はU-885の居る海域から外れるように進んでいた。U-885が機関を停止しているから探知できていないからだ。

 「目標、敵護衛艦!1番と2番発射!」

 「日振」がU-885に対して斜めに左舷を晒したのを見て魚雷が放たれた。

 「日振が被雷!」

 「やはり敵潜が居たか」

 「日振」は魚雷1本を艦の中央部に受けて吹き飛んだ。

 輸送船と残る1隻の海防艦「大東」は「日振」から「敵潜水艦ラシキ潜望鏡ヲ見ユ」の通報を受けてU-885から逃れるように速度を12ノットから16ノットへ上げて離脱を図っていた。

 沈みゆく「日振」を救援する事はできなかった。

 「いかんな。輸送船を逃がしてしまう」

 「日振」への攻撃に集中している間に船団はU-885から遠ざかる。

 「射程内ですが発射しますか?」

 副長が尋ねる。

 「残る4本をすぐに発射だ」

 U-885は艦首の向きを右へ振り船団へ向け魚雷4本を放つ。

 2本づつを角度を変えて発射した。扇状に広がる雷撃は甲板にも溢れるように避難民と負傷兵を乗せている輸送船へ迫る。

 「右舷に魚雷近づく!」

 「取舵いっぱい!」

 輸送船は重たげに船体を左へ向け魚雷をかわそうとする。

 船員のみならず避難民も「日振」の爆沈でUボートに襲われているのを知っている。顔は引きつりながら祈るばかりだった。

 「輸送船の前へ出せ!避難民を守るぞ!」

 今度は「大東」が輸送船の盾になろうと動く。

 魚雷を破壊できればと雷跡の方角へ向けて機銃と高角砲を放つ。海面を叩いて1発の魚雷を破壊できたが1発が輸送船に近づく。

 「航海長、艦をあの雷跡の先へ」

 「大東」は魚雷へ向かって走る。

 「大東が・・・」

 魚雷は「大東」に命中した。

 「大東」は艦首に魚雷が命中し艦首が千切れ艦橋内部が被雷により吹き飛ぶ艦首の鋼材が刺さり艦長など「大東」の主要な長が死傷した。

 「すまぬ…」

 輸送船の船長は被雷して行き足を止め漂う「大東」へ敬礼をする。

 もはや護衛が無くなり輸送船2隻はひたすらにこのUボートが襲う海域からの離脱を図る。「大東」の乗員に救援の手を出す事はできない。

 輸送船の甲板から「大東」の惨状を見た避難民は呆然としていたがインド軍の負傷兵達は「大東」へ向けて敬礼をしていた。

 船団は「日振」と「大東」の犠牲によって危機から脱する事が出来た。

 同じ航路を進む予定の前衛部隊は「大東」からの通報で航路を変えて進みU-885に襲われる事は無かった。

 輸送船は前衛部隊と合流して共にチェンナイへ入港できた。

 避難民を全て運ぶ事はできたが海防艦「日振」と「大東」を失い戦艦「長門」も少なくない損傷を受けた。

 この損害にまだ30万人以上の輸送をせねばならない日本海軍は頭を痛める事になる。

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