第3話 第三艦隊撤収

 「前衛部隊がやってくれたか」

 角田は山口の前衛部隊がドイツアラビア艦隊を撃退したと聞くと顔が綻ぶ。

 ここまで攻撃の失敗に損害報告と悪い報せばかりであり戦艦と巡洋艦を1隻づつ撃沈する戦果が聞けたのだから。

 「しかし前衛部隊も損害が少なくありません」

 参謀長は他の参謀達も期せず得た戦果に浮かれていたのでそう強く角田へ報告する。

 「そうだったな。これで前衛も主力もボロボロだ」

 前衛は戦艦は大した損傷はないものの空母と軽巡洋艦1隻を失い重巡洋艦2隻が軽微とは言い難い傷を負っている。また駆逐艦も幾つか失っている。そして主力部隊は空母を3隻失っている。第三艦隊は大損害を被っている。

 「攻撃隊の収容はどうだ?」

 時刻は11時20分である。ドイツ軍戦闘機による虎口から脱する事ができた攻撃隊の機体が次々に帰還していた。

 その機体は脚が出ないなど着艦ができないものは駆逐艦の傍で着水し、着艦できても穴だらけで搭乗員が絶命しているか重傷を負っている場合が少なくなかった。

 「時間としてはもう帰る機体は無いと思われます」

 航空参謀が腕時計を見ながら言った。第一次攻撃隊が出撃したのが5時10分でありもう5時間以上過ぎている。第二次攻撃隊の出撃が5時50分からであり最後の機体が出撃してから5時間は過ぎている。どんなに燃料を節約しても燃料切れで落ちていると判断される頃だ。

 各田は「そうか」と言い一呼吸を置く。

 「艦隊は作戦を中止しコロンボへ向かう」

 猛将と言われる角田もさすがに気を落としたように声が低かった。

 こうして第三艦隊によるディエゴ・スアレス攻撃作戦は失敗に終わり撤収する。

 損害は空母「大鳳」・「翔鶴」・「雲龍」に軽巡洋艦「五十鈴」が撃沈され巡洋艦「利根」・「筑摩」が中破ないし小破、戦艦「阿蘇」と「羅臼」も中破ないし小破である。

 艦艇の損害もさる事ながら空母部隊として最も痛手は航空戦力であった。

 合計で300機になる攻撃隊で生還できたのは172機だった。だが帰還した機体も着水や修理不可能とされて再び飛べると判定されたのは残る115機であった。また帰還した機体の搭乗員も艦隊へ戻った時に絶命したり戦傷により一線を退かざる得ないなどの損耗が多かった。

 それは攻撃隊に出撃した搭乗員で戦死または戦傷により母艦航空隊を去った者が6割にもなった。これにより日本海軍は母艦航空隊が無力化されたも同然だった。



 「満足かね?」

 チクリアスはマテウスに尋ねる。

 ディエゴス・アレスの空にはもはや日本軍機の姿は無い。空は艦艇の打ち上げた対空砲弾が炸裂した名残である煙が薄く広がるだけだった。

 そして海は撃墜された日本軍機の残骸が浮くだけでありドイツ艦艇は全くの無傷であった。

 チクリアスはマテウスの作戦が成功し心境を聴いてみたのだ。

 「ええ半分は」

 「半分?」

 意外な答えにチクリアスは興味を持つ。

 「空襲を阻止し日本の空母戦力に打撃を与えられた点では満足ですが、アラビア艦隊の半分を失う損失が出てしまいました」

 マテウスはアラビア艦隊を案じるように言うのがチクリアスには意外に見えた。

 ここまで自分の作戦を押し通し空軍を巻き込むほどの事をしたこの若造は2隻の艦艇が沈んだぐらいでは歯牙にもかけないだろうとチクリアスは思っていた。

 「作戦に完璧はあるまい。想定外はよくある事だ」

 チクリアスは自分の作戦が上手く行かずマテウスが気を落としているのだろうと思えた。

 「いえ想定外ではなく戦艦を失ったのが痛恨なのです」

 マテウスの返事はチクリアスにとっては違った。

 「戦艦かね」

 「はいこの日本との戦争で戦艦を失うわけにはいかないのです」

 「空母はどうなんだ?」

 「戦艦と同じくであります」

 マテウスの思考はどこか違うようだとチクリアスは改める。

 「その真意は何かね?」

 「私はドイツ海軍の敵はイギリス海軍あると考えます。ここまで増強した戦力を日本との戦争で減らす訳にはいかないのです」

 「ふむ。確かにイギリスは我が海軍の主敵だ。そこは同意できる」

 ドイツは海軍を拡大さた帝政の時代から海への進出をすると海軍大国イギリスが立ち塞がるような存在となっていた。第一次世界大戦では激しく艦隊決戦も戦ったものの帝政ドイツ海軍はイギリス海軍の根拠地であるスカパ・フローで自沈する最期を味わう。

 そして第二次世界大戦では再建したドイツ海軍はイギリスに対して劣勢であったものの戦いを挑んだ。戦争自体は勝ったが戦艦「ビスマルク」を撃沈され水上艦隊としては勝てた実感は無い。

 そして休戦となった後も欧州ではスイスを除く枢軸国に反旗を翻す国家だ。ドイツ海軍は宿敵イギリスの勝利を求めて拡充に努めていた。

 「だがその考えでは作戦が消極的になるのではないかな?」

 チクリアスはマテウスが艦隊温存を第一にしているのに危惧を抱く。艦隊の戦力は有ってこそだが能力を発揮せねば意味が無い。

 「いいえ無意味な温存をするつもりはありません。インド洋を確保せねば日本軍は海軍力を使い上陸作戦など反撃して来ますから」

 「それならいい」

 マテウスがどんな考えでこの戦争を戦うつもりか分かりチクリアスは納得した。


 


 インド大陸の南にあるセイロン島は先の対米英戦争もとい第二次大戦で日本軍が占領し今ではスリランカ共和国として独立していた。

 そんなセイロン島には大規模な日本軍が駐留している。

 陸軍の2個師団を中心とした3万5000人の守備軍が各地にあるが港湾都市であるコロンボには英海軍の施設を接収し拡充した日本海軍の一大拠点がある。

 ここにはインド洋に面した地域に展開する根拠地や航空隊・警備隊などを指揮する印度洋方面艦隊司令部があるが最も象徴的なのは連合艦隊司令部がある事だろう。

 日本海軍の艦隊を統率する連合艦隊司令部は先の戦争から戦艦「大和」や「武蔵」に旗艦を置いた後で神奈川県日吉に陸上の施設が作られた。

 太平洋の半分にまで拡大した戦域と膨大な通信量が艦艇では受け止め切れなくなっていたからだ。

 そして今の対ドイツ開戦を前にして日本海軍は指揮統率を変更する。

 今度はインド洋が主戦場である。

 だが太平洋や南シナ海や東シナ海なども警戒すべき海である。

 軍令部と連合艦隊司令部は協議しインド洋以外は海軍総隊司令部を新たに設け各鎮守府や方面艦隊を統率する事となった。

 そして第一線であるインド洋を連合艦隊司令部が担当する事となった。

 連合艦隊司令部は数個ある水上艦隊や潜水艦部隊に航空艦隊を指揮する前線指揮に集中させたのだ。

 そんな連合艦隊司令部はセイロン島に置かれコロンボにある庁舎に司令部を置いているが必要とあれば艦艇に移り指揮するつもりでいた。

 それは今の連合艦隊司令長官である古賀峰一大将の意向もあった。

 「艦隊指揮に専念できるなら決戦の時は旗艦を立てて指揮するべきだ」

 古賀は海軍内の組織改編に辺りそう言った。

 軍令部次長の伊藤整一中将などは艦に乗らなくても指揮できると意見を述べたが「指揮官先頭」の伝統があると押し切られた。

 だが普段は陸上の司令部で指揮し、複数の大規模艦隊が同時に作戦行動を行う決戦時に旗艦を定めて出撃できるという事に決まった。

 第三艦隊がディエゴ・スアレスへの奇襲へ向かうに辺り機密保持でコロンボにある第二艦隊は動かさずにあり古賀は陸の司令部で第三艦隊からの報告を聞く事となる。

 「惨敗ではないか…」

 古賀はそう呟くと放心したようになった。

 それは他の幕僚もである。成功を信じて疑わなかったのもあるが空母3隻に母艦航空隊の損耗という大打撃におののいた。

 「これはどうも敵に我々の情報が漏れていたか読まれていたか」

 連合艦隊参謀長である佐川宏一郎少将が私見を言う。

 「だとしたら我々は敵の罠にかかったのか。なんとも下手をやったものだ」

 意気消沈する司令部へ続報として山口の前衛部隊がドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」と重巡洋艦1隻を撃沈したと報せが入る。

 一矢報いた事にしばし司令部の空気は湧いた。

 「騒ぐのはそこまでだ」

 佐川が頃合を見て幕僚達へ告げる。

 「今回の作戦はどう見ても我が軍の負けだ。敵の戦艦と巡洋艦1隻づつと比べて空母3隻に航空隊の大損害ではな」

 古賀が分かり易く双方の損害を述べると勝敗はどちらか誰でも明らかになる。

 「特に母艦航空隊の損失が気になります。数によっては作戦行動できる空母の数が減ります」

 航空参謀の内田峰地大佐が言った。

 無事な空母があっても空母での発艦や着艦の技能を持つ搭乗員がいなければ空母は戦力とはならないからだ。

 「もしも我が軍の空母戦力が少ないとインド洋で我が軍は制空権を奪われたも同然です」

 内田が更に深刻さを言うとまた空気が重くなる雰囲気になった。日本より劣る海軍と思っていたドイツ海軍も今や大型空母だけでも5隻は運用している有力な機動部隊があるのだから。

 「こちらの基地航空隊と残存空母と合わせれば対抗できないか?」

 古賀は見出した希望について問いかける。

 「能力として出来ますが、今の印度戦線から基地航空部隊を引き抜けば印度上空の制空権確保や対地支援が難しくなります」

 内田が言う印度戦線は陸の前線を指す。

 二週間前にドイツ軍のインド侵攻により始まった日独戦は日本とインドの連合軍が劣勢になっていた。

 地上戦はもちろん、空の攻防も押されていた。

 ドイツは先の大戦で戦ったレシプロ戦闘機であるFw190やBf109を投入したがTa152など新型レシプロ戦闘機にジェット戦闘機であるMe262も投入していた。

 日本は陸軍が六式戦闘機「彗燕」に五式戦闘機・四式戦闘機「疾風」・三式戦闘機「飛燕」を投入し、海軍は「烈風」に零戦・雷電・紫電改・震電で対抗した。

 新旧入り混じるとはいえ速度が最低でも600kmを越えるドイツ機に100機撃墜のエースが乗るドイツ空軍精鋭による猛攻に日本陸海軍航空隊は損耗を強いられた。

 それでも日本・インド連合軍の前線上空をなんとか守っていた。それは陸海軍の航空戦力を集めてである。もしも敵機動部隊攻撃に引き抜けば空の均衡は崩れかねない。

 「陸の戦はどうにもならんな」

 インドで繰り広げられる攻防戦は海軍航空隊も戦っているが陸軍の戦場だ。連合艦隊ではどうにもならない。海軍の都合で航空部隊を引き抜くのは容易いがそれでインドを失っては元も子もない。

 「長官、第三艦隊が動かせるか分かりませんが砲撃部隊は出撃させますか?」

 佐川は古賀へ可否を求める。

 苦戦が続く印度戦線で陸軍は艦砲射撃による掩護を海軍に求めた。海軍もとい連合艦隊は承諾したが実行の前提がディエゴ・スアレスに集結するドイツ艦隊に大打撃を与えインド洋の制海権を得てからであった。

 だが前提が崩れた。戦艦と巡洋艦を1隻づつしか沈めていない。敵空母に至っては無傷だ。陸上への砲撃任務を与えた艦隊がドイツ艦隊に妨害をされる危険が高いままなのだ。

 「第三艦隊による掩護は無理だろう」

 第三艦隊の被害状況は大雑把にしか分からないがすぐに再戦できるとは古賀も思えない。

 「だが、やらねばいかんだろう。夜間に敵地の海域へ行き日の出までには戻るようにするんだ」

 古賀は実行を決めた。

 既に出撃する部隊は第二艦隊より編成してあった。

 戦艦「金剛」と「榛名」に重巡洋艦「妙高」・「鳥海」および軽巡洋艦「酒匂」と駆逐艦6隻からなる挺身砲撃隊である。

 戦艦「金剛」型は先の対米英戦争の後に一時は練習戦艦となり一線を退いていたがドイツどの開戦が近い1947年2月に現役の戦艦として再就役する。

 海軍としてはもはや最高齢の戦艦を再び戦列に加えるのは対地支援火力の必要性が高まるだろうという予測からだ。

 そこにはイランやマダガスカル・アラビア半島も視野に入れた侵攻作戦の絵図を描いた陸軍と海軍の一部将校が結託した野望があるのだがそれはまた別の話である。

 こうした背景で再び戦場へ出る事となった「金剛」と「榛名」を中心とした挺身砲撃隊が出撃するのはもう少し先の事である。

 ここで戦艦の砲撃をアテにしている陸軍の方へ視点を移したい。

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