第7話 美術室は今日も騒がしく
次の日の美術室。
平穏を求め部室の扉を開ける。
油絵に使う絵の具や薬品、墨汁の匂いと静かな空間が心地良い。
ちなみに鍵は昨日のうちに変えておいた。鍵穴に幾つか傷があったので、抵抗していた変態が一人、いたのだと思う。
俺はいつもの机に鞄を置き、いつもの席に座り、いつもの画材を取り出す。
こうやってイラストを描く時間を作るのも一苦労だ。
感傷に浸っていると、部室の扉をガチャガチャする音が聞こえた。
「っちょ。こら、波戸ッ! 開けないか!」
ひろみちゃんだった。
美術部の顧問なのにほとんど来ないから忘れていた。いつもの癖で、防犯のために鍵をかけていたことを。
「まぁ、いっか」
気を取り直して作業に取りかかろうとするが、
「波戸ッ! お前今、まぁいいかとか思っただろ、そうだろ! 開けないと勝手に婚姻届提出するぞコラァ!」
……いろんな意味で焦りすぎだろ。
俺はため息をつくと美術室の鍵を開ける。ひろみちゃんがむすっとしながら入ってきた。
「波戸。いくら何でも顧問を閉め出すとは――」
「じゃぁ、防犯も兼ねて毎日来て下さいよ」
「そ、それは『お前の味噌汁が飲みたい』的な……」
「いや『先生の防犯能力が欲しい』的な」
「せ、先生の体目的なの……?」
「番犬的な目的ですかね」
そこまで言うと、イラスト制作に取りかかる。
「……まぁ、そこまでさっぱり無視されると逆に快感だけども。波戸。ちょっと先生の話を聞け」
「絶対にハンコは押しませんよ?」
「うん。それは後で交渉するとして取りあえず真面目に聞け」
ここまでの会話の何処に真面目になれる会話があったのか問い詰めたいが、ひろみちゃんに視線を向ける。
「前から言ってると思うが――」
「ハンコは押しませんよってば」
「違う。聞け。折角書いたイラストなんだ。コンテストに応募してみろ。良いところまで行くと思うぞ?」
「……折角ですが、趣味としてやっている事なので――」
「誰かに、褒めてもらえるというのはやる気に繋がるものだぞ?」
「……折られることもありますし」
調子に乗ってドヤ顔した日には、天狗の鼻は折られる物と決まっている。
「まぁそういうと思って、勝手に出しておいた」
「おい!」
「わめくな将来の旦那様。婚姻届より先に出してやったんだ。感謝しろ。で、結果が届いたんだが――」
「要らないですから!」
ひろみちゃんが胸の谷間から封筒を取り出した。なんちゅう所にしまっているんだ。
すこし暖かい封筒を開けると、中には選考結果と書かれた紙が入っていた。そこには。
「……佳作」
受賞おめでとうございますと、佳作の文字が。
「と言うわけだ。どうだ。これからちゃんとやってみないか? まだ将来を決めるときじゃないかもしれないが、チャレンジするのはいつだって構わないし、折れるのだって同じだと思うぞ」
「……ひろみちゃんが教師っぽいこと言うの初めて聞いたな」
「そうだろうそうだろう。普段は良妻賢母なセリフしかってオイ!」
「こっちがオイだよ」
紙を手に、複雑な思いが蘇る。
自信満々に応募し、友達に自慢して周り、落ちたときのショック。
それでも書き続けていたことを、病気なんじゃ無いかと思いながら……。それが。
「佳作、ねぇ」
「嬉しくないのか?」
「嬉しいから、複雑かな」
受賞するために書いた物と、趣味で書いた物。正反対の評価。
今回のは上達したから、かもしれない。だけど、果たしてこれで良いのかという複雑な思いがある。
「たとえば、趣味で書いてプロってか?」
そんなことを呟いていた。
「いいじゃないか。取りあえずの目標で、やって見ろ。ダメだったときはそうだな。ハンコを押す紙くらいは渡してやるぞ?」
「押さねぇよ。そこは慰めるとかだろ」
「お前には、慰めてくれる奴はいるだろう?」
ひろみちゃんが部室のドアを指さす。
そこにはうっすらとドアを開けてこちらをうかがっているゆうこ。
「……恐っ」
縦に開いてるから、頭部も見えるけど、瞳だけの化け物がこちらを覗いてるシチュエーションのようで不気味だった。
「まぁ、考えておけ。結論を出すのは早ければ早いほど良いが……。やり直しは効く」
「うっす」
俺はひろみちゃんの後ろ姿を見つめながら、本当に初めて顧問っぽいことを言ってくれたなと思っていた。
改めて、選考結果の書かれた紙を見つめる。
「佳作、ねぇ」
もしコメントを求められたら『教師が勝手に出しました』と言うことになるんだろうな。
丁寧に封筒に戻すと鞄にしまい、イラストに戻る。
やったーと喜べないほどに年を取り、思わず鉛筆が走るほどには喜んでいる自分を発見して、少しおかしかった。
なので、
「しなのん。絵、上手だよねぇ」
「うぎゃぁ!」
隣まで接近していたゆうこに気がつかなかった。
そうだった。コイツ覗いてたんだっけ。
「よし、私脱ぐね」
「なんでそうなる!」
「妻が、夫のためにヌードモデルになるのは当たり前だもの!」
ゆうこの乱入で、今日も趣味に没頭する時間は得られなかった。
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