第5話 少しで良いから平和が欲しい
放課後。
教室で辺りを飛び回り跳ね回りはじけ回るゆうこから開放される時間。
そう。開放される時間なのだ。
職員室から借りてきた美術室の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
美術室から漏れ出てくる絵の具や画材の匂いが心地良い。
カチャンという回転する音が響き、解錠される。
ふと上を見上げると、美術室と書かれた札が少し傾いているのに気がつき、少し背伸びをして元の位置に戻した。
安らぎの時間に期待を込めながらドアを開ける。
「待っていたよ、波戸ッ志那乃!」
ドアを閉めた。
鍵も閉めた。
「ま、まて波戸ッ! いきなり閉めるとはどういうことだ!」
「何で獅童先輩がいるんですか」
「っふ。私のことは心を込めて『京子先輩』と語尾にハートを付けて呼んでくれて構わないと言っているだろう?」
ガッチャンガッチャンと内側から鍵を開けようともがいている音が聞こえる。
俺は扉につっかえ棒をするため、美術室と書かれたプレートを取り外し、ドアのレールに無理矢理差し込み一時的にドアが開かないようにする。
鍵から手を離すと、勢いよく鍵が開けられたが、
「やった開いたぞ波戸ッ。今い……あれ、開かない。あれ?」
レールに挟まったプレートのおかげでドアは開かない。だがそれも時間の問題だ。
なので、掃除用具入れからモップを取り出し扉のつっかえ棒にする。
微妙に開いたドアを元の位置に強引に戻し、鍵を閉めてつっかえ棒を固定。
少し歪んだプレートを元の位置に戻してできあがりだ。
「ふう」
手を叩きながらひと息つくと、
「っちょ。波戸ッ! ひどいぞ。何たる仕打ちだ!」
「……じゃ、そういうことで」
このまま放置しておこう。
そう思って離れようとしたときだった。
「波戸ッ。頼む、開けて、くだ……さい。ぉ、とぃれぇ……」
扉の向こう側から、消え入りそうな声が聞こえた。
ガラスから覗くシルエットが、モジモジとしているが、罠だと思うから放置しようそうしよう。
「……もらす」
俺はため息をつくとつっかえ棒を外した。
とたんにドアが開かれ、中からケダモノが飛び出し、全速力でトイレへ走って行った。
「よし」
思いがけず楽園を取り戻した。
中に入ると鍵をかけ、持ってきたモップで反対側のドアにつっかえ棒をする。
表側からは入ってきたところが。反対側は内側からつっかえ棒が出来るようになっている。
これは災害時、廊下に瓦礫などで開けられなくなってしまう事を考えての事らしい。
……スライド式のドアで考えることなのかとは思ったが、今はありがたい。
「っちょ、波戸ッ、閉め出すな!」
トイレから戻ってきた獅童先輩の進入を防ぐことが出来るのだから。
ガッチャガッチャと扉を開こうとするが、『カチャリ』頑強な鍵は獣の侵入を――え?
「ふっふっふ。私が中にいた時点で気がつかなかったのか? 鍵を持っているかもということに!」
つっかえ棒をしていないドアの鍵を開けやがった。
キーホルダーを指に通してくるくる回し、自慢げに仁王立ちする先輩。
薄く茶色がかった長い髪と、に制服の上からでも存在感を放ち続けるマウントフジ。
スカートは短く、ニーソとの絶対領域が眩しい。
自信満々に胸を反っているため、豊かな山脈がたわわに揺れる。
以前、ブラのサイズがEでは小さくなってしまったと耳元で呟かれたことがあるが、確かに立派な物をお持ちだ。
女子も男子もうらやむプロポーションだ。
だが、俺だけが知っていることがある。
「さぁ、私のラノベのイラスト、書いてもらうぞ!」
この人も変人の部類だ。
もう変人なんて、家族だけで十分なんだよ。
「俺は趣味でイラスト書いてるだけなんです。そういうつもりはありません!」
「今ならこの私のヌードデッサンも、サービスしてやる!」
若干の興味はあったものの、残念なことにハダカは見慣れている。
だから呼吸の度に上下に揺れ、ブラのサイズとかの問題じゃ無くて、耐久性じゃ無い? とかいう疑問も浮かんでこない。
「間に合っています」
「遠慮するな。どうせなら、さ、最後まで付き合ってやっても、いいんだぞ?」
「お断りします」
「なにぶん、初めてだからきんちょ、って断るとか!」
だって変人だもの。
黙ってりゃ美人で口を開かなければ高嶺の花。
ラノベを書いてなきゃ今頃三年生の獅童京子先輩は、俺が美術部でせっせと趣味にいそしんでいるところを目撃してから、しつこく勧誘してくる。
いや、評価してもらった事は素直に嬉しいが、なにぶん変人はもう要らない。
「ホント、お断りさせて頂きます。先輩」
「波戸ッ。私たちは同学年だ。だから先輩なんて他人行儀なことを――」
「獅童京子先輩、鍵を置いてお引き取り下さい」
美術部の合い鍵なんていつの間に作ったんだか。
「……私と、別れたいってことなのね」
「いつ付き合った」
何かのスイッチが入ったかのように、先輩が瞳に影を宿した。
胸に手を当て、キュッと拳を握る。
その姿は映画やドラマの中のヒロインのように綺麗だった。
壊れそうで、儚く消えてしまいそうなそんな雰囲気を出している、が。
「良いわ。でもこれだけは覚えておいて頂戴。私はあなたを手に入れる日まで、鍵を量産し続けることを」
余計なひと言が無ければなぁ。
「通報しますよ?」
「警察怖くて作家がやれ、あぁ携帯を取りだして電話しないで下さい。今もめ事は困るのぉぉぉぉ!」
先輩が携帯を持つ俺の手にすがりついて来る。
「だから鍵を置いて帰って下さい。そして二度と部室と教室と男子トイレに現れないで下さい」
「なっ。私に死ねと言うのか!」
「どうしてそうなるのか解りません! っていうかなんで部室に進入してるんですか! ホントに通報しなきゃいけなくなりますよ!」
「それは……。確実に捕まえられるのが美術室しか無かったから」
「……いつから?」
「お昼から」
「……アンタ授業出ろよ」
だから留年するんだ。
「私には、ラノベが大事なのだッ。でもイラストレーターが逃げ、もとい音楽性の違いから解散してしまって、次が出せそうに無くてな」
「何処のバンドだ帰れコノヤロウ!」
「お願いだぁぁぁぁ!」
先輩が絶叫したその時、部室のドアが開かれた。
そこには、
「志那乃?」
ゆうこが部室の外から、俺たちを見ていた。
椅子に座った俺の手を、先輩が膝立ちで正面から握り……これは、ヤバイ気がする。
ゆうこの目はうつろで感情が消えていて、惨劇の予感がした。
「ずるい、私の志那乃なのにぃぃぃぃ!」
「あなたは家で独占してるでしょ。それ以外の時間は私に頂戴!」
「この、ドロボウ犬!」
「そこは猫でしょう!」
犬と猫が、俺そっちのけでケンカを始めた。
たのむから部活ぐらい、まともにやらせて欲しいと思う。
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