第3-4話 木曜には終末の誘いを
水曜日、そして、木曜日。中臣の奴は、学校に来なかった。
涼宮の被害者は三人目に突入し、奴の不機嫌な様子は今までにないほど露骨なものになっていた。
それでも閉鎖空間が発生しなかったのは、「明確な苛立ちの対象が外にあれば意識はそこに向くから、世界を壊そうなんて思わない」とかいう中臣の理屈が当たっていたからだろうか。
とにかく、事態は停滞したまま、時間だけがじりじりと過ぎていったのである。
◆ ◆ ◆
「お疲れさま。谷口さんは素直で素晴らしい。きちんと約束を守る子どもは、よい大人になります」
放課後、花屋なんていう、俺の日常生活のパターンからすれば本来まず寄り付かないようなお洒落スポットに直行すると、そこでは麗しきエプロン姿の美人看板娘、森さんが出迎えてくれた。
まるで、そうでない子どもに手を焼かされたかのような言動だ。その言いぶりだと、中臣の奴は森さんを手こずらせたんですかね。
「ええ、手を焼きましたよ。『機関』で最初に中臣と接触したのは、私でしたから」
あれ、そういうのはてっきり、新川さんだったのかと。一緒に暮らしてるって話だし。
「多少歳が離れているとはいえ、親戚でもない男女が一つ屋根の下で暮らすのも体裁が悪いでしょう。男女七歳にて席を、というものですよ」
まさか孔子レベルの倫理を解かれることになるとは思わなかったね。まあ、そういうのが様になるのが森さんというクールビューティたる所以でもあるのだが。
しかし、あの姉一筋の中臣が、いくら森さんがお美しいとはいえ他の女性にむらっとくるところなどちょっと想像し難い。そういう甲斐性があるのなら、もうちょっと東中美女ランク上位陣の先輩方からの思わせぶりなモーションになびいたりしてもいいだろうからな。羨ましい奴め。来るもの拒まずな涼宮もどうかと思うが、人生の何割も損をしていると思うぜ。もっとあいつは、今を楽しく生きる努力をするべきなのだ。
「……よかった。きちんと、クラスメートをしてくれているのですね」
そりゃあ、森さんみたいな素敵な淑女に頼まれて、断るような朴念仁は早々いないでしょうよ。
それにまあ、俺もあいつは放っておけないところがあるし。どうにもしっかりし過ぎて不安っていうか。
「昔から、そうだったんですよ。中臣は。無理をして、完璧を目指して、隙を見せようとしない。だから、谷口さんと話をしている様子を見て、ああ、やっぱり年相応の子どもだったんだ、と安心したものです」
はあ、あれで。俺からすればあれでも超優秀な出来過ぎ君ですがね。
「
そこまで森さんが責任を感じる問題ではないだろうに。まるで中臣が一人になっちまう原因を、森さんが作ったような言いぶりではないか。まあ、そこがこの人の美点でもあるのだろう。凛と自分を律するエプロン美人。俺が十は齢を食ってれば真剣にお近づきになれないか画策するところだが、きっとこの人にとって俺は中臣と同じく、庇護すべきガキの一人でしかないのだろうな。
それで、中臣消失の手がかりは見つかったんですか?
「いいえ。朝倉……『情報統合思念体』の
そいつは、タイミングが良すぎないですかね。まるで、中臣をさらった奴らに、その情報なんちゃらが協力してるみたいだ。俺ですらそう思うんだから、他の賢いメンツが気づかないはずはないと思いますが。
「ええ。『学派』と『情報統合思念体』が手を結んだとすれば、それは『
その、補助第二端末だの、主導第一端末だのっていうのは、なんなんです。こちとらお米の国の人なもんで、あんまりカタカナが並ぶと理解するにはナイフとフォークが必要なんですがね。
「『情報統合思念体』というのも一枚岩ではないらしくて、それぞれ主義主張の異なる三派閥から、それぞれこの街に1人ずつ
……ちょっとちょっと、俺の脳みそはそろそろ新規設定に破裂寸前なんですが、要するにそいつはどういうことなんでしょうか森さん。
「ごめんなさい。現地責任者に相当する主導第一端末とうちの渉外部にはコネがあるということ、細かな行動については『情報統合思念体』端末も個々の思惑混じりで動いているということ、このあたりだけを押さえておけば問題はないでしょう。組織ぐるみで『情報統合思念体』が敵対しているわけでは、今のところないってこと」
それはあんまりいい話ってわけではない気もするんですが。『急進派』なんて、いかにも『学会』と裏で繋がっていそうな響きじゃないですか。
「もしもそうなったら、『主流派』と『穏健派』をぶつけて、私達は『学派』を潰すだけのこと。単純でしょう? 中臣をたぶらかした罪は、きっちり清算してもらわないといけないですからね」
……? 一瞬の違和感。だが、そいつは歯茎に浅く刺さった魚の小骨のようにかすかな痒みだけを残してあっという間に流れて消えていった。
気が付けば、愛しの我が家はすぐそこに。これ以上近づくと、母親に見とがめられてまた面倒なことになる。中臣やその保護者の新川さんならともかく、妙齢のエプロン美人であるところの森さんとの下校だなんて、俺もどう説明したらいいか思い浮かばないからな。
足を止めた森さん。今日はここまで、ということらしい。
目の前の家の扉へと歩を進めれば今日はここでおしまい。超能力時空はいつもの日常へと戻る。
だから、その前に、一つ聞いておかないと。
森さん。もしも、過去の失敗をなかったことにできるとしたら、どうしますか?
「抽象的な話ですね」
思春期にありがちな、観念的で漠然とした相談ですよ。もしも嫌でしたら無視してもらっても構いませんが。
「――それにかかるコストと、その失敗の大きさを天秤にかけて、ですね」
……驚いた。てっきり森さんは、過去を変えるなんて、もっての他とおっしゃるかと思ったんですが。
「私とて、そこまで強くはありませんよ。失敗などない方がいい。それによって誰かの命や財産が失われたならなおさらだ。「なかったことにできる」というのが、その償いの手段という意味なら、選びたいに決まっています。ただ、それにかかるコストが非現実的だから、こうして普段生きている中では、どこかで線を引いて諦めざるをえない。それだけのことです」
森さんは、外国ドラマの俳優が肩をすくめるように両手のひらを上にして掲げて見せた。
「常に、天秤にかけるのですよ。生きるとは選択の連続で、選択とは選んで捨てること。いつだって、その時々で選択肢を心の天秤にかけて、皿が掲げた軽い方を切り捨て続けるしかない」
左右の手を天秤めいてゆらゆらと揺らす森さんは、夕暮れに照らされて、どこか幻想的に見えた。
「罪悪感があっても、倫理的に正しくなくても。選択の根拠を倫理や他人に委ねることもできますが、最も後悔が少ないのは、結局そうやって決めたことなのですから」
それで、誰かと意見が食い違ったら?
「それは、悲しいことだけれど、起きていけないことではありません。折り合える地点を探って、どうしようもなければ袂を分かつし、けれど人間、意見が違っても案外併存できるものですよ。結局、どこまでいっても、私達は同じ世界に生きているのですから」
両の手をぱん、と胸元で合わせて、森さんは俺のぼんやりした問いへの回答に区切りをつけた。
「さあ、お話はここまでです。今日は、変な時間に家を出たりしないようにしてくださいね」
げ。ばれてましたか。
くるりと背を向けると、エプロンの裾が風を受けて翻る。その後ろ姿は思ったよりも小くて、ああ、森さんもまた、一人の女のひとなのだなあと俺は当然のことを今さらながら実感していた。
◆ ◆ ◆
その日の晩、電話が鳴った。
たまたま、俺が廊下に通りかかったタイミング。
受話器を取る。なんとなく、誰からの電話か、わかってしまった。
「やあ」
案の定の声だ。心配したぜ、中臣。
「少し、地ならしに手間取った」
世界を変える準備かよ?
「ああ、そうだ。谷口。君の力を借りたい。全部終わらせて、僕と、欠落を埋め戻そう」
そんなことが、できると思ってるのか。
「できるよ。涼宮ハルヒの力があれば」
中臣、おまえは。
「詳しくは、直接会って話そう」
……そうかよ。
「また、教室で」
そういって、一方的に通話は終わった。
母親が台所から、電話の要件を訪ねてくる。
中臣から、終末のお誘いだとよ。
ヤケクソ気味に答えると、俺は自室へと飛び込んで布団をひっかぶるのだった。
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