第3-2話 火曜に敵が明かされる
翌日。いつもより5分ほど早く教室に滑り込んだ俺の視界に、やっぱり中臣の姿はなかった。
おいおい、どうしたっていうんだ中臣よ。
チャイムとともにやってきた担任によると、中臣はたちの悪い病気にかかって急遽入院するはめになったらしい。
女子連中がざわざわと色めき立つ。やはりあいつはクラスでも大人気の王子さまなのだ。小癪なことに。
まあ、そんな反応に対してやっかみを感じる以前に、俺の頭を支配したのは無数のクエスチョンマークであった。中臣が? 病気? 入院だと?
確かにあいつがここのところ様子がおかしかったのは事実だ。病は気からと先人は言うし、精神活動が脳という器質的肉体のパーツで生み出される以上は心と体が繋がることもまあありえないとは言い切れないだろう。だが、なぜか俺はそんな穏当な当たり障りのない結論に対して、納得がいかなかった。
まあ、中臣不在の理由がどうであれ、放課後になれば頼むまでもなく、新川さんか森さんあたりに話を聞けば真相はわかることだろう。一応本当に入院だとしたら、見舞いにチョコラスクの一つくらいは差し入れてやってもいい。あいつはまだアレを食ったことがないようだし、この前の授業中の借りもある。東中にいながらにしてこの名物を味わったことがないなんざ、牛丼屋で肉抜きの丼を頼むようなもんだからな。
昼休み開始直後の猛ダッシュにより、高競争倍率を誇る隠れ人気商品チョコラスクとカツサンド、ついでに紙パックのカフェオレを確保した俺は、教室に戻ると一人、ぼっち飯を食らうことにした。いつもは弁当をこしらえてくれる母親が今日は寝坊したこともあり、なんともわびしいランチタイムとあいなった。
いつもは中臣とくだらない話をして過ごす昼休みだが、今はぼんやりとクラスの雑談に耳を傾けるほかやることがない。と、その中に、なかなか聞き捨てならない話題があった。
――涼宮さん、隣のクラスの男子に告白されたんだって。
――うそ? どうなったの?
――それがね、OKして、デートして、翌日振ったんだってさー。
――なにそれ!?
――その理由がね。「普通すぎる」って。
――あと、なんかその男子、妙に北高に知り合いがいないかと聞かれたとか。
――嘘でもいるって言っておけばよかったのかなって落ち込んでたよ。
――やっぱり不思議ちゃんよね、涼宮さん。
――ねー。
涼宮よ。今度の奇行はそっち方向か。
まだオカルトな儀式めいたことなら学校の教師が頭を抱えるだけですむが、純真な下心持ちの男子中学生にトラウマを刻むような真似は謹んで差し上げろと思うね。
いや、うかつな接触は厳に慎まねばならない立場だから心の中で呟くだけだがな。
正直、涼宮みたいな美人に告白してOKされたときの舞い上がりっぷりと、わけのわからん理由で初デート後に振られたときの沈みっぷりの感情の相転移はこの地球の資源問題を解決できるくらいのエネルギーを生み出しかねんだろう。同じ思春期の男として、想像するだに痛々しい。犠牲になった男子君には心の底から同情するね。どうかおまえさんに気立てのよい彼女さんができますように、だ。
そんなことを考えながら甘ったるいカフェオレを啜っていた俺は、危うくそれをテッポウウオの狩猟モードの如く噴き出しかけた。
なぜって? それは、涼宮が、教室へと戻ってきたからだ。それだけなら別に驚くべきことではないが、なんと教室の入口に、満面の笑みの上級生男子が立っていたのだ。
……まさかとは思うが、あれが涼宮の第二の犠牲者か。
涼宮の目的がどうあれ相手が仏陀の如き包容力をもって付き合い続けて、こいつに平凡な恋愛の良さでも体験させてやりゃあ全てはうまく解決するんではなかろうかと思わなくもないが、その可能性はチンパンジーがランダムにキーボードを撃ち続けてシェイクスピアを書き上げるほどに低いんだろうな。救われない話だ。
第二の犠牲者……もとい涼宮の第二の彼氏となったと思われる勇気ある上級生先輩は、律儀にも放課後に彼女をお迎えに上がり、エスコートしていった。これから初デートといったところだろう。さて、彼がうまくやってくれることを祈るばかりだ。少なくとも涼宮が無意識化で世界を壊したくなるほどの大ポカをやらかしたら、苦労するのは俺らなんだからな。
◆ ◆ ◆
放課後、森さんの勤める花屋に赴くまでもなく、校門で俺を待ち構えていたのは、もはや見慣れたリムジンと、完璧な姿勢でもって直立する新川さんだった。というか、平凡な公立中学校の前でそれは嫌でも悪目立ちするので勘弁していただきたい。
俺は突き刺さる視線から逃げるように、『機関』御用達リムジンのふかふかシートへと身を投げ出した。
「中臣が、消えました」
既に後部座席に座っていた森さんの言葉に、耳を疑った。あまりにも唐突な言葉だった。
消えたってなんだ消えたって。一人閉鎖空間に巻き込まれた? なら助けに行かないとまずいだろう。
「言葉通りの意味ですよ。閉鎖空間が発生したなら、私たちがそれを感知できないはずはない」
「行方不明なのです。私の管理不行き届きですな、申し訳のしようもありません」
車を発進させながら新川さんが言う。そういえば、以前中臣と同居しているようなことを言っていたな。毎日の送り迎えもしているし、よく考えれば当然か。
「日曜の夜に屋敷を出て、そこからの消息が掴めません。個人口座から資金が引き出された形跡もなし」
それは、もはや警察に出張ってもらうべき話じゃあなかろうかと一小市民である俺は思うのだが。
「無論、届け出は出していますよ。中臣は閉鎖空間の外ではただ賢いだけの少年です。何らかの通常の事件に巻き込まれた可能性だってある。その場合は、警察の出番です。……ただ」
「『学派』だった場合は、厄介ですな」
また『学派』か。それってのは一体何なのだ。話の流れから、何やらろくでもない集団のようなのはわかるんだが。
「『学派』は、かつて『機関』に所属していた人間が袂を分かって作った一派です。『機関』が涼宮さんの日常と、この世界を維持し、彼女の能力に対してはできる限り刺激しないスタンスでいるのに対し、『学派』は、涼宮さんの能力をより積極的に利活用するべきだと主張している。端的に言えば、敵対組織です」
思考が、止まった。
涼宮の力を、利活用する。その姿勢に、俺は思い当たるものがあったからだ。
『涼宮さんが今の世界に不満を持って、世界を作り変えようとするなら、新しく生まれる世界は涼宮さんの望むようなものなるはずだ。そして、その世界に、僕らが失った人がいて当然だ、その方が良い世界だと涼宮さんに……《神人》に思わせることができれば、新しい世界は「その人が生きている世界」になるんじゃないかと、僕は思っている』
先週、中臣が口にした言葉。
『彼女を、取り戻したくはない? 谷口』
俺に手を差し伸べてきた、そのときの表情。
俺の内心を知ってか知らずか、森さんは説明を続ける。
「『学派』は『機関』と比べればはるかに小規模です。能力者もいませんから、閉鎖空間の中での活動に干渉はできない。せいぜいが、涼宮さんや私たち能力者にちょっかいをかけようとしたり、『機関』の情報を掠めとるのが関の山。これまで、古泉が陣頭指揮をとって渉外部が牽制することで行動をほとんど封じ込めてこられました。谷口さんも、そういう存在を意識したことはこれまでなかったでしょう?」
うげ。すると何か。あの古泉某がしくじってたらある日突然俺が謎の黒服系の輩に拉致監禁されるルートもありえたってことか。
「可能性が0とは言いませんが、させません。あなたの警護担当は私ですから。むしろあなたの場合、『学派』を牽制するより、あなたの道場の姉弟子に怪しまれないようにする方が骨が折れました」
「……重ね重ね、申し訳ない限りです」
「失礼。新川の仕事ぶりを皮肉ったわけではありません。ただ個人的に、護衛対象と決めた子どもを危険にさらすことだけは、二度としないと決めているだけのことです」
「ともあれ、そういった経緯から、中臣さんの行方不明には、『学派』が関わっている可能性が高いと私達は考えているわけですな」
『機関』っていうのは、そこそこ大規模な組織じゃないのか? この前の話じゃあ、超能力者の候補として、涼宮と接触したとがあって特定の経歴を持ってる奴を把握できるくらいの情報収集能力があったはずだが、それをもってしても、中臣を見つけられないってことなのか?
「ええ。それが、謎です。確かに『学派』には『機構』の出身者がいる以上、情報網の隙間を知っている可能性はある。けれど、中臣が何か抵抗した跡も残せないほど鮮やかに作戦が遂行できるとは思い難いのですが」
いやな汗が手のひらに滲む。口が裂けても言えない悪い予想が頭を巡る。
「ともあれ、そういったわけで、谷口さん。あなたにも危険が及ぶ可能性がある。学校の敷地内は問題ないでしょうが、明日から校門に私が迎えに行きますので、そのつもりで」
ちょっと待ってください森さんあなたはナニをおっしゃってらっしゃりやがるのですか。校門にあなたみたいな超絶美人なエプロン姿の花屋の看板娘を待たせた日には学校中に噂になっちまうでしょうが。涼宮の異常探知にびこーんですよ。あいつの日常を保つならできるだけ目立つなよってのが『機関』のスタンスじゃあありませんでしたか。
俺のとっさの言い訳に、森さんはしばし考え込む様子を見せると、小さく頷いた。
「……確かに。私としたことが、少し冷静さを欠いていたようね。ごめんない。それじゃあ、帰りに花屋に寄るようにして。それで手を打ちましょう」
その回答に、俺は内心で安堵の溜息をつく。
……安堵? なんでだ? というか、そもそも俺はなんで二人に隠し事をした?
俺は、中臣の真の目的を知っている。
涼宮の力を使って世界を作り変え、姉を蘇らせること。
それは、『機関』の方針に反するもの。今聞いた話によれば、その対抗勢力である『学派』のそれに近い。
ならば、中臣のこのタイミングでの行方不明は、奴が誘拐されたというより――あいつ自身が自分の意志で『機関』から『学派』に宗旨替えをした可能性だってある。
明らかに『機関』の方針とはかけ離れた、あいつの目的。
気持ちはわからなくもない。たぶん、『機関』の誰より、俺の気持ちはあいつに近いと思う。
欠落をきちんと過去として消化できていない、その未熟さにおいて、俺とあいつは似た者同士だ。
だからか。俺は、森さんや新川さんに、中臣の目的や、寝返りの可能性を伝えることができなかった。
どうしてだ? 俺もまた、中臣と同じことを望んでいるから? 本当に?
思考がまとまらない。何が正しい? 俺はどうすべきだ?
俺が黙り込んだのを、中臣に危険が及んだことへの不安と見たのか、森さんは珍しく微笑みを浮かべた。
「安心して。中臣は取り戻します。彼みたいな子を巻き込んだ責任はきちんと取らないと、彼の「姉さん」に申し訳が立たないから。また、みんなで戦えますよ。きっと、大丈夫」
その笑顔はとびきり美しくて、だからこそ俺の罪悪感をじりじりと炙った。
頼むから、焦って下手な真似はしてくれるなよ、中臣。
こんな美人だって、おまえを心配してるんだ。それを裏切ったり、しないよな?
おまえは俺が『機関』なんてへんてこな組織に所属するようになった原因で、命の恩人で、昼飯仲間だったろうが。男に対してこんなことを言うのは業腹極まるが、一応おまえみたいなのでも、俺の精神安定に欠かさざる存在の一つだったりするんだぞ。
俺は、鞄に放り込んだチョコラスクの包みを指で確認すると、どこにいったのかもわからないランチ仲間に向かって、届くはずもない祈りを捧げるのであった。
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