第3章 孤鳥症候群

第3-1話 月曜に彼がいない

 

 月曜日という、休日明け一発目という立ち位置のせいで一週間で最悪の好感度を誇る哀れな平日になぜ月なんて雅な名前をつけやがったのか、そういえば月ってのは狂気の象徴だった気もするし、ああ休み終わっちまったよ明日から仕事か学業か、とにかく辛ェなあオイという狂おしいばかりの苛立ちをルナティックに表現しようとしたってことかもしれんことだなあ、名も知らぬ月曜日の命名者よ、今、時を越えて俺たちはわかりあえた、的な思考の空転をさせながら俺は痛む体を引きずりつつ、筋肉痛のせいで体感時間的に数十倍に引き延ばされた通学時間を無為に潰していた。


 なぜそんな無意味な妄想に俺が逃避していたかといえば、そうでもしなければ考えたくもない色々が頭に浮かんでしまうからである。


 具体的には、あの古泉一樹とかいう『機関』の人間のうさんくさい笑顔とか、先週、『共有』とかいう奴の新能力を使ってやっと超巨大な《神人》を倒した後の、知りたくもなかった涼宮周りのろくでもないパワーバランスだとか、中臣の握りしめた震える拳だとか、そういう類の厄介ごとだ。




「《神人》の巨大化の背景には、あなた方が確認したという、校門前で涼宮さんと遭遇した男女の影響があると考えられます。正直に言えば、『機関』は、あの男女の特異性を認識していました。とはいえ、涼宮さんと接触した結果、《神人》の強化がなされるとは予想だにしていませんでしたがね」


 あの戦いの後、古泉は俺に着替えを渡しながら、頼んでもいないのに朗々と様々な裏事情を語りだした。おまえはアレか、RPGでラストバトルの前に全ての伏線を回収するためにべらべら背景を解説してくれるラスボスか、そうじゃなければ2時間サスペンスドラマで海沿いの崖の上で追い詰められた真犯人か何かなのか。 というか、この着替え、俺の着てきたやつとまるきり同じ服じゃねーか。ストーカーかテメェは。


「アレは、何者です? 涼宮さんと妙に親しく話していた他に、特殊な点はない平凡な青年に見えましたが。女性も、ただ眠っていただけのようでした」


 森さんの問いかけに、古泉はわざとらしく首をひねると、もったいぶるように溜めを作って、


「――『未来人』。そのように聞いています」


 予想の成層圏を遥かにすっ飛んでいく第二宇宙速度を突破した妄言を投げつけてきた。


 中臣の体が、びくり、と震えた。ああ、さすがに今の言葉をおかしいと思うのは俺だけではなかったか。少しほっとしたぞ、我が平穏な日常の象徴、ランチ仲間よ。


「情報提供元は? あの端末の少女ですかな?」

「ええ。『情報統合思念体』からの情報ですよ。彼らの特性上、確度は高いものと思われます」


 なんだなんだ、どんどん知らない単語が出てきたぞ。なんだそのじょうほうなんたらプリン体とかいうのは。パソコンを痛風にしたりするようなコンピューターウィルスの類なのか。


「乱暴に言えば、宇宙人、とでも表現するべき存在よ。『情報統合思念体』はね」


 俺の冗談に返事をしたのは、森さんだった。思わず彼女の顔を真正面から見返したね。宇宙人? 冗談だろ? だがしかし、絶望的なほど森さんはいつもの真面目なクールビューティであり、俺の常識水準はまたしてもアレな方向に書き換えられるはめになった。


 いるんすか。宇宙人。あと、未来人。マジか。


 うええ、すげえな涼宮。いるってよ、宇宙人も未来人も。おまけにテメェの前で居眠りこいてるこの俺は、パートタイムの超能力者ときたもんだ。そのうち異世界人もこんにちはってひょっこり顔を出してきやがるんではなかろうか。


「僕たち『機関』の他には、『学派』、『情報統合思念体』、そして仮称『未来人』。これで、涼宮さん絡みの勢力は4つになったことになりますね」

「『未来人』は、どのようなスタンスなのですか? あの青年の様子を見る限りでは、私たちに近い印象を受けましたが。『情報統合思念体』の端末が妨害しなかったのであれば、『学派』ほど過激ではないのでしょう?」

「ええ。しかし、そのせいで我々は危険に晒されたわけで、その点は確認を取る必要があるでしょう」

「『情報統合思念体』の目的は、涼宮さんの力の分析と理解。異分子である『未来人』と接触させることで、何らかの反応があると期待したのかもしれませんな。結果として、《神人》の強化という形でそれはなされたと」

「迷惑な話ね。それで、今後はあの『未来人』も、今後はマークすべきかしら?」

「いえ、『未来人』は『情報統合思念体』の力を借りて、元の時間平面へと戻ったそうです。この時間軸に干渉はしばらくないはずだと」

「それは、確度の高い情報か? 補助第二端末セカンダリ・デバイスの言動にはノイズがあるぞ」


 それまでずっと黙っていた中臣が、平坦な声で口を挟んだ。


主導第一端末プライマリ・デバイスからの情報ですよ。天岩戸の彼女が珍しく接触してきたのです。まず間違いはないかと」

「……そうか」


 無感情な声、ではないように聞こえた。無感情であることを振舞おうとして、情を押し殺した声。


 多分こいつは、あの、「姉さん」にそっくりな彼女に触れる手がかりが途切れたことを今のやりとりだけで理解して、それでなお、ショックやら落胆を飲み下したのだ。


 握った拳が震えているのは、それでも動揺を制御しきれないからだろう。

 完璧に自分の気持ちをコントロールできていない中臣の様子を見て、俺はむしろほっとしたね。やっぱりこいつは、どんなに大人びていてもちゃんと俺と同年代の子供なのだ。


「ともあれ、状況は混沌としてきましたが、我々がやることは変わりません。閉鎖空間の発生に対応し、《神人》を排除して、今の人理の存続と涼宮さんの日常を守ること。それ以外の難しいことは、渉外部門で何とかしますよ」

「我々、ということは、古泉、あなたも?」

「ええ。ようやく『学派』からの内通者も処理できました。僕が渉外に回らなくても問題ないでしょう。『共有』がなければこれからの戦いは厳しいものになるでしょうし、前線に復帰させてもらいますよ」


 頼むから三行くらいで説明してくれないか。おまえは設定の多いラノベの解説役か。


「涼宮さんは色々な勢力から注目されている。『機関』は涼宮さんの日常を守る。谷口さん、あなたは僕たちとともに《神人》を倒す。シンプルでしょう?」


 ああ、よくわかったよ。おまえが何を言ってもうさんくさい野郎だってことがな。



 ◆  ◆  ◆



 ともあれ、そんな消化不能なほどの新設定をフォアグラ用のダチョウよろしくぱんぱんに詰め込まれた俺は盛大な知恵熱を出してせっかくの土曜日曜をふいにしてしまい、現在に至るのであった。


 古泉はさも俺には関係ないような言い方をしていたが、あのときの大人連中の会話には端々に無視できない要素がちりばめられていた気がする。


 まずは、涼宮絡みの組織のパワーバランス。


 中臣たちが所属し、俺が協力している『機関』。目的は、《神人》による世界崩壊の阻止と、涼宮の日常の継続。主な構成員は《神人》に対抗できる超能力……古泉は『欠落ロスト』とか言ってたか……の使い手。今までに閉鎖空間に『機関』の人間以外が現れたことがない以上、おそらくは、閉鎖空間への入場権は『機関』の専売特許なのだろう。


 次に、森さん曰く宇宙人のようなもの、な『情報統合思念体』。目的は新川さんが、涼宮の力の分析と理解とか言っていたか。『機関』と情報交換をしている以上、両者の利害はある程度一致しているようだ。端末デバイスとかいう協力者がいて、それを通じて古泉たちとやりとりをしているらしい。


 そして、先週現れた『未来人』。どこからどう見ても平凡な男子北高生に見えたが、そのネーミングからするならば、未来からタイムスリップしてきたことになる。やったことはと言えばハルヒに協力して校庭に落書きをしただけだが、それによって《神人》は一気に巨大化・強化された。さらに、男子北高生が背負っていた女性は、「数年前の写真に映っていた」中臣の姉とまるきり同じ姿をしていた。


 最後に、『学派』。皆は当然のように知っている存在らしく詳しい情報は皆無だったが、どうやら『機関』の敵対組織であるようだ。


 今まで俺は単純に世界を壊しそうなバケモノを退治するだけの部分しか『機関』を見ていなかったが、実のところ相当に複雑でヤバい業界に足を突っ込んでいるのではなかろうか。


 まあ、涼宮の力が世界を壊しかねないだのなんだのというのが事実なのだとしたら、それを巡って水面下でいざこざが起きるのはむしろ当然といえば当然の話だ。


 元から俺は考えるのが苦手なのだ。考えられないほどまったくの馬鹿なわけではないが、師匠曰く「君は考え始めると悪い方へ悪い方へと流れがちだからまずは体を動かすべきっさー」らしい。


 改めて、道場に顔を出すべきかもしれないなあ、などと考えながら、俺はいつの間にか辿りついていたいつもの教室のドアを開けた。


 涼宮はいつも通り、不機嫌そうな表情で窓の外を見ている。校庭落書き時点でこってりしぼられたせいだろう。まあ、それを目の前にしながら止めなかった俺も同罪といえば同罪だが、勘弁してくれよ。


 席に着くと、妙に視界が広いことに気づいた。いつも俺より先に席で予習だのをしているはずの中臣の姿がなかったのだ。


 なんだ、中臣よ寝坊か、珍しい。まあ、あんなことがありゃあ色々考えることもあるだろう。


 ほどなくしてチャイムが鳴る。


 中臣は、まだ来ない。


 一時間目が始まった。


 中臣は、まだ来ない。


 二時間目が始まって、三時間目が始まって、四時間目が始まって、五時間目が始まった。


 中臣は、とうとう、学校に、来なかった。 

 

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