第2-4話 ジャイアントキリング

 駆けだした中臣と、こいつの姉と同じ顔をした美少女。

 二人を分断するかのように、突如、七夕の校庭は灰色――閉鎖空間に包まれた。


「な――?」


 基本的にポーカーフェイスのはずの森さんが驚きの声を漏らす。

 俺はといえば、そんな余裕もないほど呆然としちまったさ。


 グラウンドには、《神人》が立っていた。


 それ自体はおかしいことじゃない。俺の常識基準点が盛大にずれはじめていることに危機感を覚えなくもないが、それをさておけば、閉鎖空間の中に《神人》がいるってのは、『機関』の一員としては、ハンバーガーにポテトがついてくるよりも当然のことである。


 だから、俺たちが愕然としたのは、その存在じゃない。その巨大さ・・・・・にだ。


 今まで俺たちが戦って倒してきたのは、せいぜい2m程度の《神人》だ。

 それなのに、今、東中のグラウンドに立ちはだかる《神人》は、校舎の屋上にも届こうかという巨躯のバケモノなのだ。


 最初に動き出したのは新川さんだった。ロマンスグレー紳士は真っ先に森さんの背を叩くと、中臣の手を引いて一目散に巨人に背を向けて走り出した。


「谷口様! 一度距離を!」


 その声に弾かれて動きだそうとした俺の目の前では、巨人が俺の体をすっぽり包んでなおおつりがきそうな巨大な拳を振り上げていた。くそ、2m級のを受け止めようとしただけでこちとら死にかけたんだぞ! オーバーキルもいいところだろう!


 俺は背中と脚に『防護』の光を集中させて地面を蹴った。

 爆音。爆風。背中をしたたかに風圧が叩く。っていうか、今の当たってないよな? 掠ってもいないよな!? 拳撃の余波だけでこれとか死ぬ! こんなの直撃されたら『防護』だろうがなんだろうがあっさり貫通されて即死するに決まってるだろう!


 くそ、ああ知ってるよ。5人の色とりどりのスーツに身を包んだ超人集団の特撮バトルものでも、敵は最後には巨大化するのがお約束だってな! だけどそういうのはこちらに合体変形ロボとかそういう対抗手段があるから成立するものであって! ただデカいバケモノが問答無用で暴れて弱っちい有象無象を蹂躙するのは怪獣パニックもののジャンルだろう! 学園青春モノがSFバトルものになったと思ったらまたジャンル変更かよ節操ないな方向性迷走し過ぎだろう俺の人生!


 思考を滅茶苦茶に回転させながら、それを上回るほどの速度で俺は乳酸地獄で悲鳴を上げる脚に気合で鞭を入れて走り続けた。校門から外へと飛びだし、手近な民家を盾に隠れたところで改めてビック《神人》を振り返った。


 俺たちに追いつくことを諦めたのか、《神人》は手近なモノに攻撃目標をを移したようだった。


 轟音。振動。一撃の下に、さっき北高男が片づけをした体育用具倉庫が粉砕された。


 なんつー破壊力か。一応超能力というカテゴリを身に着けたことになっている俺らだが、アレを相手にするのは、水ひっかぶっただけで火事の中に突っ込むようなものではないか。


「閉鎖空間がここまで広がったのは、初めてですな」


 新川さんの指摘に、遅ればせながら俺もその事実に気が付いた。

 そういえば、これほど《神人》から離れているのに、俺たちはまだあの透明なぶよぶよの壁にぶつかっていない。それは即ち、世界をめくり返そうとする異世界の卵が、相当な大きさまで成長しているということに他ならない。逃げ回るには便利だが、歓迎していい事態ではないというわけだ。


「……それでも、放置はできません。古泉と、新人が間もなく参戦してくれるでしょう。それまで、閉鎖空間の拡大は阻止せねば」


 とはいうものの、森さん。あんなバケモノ相手にどうやって立ち向かえとおっしゃるのか。


「相手は巨体。そしてこちらは小兵。ならばそれ相応の戦い方をするだけです。相手よりこちらが薄いならば研ぎ澄まして斬ればいい。敵より己が細いなら削り出して刺せばいい。戦争マクロならともかく、戦闘ミクロの殺し合いとはそういうものです。それを、デカいだけのウスノロに教育してやりましょう」


 森さんは、淡々と口にした。……女性に過去のことを聞くのは野暮ってもんだが、本当にこの人は何をやっていた人なんだろうな。


 森さんの提案した作戦はシンプルだった。

 足場の悪い住宅地に《神人》を誘導し、建物を遮蔽にしながら俺と新川さんが2人1組みで『防護』と『治癒』で持ちこたえ、奴の態勢を崩す。

 少し離れた場所から中臣が『予知』で回避経路をナビゲート、隙ができたところで、時間をかけて最大限にエネルギーを充填した巨大『弾丸』で森さんがトドメを刺すというもの。概ねいつもの戦い方と変わらない。俺のポジションが一番危険だ。覚悟して戦え、という奴だなちくしょう!


「大丈夫。若人を犠牲にするような真似はしませんよ」


 新川さんの笑顔が心強いことこの上ないね。持つべきものは出来た執事だ。俺も万が一石油でも掘り当てて一攫千金の目に合ったなら、この人みたいなダンディバトラーを雇いたいもんだよ。


 作戦を立てながらも、森さんは手元で赤い光弾に力を注ぎこんでいた。普段バスケットボールくらいで撃ち放たれるそれは今や自動車のタイヤほどの大きさになっていたが、森さんはさらにチャージを続けるつもりらしい。


 どこまで大きくなるかわからないが、これだけのデカさだったら、あのバケモノも無傷というわけにはいかないだろう。というか、そう願いたいもんだ。


 何せ、聞いた話では、あとから来るかもしれない古泉とかいう援軍は後方支援向けの平和主義者らしいからな。あんまり戦力としては期待しない方がいいんだろうさ。どうやらそいつは中臣ともソリが合わないらしいし、変に連携が乱れるくらいなら今の戦力でなんとかするのが安全策ってもんだ。


 ……それで、中臣、おまえは、大丈夫なのか?


「……ああ、問題ないね? 谷口こそ。無駄口を叩いてるヒマがあるなら集中しなよ」


 中臣の目配せで、俺は漠然と理解した。ああ、森さんと新川さんは、おまえの姉さんの容姿を知らないんだな。だから、おまえの異変にも、いまいちピンときていないというわけだ。

 それを「言うな」ってのが、おまえの俺へのオーダーなわけだな。


 まあ、いいさ。俺だって好き好んでクラスメートの過去の傷を暴き立てる気はない。そもそも今はそれどころじゃない戦況だしな。


「それでは。今年の七夕の願い事は、今夜を生き延びることといたしましょう。言うまでもなく叶えてみせますが」


 森さんの冗談めかした言葉とともに、俺たちは各々の持ち場へと散開した。


 戦いの再開を告げる嚆矢になったのは、森さんの『弾丸』だった。暴発か? と思ったが、どうやら、本命とは別に小さな弾を射出したらしい。器用なことができるんだな。そういえば最初に合ったときも、連射していたっけ。掌から撃ち出していたし、左右の手で別々に使うことができる能力なのかもしれない。


 《神人》の体に吸い込まれたそれは、僅かにその体表を削っただけで終わる。防御力まで小さかった頃とは桁違いときたものだ。本当にどこぞの離れ小島の爆弾実験で巨大化したバケモノトカゲを相手しているような気分になってきたぞ。


 《神人》はそれでも、豆鉄砲を撃ってきたこちらに注意を向けたらしい。東中校舎をぶち壊そうとしていた拳を引っ込めると、くるりと学校敷地の外、民家ひしめくゾーンへと向き直った。


 動きは緩慢だが、いかんせん歩幅がバカのように広い。一歩。一歩。地響きを立てながら、見る間に《神人》が動きを詰めてくる。


 森さんは今頃、第二の狙撃ポイントに移動中だろう。俺はといえば、最初の射撃が行われた第一狙撃ポイントと《神人》の間で待機中というわけだ。誰のものかもしれないお宅のブロック塀の影から、巨人が迫りくるのを待つ。中臣からのナビはなし。ならば、場所の移動の必要はなし。


 この場所に辿りつくまで、《神人》の歩幅で、あと、三歩。二歩。


 そして、俺が見上げていた薄明りの灰色の空が神人の巨体で埋め尽くされる。巨人に目があるのかはわからないが、第一狙撃ポイントにまっしぐらのデカブツには、足元の障害物の影にこそこそひそむネズミ一匹(俺のことだ!)に気づく余地などない……といいな、という一縷の望みに全てを賭け、俺は両手を天に掲げた。空から降ってくる巨大な《神人》の足の裏。


 くそ。くそ。こんなのは、戦闘じゃない。稽古でもこんな圧倒的な質量を前に度胸をつけるようなものはない。心臓が早鐘を打つ。うるせえ。わかってる。けれどこれが最適解で、これしか方法がないのだ。


 ――本当に? 当然だ。――中臣は言った。『《神人》が壊した世界の後で、あいつを蘇らせることができるかもしれない』。うるせえ。今そんなことを考えるんじゃない。たとえそんなことができるとしても、今俺が負けて、それで実現することじゃない。今は、ただ、全力を、目の前のバケモノに叩きつけないと、俺が、森さんが、新川さんが、中臣が、死んじまうだけだろうが!


 俺は、幾分融通の利くようになった赤い輝き、『防護』の力を、半球状にして展開した。

 ちょうど、《神人》の足の着地点で。その巨体がバランスを崩して足を滑らせてしまうように――。


 ぴしり、と。嫌な音が響く。


 掲げた両手は赤の輝きによって《神人》の脚とは直接触れていないが、その分全身から力が奪われていく。ぴしり。赤のドームにヒビが入る。そのたびに、腕に、脚に、胸に、肩に、激痛が走る。


「もう、少しですぞ!」


 新川さんの声が背後から響き、わずかに体の痛みが消えていく。『治癒』様々ってところだね。今度RPGのパーティを組むときには僧侶を大事にしないとな。ともあれ、ここで俺が踏みつぶされたら、《神人》はまったく態勢を崩すことはない。踏みとどまり、あと数秒、ドームを張り続けて、あいつがすっころぶまで耐え忍ぶのが、ただ立ち続けることしか能がないポンコツ能力者の俺の役目!


 バカみたいに長い数秒。足元に俺というバナナの皮を置かれた《神人》は不安定な足場に体重をかけたことで、ようやくぐらり、と体の軸を揺るがせた。


「谷口! 半歩斜め後ろ!」


 中臣の叫びが響く。俺は息を止めて障壁を維持したまま、水の中みたいに重たくなった体を引きずった。『治癒』が追い付かない疲労。新川さんの活躍がなければ俺はとうに二次元の住人になっていたことだろうよ。


 俺の渾身の移動がちょうど足払いのような形になったのだろう。巨体がとうとうリカバリー不可能なほどに傾き、弧を描いて倒れていく。多くの建物を巻き込みながら、その体は地面へとキスを決めこんで、すっかり無防備な五体投地状態になった。


 よし、これでなんとか――


 と。そのとき、態勢を崩して倒れ込む《神人》の腕が、奇妙に蠢き、捻じれて――伸びた。


 俺を貫くように。ああ、そういえば。この前倒した《神人》もこんな感じの変形攻撃をしかけてきやがったなあ、と、俺は鈍い頭で考えた。やばい。どうする。もうスタミナ切れ、赤い光もドーム状に薄く展開しちまって、あの一点突破攻撃を防げる気がしねえ。くそ、こんなんならどんな状況でも分厚く体全体に覆えるような訓練でもしとくんだったなあ。


 体感時間的にひどくゆっくりと迫ってくる切っ先。


 そして、衝撃は、なぜか横から来た。


「五度も、やりなおさせるなっ!! 愚図がっ!」


 ヤケクソ気味な声は、息を切らしながら俺にタックルをしかけてきた中臣のものだった。


 五度? やりなおす? おまえの能力は「未来を見る」ものじゃなかったのか?

 そんな疑問を問う間もなく、新川さんに引きずられ、俺と中臣は別の建物の物陰へと飛び込んだ。


 とにかく、《神人》は倒れた。時間も十分に稼げた。ならばあとは。

 俺は、第二狙撃ポイント――校舎裏の墓地脇にある火葬場の影へと視線をやった。

 そこには、人一人がすっぽり入りそうな赤の光球が今まさに射出されるところだった。


 これで、終わり。

 そう確信したとき、《神人》が、地に倒れ込んだまま腕を掲げた。そして、掌に相当する部分に、全身から青い輝きが収束していく。それはちょうど、この前に俺が、2m神人の刺突攻撃を『防護』を肉球のように掌に集めて防いだのと同じように。


 ――こいつ。学習してやがる!?


 森さん渾身の超巨大『弾丸』と、《神人》の掌がぶつかり合う。

 赤と青が混じり、紫の火花が散り、虹色の煙が湧き上がる。


 拮抗をしたのは、一秒、二秒、三秒、そして、赤の『弾丸』の軌道が僅かに揺れて、空へと弾き飛ばされた。


 なんてこった。これでもダメだっていうのかよ。図体がでかくてうすのろだってんで侮っていたが、こいつはきちんと俺たちの戦い方を学習して、対抗してきてやがるっていうことか。


 《神人》が立ち上がる。


 そして、腕を火葬場へと向けると、その腕が、捻じれ、歪み、――まさか。

 『弾丸』のように、射出された。


 着弾。爆発。火葬場の煙突が倒れる。森さん!? おい、嘘だよな!?


 もうもうと立ち込める煙がもどかしい。どうなった。避けただろ森さん? あんな歴戦の傭兵みたいな言動で、これで終わりとかそんなはずはないよな!?


「何とか、間に合ったようですね」


 俺の願いがかなったのか、煙の中から現れた森さんは、煤だらけながら五体満足であった。

 ただ俺の予想と違ったのは、彼女の姿が、空中にあったということだ。

 正確に言うならば、森さんは赤い光をまとって空中に浮かんだ男に抱え上げられていた。


 ガタイのいい中年の男性だった。ゴルフシャツにカーゴパンツというさばけた恰好のおっさんが光ながら空を飛んでいるのは、控えめに言ってもシュールこの上ない光景だった。


 俺は、《神人》から遠ざかるように体を引きずりながら、後ろから聞こえてきた、中臣に輪をかけて無駄にさわやかな声の主に問いかけた。お前さんらが、援軍ってことでいいのかよ? と。


「ええ。古泉一樹です。……よろしく」


 いつの間にか俺の後ろにいたのは、さわやかという言葉が立体化して生まれたかのうよな細身の男だった。如才ない笑みと、柔和な目。中臣がこいつを嫌う理由がわかる気がした。あまりにもさわやかすぎる。さわやかだということは、引っかかりがないということだ。人間味がないってことでもある。信用できない奴、というのが第一印象だった。


 それで、俺たちは絶賛大ピンチなわけだが、あの空を飛べるおっさんと、その古泉なんちゃらさんとやらが加勢したところで、ドラマチックな逆転劇は見込めるのかね?


「ご安心を。僕の能力は、『防護プロテクション』の谷口さん、あなたと、あそこにいらっしゃる『飛行フライ』の多丸さんを迎えたことで、やっとそこそこの完成を見たところですから。今まではバックアップに努めてきましたが、ようやく皆さんのお役に立てるようになったところですよ」


 古泉という男は、喉の奥で蛇が鳴らすような笑い声を響かせてこちらの顔を覗き込んできた。距離が近いぞ。俺は男の吐息を感じて喜ぶ趣味はない。


「……だったら早くしてもらえるかい? もったいぶるんだから、よほどの能力なのだろう? 古泉一樹の『共有シェア』とやらはさ」


 中臣の煽るような言いぶりに顔色一つ変えず、古泉とやらは鷹揚に頷いた。


「ええ、では」


 古泉の手が、ぼうと赤い光に包まれた。

 そして、その輝きは糸となって、俺と古泉を繋ぐ。

 俺だけではない。古泉を中心として、俺と、中臣と、森さんと、新川さん、そして、空中にいる多丸とかいう中年男性が、結ばれる。


 瞬間。


 俺を含めた、全員の姿が赤い光の球体に飲み込まれた。

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