第1ー4話 神隠しの正体

 墓地なんていうのは、全国津々浦々代わり映えのしない施設の最たるものだろう。最近は丸だの彫像だの奇抜な墓石もあるが、概ねスタンダードな形状を外れないのが、国民性の表れか、はたまた墓を作るときにオリジナリティを発揮できるような精神状態にある人が世の中に少ないからか、とにかく、四角い石の列が俺を出迎える。


 入学から三カ月、毎日見ていながら、足を運ばなかったここを訪れた理由は、俺にとって親より恐ろしい道場の師匠の言葉であった。


「心の揺れは拳に出るもんさー。君がしくじって他の子を怪我させてみなよ。まあた、去年みたいにめがっさ落ち込むっさ。あたしはそいつあごめんだねっ」


 ……ときたもんだ。この人にゃあかなわないと思ったね。


 ともあれ、そんなわけで俺は一年ぶりに、東中とかつての母校、蒲カ原小の裏にあるこの墓地へとやってきたのである。


 休日の夕方、なけなしの小遣いを握りしめて花屋に行ったところ、なんでも墓に捧げる花の代表的なものはお盆でないと用意していないとかで、代わりのものを見繕ってもらうはめになった。それでも、まるで良家のお屋敷でメイドでもやったら似合いそうなエプロン姿の店員さんは、お手頃な値段でそこそこの花を用意してくれた。


 おまけに、俺の注文から何を察したのか、墓参りのお作法まで教えてくれた。うっかり一目ぼれしそうになったね。精神的に不安定なときに受ける親切ってのは人を何倍にも魅力的に見せるもんだ。まあ、それをさしおいても美人だったけどな。


 ともあれ、学校の連中に見つからないように裏通りを走り辿りついた墓地には、先客がいた。


 涼宮ハルヒ。


 俺は反射的に花を後ろ手に隠した。どうしてかって? 俺にもわからない。

 ただ一つ言えたことは、俺はそのとき、頭が真っ白になっていたってことだ。


 涼宮は俺の方を向くと、全速力で駆け寄ってきた。体育の授業では見せない美しいフォームのスプリントは、陸上部垂涎の逸材なんだろうと思ったね。それくらい、そのときの涼宮は何かに本気だったってことだろう。


「ねえ、あんた……その、名前なんだったかしら。まあいいわ。知ってる? ここで、去年神隠しがあったって。蒲小の子が言ってたんだけど」


 白かった思考が、赤く染まった気がしたね。薄っぺらい紙に、ライターを近づけられたような感じだった。俺は元々気の長い方ではなかったし、涼宮の言葉は俺の逆鱗をピンポイント1ミクロンのぶれもなく踏み抜いていいた。


 わかってる。涼宮に悪気がないことくらい。わかってる。俺の八つ当たりだってことくらい。


 それでも、なあ、交通事故みたいに、わかっていても避けられないものってのはあるものだろう?


 一つ、深呼吸をして、俺は涼宮を睨みつけた。


「何よ」


 教えてやる、涼宮。そいつは、そこにいる。


「……何、よ」


 神隠しにあったって女の子は、隣の火葬場で焼かれて、おまえの立っているすぐ脇の石の下の小さい壺に入ってる。


「……っ!?」


 神隠しなんてなかった。そこにいるのは、神隠しってのを信じて変人扱いされてつまはじきにされて紆余曲折の末そこに入るはめになっただけの女の子だ。


「……わかったから」


 ああ、蒲小の奴らは神隠しって言うだろうさ。その方がよほど耳障りがいい。


「わかったって言ってるでしょ!」


 涼宮。おまえはもう少し現実を見やがれ。おまえまで「神隠し」に遭っちまうぞ。


 涼宮の表情が、強張った。


 なんて卑怯な事を言ったのか、俺は。自己嫌悪で潰れてしまいたくなる。自分の悲劇を盾にしてお涙ちょうだいで誰かを責めるなんざ、武道家の風上にもおけやしねえ。


 それでも、心底正直な気持ちでもあった。


 涼宮には、あいつと同じ道を辿ってほしくはなかった。


 どうしてかわからないが、俺にはあいつと涼宮が重なって見えた。


「……アホね。本当」


 涼宮は、呟いてその場を立ち去った。


 いつの間にか取り落としていた花束を拾い上げると、俺は一年ぶりに目の当りにした知り合いの墓石の前に立った。


 溜息しかでない。気持ちの整理をつけるためにやってきたのに、そいつを倍加させる羽目になるとかどういう体たらくだ。


 ――そういうときにはね、歌を歌うんだよ。


 そうだった。あいつはそうやって、落ち込みそうになるといつも変な即興の歌を歌っていた。

 それがおかしくて、俺は何度も音痴なあいつを冷やかしたんだっけ。


 目を閉じて、調子はずれのメロディを口ずさむ。

 ……あほらしい。


 こんなことをしても何も変わらない。

 あいつがいなくなったことも、涼宮に俺が暴言を吐いたことも。

 目を開ければ全てが元通り。いつもの現実に引き戻される。

 そんな当然の事実を噛みしめながら、俺はまぶたを開けて、


 ……世界が、灰色に染まっていた。


 暗い。思わず空を見上げる。あれほど目映い橙色を放っていた太陽はどこにもなく、空は暗灰色の雲に閉ざされている。雲なのだろうか? どこにも切れ目のない平面的な空間がどこまででも広がり、周囲を影で覆っている。太陽がない代わりに灰色の空は薄ぼんやりとした燐光を放って世界を暗黒から救っている。


 静かだった。


 休日開放でグラウンドを使っていたはずの東中生、蒲小の子供たちの声も、車のエンジン音も、一切が消え去っていた。


 ――次元断層の隙間。通常空間と隔絶された、閉鎖空間。


 脳裏に、そんな情報が流れ込んだ。

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