三題噺「砂時計とアイスココア」
桜枝 巧
「もしもし、ゆうくん?」
強い日差しの中、喫茶店の店外に出されている椅子に座った。テーブルにはパラソルが設置され、ほんの少し僕を紫外線から守ってくれている。
僕はいつも通りアイスココアをウェイターに頼むと、持っていた学生鞄の中から携帯電話を取り出した。肘が丸テーブルの端に触れ、少し揺れる。
それを予期していたのかは定かでないが、テーブルの揺れが止まるのを待ってからウェイターは手に持っていた砂時計を置いた。この中の砂が落ちるまで待て、ということだ。
なかなか洒落たことをしてくれる。
きっと、よくここに来る僕が、金銭的な理由からアイスココアしか頼めないことを知っているのだろう。コーヒー高いし。
素敵なお姉さま方が優雅にお茶するようなこの喫茶店に、学生服の僕はてんで似合っていなかった。それでも、一本足のテーブルの上に置かれた砂時計の砂が重力に惹かれ流れ落ちていくのを見つめていると、一人でに笑顔がこぼれるのを感じた。
と、その時。
一つ向こう側のテーブルでも砂時計が置かれたのを僕は見た。日焼けを気にしているのか、白いワンピースに帽子の女性はパラソルが既に設置されているのにも関わらず、持参の日傘を楽しそうにくるくるとまわしている。その甲斐あってか、その肌は雪のように白い。
しかしさすがに熱いのだろう、ほんのりとその頬には赤みが差している。夏の気分転換だろうか、いつもは肩まである少し茶色の入った髪はベリーショートになっていた。
彼女は傘を肩にかけ、スマートフォンを真黒な鞄の中から取り出した。日傘は肩に乗せたまま、反対の手で何度か画面に触れ、耳に当てる。
「おっとっと」
僕も携帯電話を開き、耳にあてた。彼女との会話はいつも一分程度。恥ずかしがり屋さんなのだ。大切にしなければならない。
「もしもし、ゆうくん?」
彼女の声が僕に届く。当然、こんな風に電話を通じて話をせずとも、声は直接耳に入る。しかし、僕はそれをやめなかった。
「ああ、そうだよ。一週間ぶりかな? ごめんね、忙しくってさ」
「今日は妹が通知表を持って帰ってきたの。夏休みだよ。ねえ、分かってるの?えっとね…」
彼女の一人語りは続いていく。僕はタイミングよく相槌を打っていった。砂時計はさらさらと流れていく。彼女との時間は短い。
「ねえ」
不意に彼女の声のトーンが変わった。
「ゆうくん、あの……さ。私、もう電話するの、やめようと思うんだ」
背筋に衝撃が走った。僕は固まったまま、「な、何で……?」と呟く。
「ゆうくんが居なくなってから一カ月、私、我慢したよ。きっと帰ってきてくれるって思ってた。だから、こうして電話に出てくれなくっても留守番電話に声を吹きこんできた。でも、もう限界。どうしても会いたい。それがかなわないなら――サヨナラ言うしか、ないよね」
二人の間を、風がすりぬけていった。彼女との会話が一分しかもたない理由、そして彼女が髪を切った真の理由を、僕はその時、初めて理解した。
砂時計はひたすら時を刻んでいく。砂は重力に逆らうことなんてできない。
時間は戻ることを、知らない。
「――もう時間だね。さよなら、ゆうくん」
前方で、彼女がスマートフォンを耳から離すのが見えた。
僕も携帯電話のディスプレイを見る。当然それは「通信中」の画面ではなく、いつか撮った海岸の景色が広がっているだけだった。
――否、それは彼女がスマートフォンを手に取り耳に当てた時も、そこにあった景色だった。名前も知らず、電話番号も知らない彼女に電話をかけるなんて、できるわけがない。
ただ僕は、彼女が電話に向かって何か話しているのを盗み聞きして、適当に相槌を打っているだけだったのだから――。
初めて彼女がこの喫茶店で電話をしているのを見た時、僕は一瞬で世界を塗り替えられた。一目ぼれか、と笑ってくれて構わない。しかしよく聞けば行方不明――逃げられたのだろうか――の彼氏持ち。しかも年上。話しかけることなんて、できやしない。
僕らははじめからおしまいまで、ずっと他人同士だったのだ。
女性は、アイスココアより簡単にできるからなのだろう、僕のより先にやってきたオレンジジュースをつうっと飲むと、立ち上がり店員を呼んで会計を済ませた。
「こんにちは、よく会うね」
と僕に声をかけると、日傘をくるくるとまわしながら横を通り過ぎていく。すぐに角を曲がり、見えなくなった。
僕の砂時計の最後の粒が、下へと落ちていった。同時にウェイターが「お待たせしました」とアイスココアを僕の脇に置く。時間ぴったりなのが逆に腹立たしかった。
おしゃれな白いカップが、彼女のワンピースを思い起こさせる。当然、中に注がれた茶色とは交わることがない。
「……帰ろうかな」
僕はそれに口を付けないまま、会計を済ませようと店員を呼んだ。
三題噺「砂時計とアイスココア」 桜枝 巧 @ouetakumi
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