第5話 ラノベの主人公はなぜ余計な事件に深入りしてしまうのだろうか?

 青葉は、山屋敷青葉は、自分の少年時代の事を思い出す。

 野を駈けて、崖を上り、谷を越える。

 現代人とは思えない、そんな野性味溢れる日常を過ごしていた僕ら兄妹だったが、その時は住んでいる山の中ではそれしか知らないのだったから何も疑問に思わなかったのだった。

 今から思えばあれは修行もかねていたのだろう。体力をつけると同時に、自然を、気を感じる感覚を養う。

 ぼくら兄妹に期待され、知らない間にその訓練をされていた事。

 家の事情とは言え、物心ついたときからそんな事を続けていた僕らは、気付けば相当な体力がついていたのだが……

 しかし、そんなレベルに至っていたはずの僕ら兄弟の先頭に立って、僕らを引き離す勢いで野をかけていたのが浦戸のアニキだった。

 いや、アニキと言っても血縁関係はない。

 彼は、親の知人の子供で、僕より二歳上の少年であった。

 その彼が僕の家に、年に数回くらいやって来て、僕ら兄妹と一緒に自然の中を走り回る。

 僕らはそれをとても楽しみにしていたのだった。

 なにせひどい山の中の実家は、ずいぶんと街から離れ、学校の級友たちもめったにやってくる事は無い。そんな僕らの所に同年代の子供がやって来て一緒に遊ぶ。

 それは同年代の友に飢えていた僕ら兄妹にとって、とても楽しみな待ち遠しいイベントになっていたのだった。

 だから、僕は、もう他の記憶は不確かな少年時代で、アニキがやって来たときの事だけはすべて鮮明に覚えている。

 なぜなら、僕は、それを忘れたくはなかったからだった。

 何度も何度も思い返したからだった。

 生まれて初めて感じた羨望。憧れ。それを僕は忘れてしまいたくなかったからだった。

 僕はなりたかったのだ。浦戸のアニキに。彼のような輝く少年に。

 ——もちろん、それは、その思いは、ちょっと年上の子供に憧れる、少年時代に特有の勘違いによる者なのかも知れない。

 小学校くらいの二歳上と言えば体力にも知力にも大きな差が出るものなのだから、ちょっと上のアニキたちはみんな凄く見えるものだ。

 でも浦戸のアニキは、そんなのとは違う、二歳の歳の差なんてもので語れるような、そんなチンケなものじゃない、圧倒的に輝く印象を僕の子供時代に刻み込み……

 そしていつの間にかアニキは僕らの前に現れなくなったのだった。


   *


 ああ、アニキはどのクラスにいるんだろうな。

 と、僕は、部活棟に向かう途中、渡り廊下から二階の三年の教室を見上げながら思う。

 母さんから妹が聞いたと言う、アニキの消息は、この学校にいるらしいと言う所までしか分からなかったようだ。

 なので、何か分からないか、ふとアニキが窓際に出てきたりはしないかと、僕は三年の階の窓際をじっと眺めるが……

「おい、山屋敷青葉。そんな見つめても部長たちはもう先に行ってると思うぞ。今日は一年は学校に入って二週間目の諸注意のロングホームルームで終わりが遅かったからな」

「いや……そんなんじゃないよ」

 今日も一緒に部活棟に向かう事になった瑞鳳春香に僕は勘違いな事をつたえるが。

「そうかな。ふふふふふ」

 相変わらずの無表情で冷やかしの笑いをするというまた高度な顔芸をこなす彼女。

 こいつは僕が昨日美風さんに一目惚れしたとでも思っているのだろうか。少なくとも憧れの先輩として意識し始めたとか。

 いや、今、凄い思いを持って三年の教室を眺めていたのは事実だが、その相手は、思いは違うのだ。

 でも、そういや美風さんと浦戸のアニキって雰囲気が似てる気がするな。性別は違うけど、でもそんなところで出るような者じゃない、人間力と言うか、人間としての魅力と言うか……

 ——なんか凛として、芯があって、きらきらと輝いて見えて……

「おい顔赤いぞ。山屋敷青葉。ふふふふふ」

「うっ……」

 僕は確かに今、美風さんの顔を浮かべながら顔を赤くしていたかもしれない。アニキの事考えていたはずなのにいつの間にか、部長の方を思い浮かべて、すると女性への憧れというのは容易く別の感情を引き起こし……

 いかん。いかん。

 僕は心の中で自分を叱咤した。

 やっと居場所が、仲間ができそうな時に、恋愛感情まがいのものなんて。そんなのに心が乱れてたら、全てが台無しになってしまうかもしれない。

 僕がまだ分からないだけであの部活の中で恋愛関係だってできているかもしれない。事情も分からずに、僕が引っ掻き回したら微妙な人間関係がおかしくなってしまうかもしれない……

 だからそんな思いは……

「ちなみに美風さんはフリーだぞ、山屋敷青葉。と言うかあの部は誰も恋愛関係などはない。いまなら選び放題だぞ君。——私含めて。ふふふふふ」

 まてまて、無い無い。少なくともお前はと僕は心の中で突っ込む。

 こいつも僕の反応が分かっていて言って来たのか、

「ふふふふふ。でもこのままだとクラスでは私とあらぬ噂たてられそうだな。ふふふふふ」

 と今日の自分の置かれた状況も面白がっているかのような瑞鳳春香。

 二日連続で、放課後一緒に教室から出て行った、クラスの異端児二人。瑞鳳春香と山屋敷青葉。

 それを見つめるクラスメイトの目はかなりの好奇心に満ちたものだった。

 ——いや納得感か。

 きっと変わり者同士でくっついたとか思われてしまったのではないか?

 割れ鍋に綴じ蓋的な、蓼食う虫も好き好き的な、そんな思いが入ったような視線。

 その少し引いたような、興味はあるが関わり合いになりたくないと言ったような視線にさらされながら僕らは教室を出たのだが、瑞鳳春香はそんな視線は何も気にしていないかのような感じだった。

 こいつはきっと、周りの連中の反応なんて蚊の鳴き声程度にしか思っていないんじゃないかと思う。それでなきゃ本気で僕に気があるかだが……

 僕はそんな事を考えながら、横目でちらりと瑞鳳春香を見る。

 すると、

「………………?」

 敏感に視線に反応して、不思議そうな無表情で、僕を眺める瑞鳳春香。

 それは恋する乙女の視線なんかでは絶対無く……

 ああ——ないない。

 こいつは僕と恋愛感情みたいなのもっていて二人になって喜んでるんじゃなくて、本気で他人の言う事なんてどうでも良いと思っているのだろう。

 まったくこいつとは精神の出来が違う。

 こいつみたいなザイルのような精神を持っていない僕は、その安定のためには、

こいつにあんまり引っ掻き回されないようにクラスでは距離を取っておく必要がある。

 だから、明日からは一人で部室に来ようって思いながら、ぼうっと歩いていたらいつの間にか着いていた新聞部の部室。僕はそこで立ち止まりはっと我に返る。

 瑞鳳春香との距離の取り方なんて言う、緊急で無い事を考えている場合ではないのだ。

 不思議な事に、僕は昨日よりもさらに緊張してしまってそこで固まってしまったのだった。

 そんな僕を見て、

「なんだ、入らないのか?」と瑞鳳春香が言い、

 それに、僕は、

「いや……そんな事は」

 と答えながらも、昨日の初めて入る時よりもドキドキしている自分、緊張と不安のせいで部室の前で足が動かなくなってしまっている自分にびっくりする。

 不思議だった。昨日あれほど温かく向かい入れてくれたこの場所に入るのに、昨日よりも緊張するなんて?

 でも……僕はその自分の気持ちのわけがなんとなく分かっていた。

 たぶん、怖かったのだ。

 このドアを開けたらせっかくできそうな居場所が無くなってしまっている事が。自分がまた一人で居場所をもとめてうろうろし始めないといけない事が。そんな事が起きないかと不安になってしまっていたのだ。

 しかし、うろうろする以前に、こんな廊下でいつまでもじっと立っているなんて事はできないわけで……

 ならば、結局、僕は昨日と同じように意を決し、部室のドアをノックして……

 そして、

「はい」と言う中からの(たぶんサクラ先輩の)やさしい声にほっとしながら、

「山屋敷青葉です」と言って中に入るのだった。 

 すると満面の笑顔で僕を向かい入れてくれる先輩達。それを見て、部室に入る前の不安なんて、あっと言う間に吹き飛んでしまう僕だった。

 僕が入り口で軽く会釈をすると、それを見て嬉しそうに目を輝かせる先輩達。みんな僕に声をかけたさそうな雰囲気だったが、その中で最初に話しかけて来たのはサクラ先輩だった。

「何。嬉しい。今日も来てくれたのね。昨日の私らの対応で嫌になってもうきてくれないかと思っちゃった」

 僕に駆け寄って来て。ウルウルした目でそう言うサクラ先輩。先輩が、近づいて来た時に一緒にやって来た、とても良い匂いに、僕は、クラっとなりながら、

「そ。そんなわけあるわけないじゃないですか僕はこれから毎日来ますよ」と言うと、

「嬉し!」と言いながら、

 さらに僕に近づいて来て僕の手をとり、肩口に胸を軽く押し付けら僕を部室の真ん中まで押して行く。

「あは。そんな事言うなら、もう逃がさないぞ。うふっ」

 僕を見上げながら、また、あの強烈なウィンクをされ、真っ赤になってしまう僕。

「まあ、座れや」

 恥ずかしくてうつむいたまま突っ立っていた僕に声をかけてくれたのはハル先輩。

「はい」

 僕は言われるがまま、うつむいたまま、そのままソファーに座った。

「良く来てくれたな。で……」

「今日来てくれたって事はここに入ってくれるって事で良いのかしら?」

 僕は深く首肯した。

「もちろんです。昨日からもう決めてました」

「でも青葉君? ほんと……」

 と話しかけて来たのはマチ先輩。

「まだ、ほんと、この部がちゃんと活動してるとこ、ほんと、まだ見てないじゃないの。そんなんで、ほんと、本当に決めてしまっていいの?」

「はい!」

 僕はなんの疑問も持たずまっすぐな声で答えた。

「僕は、先輩方の人柄にほれたんです。それでここを選ぶ事に決めました。こんな先輩方の元でなら、やる仕事も素晴らしいものに決まってます」

「青葉君……」

 マチ先輩が少し涙ぐみながら言った。

「ほんと、先輩嬉しいよ。ほんと、こんな良い子が、ほんと、後輩で入って来ちゃって。ほんと、嬉しくて泣いちゃいそうだよ。ほんと……」

「そんな僕なんて……」

 何か、期待が、ハードルが随分あがってるようで少しビビる僕。

 正直、余り期待されても僕には何もできないんじゃないかと、そんな期待に応えれないのならこの部に入るのは考え直した方が良いのではと少し思わないでもないのだが……

 ——でも一度決めた事だ。

 ——迷うなんて男らしくないぞ。

 とゆらぐ自分に心の中で喝を入れ、

「——でも、ご迷惑をかけるかもしれませんが、できる限り頑張らせてもらいます」と言い切る。

 みんなの拍手。

 照れて、少し頭をかきながら、

「よろしくお願いします」と僕。

 すると、

「それじゃあ、これお願いするわ」

 サクラ先輩が一枚の紙を僕に手渡してくる。

 ああ、ここで渡されるのはもちろん入部届けだった。

 僕は次に渡されたボールペンを握り、それに直ぐに名前と住所を書こうとするが、

「あつ、でも入部の前にどうしても一点聞いておきたい事があるのですが」と言う。

「何だ? まだ迷ってるなら無理は……」とハル先輩。

「——いえ、迷ってるとかでなく。単に聞いてみたいだけで、入部してからでも良いのですが、ここで聞いておいた方がすっきりするかと思って……」

「んっ? 何だい? もちろん何でも答えるけど……」

「いや、大した話でなくて、僕って入学以来あちこちに悪評たてまくってたじゃないですか。そんな僕に何で興味を持って誘ってくれたのかと思って、それを教えて貰えたらなって思って」

 と言う僕の言葉の後、みんなの目は一斉に美風先輩の方に向く。

 やっぱり僕を誘う事を決めたのはこの人だったのだ。

 美風先輩は、一度大きく首肯して、僕の目をじっと見つめ、

「青葉君——」と。

「は、はいっ!」と緊張しながら返事をする僕。

「君は正義を行わなければならないって思うか」

「正義……?」

「それは何が何でも行わなければならないものだと思うか?」

「えっ?」

 僕は正直当惑していた。

 答えを教えて貰おうと思ったのに、逆に質問をされて、そしてその内容は、——どうにも抽象的でなにか深い意味のある事なのかと、それを答えないと僕は何かの資格を、先輩の期待を失ってしまうのだろうかと心配になるが……

 でも、

「——思います。僕は、正義は、どうしてもやり遂げないと行けない事だと思います!」

 迷っていてもしょうがない。

 僕は思う事をそのままに答える。

 すると、

「青葉君、——それが君をここに誘った理由だ」

「はい?」

「君はそれをやり遂げる意思を持つ、そう私は思っている」

「…………」

 僕は見つめる目の真摯さとまっすぐさに思わず言葉も返せず意気を飲む

 しかし美風先輩はそんな緊張した僕を見てやさしく微笑むと、

「期待してるぞ。私の目に狂いは無い事を証明してくれ」と言った。

「はい!」

 僕はこの人の言葉をやり遂げなければと言う責任とそれをやり遂げると言う心意気を持って大きく明るい返事をして、


 そして……


 入部届けを出した後、僕は早速取材に同行する事になった。

 届けに名前を書いた後にどうにも気持ちが盛り上がって、

「早く取材にいかせてください」とかきっと瞳に焔をゆらゆらとさせながら口走っていた僕を見て、

「確かに。やはり慣れるには、一番は実地だ」と言ってくれたハル先輩にあまえて、僕は、入部早々だが、マチ先輩とハル先輩の取材に同行する事になったのだった。

 ——行く事が決まれば行動は迅速だった。

 あっという間に機材の準備を整えた二人にくっついて、僕は学校から離れ、バスに乗り十分程、学生たちのほとんどが向かう最寄り駅の荻野学園前に来ていた。

 その駅ビルの二階、コーヒーショップの窓際に座り、僕らは駅間の光景を眺めている所だった。

 そこは学生でごった返す駅前だった。

「相変わらず何が楽しくてみんなここでたむろしてるのかね」

「ほんと、どうせなら萩野駅とか、一番街とかまで行って、ほんと、遊べばいいのにね。ほんと、青葉君もそう思わない? ほんと」

「……あ、はい。ええ」

 ハル先輩とマチ先輩の言う事は僕にも分かっていた。

 この荻野学園前駅は基本的には萩野学園に通う学生のためにできた駅だった。

 この頃は近くにマンションもできてサラリーマンとかの利用も多くなってはいるものの、基本的には学生相手の商売から発展した街であった。

 駅ビルの他は駅前の通りに連なる数百メートルの商店街があるだけのこの場所は都会では極々一般的な風景であるとは僕も流石に知っていた。

 なので都会っ子の先輩達二人からすれば、ずいぶんとしょぼい街並にここは見えるんだろうなと頭では分かっていた。

 でも、入学してからこれまで、学校が終わればそのまま学校の直ぐ近くの下宿に直行してた僕からすれば、そもそも商店街などと呼べるものの無い山の中から出てきた自分からしたならば、ここは十分に華やかな場所であった。

 なので、

「……あ、でも、田舎から出てきた僕からすればここでも十分に刺激的で楽しいですよ」

 僕は下手に隠さないで本心をそのまま言った。

 すると、

「なるほど、そうか、それはうらやましいな」

「ほんと、そうだよ。ほんと、あれでしょ、いくら美味しいお菓子でも毎日食べたら飽きるけど、初めて食べるなら、ほんと、なんでも美味しいよね、的な」

「……?」

「つまり青葉君はまだまだいっぱい楽しめる事があってうらやましいという事だよ」

「そうだよ。ほんと。逆に私達が一生のうちで経験できないかも知れない田舎暮らしはすでに楽しんでいるんだから、ほんとずるいよ。ほんと」

 二人とも、他意無く僕の事をうらやんでいるのが言葉の調子から良く伝わって来た。

 こんな駅前程度で都会と思う田舎者と思うのでなく、相手の立場になってその気持ちを考えて話をしてくれる。

 やはり素敵な二人だった。

「じゃあ、今日は一仕事終わったらここらへんでぱーっといこうぜ。一番街とかまでいくより安上がりだからさ。やっぱり。それで喜んでくれる新入生は大歓迎だぜ」

「ほんと、そのとおり。それに実はこの商店街はこの商店街でいろいろあるんだからね。ほんと。じゃあこの商店街の穴場教えちゃうからね。ほんと」

「はい!」

 僕は、取材が終わって二人と一緒に打ち上げをするのを楽しみに思いながら返事をした。

 その、多分、満面の笑みをしていた僕を見て、

「でもそのためにはまず取材だな。働かざるもの食うべからず」

「ほんと、そうだよ。働いて食べるご飯の方がほんと美味しいよ」

「だから……」

「はい……」

 僕は、ハル先輩が真面目な顔になって睨む、駅前を一緒に眺めはじめた。

 今日の取材対象は、これから、この駅前に現れるらしかった。

 何が、誰が、の取材なのかはまだ話して貰えてなかったけれど、具体的な生徒とかの名前を聞いても僕がそれを分かるわけでなし、

「ほんと、青葉君。仕事と言っても、ほんと、今日はまずは私達のしてる事見てもらうだけで良いから。ほんと」

 というマチ先輩の言葉の通り、僕は二人の事を、そして二人が見つめている駅前の事をじっと集中して眺めて見た。

 すると最初は、たんなる無個性な群集がわらわらと歩いているだけのように思えた駅前も、様々な人が行き交っているのが分かるようになってきた。

 まだ時間が早いので、通勤のサラリーマンっぽい人達の数はそれほど見かけなかったが、駅前にたむろしている若者は、荻野高校の制服を着た人達だけではない事にまず最初に気付いた。

 そう言えば学園の近場には、もう何校か高校や中学、少し遠いが大学もあるって聞いたような気がする。それらの学校もこの駅を使うのだろうか。僕が見ているうちにも、自分がしらない制服の集団が次々に通り過ぎて行く。

 その中でも一番多いのが、

「今日はやけに人多いな」

「それは、ほんと、今日は南高の新歓イベントの日だからその流れの打ち上げ、ほんと、多いはずだよ」

 どうやら今日やたらと多い見慣れない制服の主は南高の生徒らしかった。

 なるほど、あれが南校の生徒か。この辺の事情にうとい僕でも、さすがに知っていたこの荻野市では有名な女子高であった。正式な名前は荻野南高。荻野学園とは駅を挟んで反対側にある、名前は似てても荻野学園とは全く関係のない公立の進学校だった。

「なるほどね。南高のお嬢様方が街に繰り出してるとなれば、それにつられて集まって来る連中も多いって事か」

 確かに、今、駅前で一番多いのは南高の制服だったが、それにつられて集まって来た様々な学校の制服が駅前で入り乱れてた。あちらこちらで、同世代の若者たちが、きゃきゃうふふ言いながら、通りを歩いていた。時々店に入り、その中を歩き品物を見ながら、何か楽しそうに話していた。

 そんな様子を僕はじっと眺めている。

 なんとも——華やかでまぶしかった。

 世の中には、こんな世界があったのか。いやこんな世界に僕は来たのかと僕は自分の境遇の変化に感慨もひとしおで、ちょっとまわりから不審に思われないかねない程頃キョロしてしまうのだが、そんな注視した駅前の通りの中に、特に気になる集団がいた。

 あ、あれは何だろ。男と女の集団が、なんだか挨拶しながらよそよそしそうにしながらもギラギラしているが……

「おい、あれ」

 と、その集団を目でで指し示すハル先輩。

「おっ、ほんと、あれ二年三組の北山よね。ほんと、あの人、あんな合コンなんか参加してる場合かしら、ほんと……」

 マチ先輩はそう言うと同時に、凄くごつい望遠レンズのついたカメラを鞄から出すと、もの凄い早業で写真を撮りまた鞄にしまう。この間三秒程。

「この間、三つ又交際がばれてあれだけ修羅場好きを楽しませてくれたのに、もう次のネタを仕込んでくれるとはつくづくエンターティナーだなあ奴は」

「まったく、土下座三時間で彼女とよりを戻したのに、すぐこれだね、ほんと。どうする? ほんと、これ、ほんと、もっと取材する」

 鞄からいつのまにかまた取り出してたカメラを手に構えながらマチ先輩が言う。

「いや……まだだ。もったいない。奴はきっと別の女にも手を出して、もっと美味しいネタを提供してくれるだろう。ここで記事にして警戒されちゃうのはマズい。今日の所は泳がしておこう」とハル先輩。

 二人の言葉を聞いて、僕は少し「?」となった。

 泳がしておく?

 なんだろ、なんか取材の相談みたいだが、良く分からないけど、どうにもなんかスキャンダル狙いのような。

 学校の新聞ってそんなのもやるのだろうか?

 そんな疑念に満ちた僕の様子に気付いたのか、

「ああ、青葉君。心配しなくても良いよ。今日は、あんなつまらないもの取材にいかないから。今日は、もっと良いネタ、まってるんだから」

 とハル先輩。

 それを聞いて、そうだよな、と納得する僕。

 先輩達は、ジャーナリスト魂からか、ついつい目の前に転がって来たスキャンダルも取材してしまうのかもしれないが、この人たちの求めるのはそんな下賎な話ではないはずだ。

 僕はそんな疑念が浮かんでしまった自分が恥ずかしくなって、

「すみませんでした。実はちょっと先輩たちがあんなつまらないものに興味を持つなんてと、ちょっと軽蔑しかけてました。でもやはり先輩たちはもっと大きな目的をもって崇高な……あれっ——」

「青葉君!」

 僕が言葉を言い切らないうちにガシッと僕の両肩を掴んで叫ぶハル先輩。

「君はなんて凄い奴なんだ」

「はっ、はい?」

「そうよ、ほんと青葉君。ほんと、君は凄いよ、ほんと」

 僕の手を掴み、目をウルウルさせながらマチ先輩。

「そうだよな。あんなナンパ男の浮気ネタだなんてそんなせこいネタじゃ満足できないよな。もっと大きなスクープ狙いたいよな」

「ほんと。そうだよ青葉君。男なら狙うのは、ほんと、大スキャンダルだよね。ほんと、美風さんの見る目はほんと確かだよ、ほんとすごいよほんと」

「はあ……?」

 僕を置き去りに盛り上がる二人。

「そうだよな。新入生が来たんだから気合い入れて取材行かないといけないよな」

 ポケットからICレコーダーを取り出してにやりと不敵な笑みを浮かべるハル先輩。

「わたしも確実に、ほんと、スクープ写真、ほんと、ものにしないといけないわ、ほんと」

 カメラを片手に構え、サムズアップするマチ先輩。

 なんか微妙に会話がかみ合っていないような感覚がある。

 どうも僕が言った「大きい目的」って言うのが勘違いして伝わっているような気がした。

 僕は大スキャンダルなんて狙っているのでなく、学園のみんなが感動して幸せになるような、そんな話を取材したいのだった。そう、例えばあの掲示板の新聞で読んだ、家族の不幸を級友の協力で乗り越えたあの女生徒の話のような。

 それなのに、二人はどうも浮気男のスクープやもっと大きなスキャンダルを取材しているところを僕に見せようとしている。

 なぜあんな素晴らしい新聞を作る人達がそんなしょうもない事を追いかけてるんだと、僕の頭の中は疑問符だらけになるのだが……

 はっ! もしかして、僕が下世話なスクープをモノにしたいと思ていると勘違いして、先輩達が、無理をしてそういう取材をしようとしているのでは。それならば勘違いは直ぐに解いておいた方が良い。そう思った僕は、先輩達に無理をさせないように、誤解を解こうと、説明の言葉を話しかけるのだが、

「おっ! あれ」

 ちょうどその時にハル先輩は大事な何かを見つけたようだった。僕の肩から手を話すと、駅前のロータリーの方を見つめながら、焦ったような様子で言う。

 さっきの三つ又男だが、ナンパ男だかを見るときとは打って変わった真剣な様子だった。

「あ、ほんと、来たみたいね」

 マチ先輩も真剣そうな表情になり、

「いくぞ!」と言われて立ち上がり店を出る僕ら。

 そして……


   *


 ターゲットの人物は、駅前のロータリーからそのまま駅の構内に入って行った。

 その後ろ、たまたま後ろを歩いていた風を装おって、僕らは後を着いて行く。

 改札。

 あれ? でもターゲットの人物はその前を素通りして駅の反対側の口に向かう。

「おお、やっぱりくさいぞ。あの子は電車通学のはずなのに改札は素通りして何処に行くのかな」

「ほんと、今日は現場掴めるかな。ほんと、ラッキーかな。青葉君来たおかげかな。ほんとビギナーズラックってほんとあるんだね」

 なんか盛り上がってる二人。

 小声で表情を変えないでしゃべっているが、その声はとても嬉しそうな様子。

 前を歩いている人物、制服から荻野学園の女生徒のようだが、あの人が何か重要な事件の鍵でも握っているのだろうか?

 もしそうなら、入部早々にそんな場面に遭遇してしまって少々びびるのだが。でも僕が怖じ気づいて、二人の取材に迷惑がかかったら困ると。そんな気持ちを抑えながら、僕は、強い胸の鼓動を感じながら二人にあるいて着いて行く。

 駅の構内を抜け、反対口から出て、そのまま細い路地の中。女生徒は、路地に入る前に周りをきょろきょろと伺うが、その瞬間ハル先輩に引っ張られた僕はいっしょに駅の柱の陰に隠れる。

「かなり警戒してるようだな」

「そうだね。ほんと、やっぱり今日はなんかあるんだね、ほんと」

「あー、このまま気付かれずに追えるかな」

「あー、どうだろ、ほんと、私たち、結構、ほんと、顔が割れてるから」

「あー、そうだな。あんまり顔が知られていない仲間がいれば良いんだが……」

「あー、ほんと、そうだね。ほんと、私たちに、ほんと、入ったばかりの仲間とかががいれば、ほんと……」


「………………」


 じ——!

 じ——!

 じ——!


「ああ、やりますよ。やれば良いんでしょ」



 僕は二人のじっと見つめる視線に耐えきれず、承諾の言葉ともに、女生徒の尾行を始めた。

 入って早々、こんな役目を任されて、と言うか任しちゃっていいのか先輩たちと思わないでも無かったが、勢いで頼みを受けいれてしまったのだからしょうがない。それなら、やれるだけやるだけだと僕は思い、一人だけ先行して彼女を尾行する事になった。

 僕の役割は、一人で尾行して、彼女が誰かと会ったならそこで場所を連絡して欲しいとの事だった。

 尾行なんて、やるの初めてだから、ちゃんと成功させる自信なんてまるでなかったけど、とにかく自分のベストを尽くそうと、僕は気合いを入れて目標の女生徒を追いかけるのだった。

 しかし、女生徒の方もかなり気を使って移動をしている様子だった。僕が尾行しているのに気付いている様子は無かったが、誰かが見ている、つけられている、そんな事態を想定したうえでの行動が多い。

 いったいこの女生徒がこれから何をしようとしているのか知らないが、そこまでするのかと言うくらいの尾行の撒き方であった。

 複雑な路地をしょっちゅう曲がる。二つ出入り口のある店での片方から入って片方から出る。人の家の庭に勝手に入り、尾行者をやり過ごすかのようにそこでしばらく隠れている。

 そんな念の入った尾行の撒き方に、危うく見失いかけた事が何度かあった。でも、その度に、僕は、「技」を使ってやっと、なんとか着いて行き、そして遂に女生徒が小さな寂れた喫茶店に入り席に着くのを確認する。

 ここが目的地で間違いなさそうだった。隠れた物陰から、窓越しに覗く喫茶店の中、女生徒は、既に座って数分。お冷やも出されて、メニューを見て、何か注文している様子だ。

 もし彼女がこれから、誰かと会うと言うのなら、ここで待ち合わせている可能性が高そうだった。

 つまり、彼女がここからもうここから動かないなら、彼女が誰かと遭う時に呼ぶよりは、もう電話をしておいた方が良さそうだ。

 そう思い、僕は自分のスマホをポケットからだすが……

「——よ!」

「えっ、ハルせんぱ——っ」

 肩を叩かれ振り向いた僕はそこにハル先輩がいた事に驚いて思わず大声が出そうになったのを慌てて口を抑える。

「——驚かないで良いよ。尾行者を尾行するのなんてそんな凄い事じゃない。尾行者は自分が尾行されている者を撒こうなんてしないからね。君からあまり離れないように着いて行けば良いだけだ」

「——でも」

「……確かに、それでも、青葉君に着いて行くのは結構大変だったよ。なんだい君。何者? 忍者か何かなのかい?」

「いや……」

 僕が女生徒に撒かれそうになっていた時についつい使ってしまっていた「技」を先輩にはしっかりと見られてしまっていたようだ。

 咄嗟に塀を飛び越して隠れる。電柱に上り視線を確保する。ビルとビルの間をよじ上り、三階から飛び降りて先回りする……ああ——マズい。

 身体能力が高いと言うレベルでない、明らかに常人ばなれした尾行を見られてしまっていた。

 もしかして、これが原因で「バレて」しまったら、僕は、部活どころか学園に居続けるのも無理になってしまうかも知れないのだが……

『何、ほんと、凄い青葉君。ほんと、パルクールなんかできるの、ほんと、素敵」

 カメラを構えたマチ先輩が言う。

 パルクール。それはフランス発祥の、柵でもビルでも障害物をまっすぐに乗り越えて行く過酷なランニングの事なのだが、その時はそんなものは知らない僕は、

「はあ、まあ少々たしなむ程度には……」

 と適当な事を言いながら頭をかくと、

「素敵! ほんと、美風さんの見る目は確かだよ。ほんと、これって、ほんと、役に立つよ。大型新人だよ、ほんと」

「はは……」

 どうも先輩方は僕がそのバルクールとやらの使い手と勝手に勘違いしてくれたようだ。

 そのおかげで、僕の退学の危機は一応去る。

 すると、次は、本題の、

「で、あそこか?」

 と喫茶店の中の女生徒を見ながらハル先輩が言う。

 首肯する僕。

「ほんと、待ち合わせみたいね、ほんと。誰か友達ととかもしれないけど。ほんと」

「それならあんな入念に尾行を撒かないだろ。会うのは見られるのが後ろめたい誰かとだよ」

 なるほど確かにハル先輩の言う事はその通りだ。

 でもそれならば、

「……あ、あの」

「なんだい青葉君」

「あの人が秘密で誰かと会おうって言うのなら、なんであんな目立つ窓際に席を取るんでしょうか。もっと店の奥に行くか、外から中が見えない店に行けば良いのじゃないでしょうか。もしかしたら興は本当に誰か友達とかと待ち合わせているだけなのではないでしょうか」

 と僕は素朴な疑問を投げかける。

 すると、

「うん。その通りなんだが……」

「ほんと、わざわざ目立つ場所に席を取ると言うのなら、ほんと、それはそれなりの意味があると思うの、ほんと」

「もしかしたら、あの目立つ場所に座っていると言う事に大きな意味があるのかもしれないぞ」

 と二人が答える。

 なるほど。

 わざわざ外から見える所に座ると言うのは、外から見える必要があるからだと考えるのが自然だ。あるいは外が見える必要があるか。それとも両方か。

 その答えは——

「ああ、来た来た。予想通り」

 女生徒は窓の外をちらりと見る。

 明らかに今までと違って緊張した表情だ。

 その視線の方向。

 萩野学園の制服を着た男が、喫茶店から道を挟んで反対側の路地から出て来て、そこにあった郵便ポストの上に、何か小さな包みを置く。

 カシャ!

 マチ先輩がカメラをその瞬間をカメラに収める。

 男子生徒は、歩きながら一瞬、喫茶店の方向にアイコンタクトを送ると、そのまま歩き去って行く。

 喫茶店の中の女生徒は、軽い首肯をすると、慌てた様子で手を挙げてウエィターを呼び会計を済まそうとして……

「いくぞ!」

 女生徒が店を出るのと、同時に僕らも走り出す。

 もう彼女に見つかってもよいのだろう。僕らは、何処にも隠れずに、一直線に、何か小さな包みを置かれた郵便ポストに向かう。

 喫茶店から出てきた女生徒は、そんな僕らに気づき、負けじとポストに向かって走り出すが……


 一瞬早く、ポストに着いたのは、僕らの方だった。

 その包みを手に持っているハル先輩に、

「あの、それは……私の……」

 と少し遅れて駆け寄って来た女生徒は言う。

 しかし、

「へえ、これはあなたに渡すものだったんだ。新聞部の鈴木が置いてったからなんなのかと思ったけど、なんでまたこんな厳重な受け渡しするのかな——学校中を泣かした美談の主人公、岩切里佳さん。それ、ちょっと興味あるんだけど」

 と言いながら、にやりと笑うハル先輩。

 ハッとした、表情になる、岩切と呼ばれた女生徒。

「俺たちは、興味あるのは正直、君みたいな小物の方じゃないから、これが……」春先輩は言いながら包みを開け、中に入っていたUSBメモリを出しながら女性との目の前に差し出して「——君とまるで関係ない物だって言われたら信じちまうんだけどな」

 もう一度、今度はなんか脅かすような表情でにやりとするハル先輩。

 それは、絶対、言い逃れなんて許さないと言う無言の圧力。ハル先輩は、少しの動揺も見逃すまいと女生徒の目を一点に見つめる。

 その視線の圧力。

 それにに堪え兼ねて女生徒が横を向く。

 すると、そっちにはカメラをムービーモードにしながら構えるマチ先輩。

 カメラは、まだRECボタンは押されていないが。そのレンズは少しのぶれも無く女生徒の顔を捕らえて……

 ——沈黙。

 そして、

「ちっ」

 少女は顔を歪め悔しそうに舌打ちをすると、一点にこやかな表情に変わりながら、

「——ええ、なんか勘違いしてしまったみたいで。それはあたしには何にも関係ないもの見たいで。これっぽっちも関係ないもの見たいで。だから……

 このブラック新聞部の連中め!」

 と言うとその場から去って行くのであった。

 そして、


「「やったー!」」


 喜びハイタッチをするマチ先輩とハル先輩。

 僕にも差し出された手に僕も思わずハイタッチ。

 喜ぶ二人の勢いに、合わせて喜ぼうとしたのだが……

 どうしても心の中にひっかる事が会って二人の盛り上がりに素直に入って行く事ができなかった。

 ——それは。


 あの包みを置いた男子生徒の事、新聞部の鈴木って呼んでたが……


 あんな人は僕らの部にいない。


 ——としたら?


 それじゃ僕の入った部は何なんだ?

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