第3話

 次の日、新名は毎回『ネクスト・サービス』の集荷を担当していると云う女性社員に声をかけ、今後その仕事は自分へと任せてもらうことにした。

「ホラ、昨日みたいにまた重い荷物とか出たら大変でしょ?だから今後は俺が請け負うよ」

 そうもっともらしい言葉を口にして笑顔をみせた、それだけで彼女は快くOKし、伝票を挟むファイルとカードを持ってきてくれた。もちろん先の理由などで代わってあげようと思った訳ではない。ただ昨晩から忘れられないままでいた『理由』というものが一体何なのか、彼と対峙することでその答えを得たいと思っていた。

 そうして5時半、いつものように彼は笑顔でやってきて、担当が新名に代わったと分かると幾分不思議そうにはしていたが、それ以外は何ひとつ接する態度に変わりはなく、ただ普通に集荷を済ませると元気良く挨拶をして出て行った。

 その次の日も次の日も向けられる笑顔に違いなどと云うものはなく、暫くその様子を見ていた新名は何となく、元から彼はそういう人間なのかも知れないと思うようになっていた。今の今まで自分の周りにはまったくいなかった、とても純朴な人間なのかも知れない、と。

「どうも、『ネクスト・サービス』です」

 今日も男は5時半頃に笑顔で社内を訪れて、予め出されていた荷物の数々を手際良く端末に入力し、台車にと丁寧に積んで行く。いつもはそれを黙って見ているだけだった新名は、その日担当になってから初めて自分から声をかけ、振り向いた彼にとこう云った。

「───この前はごめん」

「?」

「なんか俺、すごく失礼なこと聞いたよな。…ごめん、本当に悪かった」

 突然そういきなり謝られ、一瞬何が何だか分からない状態になってしまったが、ふいにそれが『あの時』のことを指しているのだと理解できた男は、途端、困った風に笑う。

「いやっ、別にそんな謝らないで下さいよ。私なら全然、気にしていませんから」

 客からきついことを云われたり、聞かれたりするのは日常茶飯事だ。いちいち気になどしていたら到底この仕事は勤まらない。そう云う彼に新名はただまっすぐに顔を向け、口元に笑みを浮かばせる。

「───うん、きみなら絶対そう云うと思った。でも、俺的にはちゃんと謝っておきたかったからさ、一応受け止めといてくれる?」

「……………」

「?何?、何かどうかした?」

 何故だかぽかんとしている風な男の様子に気が付いて、新名は思わずそう問いかける。と、彼はぱちぱちと数回瞬きを繰り返した後、いつも見かけるやんわりとした笑顔を浮かばせた。

「…いやぁ、なんか『格好良い人だな』、って思いまして」

「───『格好良い人』?」

「はい。自分に対してそうけじめを持っていらっしゃって、すごく格好良いなと」

 そう云う彼の表情に良くあるお世辞と云った風な色はなく、ただ本当にそう思っているのだと云うことに思わず新名の方が恐縮してしまう。───女性相手にならまだしも、男性相手にそんなことを真面目に云われたことなど初めてだ。そのせいか、どうリアクションを返せば良いのか分からずに、とりあえず新名は『あー…』と声をあげ、何か別の話題を振ろうと試みる。

 と、担当になったにも関わらず自己紹介をしていなかったことを思い出し、ズボンの後ろポケットに突っ込んである財布の中から自分の名刺を抜き取って彼の前にと差し出した。

「そう云えば名前、云ってなかったよな。俺の名前は───…」

「『営業部所属の新名貴之さん』、ですよね?お話は色々と女性社員の方から聞いていましたから」

 そう云いながら彼もまた腰に下げているポーチの中から一枚名刺を取り出して、互いのものを交換する。配達員でありながら色々と話を聞いていたことにも少々驚きはしたけども、それ以上に相手が自分の名前を知っていたことに驚いた。───とは云え、新名も女性社員たちの口から直接聞くよりも先に彼の名前を知っていた訳ではあるのだが。

 新名は改めて目にした彼の名前に、以前抱いていた疑問を問い質す。

「───なぁ、これって『ぼんかわないこうあき』って読むの?」

「いやっ、そう書いて『おおしこうちてるあき』って読むんですよ」

「へぇーっ!それはちょっと読めないわぁ~…」

「…ですよね。良く云われます」

 凡河内晃秋と書いて『おおしこうちてるあき』。確かに一発で読める方が珍しい。男───凡河内は新名から渡された名刺をポーチの中へと仕舞い込み、テーブルの上にまだ置いたままだった集荷済みの荷物を台車に積み込んで、再度新名を見詰める。

「それではお預かりして行きますね。ありがとうございました」

「ん、またな凡河内くん。ご苦労さん」

 出て行く時に今一度頭を下げてきた凡河内の背中を見送った新名は、知らず『ふぅ~~~…っ』と長い溜息を吐いていた。自分の云ってしまったことに対して謝罪することができたからなのか、見事なまでに心は晴れ渡り、新名は彼からもらった名刺をゆっくりとワイシャツの胸ポケットにと滑らせる。

「……本当、彼女らの云ってた通りだわ」

 『なんかこう気持ちが温かくなるような、そう云う雰囲気のある人』。

 まさにその通りだと思った。



   ■   ■   ■



 自分でも本当に信じられないことだと思った。

 まさか愛想を振りまく必要もないような一介の配達員などと、こんなにも懇意になってしまうとは、今までの自分からは到底想像も付かないことだった。そのせいかやはり明確な『理由』と云うものを見出すことができなくて、だけども日に日に新名は凡河内と顔を合わせる大して長くもない時間が楽しみのひとつになっていた。

「ふぅん、そうなんだ。自分の店が持ちたくて今の仕事やってんだ?」

 新名が担当になってから約一週間。僅かな時間だとは云え毎日決まった時間に顔を合わせていることもあり、新名と凡河内は互いのことを少しずつ話すような間柄となっていた。果たしてそれが特別なことかどうかなど分かる筈もなかったが、客と云う立場である自分にプライベートなことを話してくれるのは嬉しい。

 その日も『どうしてそんなきつい仕事をしているのか?』と訊ねた新名に対し凡河内は、少し照れ臭そうにそう夢を語ってくれていた。

「この仕事は結構きついですけど、その分やっぱり給料は全然良いですからね」

「確かに普通の仕事をするよりは早くに貯金できるかもな」

「えぇ、だから早く店が持てるよう毎日頑張っている訳です」

 『自分の店が持ちたい』。そう云う夢があったからこそ、凡河内は嫌な客に頭を下げることも厭わずにひたすら頑張り続けていると云う訳か。───本当に『頑張る』理由は人それぞれ。たとえ今が楽しくなくとも、その先にある『楽しさ』の為に人と云うものは頑張ることができるのだ。

 でも、そうして理解することができても、容易に共感することはできない。新名は将来に対するビジョンを明確に持っている凡河内を『羨ましい』と思う反面、どこか冷めた風な目をしている己の内に気が付いていた。

「───ところでさっきウチの部の娘がオタクんとこのチラシみたいなの持ってたんだけど、何かキャンペーンとかやってんの?」

 そう自分の心を誤魔化すかのように別の話題を口にしてみると、凡河内は『あぁ、』と云って台車に積んである書類入れの箱から印刷物を一枚取り出した。

「今ですね、『お家でできる本格ラーメン三昧市』なるキャンペーンをやっておりまして、色々な地方の味が簡単に味わえる生ラーメンをおススメさせていただいてるんですよ」

 云って差し出されたチラシを見てみると、そこには計10種類もの地方ラーメンが記載されており、新名は暫しそれを眺めた後、何となく凡河内に問うてみる。

「で、何?、やっぱりノルマとかってあんの?」

「えぇ、一応70個がノルマです」

「なっ、『70個』─────っ?!」

「はい、なので期間中は私もずっとラーメン三昧です」

 でもまだラーメンだから我慢ができますけどね。

 そう云って笑う凡河内に『そう云う問題じゃないだろ!』と思わず突っ込みを入れたくなってしまったが、新名は頭でざっと計算し、その金額が8万を超えている事実にさらに愕然としてしまう。

 とてもじゃないが『3食(しかも麺と液体スープだけ)で1200円』と云うのは安い買物とは思えない。それが果たして70個(しかも『一応』とか付いているし)も売れるものなのかどうなのか。不安の色を明らかに見せてしまっている新名に、凡河内は『大丈夫ですよ』と再度笑みを浮かばせる。

「何だかんだ云いながら毎回ちゃんと捌けていますし、今日もキャンペーン初日ですけど15個売ってきましたから」

 でもその『毎回ちゃんと』には自腹も含まれている、という訳だ。

新名はふいにチラシにと向けていた視線を上向かせ、まっすぐと彼に云う。


「───良いよ。俺が5万円分買ってやる」


 突然そんなことを云われてしまった凡河内は、次の瞬間慌てて『良いですよ!』と遠慮する。

「そんな、新名さんに5万円分も買っていただく必要なんてないですよ!あぁもう本当にすみません!自分がノルマの話なんかをしたせいで───…」

「何云ってんの、これはこの前のお詫びだよ。それに、俺結構知り合いいるからさ、その人たちにも分けてやれば良いんだし」

「でも、お詫びなんてそんなっ!」

「───良いの。これは俺がしたいことなんだから」

「………………」

「それとも何?、おたくは『買う』って云ってるお客さんに物を売らない会社なの?」

 そんなことまで云われてしまっては、とてもじゃないが断り切れる筈がない。仕方なくもありがたく凡河内はその厚意に甘えることにして、チラシの隅にある注文欄に住所と名前、電話番号を新名に記入してもらう。

「ご自宅より会社の方がご都合がよろしいようでしたら、こちらまで持ってきますけど」

「…いや、結構な数だと思うから自宅宛に頼むよ。───日にちの指定とかって書いて良い?」

「あ、はい。空いてるところに記入しておいて下さい。で、どれを注文なさいます?」

「ん~…良いよ、適当で。俺、香草以外なら大抵何でも食えるから」

 別に全食自分で食べる訳ではないのだ、何が送られてこようが別に気にしない。そう云う新名に対し凡河内は暫し黙り込み、記入を済ませて振り向いた彼にと商品を指で指し示す。

「では、これとこれはあまり美味しくないので省いておきますね」

「───って、ちょっと待て。仮にも売る側の人間がお客にそんなこと云っちゃって良いのかよ?」

「ん~…でもやっぱり『美味しくない』ものはお客さんにオススメできないですからね」

 会社の方も一応こだわりを持って製造してはいるんですけどね。

 そう付け加えながら苦笑してしまう凡河内を見詰めながら、『それもそうだ』と思いつつもつい、その言葉に対して新名は彼にと忠告してしまう。

「───そんな正直に生きてんと人生損してばっかだぞ」

 人が良いのを良いことに、付け込んでくる人間や利用しようとする人間など山のようにいる訳だ。凡河内のような正直者が上手く世間を渡って行けるとは到底思えない。

 だけども凡河内はそんな言葉などまったく堪えていない、と云う風に笑う。「それはもう仕方ないですね、性分ですから」

「……………」

「では、これとお荷物お預かりして行きますね。───ありがとうございました」

 云って書き終えた注文書と台車を引っ張って、凡河内はドアを開け出て行った。それをいつものように暫し見送っていた新名は、思わぬ買い物をしてしまったことに対して今更ながら呆れ果て、知らず大きな溜息を口にしてしまっていた。

 いくら金に不自由のまるでない生活を送っているからとは云え、5万円分も味の分からないラーメンを買ってしまうなどあまりにも馬鹿らしい買い物だ。

 冷静になってみればそう分かることでありながら自然と注文してしまっていた訳は、やはり彼の夢と云うものを応援してやりたいと心のどこかで思っていたりするせいか。

 そう自分自身に問いかけてみた新名は、ふいに口元を歪ませ自嘲の笑みを携える。先の言葉通り凡河内が『そう云う性分』なのだと云うことは何となく理解できるようにはなっていたけども、だからと云ってやはりそんな彼の生き方に共感を憶えることはない。

「…ボランティアなんて柄でもねーのにな」

 他人の為に無償で何かをしてあげる。

 そんなおめでた過ぎることなど、自分にはまったく関係のないことだとばかり思っていた筈なのに。

 新名は思いも寄らぬ自身の行動に『頭が痛い』と云う風に目頭を指で擦りながら、とりあえず営業部へと戻ることにした。



   ■   ■   ■



「げーっ、マジっスか?!貴さん」

「…俺だったらぜってーそんな無駄遣いしねーよ」

 さて、5万円分のラーメンをどうするか。

 翌日早速新名は仲の良い───と云っても腐れ縁なだけであるが友人たちを呼び付け、会社帰りの居酒屋でことの次第を話してみた途端、先の言葉たちが返された。上辺だけの付き合いなどではない、心から許し合える間柄なだけあって向けられる言動に容赦と云うものは皆無で、新名自身が未だに信じられないでいるせいか、言い返すにも言葉が何も浮かばない。

「…とりあえずまぁ、そう云う訳なんで。ご協力いただけると幸いでございます」

 懐が痛む訳ではないものの、折角購入した食品を腐らせてしまうのはやはり勿体ない。先日凡河内からもらったチラシを鞄の中から取り出して、どれを引き取ってくれるか皆に話を持ちかける。

「────でもさぁ、貴之がそうやって他人の世話焼いてやるなんて珍しいんじゃねーの?」

 やれ『味見してから寄越せ』だのなんだのと云い合っていた最中、ふいに高校時代からの悪友・梨本にそう云われ、新名は『ん?』と顔を上げる。

「これが『女』っつーならまだしも、相手はただの運送『ヤロー』だろ?なのにおまえがそこまでするなんて───…もしかしてそいつ、めちゃめちゃ女顔?」

 無類の女好きで『自分に甘く、他人(特に男)に厳しく』をモットーに生きている新名がそんなことをしてやるだなど、きっと特別な何かがあるに違いない。可能性として考えられる内のひとつを口に出してみると、新名は途端頬杖を付きながら『まさか』と云った風な顔をする。

「生憎どっからどう見てもがっちり系の男だよ」

「嘘っ!、そんな奴におまえが『5万円』?!」

「……って、おいおい。それだと日頃の俺がなんか、もの凄いドケチみたく聞こえるじゃねーかよ」

「う~ん、やっぱりムダ金だぁ…」

 腕を組みながら梨本の隣、同じく高校時代からの悪友である吉野がうんうんと大きく頷いている。

(そんなに俺、ドケチじゃねーと思うんだけどなぁ~…?)

「まっ、何にせよ周りの連中に愛情を持って接するっつーのは良い心がけっスよ。貴さん、いっつも人当たりの良い『フリ』ばっかっスからねぁ~…」

「───って、おいおいちょっと待て。おまえまでそんな酷いこと云うのかよ?」

 これまた同じ高校の後輩に当たる大原の言葉にぴくり、と新名の片眉が釣り上がる。友人三人揃いも揃って何たる言いぐさだ。

 確かに自分は今ここにいる人間以外に心を許すつもりもなかったし、周りに対する態度のすべてが『フリ』だと云われてしまっても当然だったりするのだが────…。だからこそ新名は何故に凡河内の存在が気になっているのかが理解できない。いくら彼が心に安らぎを与えてくれるような雰囲気を持っているとは云え、話し相手程度のつながりで十分過ぎる筈なのに。

「…『物珍しい』だけかも知んねーな…」

「あぁ?、何よ貴之?」

 ぼそり、独り言のように零した台詞にそう反応を示してくる梨本に『何でもない』と手を振って、新名はグラスに注がれたビールを喉へと流し込む。

 プライベートな部分まで話すようになった間柄。────でも、所詮は配達員とそのお客。そんな今までにない関係が時にこうして自分を悩ませてしまっているだけのことだろう。

 それきり新名はグダグダと凡河内のことで悩むのはやめにして、それこそ終電がなくなるまで皆と楽しくグラスを傾けた。


 彼らとともに過ごしている時だけは、本当の自分でいられた。



   ■   ■   ■



 後日、新名の指定した日時通りに自宅へと『ネクスト・サービス』の配達員が荷物を届けにやってきた。配達区域が違うので別の人間が伺うとの旨を昨日凡河内から聞いていた新名は、注文した大量のラーメンとともに送られてきた商品のことを思い出す。


「今回新名さんにはたくさん購入していただきましたので、私の方からおまけで肉まんも付けておきました。袋のまま電子レンジに入れて平気ですので、小腹が空いた時にでも食べて下さいね。もちろん、味は保証しますから」


 そう云って『そんなにいっぱい冷蔵庫&冷凍庫に物が入るか!』と文句を垂れた自分にと、困った風な表情ながらやんわりと笑んでいた凡河内。多分に一人暮らしの食生活を考えてくれての気遣いなのだろう。そんなに気など遣ってくれなくても良いのに。

 でもそれが彼の云う『性分』て云うやつなのかも知れない。今度逢った時に改めて礼を云うことにしよう。

 とりあえず皆が引き取りにくるまでの間、どこか邪魔にならないところにでも置いておかないと────…。テーブルの上に広げたままあれこれ思案していると、つい先程連絡のあったアヤコがリビングのドアを開け現れる。

「いらっしゃい、アヤコさん」

「────何なの?、その大量のラーメンは…」

 部屋を訪れるなり早々と訝しそうな表情でそう訊ねてくる彼女に、新名はことの経緯を説明した。と、云っても凡河内の夢がどうだとか、そう云った細かい部分は省いて説明したのだが。

 聞き終えると彼女は大きな溜息をひとつ口にして、酷く冷めた目付きで商品たちを一瞥する。

「わざわざそんな不味い買い物なんてしなくても、食べたくなったらいつでも本場のラーメン屋さんに連れて行ってあげるから────…。良い?、もう二度とそんな無駄遣いはやめなさい」

 『無駄遣い』。

 確かに自分でも思っていることではあるけども───新名は途端、胸に何か込み上げてくるものを感じていた。だけどもそれを表に出すことはなく、ただ小さく苦笑を浮かべると、言葉もなく近付いてゆっくりとアヤコの腰へと手を回す。

「…うん、分かったよアヤコさん。今度二人で食べに行こ?」

 彼女のこめかみに頬を摺り寄せ、軽く額にと接吻る。アヤコはそんな新名を可愛い大型犬のように思い、自然と口元に微笑を携えた。

 その後はいつものように飽きるまで互いの躯を求め合い、珍しくそのままベッドの上で眠りに就いてしまった彼女を一人残し、新名は喉の渇きを癒すべくキッチンへと足を運んでいた。

 そして冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出すと、半分くらいまで一気に中身を口にした。

「────2時半か。そろそろ俺も寝ないとなぁ…」

 明日も朝から普通に仕事はある訳だ。いつまでも起きてはいられない。

 シャワーは朝一に浴びてから出勤すれば良いと大きく一度伸びをして、ミネラルウォーターを仕舞うべく再び冷蔵庫を開けた時だった。突然腹が『ぐぅ~…』と鳴り響き、しっかりと夕飯を食べていなかったことを思い出す。

「…そう云や今日はすぐにセックス始めたんだっけ…」

 アヤコがくると聞いた時には美味しいワインとちょっとした前菜でも用意して持て成そうと思っていたのだが────…結局ラーメン騒動?のせいでそれもお流れになってしまっていた。

 新名はがりがりと頭を掻き毟り、何か食べるものはないかと冷蔵庫の中を覗き込んでふと、ラーメンとともに送られてきた肉まんの存在を思い出す。

「そうだよ、こう云う時に食べないでどうするんだっつーの」

 『よしよし』と笑顔を浮かばせて冷凍庫の中から凍ったままの肉まんをひとつ取り出すと、早速賞味方法通り袋ごと電子レンジに突っ込んだ。暫くすると電子レンジはチンッ、と出来上がりを知らせる音をたて、見るからに熱そうだと分かるそれを何とか手にすると、袋を開け、冷ますように息を吹きかけながら噛み付いた。


『もちろん味は保証しますから』。


「…うん、確かにこれは美味しいな─────…」

 コンビニで販売されていてもそんなに買う気にならない代物だったりしたのだが────これなら金を出して購入しても良いと思える商品だ。

 薄暗いキッチンで一人、新名は黙々と温かい肉まんを食べながら凡河内のことを思い出し、なのにどうしてか胸が痛むのを憶えて眉間にと深く皺を寄せて行く。それらの感情が何故沸き起こるのか、未だその答えを見い出せないままでいた。

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