第2話

 たかが偶然街で見かけた(ぶつかった)配達員。

 だけどもその後新名はひとつのことに気が付いた。

 今まで何の気にも留めていなかったが、どうやら彼は毎日午前と午後の二回、しかも大体同じ時間に会社を訪れて荷物の集配を行っているようだった。その荷受けを担当している女性社員たちに何となく話を聞いてみると、彼───凡河内は半年前からこの辺一帯を任されるようになった配達員らしく、とても親切で丁寧な接客態度から皆に好感を持たれているのだと説明してくれた。

「運送屋さんにありがちな体育会系の爽やかさじゃなくて、何かこう、気持ちが温かくなるような、そういう雰囲気のある人なんだよね」

「そうそう、話し方とかすごく丁寧で優しいし。私、何気にあの人の声好きなんだよね~」

「あー、分かる分かる!耳にこう、心地良い声してるよね~!」

 云ってきゃいきゃいとはしゃぎ出している彼女らの様子をみていれば、どれだけ彼が配達員としてだけでなく人間的に好かれているのかが分かるような気がした。容姿もまぁ、黒縁のメガネなんて野暮ったいものをかけてはいるけどもそこそこ見れる顔立ちはしていたし、確かにそう何度も聞いたことがある訳ではなかったが、良い声をしていた風に思われる。

 新名は今日も台車に大きな荷物を載せて社内を走り回っている配達員の姿を目に止める。

「おはようございます、『ネクスト・サービス』です」

 元気良くそう挨拶をして胸ポケットから伝票を取り出す。奥まで運んで欲しいとでも頼まれたのだろうか、一度は置いたパソコンくらいはあるかと思われる大きな段ボールを再び持ち上げて、男性社員の後を笑顔で着いて行く。それはそれで彼の仕事なのかも知れないが、必ずしも『ありがとう』と云われる訳でもないサービスをして何が楽しいと云うのだろう。

 しかもあんな風にずっと笑顔なんて浮かばせて───…毎日毎日あんなでは疲れるだけだと思うのに。

「…ま、どうせ裏じゃ文句ばっか云ってんだろうけど」

 人が心の内で何を思っているかなんて、結局誰にも分からないものなのだ。そう思うとあの男も相当裏があるのかも知れないと、新名は冷めた面持ちで廊下を歩き出していた。



   ■   ■   ■



「────うわっ、何だよこの段ボールの山っ!」

 朝から何となくバタバタと宣伝部の人間が社内を往来しているなとは思っていたのだが、夕方頃手を貸して欲しいと頼まれて2階にある会議室を訪れた新名はあまりにも山積みになってしまっている段ボールの姿を目に止めて、思わずそう驚愕の声をあげてしまっていた。約80㎝四方の段ボールがざっと見て20箱。その他に封筒がびっしりと詰まった段ボールが3箱あり、どうやらそれはバラで送るらしい荷物だった。

 手を貸して欲しいと云った女性社員はただ呆然とその光景を眺めているだけの椎名の目の前に、発払いの伝票の束を差し出す。

「5時半になったら『ネクスト』さんが取りにきますので、それまでに伝票書いてもらえます?」

「で、『伝票』ってこれ全部かよ?!こんなのパソコンで打ち出しすれば良いじゃない!」

 ゆうに80枚はあるだろう伝票の枚数にもっともな方法を口にする。───が、彼女は溜息を口にして『それはできない』という風に大きく首を横に振る。

「私だってその方が良いとは思いますよ。でも、運悪くその印字データが壊れちゃったみたいでして…。ソフトもどこにあるのか、先月の引っ越しで行方が分からなくなってるし──…これはもう『手で書いた方が早い』ってことになったんですよ」

「───で、何?なんで俺ときみともう一人しかいない訳?」

「そんなの『3人いれば平気だろ?』って三上部長が」

「…あぁ、そう云う訳なのね……」

 彼女の云った三上部長とは、総務のお偉いさんである。

 人のことは云えないが毎日ロクに仕事もせず、なのに周りの人間を急かすだけ急かしてこき使い、暇さえあれば小言ばかり云っている。そんな彼を当然慕っている者など社内には誰もおらず、そのことに気付いていないところがまた厄介だと云えた。

 それならそれで仕方ないと諦めて、ワイシャツの胸ポケットに差してあったボールペンを手に取り早速作業に取り掛かる。『ネクスト・サービス』が集荷にくるまで後1時間弱くらい。とりあえず腱鞘炎を覚悟で頑張るしかないだろう。

「…だから、こう云うのって本当苦手なんだよなぁ───…」

 そうは小声で云いつつもやらないことには仕方なく、会話もないままに3人はただひたすら伝票を書き続けるだけだった。



   ■   ■   ■



 結局いつもの時間に訪れた『ネクスト・サービス』であったが、前の集荷先で予期せぬ大物を預かったためトラックに余裕がまるでなく、さすがに全部は積み切れないと云うことで『降ろしてからまたすぐに伺います』と云い残し急いで会議室を出て行った。

 普段は当社も数件書類を出しているだけなので問題はないと判断し、そのまま集荷に訪れたのだろう。こんなことなら取りにくる前にあらかじめ電話の一本でも入れてやれば良いものを。

 それから約30分後、駆け足で戻ってきた男の姿を見止めると、何をしにきたのかも分からない三上部長が怒りを露わに大きな声で云う。

「きみねぇ、『すぐに伺う』って云ったのに30分もかかるって云うのは一体どう云うあれなんだ?!こっちだって暇じゃないんだから、約束通りに毎回きてくれなきゃ困るんだからな!」

 『すぐに伺う』とは云っても、どこにあるかは知らないが営業所で荷物を降ろしたりしてくればそれなりに時間がかかってしまうのも仕方のない話ではあるだろう。なのにそうもっともな顔をして怒鳴り付けている上司の態度は横暴で、それだけのためにわざわざここまできたのかと思うとたまらなく虫唾が走りそうになる。

 それは傍らに立っていた女性社員たちも同様で、言葉には表さないもののその表情は至極苛立ちに満ちていた。

「で、明日にはちゃんと先方に届くんだろうな?いつもより遅れてきたくせに『届かない』なんてことがあってみろ?、本社に直接電話してやるからな!」

 聞いているだけでもこんなに気分が悪くなってくると云うのに、云われている当の本人はただただ申し訳なさそうに何度も頭を下げ続けているだけだった。

「地域によっては明後日になってしまうところもありますが、明日着の地域には必ずお届け致します。本当に申し訳ございませんでした」

「…ったく、どう云う教育してんだか…っ」

 去り際にそう侮蔑を含んだように吐き捨てて、部長はようやく会議室から出て行った。途端、『信じらんない!』と怒りを露わにして叫び出す女性社員たちとは裏腹に、すぐさま男は腰から下げている入力端末を取り出して集荷作業に取り掛かる。その面持ちは特に何かの感情を表していると云う風はなく、ただひたすら黙々と必要事項を書き込み、入力を続けるだけだった。

「───あ、そうそう。そこはもう新名くん一人に任せてきみたちは職場に戻りなさい」

 『云い忘れた』と云う風に再び顔を出しにきた部長はそう云って、大声で文句をたれていた女性社員二人にと鋭い目を向ける。ドアは閉まっていたけども何かしら耳に聞こえていたのだろう、二人は渋々と会議室を後にした。

 ───しかし、だからと云ってなんで俺が一人にされなきゃならないんだ?別に伝票を貼って持って行くだけならばここにいる必要など何もなかろうに。

(…それとも何か?、何か他にやることとかあったりすんのかよ?)

 どちらにせよあのバカ上司に任されてしまった訳だし、おとなしく作業が終わるまでここにいた方が賢明だ。

 それでもピッピと電子音が聞こえてくるだけであまりにも静かすぎる空間に耐え続けることができなくて、新名はふいに会議室の机の上にと座り込むと、集荷を続けている男の背中へとさり気なく声をかけてみる。

 ───思えばそれは興味があったからかも知れない。新名は彼の内にある醜い感情と云うものを探ってみたかった。

「ああ云う偉そうな口ばっかきいてるお客って正直頭くるでしょ?あの人、社内でもかなり評判の悪い人なんですよ」

「───そうなんですか。でも、事実遅れてきたのはこちらの方ですからね。ああ云う風に云われてしまうのも仕方のないことですよ」

「でも頭にはくるでしょ?」

「いえ?、そんなことはないですよ」

「………………」

 聞かれてこう簡単に客の悪口を云うとは思ってなかったが、ここまで平然とした態度を取られてしまうと何だか自分の方が悪者みたいに思えてきてしまう。───いや、実際誘導尋問のような真似をしている訳だから、まったく悪者ではない、とは云えないのかも知れないが。

 それにしても少しは曖昧に笑ってみせるとか、何か反応があっても良いと思うのに。その微塵も負の感情をみせない男の態度に新名は何故だか苛立ちを憶え出す。

(世の中そんな、デキた人間なんかいる訳ゃないっつーんだよ)

そう思うと部長の罵声に無反応でいた彼が酷く『偽善者』のようにみえてきて、気が付くと新名は眉間に深く皺を寄せたまま強い口調をみせてしまっていた。

「へー何?、おたくってあんな酷く云われても全然平気な性質なんだ?───そうだよな。そうじゃなきゃ『あの時』荷物を全部ぶちまけてくれやがった俺のことなんて笑顔で許す訳がねーもんな。でも、そう云うのってすごく疲れない?そんな嫌な客にペコペコ頭下げてまで『頑張る』意味ってどこにある訳さ?」

 それは何も彼だけに限ったことではない。ただ、今までの人生を楽に過ごしてきた新名にとって彼らのような懸命な姿はあまりにも理解しがたいものだった。だけどもある種そんな風に周りを小馬鹿にしていることなど未だ嘗て誰にも明かしたことはなく、多分にその理由は少なからず彼よりも自分の方が上の立場にあるのだと認識していたからだと思われる。

(────それともこの男なら何も云いはしないとでも…?)

 新名の言葉に男は一瞬その手を休めたが、すぐにまた伝票を貼り付けながら言葉を返してくる。

「…私も人間ですからね、頭にこないことなんてないですよ。でも、そう云う風に思ったり言葉にしたりする方が余っ程疲れるじゃないですか。───『頑張る』理由は人それぞれ。私は私のやれることをやり続けるだけですよ」

 云って束になった伝票の控えをカードとともにファイルの中にと挟み込み、その場からすっと立ち上がる。

「後はもう荷物を積んで戻るだけなので、この場は任せてくださって結構ですよ。電気もちゃんと消して帰りますから」

 これでもう作業は終わりだと云うことか。ファイルをそう笑顔で渡された新名は次々と台車に段ボールを積み上げて行く男の姿を暫し黙ってそのまま見ていたが、別にもうやることは何もない。

(……これ以上ここにいてもただ居心地の悪い思いをするだけだ)

 そう思うと新名は何の言葉もかけぬまま会議室から抜けて行き、自分でも分からない歩調をみせたまま営業部へと向かって歩き続けていた。




   ■   ■   ■



 一介のサラリーマンが逆立ちしたところで住めないような、都内某所に建てられた一棟の高級マンション。その中でも一番夜景が綺麗に見えると云う理由で選んで買った21階にある一室で、今夜もカーテンを開けたまま月明かりの下で絡み合う。

「はぁ…っ…イイわ、ソコ───…」

 長い髪を乱しながら必死になって縋り付いてくる女の柔肌を抱き寄せて、さらに深く執拗に突き上げる。その度に甘く濡れた吐息が声が耳の鼓膜を刺激して、たまらなくゾクゾクさせられる。

 彼女の名前は御剣アヤコ。昼間は弁護士の妻として芯の強い女性と云うものを演じ、夜になるとこうして娼婦のように淫れ啼く。

 2年前新名はとあるバー・ラウンジで彼女と出逢い、『私の可愛いペットにならない…?』と云う誘いに迷わず『Yes』と答えていた。これがもし本当にくたびれているだけの金持ちババアだとしたら断っていたかも知れないが、彼女はペットになっても構わないと思えてしまう程憂いを秘めた美しい女性だった。

 それからすぐにアヤコは新名にマンションを買い与え、自分の好きな時にこうして部屋を訪ねては飽きるまで躯を重ね合う。そんな二人の間には確かなる『愛』などど云うものは存在していないのかも知れないが、互いにそれを深く追求することもない。

 新名もアヤコもただ、今が愉しければそれで良かった。

「───今日は何だかご機嫌斜めね、貴之」

 一頻り抱き合った後シャワーを浴びにと消えていたアヤコが、未だベッドに寝転がったままでいる新名に戻ってくるなりそう云った。純白のバスローブに身を包み、濡れた黒髪を掻き上げるその仕草は色っぽく、新名はそんな彼女の姿を見詰めたままベッドの上にと頬杖を付く。

「……別に?、そんなことないと思うけど」

「ふふふ…っ、いつもより『ココ』の皺深いのに?」

 云ってその場所を示すかのように、人差し指を眉間にと当ててくる。さすがにそこを指摘されてしまっては返す言葉は何もない。

「でも本当、アヤコさんに話す程のことじゃないんだよ。それでも『聞きたい』って云うんなら俺も話すけど?」

 そう云う話を好んでいないことを知っていて、新名はわざと笑顔で問いかける。が、当然それを知っていたアヤコはただ同じように微笑を携えて少しずつ帰り支度を始めるだけだった。

「じゃあね、貴之。またくるわ」

「…ん、連絡待ってる」

 流していた髪もすっかりひとつに束ねられ、そこにはもう先程ベッドで淫れていた女性の面影はみられない。アヤコはベッドにもぐり込んだままひらひらと右手を振っているだけの新名に再度思い出したかのように近付くと、手にしていたハンドバッグの中の長財布から札束を2枚用意する。

「…はいこれ、いつものお小遣い」

 云ってアヤコはそれを静かに枕元に置き、新名の頬にと軽く接吻る。そのまま振り返ることもなく出て行く彼女の背中を暫し見送って、今し方もらったその『お小遣い』を手にすると、新名は何とも云えない笑みを浮かべてしまっていた。

 彼女が『ご機嫌斜め』だと指摘した原因は多分、昼間の配達員。そして今こうして笑っている訳も、彼のことを思い出してしまっているからだ。

 人にそうペコペコ頭なんか下げなくたって、こんなにも簡単に金は手に入る。一生懸命働いていなくたって、ただ女とセックスするだけでこれだけの金を手にすることができるのだ。

「…まぁ、あいつはあいつでやれることをやるだけの人生なんだろうけど───…」

 あんな毎日あくせく働いて、『楽しい』だなんて思える訳がない。

 本気でそうバカにしている筈なのに何故だか心がざわついて、新名はどうしてか彼の存在を忘れることができないままでいた───。

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