Lazy Lazy

嵩冬亘

第1話

 はっきり云って昔から俺の人生と云うものは非常に楽で適当で、すべてが上手くいきまくる、何とも素敵なものだった。

 親がそれなりに金持ちだったため、結構裕福な暮らしをしていたし、たいして努力をしなくても皆が羨む一流大学に現役合格すらできた。

 おまけに遺伝だと思われる高身長と、中々の男前に生んでくれたおかげで小・中・高・大とまったく女に不自由しない学生生活を送ることができ、競争率が高いとされる一流企業の営業部に所属している今現在も、ハイソで美人な年上女性にと甘やかされて生きていた。

 当然未来に対するビジョンなんてものはない。だけどもそんなものがなくたって今が楽しけりゃそれで良い。何かに向かってひたすら頑張ろうとするなんて、あまりにもナンセンスな行動だ。

 だから俺は至極適当に、ゆるゆると『今』を生きている。

 本当の自分と云うものは、けして晒してみせることもなく。



     ■  ■  ■



 今日も朝から所内には何台もの電話の音が鳴り響く。

 都内大手電子メーカーの営業部に所属している新名貴之は、けたたましい程に主張を繰り返し続けている電話のひとつを手に取って、相手先が指名する社員にと内線を繋いでこう告げる。

「白川さーん、『ユニテックス』の寺尾さんからお電話でーす」

 その内線を受けた白川は見えもしない相手に対しペコペコと頭を下げており、そんな同僚の姿を目にした新名は『ご苦労なこって…』と呆れた風な溜息を口にしていた。

 周りの仕事熱心な同僚たちとは違い、入社当初から上手いこと適当に仕事をこなしていた新名は取引先や業者への面倒な営業回りを頼まれるようなことはなく、もっぱらこうした電話の取り次ぎやデスクワークと云った簡単な雑務をしていることが多かった。それはけして男性社員が甘んじているような仕事などではなかったが、新名にしてみれば無理して競争することもない、至極気楽なものと云えた。────別に出世がしたいとか、野心があってこの会社に入社した訳ではないのだ。そんな汗水流して働く意味なんてまるでない。

 だけどもそうは思っていながらも、顔や表に出すようなヘマは一度もしていない。自分の生活の範疇に敵を作ると云うことがどれだけ厄介なものか、十分理解しているからである。

 そんなことを腹の中で思っているとも知らない同僚たちは誰一人、社交的で明るい性格をしている新名を否定することはなかった。

「なぁ、新名。今の会社の見積書ってすぐに出せるか?」

「…『すぐ』って訳にはいかないけど、5分もあれば出せるかな」

「───その『5分』って何の5分だよ?」

「おまえが俺にコーヒーをご馳走してくれる5分」

 にまっと口端を釣り上げて傍らの男を見上げると、男は『はぁ~…っ』と大袈裟な溜息を吐きながら表の自動販売機に向かって歩き出す。

「……いつものブラックで良いんだな?」

「できればあったかいのでよろしく~」

 云ってひらひらと軽く手を振って、目の前に置かれたパソコンのフォルダをマウスでクリックする。そこから必要な情報を選び『プリント』の指示を与えると、望みのものは出力を終えていた。

 新名はその書類のほかに社名の入った封筒を一枚用意して、自分の分と二本、缶コーヒーを手に戻ってくる男を笑顔で迎える。

「はい、これ。あそこの見積書」

「おっ、気が利くじゃないのよ新名くん。俺もうよれよれの封筒しか持ってなかったりしたんだよね~」

「まっ、頑張って外回りしてきてくださいな。───コーヒー、サンクス」

「おうよ。んじゃあ行ってまいりまーす」

 ざっと書類に目を通し用意された封筒の中にと押し込むと、男は自分のデスクの椅子に引っ掛けてあった上着と鞄、そして買ったばかりの缶コーヒーを道連れて颯爽と部署から出て行った。

 そんな彼の姿を暫し見送っていた新名はふいに手元の缶コーヒーを見詰めると、冷めてしまわない内にそれを飲んでしまうことにする。

(…さぁて、今日は一日何をして時間を潰そうか)

 そんなことを思いながら新名の指はカタカタと、何をするでもなくパソコンのキーボードを弄り出していた。



     ■  ■  ■



「何?、もう一件回るから別の見積書も作成して欲しい?」

 先程の男が会社を出て行ってから3時間ほど経った時のことだった。

 もう少しでお昼だと云うこともあり、同じ課の女性社員たちと『今日は何食べる?』と云う風な談笑をしていたところに一本の電話が鳴り響き、突然先の内容が告げられた。何でも先方との会談後別の会社から依頼がきたらしく、向こうのスケジュール上すぐにでも伺わなければならないとのことだった。

 なので早急に見積書を作成し、その会社まで届けにきて欲しい。男は至極申し訳なさそうな声で云う。

『こんな時間に無茶なこと頼んで悪いとは思うんだけどさ、本当頼むよ新名。『必ずその時間に伺います』って云っちゃった手前、どうしても遅れる訳にはいかないんだよ』

 ───無茶だと解っているのなら、どうして先方の都合だとは云えそんな約束を取り決めてしまったのか。そうは思っていながらも彼ら営業マンがそれら取引先に対して強気な態度に出られないことを知っている新名は、聞こえない程小さな溜息を口にして紙とペンを用意する。

「で、その届けなきゃいけない会社ってのはどこにあるんだ?」

 これでもう本日の昼休みはまるまるパーである。新名は受話器を置くとすぐさまパソコンと睨み合い、次々と社員が食堂やら外食にと姿を消してしまう中、ようやく見積書を作り終える。

 それを印刷している間に出かける用意を済ませ、鞄の中にと封筒を押し込むと急いで所内から出て行った。

 男の云っていた約束時間は13時。大通りでタクシーを拾えれば何とか間に合うことだろう。途中すれ違う社員たちにひらひらと右手を振りながら駆け足でエントランスを通り過ぎ、新名はそのままの勢いで会社の玄関口から飛び出した。

すると、数メートル離れた自分の正面に荷物を載せた台車を押している男の姿を発見し───あまりの勢いに避けきれず、新名はその積まれた荷物にと衝突してしまう。

「痛っ!」

「うわっ、すみません…っ!」

 ぶつかった拍子に荷物は見事に崩れ落ち、同じように倒れてしまった新名の目の前に男はすかさず右手を差し伸べる。その手を借りて立ち上がった新名は汚れたスーツを軽く叩き付け、落とした鞄を手に握る。

「───悪いけど俺、先を急ぐから!」

「あっ、いえ。そんな気になさらないでください」

 そう云う男の言葉に甘え、散らかった荷物を踏まないように脚を進めると、再び新名は全速力で大通りへと走り出す。

 あきらかに自分の不注意であるということは、十分解っていたけども───…。



     ■  ■  ■ 



 そうして約束の15分前に作成した書類を無事に手渡すことができた新名は、帰りがけに寄ったバーガーショップで昼食を採り、会社へと向かって歩き続けていた。───ただ今の時刻は2時16分。何だかんだと良い時間潰しにはなってくれたようである。

「…でもあんまこう云う時間潰しはしたくないんだよなぁ~…」

 『日々楽に適当に』をモットーとしていた新名は至極疲れた風に溜息を吐き出して、青信号の交差点を通過した。

 ───そう云えば。

 そう云えば、行きがけぶつかってしまった相手には本当に申し訳ないことをした。自分の不注意で荷物を崩してしまったというのに何の手助けもできなくて、『気にしないで』とは云ってくれたけども多分にその胸中は怒りに満ちたものだったに違いない。

 ベージュのズボンに黒いジャンパー。それに紺色の帽子を被っていたと云うことは『ネクスト・サービス』の配達員だろう。今度彼を見かけたら一応謝っておいた方が良さそうだ。

 そんなことも思いながら会社のある通りに向かう道路の角を曲がると、すぐ左の路肩にと停まっている一台のトラックが目に付いた。その車体には大きく『ネクスト・サービス』と社名が表記されており、新名は何の確信もなかったが駆け足でそのトラックの運転席へと回り込む。

 すると、中には先程ぶつかった男が一人、遅過ぎるにも程があるコンビニ弁当を食べていた。その横顔はまるで自分の存在に気付いてくれる風はなく、思いきって新名はコンコンッと窓ガラスをノックする。

 男は途端、自分の顔を見て思い出してくれたのか、笑顔で窓を開けて行き、新名が声をかけるよりも先に『先程はどうもすみませんでした』と頭を下げられる。

「何か急いでらしたようなのに避けることができなくて───…怪我とか大丈夫でしたか?」

「ん?、あ、あぁ、ちょっとぶつけたとこが痛いだけ。それより落とした荷物は平気だったんですか?随分と派手に転がってたみたいだけど…」

「えぇ、まぁそれは何とか。お気遣いありがとうございます」

「いや、あれはほら完全に俺の不注意だからさ。こちらこそどうもご迷惑をおかけしました」

 云って小さく頭を下げてくる新名に男はただ困った風な顔をして、ぽりぽりと指で頬を掻いている。彼もまた自分と同じように非は己にあるのだと思っているのだろう。だけどもあの瞬間『ぶつかりそうだ』と気が付いて、必死になって避けようとしていたことを知っている。だからこそ新名は『謝りたい』と思っていた訳である。

 それを今こうして果たすことができ、心がすぅと軽くなって行くのを感じる。

「それじゃあ俺はこの辺で。飯、まだ食い途中でしたもんね」

「あ、あぁ、そうですね。…わざわざどうもすみませんでした」

 そう云って律儀にもまた頭を下げてくる彼に新名は軽く手を挙げて、静かにトラックの傍から歩き出す。その際ドアの側面に貼られていたネームプレートに気が付いて、暫く歩を進めた後思わず『?』と脚を立ち止める。

「……あれって『ぼんかわないこうあき』って読むのかなぁ…?」

 何とも珍しい苗字をしているな、と云うか人の名前か?それと思ったが、皆の出迎えを受ける頃にはそんな些細なことなどすっかり頭から消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る