男の貌

三角海域

男の貌

その老人は、いつも公園のベンチに腰かけていた。

 時間は、大体昼の一時過ぎくらいだろうか。一時ジャストだったり、一時半だったり。二時前には来て、一時前には来ないというのは確かだ。それは、この一か月続けた観察で判明している。

 我ながら暇人だと思うが、映画ライターなどという職業は、予定がなければ執筆をしているだけなので(私が珍しいのかもしれないが)することはない。いつもは好きな映画を観て一日中過ごしているのだが、一か月前、朝から干していた洗濯物をとりこもうとした時、あの老人を見つけた。

 午前中の公園には老人がよく散歩に来ている。そんな話を、同じマンションの住人である男に聞いたことがある。この男というのは、友人というわけではなく、ただのご近所さんという程度の関係であるが、妙に話好きな男で、会うたびに数分の立ち話をするはめになる。

 その男が、公園は老人たちの憩いの場になっていて、せっかくの洒落た空気が台無しだと言っていた。近くにヘルパーが常駐する高齢者用マンションができたせいだと嘆いていた。

 実際、今もベンチに座る老人以外にも多くの老人が公園にいる。だが、私の目を奪うのは、ベンチに座る老人だけだった。

 その老人は、ほかの老人とはあきらかに違う所があった。

 目だ。目が違う。

 顔に浮かぶ多くの皺。薄くなった髪。残った髪も白髪で、ろくに手入れしていないことがわかる。

 だが、目だけが異様に輝いていた。

 キラキラとした少年のような輝きではない。ギラギラとした、鈍い光。戦うことを知っている男の目だ。

 なぜそんな風に思うのか、と考える。

 おそらく、私は映画とその老人を結び付けているのだ。

 クリント・イーストウッドや、ショーン・コネリー。現在は八十を超えた彼らもまた、見た目は老人である。それは、同年代の老人に比べれば、いい顔立ちをしているというのはあるだろうが、それ以上に、彼らの目は常に輝きを放っている。

 私は、ルックスや体格などそういう所以上に男らしさが出るのは目であると考え続けてきた。

 そして、私はベンチに座る老人に、その輝きを見ていた。

 その輝きは、ベランダからでも分かる。

 十年前、来日したイーストウッドを遠目に見たとき、私はそこに本物の男を見た。感じるものなのだ、こういう感情は。

 映画の中にしかなかった、私が欲する物語が、いま、目の前にあるかもしれない。 

一か月ずっと老人を見つめていて、私はそこに物語を見ていた。

 明日、老人に話しかけてみよう。

 体の内側から、熱いものがこみあげてくる。まるで、名作映画を観る前のように。



 次の日。私は一時十五分前に公園に向かい、老人を待った。季節は冬。上着を着こんでいても寒い。談笑する老人たちは寒い寒いといいつつ、笑いながら話している。情けなく体を震わす私とは大違いだ。

 それからしばらくして、老人がやってきた。

 いつものように真っすぐベンチに向かい、座る。

「あの」

 私は、老人に話しかけようと、ベンチに近づいた。だが、老人は反応しなかった。

「あの!」

 少し強い調子で話しかけてみた。だが、やはり反応はない。

 無視されているのだろうか。そんな風に考えた時。

「あの、日山さんのお知り合いの方ですか?」

 という声が背後でした。

 振り返ると、談笑していた老人の一人が、遠慮がちに私を見ていた。

「いや、そういうわけでは」

 なんと話したものか。映画的な物語を老人に感じたからなどというのは、信じてもらえないだろう。

 だが、私の心配をよそに、老人は安心したように息を吐いた。

「そうですか。よかった」

 そう言い、続けた。

「日山さんは痴呆がひどいんです。話しかけても、反応してくれないと思いますよ」

 私はベンチに座る日山老人のほうを見る。やはり目の奥に光がみえる。だが……。痴呆とは。

「そうは見えないでしょう?」

 私の心を見透かすように、老人は言った。

「日山さんは、今年に入ってから私たちの住んでるマンションに引っ越してきたんです。引っ越しの時に職員さんがそのことを教えてくれて。だけど、やっぱり信じられませんよね、これでぼけているなんて」

 私も同感だった。そんな風には見えない。うまく言えないが、日山老人には明確な自分の意志が見える。

 私は、改めてこの老人に興味を持った。

 


 帰宅し、仕事を早めに切り上げると、私は近所の高齢者用マンションに電話をした。日山老人について聞くためだ。だが、やはりプライベートなことだからと断られた。

 私はマンションを出て、自分の足で高齢者用マンションへ向かう。もしかしたら訪ねるかもしれないと、公園で日山老人についての話をきかせてくれた方に伝えておいたのだ。

 私は職員の方にそのことを伝え、確認してもらった。老人はきちんと約束を覚えていて、私はマンションの中へ入ることができた。

 老人に連れられ、共用スペースのような場所へ行くと、ひとりの老人を紹介された。

 その老人は坂口といい、日山老人とよく話しているという。

「話すって言っても、向こうさんの話をひたすら聞くだけだがね。でも、そうして話を聞いてあげるのも大切だって聞いたことあるからさ」

 坂口老人は照れるように言った。

「それで、どうして日山さんのことが聞きたいんだい?」

 私は、素直に興味をもったきっかけを話すことにした。それでダメなら、あきらめようと。

 だが、私の話を聞いた坂口老人は、しきりに頷き、「ショーン・コネリーか」と嬉しそうに笑った。

「懐かしいな、007。私はあのシリーズが大好きでね。ドクター・ノオやロシアより愛をこめてなんかは劇場でみたんだよ。そん時は、007は殺しの番号と、007危機一発なんていうタイトルでさ。危機一髪の髪が、発動の発だったりしてさ」

 坂口老人は楽しそうに話した。おかしな話だが、こうして映画について楽しそうに話しているのを見るのは、私も好きだった。

 ひとしきり話すと、坂口老人はまた恥ずかしそうにして、「すまんね、脱線しちまった」と詫びた。

「しかし、日山さんがショーン・コネリーか。確かに。いい男だよな、あの人」

「痴呆症にかかっているときいたのですが」

「うーん。痴呆症ってより、記憶障害っていうのかね」

「記憶障害?」

「そこら辺の細かいところはよく知らんのだけど、日山さんと一緒に組にいた人が時々訪ねてくるんだけども」

「組?」

 私はつい話をさえぎってしまった。

「ん? ああ、日山さんは元『こっち』の人だよ」

 坂口老人は、自分の頬を親指で撫でた。日山さんが傷持ち。もと極道だということだ。

「もう足も洗って相当らしいんだけど、ほかに世話できる人もいないらしくてさ。組の人がいろいろよくしてくれてるらしいよ」

 坂口老人は一度席を立ち、お茶を淹れてくれた。それから、話の続きを聞かせてくれた。

「足洗う前、でかい仕事をしたらしいんだよ。まあ、人をさ、傷つけるというか、そういう仕事をさ」

 言葉を濁す。つまり、長く刑務所に入るようなことをしたということだろう

「まあ、その人とさ、日山さんを気にかけてくれるからってことでいろいろお話することもあるのよ。で、その人によるとさ、長い勤め終えて、出所した後に相当な額の金をもらったらしいんだが、それを今まで迷惑かけた人たちのために使って、自分はみずほらしい生活してたらしいんだよ。だけど、やっぱり、そういう傷害と殺人じゃ関係者の恨みも違うもんだろ? 私だって、その立場じゃ日山さんを恨むだろうし。だけど、日山さんは、匿名で援助し続けた。そんなのバレバレなのにさ」

 坂口老人は、肩を落とした。

「ある時、日山さんのところに電話がきたらしい。相手は、被害者の遺族で、直接会って話をしたいといわれたんだと。わざわざ連絡先を調べて日山さんに電話してきた。日山さんは、指定された公園のベンチで、相手を待ってた」

 公園の、ベンチ? 私の脳裏に、ベンチに腰掛ける日山老人のイメージが浮かぶ。

「相手は来た。日山さんは、たぶん謝ろうとしたんだろうな。だが、ダメだった。相手は日山さんをぶん殴った。後ろに倒れた日山さんは、後頭部をベンチに強打して、それから……。救急車の中で、日山さんはずっと、俺が悪いんだ。俺が悪いんだって言い続けてたってのを、組の人も救急隊員の人から聞いたらしいよ。なんとか一命はとりとめたが、脳に障害が残っちまったらしい」

 それから、日山さんは、決まって一時が近くなると、公園に出かけるようになったという。近所の人は事情を知っているので、事件を思い出すからという理由でそれをやめてほしいと訴えた。そして、追い出されるように、日山老人はこの町にやってきたのだという。

 そして、この町に引っ越してきてからも、日山老人は公園に出かけ続けているのだ。

 私は高齢者用マンションを後にし、帰路についた。公園にはまだ日山老人がいる。

 日山老人はきっと、待ち続けているのだ。自らの行為を詫びるために。いろいろなことを忘却してしまっても、それだけは強固な意志としてのこっているのだ。それが、目に宿る光になっている。

 私は、日山老人に近づき、言った。

「あなたは、いつまでこうして待ち続けているのですか?」

 先ほど話したときはみじんも反応を示さなかった日山老人が、私のほうを見た。

「ずっと待ってるさ」

 そう言って、日山老人は笑った。 

すぐに表情は戻り、またぼんやりと公園を眺めてしまったが、きっと、私はその笑顔を忘れないだろうと思う。

 私は、その表情に「男」を見たのだから。

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