水月
夜。
大久保長安の屋敷。
豪華な酒肴が並べられた席で数名の男が密談している。
上座にいる初老の男は徳川政権に絶大な影響力を持つ幕府老中、大久保長安である。横に長安派の側近達が並ぶ。
長安が口を開いた。
「もう、あまり時間がない……。再来年には秀忠公が二第将軍をお継ぎになられる。指南役の選定は伸ばせたとしてもあと二、三年。それまでに出来る限り朱印状を集めなければ」
長安の正面には腕組をした、小野次郎右衛門忠明。
「して、やはり柳生の後ろには?」
「正純のやつがおるな」
本多正純も幕府老中だ。
切れ者と評判の幕府の中枢メンバーである。
やはり怜悧な性格で評判の柳生新陰流二代、柳生宗矩と意気投合したのだろう。
柳生宗矩はこの時期、まだ但馬守ではない。
長安派としては正純派の柳生に秀忠指南役となられては困る。
自然、次郎右衛門を支持する事となった。
長安が続ける。
「天下の大勢は決まり手柄をたてる機会も減った。柳生もただの小領主にすぎぬが……。幕府指南役ともなれば加増を許され大名になれるやもしれぬ。やつらも必死ぞ。すでに強引に動き始めておる」
「他の朱印状の行方はまだわかりませぬか?」
朱印状の配布はこれまた切れ者の秀忠側近、土井利勝が担当していた。
幕府老中といえども、配布先は知らされていない。
天下の名人、達人と言われた剣客達に配られたという。
「草(忍びの者)の情報によれば、少なくとも、お主と柳生、鐘巻自斎、林崎甚助、吉岡清十郎には配られている」
ふむ、さては師匠の持っていたのは鐘巻自斎の持っていた一枚か。
「分かり申した。引き続き探索の程、よろしくお願い致しまする」
大久保長安の屋敷を出た小野次郎右衛門は一人であった。
供を連れなかったのは、人目をはばかったからである。
曇りがちの空の切れ目から月が見えた。
美しい月である。
「上弦の月か……」
おぼろに辺りが照らし出された。
すると突然、物陰から抜刀した剣士が四人、次郎右衛門を取り囲んだ。
全員、覆面をしている。
ほう、俺を直接襲うか……。
なるほど、朱印状集めるより、俺を殺してしまった方が手っ取り早い。
次郎右衛門はニヤリと笑うと、ゆっくりと抜刀した。
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