小野次郎右衛門 その3


一刀斎は懐から朱印状を出して見せた。

「なぜなら、ワシが持っているからじゃ……」


「それをどこでッ!! あなたが持っていても意味がないものだ。渡してもらおう」

「……いやだといったら?」


すさまじい緊張が走った。

次郎右衛門は刀の柄に手をかけている。

一刀斎も同様だ。

一刀斎は今日は木刀ではなく、真剣を腰に挿していた。


さて、一刀斎ほどの名人が木刀を振るえば利剣と変わらぬ、相手は即死をまぬがれないのは今までの講釈で読者もわかっているだろう。

実際、一刀斎は普段使いの場合は真剣より木刀の方が刃こぼれや手入れを気にしなくてよい、と考えていた。

だが、いかな名人でも木刀と真剣では一点、大きな違いがある。

刀を振り抜く速さが違うのである。

木刀より真剣の方がはるかにスピードが速いのだ。

一刀斎の一番弟子である小野次郎右衛門はそれほど警戒しなければならない使い手なのである。


「力づくで持っていくかね?」

一刀斎からの剣気が強くなった。いわゆるプレッシャーである。

次郎右衛門は自分の剣技は一刀斎に追いついたと見ている。

だが、まだ師を越えてはいない。

やれば、たおれるのは自分かもしれぬ。


「朱印状は、あなたに預けておきます」

次郎右衛門はあとずさりながら言った。

「ですが、あなたにはその意味と価値がおわかりになりますまい。せいぜい大事にされよ」

いうなり、次郎右衛門は懐から呼ぶ子を出すと吹いた。

屋敷がざわめきだす。

住み込みの門弟が起きたのだ。

「曲者じゃ! 出会え!!」


十人をこえる足音が屋敷からせまってくる。

もちろん、一刀斎ならばこのまま全員相手にする事は造作もないが、何しろ自分の孫弟子達である。

切り捨てるわけにもいかぬ。


「やれやれ、また会おう」


一刀斎は風のように道場を出ると、やすやすと屋敷の塀を飛び越え闇に消えて行った。



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