小野次郎右衛門 その2


一刀斎は弟子である小野次郎右衛門の道場に到着した。


実は一刀斎がこの道場に来るのは初めてである。

それどころか、小野次郎右衛門が、まだ『小野善鬼おのぜんき』と名乗っていた十数年前から一度もあったことさえなかったのである。

それほど、この師弟の確執は深かった。

夕暮れ時である。

江戸でも名高い『一刀流』小野道場からは続々と練習を終えた門下生が家路についている。

『今は人が多い……。夜まで待つか』


深夜。一刀斎は小野道場に忍び込んだ。

なかなかの広さの敷地だ。

『一刀流』の隆盛が偲ばれる。

それもそのはず、当時、一刀流は江戸でも一、二を争う流派であった。

無敵の剣客、伊東一刀斎の名声と、その弟子であり圧倒的な戦闘力を持つ実戦派、そして今は幕臣の小野次郎右衛門忠明の実力があってこそである。


さて、どこに行こうか、などと迷う必要はなかった。

道場の入り口が開けっ放しであったのだ。

道場を入り口からそっとのぞくと、頼りは月明かりのみなのだが、広い道場のちょうど真ん中に誰かいる。

どうやら何者かが向かって正面にしつらえられた、神棚に向かって正座しているのだ。

何者かからは、すさまじい剣気が出ている。


一刀斎は入り口から入るなり、影に向かって音もなく突進した。

そして何者かにふれようか、と思われた一瞬、何者かは闇の中で瞬間的に横に二間にけんも移動した。

影はいつの間にか立ち上がっていた。

月明かりに照らし出されたのは険しい顔をした、壮年の大柄な武士である。

「あなたでしたか、師匠」


一刀斎は十数年ぶりに一番弟子の姿を見た。

……強い、強くなった。

すさまじい剣気である。

一刀斎が全力で真剣勝負を挑んでも、三本のうち一本は負けるであろう。


「ふん、新陰流の刺客とでも思ったか? 『善鬼』よ」

「その名は捨て申した。今の名は次郎右衛門忠明じゃ」


師弟の会話だというのにまるで仇敵にでもあったかのような緊張感だ。

「柳生とはなんの確執もない。いったい、なんの用です」


「ワシは柳生とは言ってはおらん。……何かしかけてくるとしたら柳生か?」

次郎右衛門の表情が一瞬、かすかに変わった。


「だいたい、ここで待ち構えておったのも、ワシが昼間様子をうかがっていた気配を感じたせいであろう。何か心あたりがあるのかな?」


「あなたには関係のない事だ」


「そうかな? それは『朱印状』と関係あるのかな?」


今度は、次郎右衛門の表情は驚愕に変わった。

「な、なぜそれをっ!!」



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