無敵一刀流 その3




倉木玄番が走り去るのを見ると一刀斎は、

「しまった。逃がしてしまったわい……」

とひとりごちたが、大して気にも留めていないようだ。


一刀斎は娘に近づいた。

が、声をかけられなかった。

座り込んだ娘は、切られた二人の供の亡骸なきがらに手をあわせていたからである。



一刀斎は、人の死に慣れていた。

人の命も自分の命も実は軽いものであり、

人であっても野山の獣と等しく同様にいつでも死が訪れる。

剣の道とは常に死と隣り合わせである。

己の死でさえ軽いのに、人のことなどなおさらである。

娘の供は抜刀して死んでいた。

結局、己が未熟だから、切られて死んだのである。

ただ、それだけのこと。それだけのことなの……だが。



手を合わせる娘の姿からは悲しみが滲み出してくるようだった。

二人の人間が死んだ事ではなく、その死を悼む娘の姿が何事にも無頓着な名だたる剣豪を止めたのである。


どれだけの時間がたったであろうか。

娘は立ち上がると、一刀斎に深々と頭を下げた。

「あぶないところを助けていただき、ありがとうございました」

「いや、ワシがもう少し早く駆けつければ、供の者達も死なずに済んだであろうに……」

一刀斎は神妙な面持ちで言った。

これは、今ではいつわらざる本心である。


娘は二人の亡骸を振り返る。

「いえ、この者たちも武門の家につかえる者達。覚悟はできていたはずです」

そして一刀斎に向き直ると言った。

「私は鐘巻自斎の縁者で八重と申します。先ほど名乗られるのを聞きました」

「あなたは伊藤一刀斎先生ですね?」

一刀斎は思わぬ名を聞いて問い返した。

「なんと、自斎先生の縁者!?」


一刀斎はかぞえで十五の時、京都で道場を開いていた鐘巻自斎に弟子入りした。

一刀斎入門時、当時の鐘巻自斎はまだ鐘巻流を名乗っておらず、流派は富田とだ流であった。

その為、一刀斎自身は生涯、己の流派を富田流と名乗っていた。

一刀斎の流派を一刀流と名乗りだすのは、その弟子の世代からである。

伊藤弥五郎一刀斎は生涯に真剣勝負を三十三度行い、一度も敗れた事がなかったという。

衆人監視の逃げることのできない、負ければ当然の事に死の待っている真剣勝負を三十三度も行うとは並の剣豪ではない。

一刀斎の剣名がとどろき、半ば伝説化しているのも当然といえよう。

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