~僕と先輩の、くだらなくも愛おしい~
「負けたよ」
立ち上がりながら、先輩が僕に手を差し出す。僕はそれを握り返した。
「先輩」
「よく頑張ったな、東雲」
先輩が強く、手をつかむ。僕は、気づいた。先輩の手のひらが、僕以上にマメだらけだということに。
この人も、相撲に全力を尽くした人だったのだ。
「本当に、ありがとうございました。これまでいろいろあったけど、先輩がいなかったら、きっと僕、今こうして相撲を好きでいられなかったと思います。先輩のおかげです」
泣き笑いの顔で、先輩がうなずく。
わかっているのだ。僕も先輩も、もうこれまで通りの関係ではいられない。
先輩は相撲部に近寄れなくなるし、僕は相撲部復活に向けて、奔走する毎日になるだろう。
会える時間も、話せることも、ぐっと減る。
今の僕なら、それを寂しいと、素直に思える。
もっと先輩と一緒にいたい。くだらないことで笑いあっていたい。抱きついて、触れ合って、もっと色んな表情が見たい。
もっと先輩の近くにいたい。デブ専でも、変態でも、アホでも、わがままでも、無鉄砲でもいい。そんな先輩が、僕は――。
「好きです」
言葉にして実感する。思いは口にするだけで、こんなにも形を作る。
「先輩が、好きです」
「え。し、東雲……っ」
先輩が動揺するのが、面白かった。
自分は普段から散々言っているくせに、なぜ逆に言われたら、そんなにあせるのだろう。
「こんなやせた僕に、もう興味なんてないかもしれないけど、でも僕は……あなたが、好きです。どうしてもこれだけは伝えたかった」
「し、東雲、俺も」
「――はい、ストップ」
だが、いきなり、部長に止められた。僕らの目の前で、チョップするように、手を下ろされる。
というか、そこでようやく気づいた。この場には、部長だけでなく、崎田もいるのだ。
今、僕は、彼らの目の前でいったい何を言った。何を口走った。
うわ、うわああああ、死にたい!
「おーい。東雲君、これ、見える?」
頭を抱えて悶絶する僕の前で、部長が紙をひらひらと振った。ひとまず僕は、自分自身の衝動を抑えて、紙を手に取る。
「入部届け……?」
紙片の一番上には、そう書かれていた。
視線を少しずつ下げていき、文字を読む。
あまりのショックに、僕は何度も、その文字を読み返してしまった。
「相撲部入部届け!? しかも、先輩の!?」
そこには、三上徹の名が、直筆で記されていた。
「そう、昨日こいつがこれを提出しに来てね。何を考えてるのかと思いきや、三上なりに君を思っての事らしいから、受理した」
「昨日!?」
ということは、わざわざ、こんな試合しなくても、部は潰れなかったってことか!?
「部長! な、なんで先に言ってくれないんですか!?」
「だって君、けじめもつけずに、同情で三上に入部されても、即刻たたき出しただろう?」
部長の言葉に、僕は口ごもる。確かに、それはあり得ると思ってしまった。
「だったら、ちゃんとこうして結果出してからの方が良いじゃないか」
「そ、そうですけど……」
僕はちらり、と先輩の方を見る。
悪びれなく先輩はうなずいた。
「うん、そういうわけなんだ。悪いな、東雲」
「どの口がそんなことを……」
絶対に悪いなんて思ってない、このバカは。
だって、絶対僕が余計なことに気を回さないように、この勝負に全力を出し切れるように、あえて黙っていたんだろう。
それがわかるから、むかつく。そして、わかるから、嬉しい。
「バカですか、あなたは」
「そうだな、バカだよ」
「そう素直に答えんでください」
くそ、踊らされてたのは、僕の方か。
「……でも勝負には負けたからな。お前が追い出すつもりなら、俺は出て行くけど」
「は?」
「勝負の条件、そうだったろ」
今、それを言い出すか。
「この策士め」
「俺は諦めが悪いんだ。特に東雲関連はな」
先輩は笑っていた。
どうせ僕がなんて言うか、わかりきっているくせに、僕が言うまで待ってる。
僕も大概だけど、先輩もなかなかいい性格をしてると思うよ。
「……わかりましたよ、三上先輩。ようこそ、保孟高校相撲部へ」
せめてもの仕返しに、僕は満面の笑みを返してやった。
先輩が恥ずかしがるくらい、全力の笑みを。
そして、それは一瞬だった。
ちゅ、と奇妙な水音が、僕の口元から聞こえた。
「……へ?」
い、いま、何が起きた。
部長も、崎田も固まってる。
「な、なな、何が」
もしかして、唇と唇が、触れた、ような?
「初ちゅー、ゲットだぜ!」
先輩がガッツポーズを取って、小躍りを始めていた。キスされたのだ。
ちょっと待て。初めてのキスだぞ。正真正銘初めてだぞ。
女の子としたことだってないんだぞ。それをこんなところで、人前で、雰囲気もへったくれもないこの状況で。
こ、この……!
「待て、変態! 叩きのめす、そこに直れ!」
「しののめーとーちゅうー」
「歌うなあああああっ!」
そうして僕と先輩の、くだらなくも愛おしい学園相撲ライフは、始まりを告げたのだった。
どす恋! 福北太郎 @hitodeislove
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