~いっぱい食べる君が好き~

 外で、ちゃんこが食べられる所というのは、思ったより少ないらしい。

 先輩と二人がかりで検索して、結局両国近辺が一番確実だろうという結論に至った。

 地下鉄で両国駅まで行くと、さすが激戦区なのか、駅前に何件もちゃんこ鍋屋が並んでいる。

 僕らは、あらかじめネットで調べて評判の高かった店の中から、高校生が払える値段の店を見つけて入る。

「おまたせしましたー、ごっつぁんセットです!」

 二人前で頼んだはずだったのだが、テーブルの前には山のように、料理が置かれた。

 豚肉、鳥のつくね、しいたけ、えのき、鮭の切り身、白菜、ホタテ、豆腐、春菊――皿からあふれんばかりに乗せられている。

 味は迷ったが、味噌にした。鍋でぐつぐつと煮込む間、いい香りがして、お腹をすかせた男子高校生などひとたまりもない。

「し、東雲、まだか……」

「先輩、我慢! 僕だって耐えてるんです」

 その間、僕は店内に飾られた力士の色紙や写真を見て、必死に空腹から気をそらすしかなかった。

 結局、店員さんが頃合を教えてくれるまで耐えた僕らは、褒められてもいいと思う。その後、飢えた狼のように、鍋にかぶりついたのだとしても。

「良いなあ」

 熱々の豆腐を口で冷ましている間、先輩は僕を見て、ニコニコと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

「はい?」

「東雲の食べっぷりは、いつ見ても気持ちが良いなあ。うちの妹とはえらい違いだ」

「妹さんがいるんですか?」

 初耳だった。

 そういえば、まともな会話なんてろくにしてないから、先輩の家族関係など、まるで知らない。

「ああ。本当に、ガリガリで脂肪もろくになくて……なんと愚かな」

「良いじゃないですか。妹さんだって、太ってるより、やせてる方が嬉しいでしょう」

「理解できん。女というのは、なんであんなにやせたがるのか」

 先輩の顔には、不可解、と大きく書かれていた。

 ただ、今回ばかりは先輩の言もわからないでもなかった。

 僕は決してデブ専ではないけれど、クラスに折れそうなほど手足の細い女子が何人かいる。弁当箱の半分も食べずに、食事を終えてしまうのだというから、たとえ少食なのだとしても、ちょっと不安になってしまう。

「俺も多少やせたぐらいじゃ、文句は言わない。残念だとは思うけどな。だが、あいつの体脂肪率、いくつか知ってるか? 九%だぞ、九! 一桁!」

「ていうか、なんで妹の体脂肪率知ってるんですか、気持ち悪い!」

「ああ! 東雲がゴミを見るかのような眼で見つめてくる……!」

 でも九%って、確かにかなり少ないんじゃないか。

 女の人の平均は知らないけど、男でも一桁いくのは、スポーツとかでかなり絞らないと無理だ。

「その点、東雲は心配ないな。体脂肪率三十%だもんな」

「な、なんで僕の体脂肪率まで知ってるんですか! 本当に気持ちが悪い!」

「この前の身体測定時に、ばっちりチェック済みだ!」

 あの時、そんなこと見ていたのか!

「アホか! そこまで来ると、怖いわ! このストーカー!」

「だって、愛故に……」

 僕はとっさに、いれたての茶を頭にかけてやろうと手にかける。

「うわわ、すまん! 悪かった! 反省する!」

「じゃあ、もう勝手に人の体重調べたりしませんね」

「えー」

 もう一回茶を手に取る。

「スミマセンデシタ。ゴメンナサイ、モウシマセン」

 まるで反省しているように見えないが、これ以上粘っても埒が明かないので、もう一度、お茶を置いた。

 この辺りで水に流してやろうと、思ったのだ。先輩のつぶやきを聞くまでは。

「まあ、いいか。どうせ触ればわかるし」

 触ればわかる?

 ど、どういうことだ。まさか触っただけで、体重がわかるっていうのか。

 ……あり得る。先輩ならあり得る。

 問いただしてしまえば早いが、真実を知ってしまうのが、いっそ怖い。

 とりあえず、聞かなかったふりをして、僕は程よく煮えた鮭を食べることにした。豆腐ほどではないが、熱いので、少し待つ。

「東雲、猫舌なのか?」

「あ、はい。良く見てますね」

「当たり前だ! 俺がどれだけ、東雲のことを好きだと思ってるんだ」

「知りません」

 先輩が机に突っ伏した。

「これだけ毎日愛をささやいているのに、伝わっていないなんて!」

「それは残念でしたね」

「本当は、ずっと東雲と一緒にいたいんだ。家になんて帰したくないし、部活にも学校にも行って欲しくない。俺の家であふれるほどのご飯を食べてる姿を、ずっと愛でていたい……!」

「僕はペットか、家畜ですか。そこまで行くと、本気で怖いんですよ。妄想の中でも、さらっと軟禁しないでください」

「わかってるよ。だからこうして、我慢してるんじゃないか」

 ほ、本当に残念そうな顔をするな。

 もしかして、僕は今、相当危険な人物と二人っきりになっているんじゃなかろうか。

「……時に東雲」

 僕の手をすりすりとなでながら、先輩が話題を変える。

「はい?」

「お前……俺に隠れて、相撲の稽古してないか」

「隠れてないですよ。家で堂々とやってます」

 ガタンと大きな音を立てて、先輩が立ち上がった。

「バカバカバカー! 駅で抱きついたとき、妙だと思ったんだけど、やっぱりか! 俺が何のために、毎日毎日送り迎えして、練習させないようにしてたと思ってたんだ!」

「あー! やっぱり、わざとだったんですね! ここ最近、全然時間が取れないから、妙だと思ってたんですよ!」

「だって、稽古したら、東雲の大事な脂肪が減るじゃないか!」

「僕が何のために、太ろうとしてると思ってるんですか! 相撲で勝つためですよ! 相撲をやめるなら、僕はやせます」

「な、なんて恐ろしいことを……!」

 先輩が、恐怖に震えだす。

「勝負に負けたら付き合うとは言いましたけど、相撲やめるなんて、一言も言ってませんからね。というか、相撲をやめさせるつもりなら、先輩とは別れます」

「ひ、ひどい。卑怯だぞ、東雲! 俺にそんなの、選べるわけないじゃないか!」

「じゃあ、相撲続けてもいいですね」

「や、やだ!」

 こ、この野郎。

 なんでここまで、僕が相撲をやるのを邪魔するんだ。いや、知ってる。脂肪を減らしたくないだけなのは。

 けれど僕だって、やせたいわけじゃないんだ。相撲がしたいだけなんだ。それだけなのに、どうして伝わらないのだろう。

 僕は取り皿にのせた分だけ飲み込むと、水を飲んで流す。

「ごちそうさまでした」

 勘定を机の上に置いて、席を立つ。先輩が僕と鍋を交互に見つめて、おろおろと声をかける。

「お、おい、まだ飯残ってるぞ、東雲」

「どうぞ、先輩が召し上がってください」

「どうぞって……お前は」

「帰ります」

「ええ! 待って――」

 引き止める先輩を無視して、僕は店を出る。冷房のきいた部屋から出ると、一気に熱風が僕を包み込んだ。

 でも、なんで今日はこんなに自分の感情を制御できないんだろう。

 ご飯の途中で退出するなんて、どんなに怒っていたとしても、普段の僕ならありえないのに。あまりの情緒不安定ぶりに、自分自身がわからなくなる。

 先輩が、背後で必死にお会計をしている気配がする。

 その間に、なるべく早くこの場を去ってしまいたかった。先輩に理不尽な八つ当たりをする前に。

 頭の中が沸騰しているような気がした。ぐつぐつと煮えたぎって、僕の心をかき乱す。

「え?」

 その時、天と地がひっくり返ったような感覚に襲われた。足から力が、いっきに抜ける。

「東雲!?」

 先輩の声が、エコーのように脳に響く。地面にひざをついて、倒れそうになるところを、先輩に抱きとめられた。

「大丈夫か!? 立てるか、病院行くか!? いや、救急車……!」

「大げさな……ちょっとくらっとしただけですから」

 冷房の効いた部屋から、急激に外に出たから、温度差にやられたのだろう。そんなたいした話じゃない。

「でも……!」

 あまりにも必死な様子の先輩に、僕は一気に力が抜けた。

 そのまま、意識まで飛んでいってしまった。

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