~デートと告白~
そんな僕らの憂鬱など露知らず、三上先輩は幸せ絶好調の様子だった。
朝は駅で待ち合わせして、一緒に登校。
昼は二人でランチ。
帰りは、部室に行こうとする僕を引きずって、駅まで下校。
さすがに、夜中のおやすみメールはやめて欲しいと懇願したら、それだけはやめてくれた。本当に、そこ以外はまるで譲ってくれないのだけれど。
あげく、せっかくの休日である土曜日にはデートだなんだ。
文句言ってやる。
というか、ぶん殴ってやる。ただでさえ練習時間がないってのに、今朝だって、待ち合わせの時間に合わせるために、ほとんど稽古ができなかったんだぞ。
一発殴って、文句言ってやらなきゃ気が済まない。
そう、今日はまた、いつものごとくデートだ。
一度、行くのを拒否したら、どうやって調べたのか、僕の自宅まで迎えにきたので、仕方なく待ち合わせ場所の駅で、待つ羽目になっているのだ。
いらいらして、貧乏ゆすりが出そうになるのを、かろうじてこらえる。
駅の時計を見れば、約束の十時まであと、二十分ほどもあった。
「……というか、なんで僕は二十分も前に来てるんだ」
いや、理由はわかっている。
この駅は、僕の地元の駅から連結が悪くて、次の電車に乗ると、到着が十時を数分過ぎてしまうのだ。
そして、たとえ数分でも、遅刻という選択肢は僕にはない。それが先輩相手でもだ。
だって、失礼な話だろう。待ち合わせの時間に遅れるというのは、一度交わした約束を破るということだ。
せめて連絡を入れて、謝ってくれればいいのだけれど、それすらしてくれない人は、残念ながら僕の中の評価が、急転直下で転がり落ちるだろう。
「……あっつ」
それにしても、今日は暑い。まだ五月も半ばだというのに、陽射しが真夏のように突き刺さってくる。
Tシャツにジーパンという軽装で、肌寒くないか心配だったが、この分だと大丈夫そうだ。
五分ほどして、改札から走ってくる先輩の姿が見えた。
「東雲、おは――ぐぉあっ!?」
走ってくる先輩の腹部めがけて、拳をぶちかます。
まさかいきなり殴られるとは思っていなかったのだろう。先輩が目を白黒させていた。
「え、な、なんで!? あ、そうか! す、すまない! お前を待たせるなんて、俺はなんて罪深いことを……!」
「おはようございます。あと、別にそれで怒ってるわけじゃないです。僕が怒ってるのは――」
「東雲の貴重な脂肪を、こんなことで燃焼させてしまうなんて!」
「そっちかよ!」
謝罪する気があるのかないのか、先輩は僕に抱きつきながら、顔をぐりぐりと寄せてくる。
「許せ、東雲。ああ、こんなにやせ細ってしまって!」
「あのですね」
毎度ながら、思考が僕の予想の斜め六十三度を行く人だ。
怒りよりも、呆れの方が上回って、僕は今更文句を言う気をなくしてしまった。
とりあえず、殴るという目的は果たせたし。
さて、これをどうやって引き剥がすか、と考えて先輩から視線をそらすと、僕はあることに気づいた。
周囲の人々が、いっせいに僕らを見ている。思わず、血の気が引いた。
「う、せ、先輩! 離して!」
本気で先輩の腕を引き剥がす。だが、瞬間強力接着剤のように、先輩の手が僕の肌から離れる様子はない。
だから、その粘り強さは別のことに活かしてくれって!
「えー、なんで」
「ここは、外ですよ! 学校じゃないんですから、その……」
どんどん冷や汗があふれ出す。暴れれば暴れるほど、注目が集まっていくのがわかる。
考えてみれば、今までのデートは、映画とか、公園とか、あまり人目につかない場所がメインだった。
そのせいで、僕も学校にいるときと同じような感覚で接してしまっていたが、とんでもない。ここは現実世界で、公共の場所だ。
小声で、けれど必死に先輩に訴えた。
「その、僕は男ですし、こんな見た目で……先輩とは、つりあわないし」
「つりあわない?」
怪訝そうに首を傾げる先輩。
これは絶対に意味がわかっていない。説明するもの若干悔しいが、今はこの場を収めることの方が先決だった。
「だって、ほら。先輩はイケメンで、僕は――デブだから」
「それの何が問題なんだ?」
「ああ、もう、だから!」
なんて言ったら通じるんだ!
頭を抱えて、苦悩する僕に、先輩はあっさりと言い放つ。
「東雲は魅力的だぞ。男だろうが太ってようが関係ない。むしろ、良いじゃないかぽっちゃり!」
「そんなこと思うのは、先輩だけです」
「お前はそのままで良い。そんな東雲が俺は好きだぞ」
すかさず、先輩が僕の手を握ってくる。まっすぐな瞳に、捕らえられてしまう。
「……は?」
僕は固まった。
学校では言われ慣れているが――いや、待てよ。
確かに、結婚してくれだの、愛してるだのは散々言われているけれど、好き、という言葉は初めて聞いた気がする。
「う……」
そう自覚した瞬間、今度は全身に血液が巡った。顔がカッと熱くなる。手をふりほどけないから、離れることも、殴ってごまかすこともできない。
「そ、んなこと、言われても」
心臓が、跳ね上がる。
恐怖のような、羞恥のような、いたたまれない激情が、僕を巡っていく。
逃げ出したい。今すぐここから逃げ出したい。
冗談交じりでもない、真正面からの愛情をぶつけられた経験など、僕にはないのだ。慣れた人なら、ここでジョークの一つでも言って流してしまえるのだろうが、僕にそんなテクニックなどない。
かといって、先輩の言葉を受け止めるだけの心の容量があるはずもなかった。
「先輩、手……」
だから、手を離してくれと懇願する以外に、僕にはどうしようもない。
だが、結果は余計にぎゅっと掴まれるだけだった。まさか、『僕も好きです』なんて返事を期待されているわけではないだろうが、どうやら先輩は僕を逃がす気はないらしい。
じゃあ、一体どうしろって言うんだ。畜生。
「東雲。自分を悪く言うのはやめてくれ。お前がよくても、俺が悲しくなる」
「先輩……」
何を返すべきか、僕は迷った。謝罪か、否定か、それとも――。
「……ありがとうございます」
結局僕は、小声でそう言うしかなかった。謝られても、否定されても、先輩が悲しむだけだと思ったから。
すると、先輩がパッと手を離す。
「良かった」
満面の笑みだった。
まぶしい、と思うのに、目がそらせない。いや、笑顔がまぶしいっていうのは、単なる比喩じゃなくて、駅の構内に入りこんできた光が反射して、まぶしいのだけれど。
いまだに心臓が鳴り止まない。ジェットコースターに乗る前の、恐怖と期待がない交ぜになったような興奮が、僕の中で存在を主張する。
いや、待てよ。ドキドキってなんだよ。だって、僕は男で、先輩も男で、変態で、デブ専で、アホで。
え、あ、あれ?
「お昼、何食いたい、東雲?」
「え?」
「燃焼してしまった脂肪の分をたっぷり補充しないとな! そして、満腹になった東雲のお腹をずっとむにむにしていたい……!」
その言葉に、僕の興奮は風のように去っていた。
やっぱり、先輩はただの変態で、僕はただの後輩だ。僕は正しい認識を得たことに満足すると、先輩の問いに答える。
「じゃあ、ちゃんこで」
「……東雲、今日すごく暑いんだが」
「そうですね。でも、暑い日こそ、鍋は精力がついていいんですよ」
「……うう、東雲は、いつも相撲相撲って……ずるいぞ、羨ましいぞ、相撲」
先輩がぶつぶつ、何か言っている。というか、相撲が羨ましいって、どういうことだ。
多少芝居がかった動作で、不服を訴える先輩を見ると、僕もようやく、いつもの感覚を取り戻していった。
「もちろん、構いませんよね、先輩?」
サービスで満面の笑みを向けてみる。笑みといっても、世の中には、愛想笑いとか、腹黒い笑いとか、いろいろあるから、これも笑みであることは間違いない。
「……はい」
先輩は肩を落として、うなだれていた。
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