~生真面目と退屈~
放課後、部室に向かう。
部長から、今日は部活に行けないと聞いていたので、僕が鍵を開けなければならないのだ。
もしかしたら朝のビラを見て、興味を持った誰かが来ていないかと淡い期待を抱いていたのだけれど、案の定そこには誰もいない。
「ま、そうですよね」
ため息をつきながら、靴を脱いで、中に入る。
チラシを配っても効果はないと思っていたが、実際に反応がないと大分悲しい。
いや。一人いることにはいるのだが。一人というか、変態が一匹。
「東雲、また会えたな! これが運命の出会い」
「違います。ストーキングはやめてください」
先輩がいつの間にか、部室で陣取っていた。
と、ふと冷静に考えておかしなことに気づく。
……あれ?
「いったいどこから入り込んだんですか!?」
今、僕が自分で鍵を開けたよな!? どうやって入ってきた!? ほ、本当にゴキブリみたいに出てくるな。
「愛の力は偉大なり!」
なんか、会話が通じてないし。説明を求めても無駄そうなので仕方がない。
僕はとりあえず、先輩を無視して更衣室に向かうことにした。
いちいち先輩の相手をしていたら日が暮れるどころか、ツッコミに必死になって疲れ果ててしまう。これほど無駄な労力の浪費はない。
こっそり後をつけてこようとする先輩の目の前で、更衣室のドアを思いっきり締め切ってやると、僕はベンチに座り込んだ。
「ああ、めんどい……」
辞めた元部員たちも同じ思いをしていたのだろうか。だとしたら、同情する。
先輩に悪意がないのがわかるから、余計にやりにくいのだ。
しかし、悪意がないからといって、何でも許されるわけじゃない。事実、僕らは迷惑しているのだ。
「うーん。何か、策を取らないとな」
***
稽古場に入り、まずは地面にごみなどが落ちていないか確認する。
ちゃんと毎回稽古を終えるたびに片付けてはいるけれども、はだしで運動するので、足の裏を切ったたりして、しばらく練習できなくなるのはつらい。
簡単なチェックが終わったら次はストレッチだ。
相撲の基礎練習は主に、四股、摺り足、鉄砲、股割りの四つ。そのほとんどが下半身を使うものなので、股関節周りは特に入念に伸ばしていく。
ストレッチの際、先輩に手伝おうかと聞かれたが、丁重にお断りした。せっかくの申し出だから、あるものは何でも使えとも思ったが、先輩に身体を触らせるのは、やっぱり嫌だ。それに若干下心が透けて見えるような気がしなくもない。
十五分ほど使ってほぐしていくと、少しずつ身体が温かくなっていく。そろそろ頃合だろう。
「うし」
軽く汗もにじみ始めたし、タオルでさっとぬぐって、稽古に入る。
「まずは四股から行こうかな」
「四股?」
いきなり先輩が声を発したので、僕も思わず振り返ってしまった。
「えー、あー、はい。知りません、相撲の四股?」
「知らん」
この人、部員を追い出すほど、ここに居座り続けていたんじゃないのか。そこまではっきりと言い切られると悲しいものがある。
けれど、ここで僕は気持ちを切り替えることにした。せっかくだし、先輩に説明しながら、自分で型を確認していこうと。
初心者の僕は、知識だけはあるけれど、実践はほとんどない。背が曲がってないかとか、腰が引けていないかなど、先輩にチェックしてもらえるのなら、それはそれでありだろう。本当は部長にチェックしてもらえるのが理想的なのだが、いないものはしょうがない。
ついでに、これを機に先輩に相撲に興味を持ってもらえるのなら、万々歳だ。まあ、それはほとんど期待できないだろうけれども。
僕は先輩の方に向き直ると、簡単に説明を始めていく。
「四股って言うのは、下半身を鍛えるための練習方法です。腰を下げて、片足ずつスクワットをするみたいなものですね」
「ふむふむ」
「まずは、足首を外側に四十五度で開きます。そして、背筋を伸ばしたまま、腰を下げていきます。股下に長方形の四角を作るようなイメージですね。――これ、ちゃんと四角になってます?」
「ああ、なってるぞ」
まともに答えた! 先輩にまさかこんな利用方法があったとは。
僕はちょっと嬉しくなって、話を続ける。
「そして、ひざの上に手を軽く乗せたら、次の動作です。息を吸いながら、軸足側へと体重を移動していきます。今回は右足に移していきますね。こうやって、右足に体重を乗せていくと、自然に左足が上がります。で、ここから先、説明しながらだと息が続かないと思うので、先に動きを見せますね」
先輩がうなずいたのを確認すると、一度足を下ろして、呼吸を整える。
緩やかに息を吸いながら、軸足に体重をかけていく。ここまではさっき説明したとおりだ。
そこから、右足の筋を伸ばしていく。身体全体が右に傾き、左足が上がっていく。そして、右足が完全に伸びきったところで、一瞬動きを止める。全体重が、右の足首にかかっている状態だ。
首から背骨を曲げないように意識しながら、息を吐いて、ゆっくりつま先から左足を下ろしていく。
これで最初の長方形のポーズに戻ってきた。たった一回やっただけなのに、これでもずいぶん体力を消耗する。
「こんな感じです。ポイントは……反動を使って、上げ下げしないこと、と、身体の軸を曲げないようにすること、です。これを、左右交代で、繰り返します」
若干、息絶え絶えだったが、先輩に説明する。
なぜか先輩から拍手があがった。
「おお、結構綺麗だったぞ、東雲」
「ほ、本当ですか?」
口元の汗をぬぐいながら、僕はうっすらと微笑んでしまった。たとえ素人の言葉でも、型を褒められるのは気持ちがいい。
「じゃあ、これを二百回繰り返しますので、今言ったことができてるかどうか、チェックお願いしますね。あと、カウントもしてもらえると助かります」
僕は満面の笑みを浮かべて、先輩にお願いする。いくら先輩でも、チェックくらいならできるはずだ。
ところが、意外な反応が返ってきた。
「に、二百回?」
「はい」
「それって、何分くらいかかるんだ?」
「え? さあ、僕もちゃんとやったことないですからね。でも、まあ左右一往復で十秒かかるとしても、十かける二百で、たかだが二千秒ですよ」
「二千秒って、三、四十分はかかるじゃないか!」
「ええ、まあ。実際は疲れて、もうちょっとかかると思いますけど」
「嫌だ!」
「はい?」
「長すぎる! 俺は絶対飽きる自信があるぞ!」
えええええ。いや、実際そうだとしても、そこまで自信満々に言い切らなくてもよくないか!?
しかし、相手は先輩である。一切の常識など通用しない。僕は妥協することにした。
「わ、わかりました。じゃあ、たまにで良いですから、見て、おかしいなと思ったら言ってください。きっと後半の方がバテてくると思いますから、そっちを中心に」
先輩はなおも、何かを言いかけるが、それよりも先にこちらが動く。
「はい、いきますよー。一回目ー」
「東雲ー」
「二……三」
「飽きたぞー」
「よ――早っ!」
思わずツッコんでしまった。バランスを崩したため、慌てて踏みとどまる。
「いや、今始めたばかりじゃないですか!」
「俺の忍耐力をなめるなよ!」
「そのセリフは、使い方が逆です!」
それは、是非涙ぐましい忍耐力を見せてから、使って欲しい!
あー、ダメだ。いきなり、テンポが狂ってしまった。
僕は呼吸を整えて、もう一度体勢を立て直す。どこまで数えのだっけ。確か、まだ四だった気がする。
「えーっと、よん」
「東雲ええええっ!」
「うるさいですね! 何ですか!」
「遊んで!」
僕は、片足に全体重をかけると、先輩に勢い良くまわし蹴りを食らわせた。
悲鳴を上げて、先輩が吹っ飛ばされる。
いい年こいた男子高校生が、遊んでとはなにごとだ。
ダメだ。もう限界だ。
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