~まわしとふんどし~
放課後は、速攻で部室に向かう。
一昨日は三上先輩が登場したせいで、昨日は部長が塾に出ていたため、まともに部活ができなかった。
ので、今日こそが僕にとっての相撲部の始まりだ。張り切って、頑張っていこう。
扉を開けて、元気に挨拶する。
「こんにちは!」
だが僕の挨拶には、何の反応もない。
「……誰もいないのか? 鍵はかかってなかったのに、不用心だなあ」
靴を脱いで中へ入る。
勝手に入るのはまずいかなと迷ったけれど、こんなところで立ち往生していてもしかたない。入部するのは確定だし、特に問題ないだろう。
とはいえ、あまり我が物顔でうろつくのも気が引けたので、隅っこにかばんを置くと、壁に寄りかかりながら、僕は室内を眺める。
広さは十畳あるかないかといったところだろうか。
木製の壁に覆われているが、西側の壁には、大きな鏡が貼り付けてあった。
中央には当然、土俵が悠然と構えている。
そして、入ってすぐ左手の奥には、木製の柱が二本立っている。
鉄砲柱と呼ばれる、練習用具だ。
相撲の基礎練の一つ、鉄砲で使うもので、片足を踏み出し、全体重をかけるイメージで柱に向かって、手を押し込む。それを左右交代させながら、何回も繰り返すのだ。
部員たちが何度も打ち込んできたのだろう。ちょうど手のひらの触れる部分が、黒ずんで、わずかに湾曲していた。
保孟高校は、数々のプロを輩出してきた強豪校。いつか、彼らの後に続けるように、僕もこれから頑張っていかないとな。
「……とうとう、来たんだ」
柱をなでて、その凹凸と手触りを楽しんでいると、いつの間にか赤山部長が、段ボールを抱えてやってきていた。
「もう来たのか。熱心だね」
僕は大きく頭を下げる。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様。っていうか、そんなに緊張しなくていいよ。うちの部は、そこまで上下関係きつくないから」
昔はいろいろあったけどね、と部長が苦笑する。
「確かに、互いに礼儀をわきまえた付き合いをするのは大事だよ。親しき仲にも礼儀あり、ってね。でも、それをかさにきて、相手に礼を強要するのは、違うと思うんだ。本当の信頼関係が築けていたら、礼なんて自然と出るものだしね」
小さく微笑んで、部長は僕を見る。
不思議な人だ。ほんの二歳くらいしか違わないのに、僕よりずいぶん大人に見える。
見た目もそうだけれど、話し方とか、態度とか、そういうものの差が大きいような気がした。
――あ、大人で思い出した。忘れないうちに、あれを出しておかないと。
「部長。そういえば、相撲部の顧問の方ってどなたです? 入部届け持ってきたんですけど、それって、先生に渡したほうがいいですか? それとも部長に?」
僕は、かばんから入部届けを出して見せる。
すると、先輩はいきなり妙な顔をした。
何というか、目の前の人のカツラがずれてて、気になってしょうがないのに、つっこむわけにもいかなくて、くだらない世間話を必死につなごうとしているような……。
「あ、ああ。先生は、今日はちょっと休みで……」
「そうなんですか? じゃあ、明日にでも渡しておきますね」
「あ、いや……」
部長が、入部届けの端をつかんだ。
「僕が預かっておくよ。先生には僕から渡しておく」
「そうですか? わかりました、よろしくお願いします」
僕が頼むと、部長は満面の笑みを浮かべて、うなずいてくれた。
わざわざ届けてくれるなんて、本当に親切な人だと思う。部長だから、先生と打ち合わせなどで会う機会もあるのだろうけど、それにしたって、ちょっと手間だろうに。
部長が床に段ボールを置くと、中からビニールに梱包された白い布のようなものを取り出した。
「じゃあ、入部記念に、早速これを渡そうかな」
「あ……」
新品のまわしだった。
「締め方はわかるかい? というか、経験はあるのかな」
「いえ、中学に相撲部はなかったので。一応、クラブには参加してたんですが、ほとんど経験はないです」
「構わないよ。やる気さえあれば、初心者でも歓迎だ。――こっちへ来て。付け方を教えてあげよう」
部長に連れられて、更衣室へと向かう。
「ロッカーはここを使って」
言われたとおり、カバンをロッカーへ入れる。
一瞬、隣のロッカーで物音がしたような気がした。
ねずみか何かだろうか。そこまで汚い部室には見えないのだけれど。よく整理されているし、床も掃除された形跡がある。
「東雲君?」
「あ、はい」
まあ、いいか。ねずみが出たら、駆除すればいいだけの話しだ。
気持ちを切り替えると、部長がまわしを袋から取り出しながら、説明してくれる。
「まずは、こうして折り目をつけてからね。細かい動きは後で教えるから、今は全体の動きを、ざっと覚えてもらおうか」
「えっと、あの。脱いだ方がいいですか?」
「脱ぎたいの?」
そう言われると、まるで僕が変態みたいじゃないか。
部長はくすっと笑った。
「服の上からでも大丈夫だよ。こっち、首のとこで持ってて」
と、まわしの端を渡される。
股下を通して、手で押さえてと、要所要所にはさまれる先輩の言葉を、必死に聞く。
多分、部長のことだから、聞けばまた丁寧に教えてくれるだろうけど、なるべくなら一回で覚えてしまいたい。
「途中までは、六尺に似てるかな。ただ、前垂れは横に挟むだけだけど」
「六尺?」
「ああ、六尺ふんどしのことだよ。まわしも、起源は同じ六尺ふんどしだからね。――そういう点では、まわしは、越中ふんどしなんかよりも、原始的というべきかもしれない。南方伝来の六尺が、大陸文化との折衷案として、簡素化されたのが越中ふんどしだから。ああ! もちろん、越中のあの前垂れも素晴らしいよ! ただね、僕としてはやはり締めてこそふんどし! あの窮屈な閉塞感こそ、身を引き締めるという意味で」
「ぶ、部長……?」
いきなり力説しだす部長にあっけにとられてしまった。
ハッとする部長が、わずかに耳を赤くする。
「す、すまない……今のは忘れてくれ」
「はあ」
何だったんだ。ふんどしマニアなのか、この人。
照れくさそうに誤魔化すと、部長はさっき以上にてきぱきと作業をすすめる。最後にぎゅっと締め上げてもらうと、部長は外からまわしを軽くこづく。こんこんと、硬そうな音がした。布とはいえ、何重にも重ねられているので、安定感がある。
「うん、こんな所かな」
「ありがとうございます」
「ただ、今やってわかったと思うけど、まわしって本来は一人じゃ締められないからね。もし僕がいない場合は、簡易まわしっていうお手軽なのがあるから、そっちを履いてもらうことになるよ。後で渡そう」
「はい」
と、うなずいたものの、僕は首をかしげた。
妙だな。今、先輩の言葉に違和感のようなものが混ざっていた気がする。
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