~体重測定と婚姻届~

 そして、待ちに待った身体測定当日。

 体育館には、体操着姿の野郎どもが、列を成している。

 吐きそうだ。

 ああ、考えただけで緊張してくる。

 伸びているだろうか、身長。増えているだろうか、体重。

 っていうか、新弟子検査もこんな感じなのか? 基準をクリアするために、大量の水を飲んだとかいう話も聞くけど、本当なんだろうか。

 朝ご飯、もっと食べてくればよかった。お椀三杯とか、絶対少なすぎた気がする。

「おーい、大丈夫か、東雲」

 どこからか崎田の声が聞こえるような気がするが、今はそれどころじゃないのだ。

「大丈夫、自分を信じるんだ、東雲昭弘。牛乳は毎日飲んでるし、首はストレッチで伸ばしたし、シークレットブーツは買ったし!」

「シークレットブーツは駄目だろ」

 ひざかっくんされた。

「うお!?」

 一気に現実に引き戻される。

 振り向けば、崎田が呆れ顔でこっちを見ていた。

「まったく。さっきから汗だくで、何をブツブツと。変質者にしか見えねえぞ」

「さ、崎田……?」

 ふと、周りを見る。

「あれ。なんか列、全然進んでなくないか?」

「今頃気付いたのか。そりゃ全学年の男子が一気に揃ってりゃ、相当な人数になるからな」

 ちなみに女子は、午前中にささっと終えてしまった。元男子校のため、男子の方が圧倒的に多い。

 皆、待ちくたびれたのか、うんざりした顔をしている。中には座り込んだり、寝ているつわものまでいた。

 ……なんで、人数分散させなかったのかな。非効率的だろう。

「あーあ。女の子ならともかく、誰も好きこのんで野郎の体操服姿なんぞ見たかねえっつの」

「まったくだ」

 崎田がぼやくのも無理はない。

 せめてジャージなら救われるのだが、よりにもよって短パンTシャツ。その分だけ、体重が少なく表示されてしまうじゃないか、まったく。

「うおおおおおお、東雲発見っ!」

 いきなり背後から声がした。

 この気配は――!

 とっさに本能が逃げようとするが、時すでに遅かった。まさかの太ももをつかまれる。

「うーん。この肌触り、ジャスティス!」

「ひぎゃああああああああっ!?」

 全身から冷や汗が吹き出した。肌をなでられる感覚に、鳥肌が立つ。

 思わず回し蹴りをかましてやった。

「うべし!」

 とか、わけのわからない叫び声を上げて、それ――三上先輩は、後ろにひっくり返った。

 思ったより長めの髪が、床に広がった。

 これで、髪色が真っ黒だったら、重苦しい感じがしたのだろうけど、先輩の髪は焦げ茶に近い色合いだった。しかも、自然な色合いだから、あれは地毛なんじゃないだろうか。

 起き上がった先輩は、水をかけられた犬のように、首を高速でふるふると振った。なんか、仕草まで動物っぽい、この人。

「み、みみ、三上先輩!?」

「む。何故俺の名を知っている。――いや、いい、みなまで言うな。つまり東雲も、俺に一目惚れをして、わざわざ名前を調べたというわけだな」

「違います」

「まったく。言ってくれればちゃんと教えたのに。照れ屋さんだな、東雲は。俺は二年A組、帰宅部、三上とおる

「だから聞いてません」

 相変わらず、つかみどころのない人だ。いや、それだと表現として生ぬるい気がする。

 もっと、奇怪とか、面妖とか、そんな妖怪みたいな感じの方がしっくりくる。

「さ、これで、必要なものはあと一つだな」

「必要なもの?」

 僕の話は一切聞いてくれない上に、話の展開がよくわからない。

 先輩はいきなり僕を指さした。

「愛する俺たち。それぞれの名前。そして、あと一つといえば決まってだろう」

「それは?」

「婚姻届だ!」

「は?」

「俺と結婚しようぜ、お肉ちゃん」

「頭大丈夫ですか」

 限りなく極寒零度の冷たさで突っ込んだのだが、先輩はまるで意に介さない。

「ハネムーンはどこがいい。ヨーロッパがいいか。それとも、ハワイ、グアム? あえて、アジアでもありだな。あ、まさか、熱海とは言わないよな、東雲」

「とりあえず、僕の話を聞いてくれませんか、先輩。意味がわかりません」

「なに、熱海派だと……!?」

「寝言は寝てから言ってくれませんか!」

 ああ、もう、話通じねえ!

「あのね、先輩。僕はあなたと結婚どころか、付き合う気もないんですよ。ええ、もうこれっぽっちも!」

 僕の言葉に青い顔をして、先輩が震えている。

「し、東雲、それはまさか」

「ようやく理解してもらえましたか」

「い、いけないぞ、心中なんて!」

「心中!?」

 なんでそうなった!?

「命は大事にしなきゃならんのだ、東雲!」

 僕の手を取って、顔をすりすり寄せてくる。

「この脂肪の弾力、温かさ、柔らかさ――これらは、全て生きているからこそなのだ、東雲。人は死ぬと脂肪がそげ落ちて、骨と皮だけになってしまうだろう。それはつまり、生と脂肪は密接に結びついている関係、切っても切れない縁。むしろ、人は脂肪のために生きていると言っても過言では」

「過言です」

「過言ではない!」

「言い直した!?」

 そこまでして、言いたかったのか、そのセリフ!?

「だから、俺とずっと添い遂げたいというお前の気持ちは嬉しいが、俺のために、いや、俺の脂肪のために生きてくれ、東雲!」

「誰があなたの脂肪ですか」

「む?」

 首を傾げる先輩。

「僕の脂肪は僕のものですよ」

「なるほど、それは一理あるな」

 手をポンとおく。

「そうか。東雲の脂肪は東雲のもの……うむ、深いな」

「どこがですか」

 本当に何を考えているのか、さっぱりわからん。

「わかった。今日のところは退こう。お前の脂肪のために」

「ドヤ顔で何言ってるんですか」

「ではまたな、東雲!」

 ひゃっほーと三上先輩は去っていった。

 ……結局、何が言いたかったんだ。

 なんだか、どっと疲れた。

 今までどこに隠れていたのか、横から崎田が現れる。

「……愛されてんのな、東雲」

「うるさい、ほっといてくれ」

 完全に疫病神だ。僕のいったい、何がお気に召したというんだ。

 ――脂肪か。そうだよな、脂肪だよな。それ以外ないもんな。知ってる!

「そうこうしている間に着いたぞ」

「へ?」

 いつの間にか、身長を測る場所まで来ていた。

「あ、ああ」

 案外、先輩と話している時間が長かったのだろうか? 体感時間としては、ほんの数分のつもりだったのだけれど。

 と思ったが、違った。僕の周囲だけ、人がいなくなっている。……みんな先輩を避けたんだな。

 ま、まあ、ラッキーと思っておこう。

 係りの人に用紙を渡して、あっさりと乗る。計測。書き込まれて、返却。

 あっという間だ。

 渡された用紙をじっと見る。身長も体重も、ほとんど前回と変わりのない数字が並んでいた。

 それでも、僕はその数字を、思ったよりも平然と受け止めていた。

「緊張が解けてる?」

 あれだけ、ガチガチだった緊張もほぐれていた。三上先輩がすべて吹っ飛ばして行った。

 まさか、緊張をほぐしにきてくれたとか。

「……まさかな」

 僕はニヒルに笑った。

 まあ、十中八九偶然だろう。

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