* * * * * *
エーコのアパルトマンだ。室内は小奇麗に整頓されていて、言いかえれば、生活感の少ない。慰み程度に置かれた観葉植物も人工であるようにすら感じる。そこを通り抜けると、暗証番号を入力し、別室へ。VIXENの構成員に貸与する各種装備が保管されている。
「この
エーコは小ぶりなアタッシェケースを開けるとそこに収められた細身のポリマーフレーム拳銃を取り出し、アノニマに手渡した。
「二二口径マグナム? リムファイア式は好きじゃないんだが」
「四・六ミリ口径センターファイアだ。米軍特殊部隊の
「ニッチな需要の玩具だ。弾薬も米軍からか?」
「いや。特殊作戦群からだ」
銃と弾薬の刻印は抹消されている。(また施条痕と打撃痕によって追跡されないよう、替えの銃身や撃針などがいくつも用意されている)その銃口には
「軍と違って予算の無いだろうに、有り難い事だね」
「他にもある……特殊作戦群向けの機関拳銃だ。ウージー用の弾倉が流用でき、耐久性を念頭に設計されているサバイバル・ガンとして運用される」
「削り出しのミニ・ウージー? 税金の無駄遣いだな」
伸びた消炎器を覆うように電子消音器が捩じ込まれ、後部には側面に折り畳める簡易的なストックが装着されている。
「お前が使うか?」
「いいや。古びた文鎮を持ち歩く趣味はない」
「わかった。状況にもよるが――狙撃のサイドアームとして取っておこう」
エーコは壁に掛けられたホーワ・シャシー・ライフルを手に取ると、その作動を確認した。フォアエンドは取り外され、二脚装着位置は手前に移動し、携行を容易にするため銃身が外せるようカスタマイズされている。銃床もAR系のバッファチューブ式からよりコンパクトで簡易な物に交換され、一〇発入りの弾倉に収められた六・五ミリ口径クリードモア弾を使用する。
「ジョンQの話では、奴らの運用する兵器としては通常の小火器等に加え、
「奴らの『赤のインクキャップ』は呼吸器からの薬物摂取を経由し脳を器質操作して行動を誘導する寄生菌だと聞いたが……」
「菌のみを散布する手段が無いとも限らない。レトロウィルスの事もあるしな。しかし奴らの
「ガスではないが、検知紙はあるのか?」
「ああ。生物剤検知器がある。抗体反応を利用するものだ。ブラジルから持ち帰られたサンプルから作られたそうだ」
「対電子戦兵器はどうする?」
「念のため、EMPグレネードと
エーコは「ふん、まるで遠足みたいだ」と独り言ちた。自身のスクールバッグとアノニマのスリングバッグに必要な装備を詰め込み、楽器ケースに分解したライフルを収納すると、IDの散布されない
「私物か? 銃の趣味は良くないんだな」
「
それからアノニマにもバックアップとして三八口径消音弾薬のスタームルガーLCRを差し出しながら、手渡すときに一瞬、
「向ける相手を選べよ」
「言われるまでもない」
と、短く会話した。それから、別の棚に保管されている瓶類に手を伸ばした。
「一杯やるか? グレンフィディックとストリチナヤ、アプサント、ラムにコアントロー、それにロレーヌワインがいくつかあるが……」
「好きなのはジョニー・ウォーカーの青なんだが」
「そりゃ、高いのはどうしたって旨いさ――シングル・モルトをロックでいいか?」
「氷は入れなくていい」
「覚えておくよ。私はX・Y・Zにする」
カクテルを作ると、別室から出た。二人はテーブルに着くと灰皿を出し、エーコはプレーンフィルターのゴロワーズに火を点けた。
「酒の次は煙草か。とんだ女子高生だな」
「明日は学校が休みなんだ。普段は専ら、こっち(エーコは電子煙草を取り出して見せた)だよ。匂いで停学になるかもしれないからな」
アノニマも差し出された煙草に火を点け、煙を吐き出すと、スコッチで喉を潤してから訊ねた。
「そもそも、何故学校なんだ? 私には意図が分からないが」
「学校という装置が、子供を持つ家庭の地域社会の基盤として埋め込まれているからだ。そして子供は未来の有権者であり、社会の構成員であり、この思想傾向や動向を読むことは、政治に限らず、この国の行く末を予見する事に繋がる。他の部署――例えば
「もっともらしい理由だ。要するに子供の洗脳ってわけか」
「おや、そもそも学校というのは国家による思想教育および脱感作、そして洗脳の為の装置では無かったか?」
「脱感作……アレルギー症状を緩和させる為、少量ずつアレルゲン摂取を増やしていく治療法か……」
窓からは月齢十七の居待月がよく見えた。それが寝待月になり更待月となりやがて仏滅の朝。
小鳥たちが陽の光に鳴いている。アノニマはその名前を知らない。
「起きたか」
アノニマは調理の匂いで目を覚ました。エーコはエプロンを外すと、テーブルにベーコンエッグ、付け合わせにトマトとレタスのサラダ、程よく焼かれたフランスパン、淹れたてのコーヒーを並べた。
「私は今日も学校だ。昼食は冷蔵庫に。
脳にカフェインが作用して
夕日に傾いて午後。ホームルームの終わる頃。卒業式を目前に部活動もなく皆下校し始めていた。エーコは窓際から校庭を眺めており、ふと、遠くに空気が揺れるのを感じた。
それは銃声だとすぐに悟った。校内放送が入り、抜き打ち避難訓練の開始と生徒の教室待機が命じられた。エーコは隙を逃さず教室を飛び出した。指紋を残さぬよう手袋を填め、顔をマスクで覆う。
校庭に姿は無かった、とすると――塀をよじ登ったか? それともフェンスの切断? 可能性を一つずつ潰しながら、『何を、誰を撃ったか?』という思考に行きつく。
「体育館の鍵か?」
こういった学校の体育館は緊急時・災害時の市民の避難場所になる。そこを先んじて制圧しておけば――、奴らがCBRNE兵器で大規模テロを行ったのち、続けて市民や学生を人質に押さえることにも繋がる。あるいは避難開始後の『赤のインクキャップ』の散布も。
エーコは廊下を駆けた。体育館へと続く曲がり角で、やや太った男に弾かれて体勢を崩す。見知った顔。ここの教師。手には拳銃。それは3Dプリントされた強化プラスチック製のペッパーボックス式『リベレーター・ピストル』であり、低腔圧の二二口径か二五口径を使うものと推測された。
男がゆっくりと拳銃を向ける。エーコはその腕を逸らし掌底で拳銃を弾くと、脚を引っ掛けて床に投げる。それからテイザー銃を取り出して発砲、男を完全に気絶させる。
「氷山の一角だろう。まだ『赤のインクキャップ』の
エーコは学校を密かに抜けるとマスクを装着した。各生物兵器・化学兵器に対応し、声を外部に漏らさず通信できる。
「ジョンQ、空からの監視は?」
「エコーかい? 区内の数ヶ所でちょっとした騒ぎが起きている。従来の通り魔的犯行だが、刃物でなく拳銃で武装している。警察が出始めたが――既に何人か負傷者が出ている。そっちの状況は?」
「校内で同様の問題が起きたが、一人制圧した。3Dプリント銃だ。他にも居たかもしれないが、後回しだ。陽動作戦の可能性が高い」
「なるほど。ペッパーボックス式?」
「ああ。大した脅威ではないが、非武装の市民にとっては致命的だ」
「奴らが3Dプリントのモデリングデータと弾薬をばらまいたのかもしれない。どれも在り来たりの既存技術だが、悪意を持って利用すれば簡単にテロを起こせる」
「それとちょっとした切っ掛け、か? 怒りや鬱憤、ストレスの捌け口を外部に求めるような……」
「それが『赤のインクキャップ』の本質だろう。脳への寄生によって思考を奪い、日和見感染状態のまま日常に潜伏。そして超音波によって奴らの都合のよいタイミングで攻撃行動を誘発させる」
「
「僕は監視を続けながら、超音波の出処を探る。君は――」
1000011 1101111 1101110 1101110 1100101 1100011 1110100 1100101 1100100
『いいや、出処なんか探る必要はないぜ、帽子屋。それはそこらじゅうにありふれているんだから』
それは日向有栖――日向さくらの声だ。エーコが訊く。
「ありふれているとは、どういう事だ? お前は誰だ?」
『僕は喋るのが好きだから教えてあげよう。僕の名前は
【ハイレゾ音源】【ハイサンプリング対応】。およそ一九二キロヘルツまでの再生に対応。そうでなくとも三〇キロヘルツくらいの超音波なら、普通のツイーターからも出ている。それらに接続されたコンピュータをハッキング、僕らが流したい無音の音楽を奏でる。各個人のスマートフォンは仕掛けられたバックドアからハッキングされ、演説が再生される。
『――ああ、平和の国に暮らす若者たちよ。そうやって無理に自分は他とは違うと定義しなくてもいいんだよ。
それはお前たちが暇で、退屈で、恵まれているからだ。
多くは飢える事もなく、閑雅な日常を消費している。そこから外れたいばかりに、非日常を求めるあまりに、無自覚に他者を傷つけている。自分を正義だと非言語の領域で信仰しながら。お前たちは、けっして無宗教者ではありえない。お前たちは世界の上でもっとも排他的な宗教の持ち主だ。
見据えたまえ! 君たちの【敵】を。誰を殺すべきか。何を
1100100 1101001 1110011 1100011 1101111 1101110 1101110 1100101 1100011 1110100 1100101 1100100
「――奴の発信元は?」
エーコは走りながら帽子屋に訊ねた。ARグラスに上空からのリアルタイム映像が投影される。
「分からない。どうも、各スマートフォンをゾンビ化してボットネットを形成、分散化して発信元を特定しづらくしたようだ」
「くそっ――チャフやEMPを使用すべきだろうか?」
「『焼け石に水』かなぁ。僕らは完全に後手さ。今の演説で市民の暴動化が加速した。『インクキャップ』に感染してない人たちもね。労働問題は一理ある――テロの要因の一つは経済的貧困よりもむしろ市民的自由の抑圧だ。テロリストには学歴が高い人間が割と多いし……長時間労働や連続出勤、休暇の少なさ、身体・精神の拘束や睡眠時間の不足、ついでに給与の不足や将来への不安などが、この国を蝕んでいる。恋愛や結婚、出産率も低下してるしね……」
「暴力的解決の需要拡大か」
「PC層による表現の自主規制推進や保守化・企業の保身によって言論は抑圧されている。政治腐敗や政治不信も随分浸透した。個人の為に動いてくれる組織は少ないし、その保障も元手となる資金もない。そしたら、残された手段は暴力しかないからね」
「それを
「本質的には、
誰そ彼時。トンネルの低圧ナトリウムランプの照明は赤色を黒く錯覚させる。車通りは無い。その先に佇む人影。エーコは反射的にスカートからタウルス・カーブを抜いて、構える。
「――アノニマ?」
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