* * * * * *

 ISILの少年兵たちだ。その母親が付き添いながら、「立派に死んできなさい」と突撃銃の弾倉と手榴弾とを渡している。御国の為に。ヤズディ教徒は改宗を禁じている。むしろ、人間は生まれてから死ぬまで生まれ持った宗教生き方を棄教することはできない、というのが彼らの見解だ。ゆえに、イスラム過激派に性奴隷として扱われる彼女らは、祖国や共同体に戻ることは叶わない戻れば姦淫の罪において処刑される。レイプで生まれた名誉無き庶出子イングロリアスバスターズの【見えない子供たち】。彼らこそ聖母マリアと神の私生児イエス・キリスト。行き場を失くした母子おやこはただやり場のない怨恨の発露として、銃を取る。

 武装軽車両テクニカル。ピックアップ・トラックの荷台に機関銃を搭載した即席の簡易移動銃座だ。その特攻カミカゼをアノニマはのところで側面方向に転がり、回避する。

 三〇口径機関銃の発砲音。アノニマはそれに向けて目眩ましのフラッシュ・ライトを点灯し、拳銃を撃ち込んだ。続けて第二波のトラックが、動かなくなった車と死体とにぶつかり目の前に停止する。やがて弾倉は空となり後退したまま停止ホールド・オープンして、アノニマは拳銃を捨てながら死体から短機関銃を剥ぎ取る。ポーランド製ラドムPM06。その初弾を排莢すると事故車から展開する武装した子供たちに複数の穴を開ける。血は漏れ出し石油と混ざり流れ出す。用を成さなくなった兵器としての子供たち(だったもの)を車から退かすと、アノニマは運転席に座りながら積まれていた突撃銃を点検・調査インスペクションする。その間に、帽子屋の『沼ウサギ』が斥候から帰還し助手席に飛び乗る。

「改良型か。ロシア製の……」

「僕が手を加えたやつだね。しかしどれも鹵獲品のセコハン兵器だろう。慎ましい事だ。弾倉と弾薬はこの辺りで普及しているらしいAEKのものがそのまま使えるはずだ」

アノニマはAN94M突撃銃の初弾を装填し、槓桿ボルトを少しだけ引いて薬室を覗き、セレクターを高速二点バーストにセットする。

「ヤズディ教徒の母親たちを見たが?」

「情報が漏れているのかもしれない。奴らの拠点にも何人か居た。そこから私の脱走を知らせた可能性は大いにあるな」

「君の血縁が?」

「私に家族はいない。彼女らの事情も分かるが、それはクルドの共同体の問題だ。私の姉も恋人と駆け落ちしようとヤズディを棄教し、村人たちに殺された」

「君もそこから脱走を?」

アノニマはアクセルを踏み込んだ。『沼ウサギ』はその慣性によって倒れそうになるが、姿勢制御プログラムによって持ち直す。

「さあな。だが共同体として異端ヘテロドキシーを排除するというのは、すこぶる正しい。そうでなければ民族や国民・国家たる歴史や由縁は、いずれ外部環境との干渉・接触によって失われてしまうからな」

「民族浄化に文化破壊――ってことかい? 確かに、彼女らの集団においてはISILの子を孕んだとも言えないし、仮に無事に国に戻れたとしても、堕胎自体が禁じられている場合もあるだろうしね」

「生まれたものは仕方ない。のこのこと殺されてやる気も無いがな」

レバノンでは二年前、レイプ加害者が被害者と結婚することで免罪される刑法五五二条が撤廃された。それは難民に紛れて潜伏するISILといった過激派テロリストに対し、効果的に働いた。彼らに与えられた任務はレバノン内の神の党ヒズボラを始めとするシーア派勢力の弱体化――そして我々によって解体リクヮデイションされ隠匿される事。

「まずは市街を西に抜けよう。そのまま地中海を目指してくれ。そこで君を回収できる」

向かっているI'm on my way

カーステレオからキム・ワイルドの『キッズ・イン・アメリカ』が流れている。続けてa‐haの『僕を受け入れてテイク・オン・ミー』。アノニマはボリュームを絞った。

 遠くに、ウジの這う死体を漁っていたシマハイエナがこちらに振り返る。空にはハゲワシが旋回しながら狙っており、周りにはキンイロジャッカルの群れ。彼らはみな腐肉食だ。

「香港から日本に送られた貨物の事だが?」

アノニマは呟いた。帽子屋が答える。

CBRNEシーバーン兵器や小火器等ではありえない。日本国もそのくらいの国防意識は持ってるだろうしね。回族の警備員や蛇頭スネークヘッドの構成員はフィルムバッジすら携行していなかった。日本の核兵器ぎらいを考えてもね」

「何を研究していた?」

「北朝鮮での実験成果さ。尤も、様々な国家や集団、それに個人が参画していたから、一概に誰の創作物クリエーションとも言えないがね。僕の担当はプロトタイプの調整とバグ取り……超固体・超流動状態のヘリウム同位体の電子の電磁的制御と、安定化」

「知っていたんだな?」

「君んとこのボスが盗み聞きするもんでね。Bác không thích cô ấy.」

「Tôi cũng vậy. 量子コンピュータだな?」

「だろうね。仮想通貨の採掘マイニング競争と公開鍵・暗号鍵の実質的無意味化。量子暗号などの対策が施されてしまう前に、先手を打って掠め取ってしまう。というのが大雑把な算段だろう」

「つまり、その技術の独占か。集められた者や社会不適合者ミスフィッツたちの技術によって仮想通貨の実質的乗っ取り、法定通貨の強制通用力に叛逆し、主権国家体制そのものの信用を弱めるつもりか?」

「でも、どうなんだろうね。もともとイスラム圏じゃ西洋の定めた国境協定や国籍法などを重んじない風潮がある。君たちだって国際社会から暗に要請され暴力装置を委託されて、人を殺したり傷付けたり、国家の法を犯したりして金を貰っているわけだろう?」

「だから基本的には、痕跡を残してはならない。私の犯す活動が公に認められることはない。そこに私個人への保証はない」

「何故だ?」

アノニマはその質問の意味が分からなかった。「なぜ君のような少女がわざわざ非公式身分verdeckte Ermittlerin汚れ仕事ウェット・ワークを?」なのか、「そこまでして西欧式の主権国家体制を守る必要があるのか?」であるのか。

 そこに違いは無いil n'y a pas de différence。我々は他人の権利を侵しながら生きている。逆もまた同様。搾取なき労働は存在しない。対立軸や思想イデオロギーは権益によって形作られる。文化・耕作Cultureとは常に何かしらの侵害を含む。

「お前自身はどうなんだ?」

アノニマは質問には答えず、そのように返した。

「僕かい? 僕の使命ミッションは、日向有栖の痕跡を辿ること。それ以上でも以下でもないよ。根がストーカーだからね」

「他者がお前の生きる理由レゾンデートルか?」

「試しにそれをロマンチックと呼んでみよう」

「目的が達成されず死ぬ事を是とする美学か?」

「いいや。伝達トランスミッションの話だよ」

「お前にとって私の価値とは何だ?」

「日向アポロの創作物。言い換えれば、有栖の模倣子を継ぐ亡霊プネウマ。物理的肉体性はこの場合、さして重要ではないが、人間は死んでしまったり植物状態になると情報の出力機能を同時に失うからね……」

「すなわち?」

「君は模倣子の運び屋・伝達者ヴェクター。生きた言葉は文字という乗り物に跨って海を旅する」

 だから生きていてもらわなければならない。

 アポロもそんな事を言っていたな。

 人間は生ける墓だ。思い出される事で亡霊は現実に存在できる。

 思い出されるより、忘れられない奴になるべきだな。

 そうかもしれないね。思い出される為には、ひとまず忘れ去られなければならないのだから。すなわち、記憶の連続性こそが――

「――即席爆発装置IED!」

アノニマはセンサーの反応を見て直前にハンドルを切った。直後に爆発。横転。帽子屋の『沼ウサギ』は破壊され、アノニマは爆風により軽度の外傷性脳損傷Traumatic Brain Injuryを負う。

 視界が歪む。散発的な銃撃。鼓膜は鳴って聴覚は機能していない。

【ハローワールド】

と視界に文字列。帽子屋は上空に飛ばす鷹から得られる敵の位置情報を続けて送信。アノニマは突撃銃を構え、その方向を右目の義眼によってデジタル・ズームして敵影を捉える。

 狙撃。それから命中。【ブラボー】と称賛applause。殺人を褒める新しい仕組みだな。『いいね!』も付けるか? 母親たちは銃を取るたびに亡霊に射殺されていく。それは実際、歴史の恥部の後始末リクヮデイションを意味していた。(もちろんアノニマにとっては、生存を脅かす存在に対しての自衛行為以上の意味は無かったが)

 その自由意志によって降伏する者は居なかった。もちろんこれは戦争状態ではなく、犯罪テロ行為であるため、当然捕虜としてでなく逮捕と裁判という手続きになるだろう。彼らはその内部に時限爆弾を抱えている。彼らはそのように育てられたために、教育と環境は、何を外部と見做し集団と社会を維持するかの倫理観を植え付ける。人は繋がりを求め、社会集団を維持するためにを必要とする。虹が文化によって七色や二色に分けられるように。文化的・言語的差異は解釈の対立だ。人はそれによって自身と他人の区別を付ける。政治的正しさとは、その文化の違いを認めたうえで、どちらが票数を政治集団に獲得できるか、という椅子取りゲームの正しさのうえでの倫理である。グローバル主義がもたらしたのは、諸民族の抵抗としての分離・独立運動でしかなかった。

 言葉は世界の代替ではない。しかし人は、違いによって意味を見出す。その構造は、年齢・性別・肌の色・人種・文化・思想・宗教・言語の差異にも及んでいた。各個人や集団は自分の領域を確保するために、恐怖主義テロリズム民主主義デモクラシーという手段で以て、連帯ブントしていた。

 アノニマは弾倉を交換した。新たに接敵。照準に捉え、引金を絞るが、しかし銃弾は逸れていく。

「銃弾の軌跡の予測が正確ならば、それを避ける事もまた容易い」

決定論だ。その存在は狐の面越しに続けて言った。

「僕らはイシスIsis。【わが面布ヴェールを掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし】。語りえぬものについては、沈黙しなくてはならない」

反磁性を利用した防御フィールドか? そいつは狐面を取り外すと、その下には道化の化粧を施した一つの顔が現れた。アノニマは弾倉の空になった突撃銃の銃口を外し、私物のリヴォルバーを抜いた。

「お前が――日向有栖か?」



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