* * * * * *
ISILの少年兵たちだ。その母親が付き添いながら、「立派に死んできなさい」と突撃銃の弾倉と手榴弾とを渡している。御国の為に。ヤズディ教徒は改宗を禁じている。むしろ、人間は生まれてから死ぬまで生まれ持った
三〇口径機関銃の発砲音。アノニマはそれに向けて目眩ましのフラッシュ・ライトを点灯し、拳銃を撃ち込んだ。続けて第二波のトラックが、動かなくなった車と死体とにぶつかり目の前に停止する。やがて弾倉は空となり
「改良型か。ロシア製の……」
「僕が手を加えたやつだね。しかしどれも鹵獲品のセコハン兵器だろう。慎ましい事だ。弾倉と弾薬はこの辺りで普及しているらしいAEKのものがそのまま使えるはずだ」
アノニマはAN94M突撃銃の初弾を装填し、
「ヤズディ教徒の母親たちを見たが?」
「情報が漏れているのかもしれない。奴らの拠点にも何人か居た。そこから私の脱走を知らせた可能性は大いにあるな」
「君の血縁が?」
「私に家族はいない。彼女らの事情も分かるが、それはクルドの共同体の問題だ。私の姉も恋人と駆け落ちしようとヤズディを棄教し、村人たちに殺された」
「君もそこから脱走を?」
アノニマはアクセルを踏み込んだ。『沼ウサギ』はその慣性によって倒れそうになるが、姿勢制御プログラムによって持ち直す。
「さあな。だが共同体として
「民族浄化に文化破壊――ってことかい? 確かに、彼女らの集団においてはISILの子を孕んだとも言えないし、仮に無事に国に戻れたとしても、堕胎自体が禁じられている場合もあるだろうしね」
「生まれたものは仕方ない。のこのこと殺されてやる気も無いがな」
レバノンでは二年前、レイプ加害者が被害者と結婚することで免罪される刑法五五二条が撤廃された。それは難民に紛れて潜伏するISILといった過激派テロリストに対し、効果的に働いた。彼らに与えられた任務はレバノン内の
「まずは市街を西に抜けよう。そのまま地中海を目指してくれ。そこで君を回収できる」
「
カーステレオからキム・ワイルドの『キッズ・イン・アメリカ』が流れている。続けてa‐haの『
遠くに、ウジの這う死体を漁っていたシマハイエナがこちらに振り返る。空にはハゲワシが旋回しながら狙っており、周りにはキンイロジャッカルの群れ。彼らはみな腐肉食だ。
「香港から日本に送られた貨物の事だが?」
アノニマは呟いた。帽子屋が答える。
「
「何を研究していた?」
「北朝鮮での実験成果さ。尤も、様々な国家や集団、それに個人が参画していたから、一概に誰の
「知っていたんだな?」
「君んとこのボスが盗み聞きするもんでね。Bác không thích cô ấy.」
「Tôi cũng vậy. 量子コンピュータだな?」
「だろうね。仮想通貨の
「つまり、その技術の独占か。集められたならず者や
「でも、どうなんだろうね。もともとイスラム圏じゃ西洋の定めた国境協定や国籍法などを重んじない風潮がある。君たちだって国際社会から暗に要請され暴力装置を委託されて、人を殺したり傷付けたり、国家の法を犯したりして金を貰っているわけだろう?」
「だから基本的には、痕跡を残してはならない。私の犯す活動が公に認められることはない。そこに私個人への保証はない」
「何故だ?」
アノニマはその質問の意味が分からなかった。「なぜ君のような少女がわざわざ
「お前自身はどうなんだ?」
アノニマは質問には答えず、そのように返した。
「僕かい? 僕の
「他者がお前の
「試しにそれをロマンチックと呼んでみよう」
「目的が達成されず死ぬ事を是とする美学か?」
「いいや。
「お前にとって私の価値とは何だ?」
「日向アポロの創作物。言い換えれば、有栖の模倣子を継ぐ
「すなわち?」
「君は模倣子の
だから生きていてもらわなければならない。
アポロもそんな事を言っていたな。
人間は生ける墓だ。思い出される事で亡霊は現実に存在できる。
思い出されるより、忘れられない奴になるべきだな。
そうかもしれないね。思い出される為には、ひとまず忘れ去られなければならないのだから。すなわち、記憶の連続性こそが――
「――
アノニマはセンサーの反応を見て直前にハンドルを切った。直後に爆発。横転。帽子屋の『沼ウサギ』は破壊され、アノニマは爆風により軽度の
視界が歪む。散発的な銃撃。鼓膜は鳴って聴覚は機能していない。
【ハローワールド】
と視界に文字列。帽子屋は上空に飛ばす鷹から得られる敵の位置情報を続けて送信。アノニマは突撃銃を構え、その方向を右目の義眼によってデジタル・ズームして敵影を捉える。
狙撃。それから命中。【ブラボー】と
その自由意志によって降伏する者は居なかった。もちろんこれは戦争状態ではなく、
言葉は世界の代替ではない。しかし人は、違いによって意味を見出す。その構造は、年齢・性別・肌の色・人種・文化・思想・宗教・言語の差異にも及んでいた。各個人や集団は自分の領域を確保するために、
アノニマは弾倉を交換した。新たに接敵。照準に捉え、引金を絞るが、しかし銃弾は逸れていく。
「銃弾の軌跡の予測が正確ならば、それを避ける事もまた容易い」
決定論だ。その存在は狐の面越しに続けて言った。
「僕らは
反磁性を利用した防御フィールドか? そいつは狐面を取り外すと、その下には道化の化粧を施した一つの顔が現れた。アノニマは弾倉の空になった突撃銃の銃口を外し、私物のリヴォルバーを抜いた。
「お前が――日向有栖か?」
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