ISISより愛をこめて

ヒジュラ暦一四四〇年 第六の月ジュマーダー・アルアーヒラ レバノン ベッカー高原付近市街地


――目が覚める。視界は無い。廊下らしきから足音が響く。護衛が数名。私の前で立ち止まると、被せられていた麻袋が乱暴に脱がされる。両手は吊られて天井に鎖で繋がれている。男は私の頬をぶつと、下卑た笑いを浮かべて言った。

「よお。俺を覚えてるか? 異教徒ヤズディの餓鬼――いや、アノニマ・プネウマか?」

「……聖戦のジハーディジョン」

世間的には死んだ事になっているはずだ。やはり空爆による暗殺では精密さを欠くな。机の上に腐ったリンゴが蛆を育てていて、その傍に手斧トマホークが突き立てられている。

「俺を殺さなくて後悔してるか? お前はこれから奴隷になるんだ。で疲れた俺たちを慰安する肉壺としてな。光栄だろ? ん? てめぇみたいな生意気な餓鬼はマニア受けするんだ。処女じゃねえから値段は精々、五〇ってとこか?」

「……状況を理解していないようだな」

「なんだと?」

私は思わず笑みを浮かべた。再び頬が打たれた。

「お前たちは社会によって作られた『滅ぼされるべき敵』の役割だ。私たちVIXENの仕事はそういった旧態然した組織の処分と解体リクヮデイション……中東・アフリカのイスラム圏を越えた地域におけるホーム・グロウンのイスラム国ISIL戦闘員などの暗殺間引き……先進国の大衆の恐怖・感情の調整。軍産複合体を潤わせながら、反米・反イスラエル勢力への牽制としての役割を期待させつつ――その正当化の大義としての平和、異教徒や他宗派、過激派や要人、幹部の排除。しかしながら残念なことに――」

私は周囲の様子を確認する。右手の護衛は拳銃を胸に提げ、左手のもう一人は刀剣ジャンビーヤを腰に吊っている。

「お前の名前はリストに無かった。三下サンシタが、奴隷貿易程度で世界を牛耳ったつもりか? お前は世界にとってさして重要な地位ポストに就いていないって事さ」

「この餓鬼ッ――」

腹部に一撃。私はしばし嘔吐くが、痛みは無い。この男は全く虚構を生きており、いわば。それならばどうしてそんなものに痛みを感じる道理があるだろう?

「よくもベラベラと全容を喋ってくれるもんだ。手間が省けるぜ」

「男は嫌いだ。特に銃を持った奴はな」

「予定変更だ。ここで首を落としてやる。ポール、それにジョージ。カメラ回せ」

「それなら、そこに一つ予定を加えさせてもらおう」

破壊クラッシュ。そしてその軋む音。義手は悲鳴をあげて鎖を握りつぶす。ヤワな鎖は甘い溶接部分から破断する。「糞がッ」と言わない間に解かれた鎖の残りを握ると、それを振り回して護衛の首に巻きつける。左の護衛がイスラムの刀剣を抜いて振りかぶる。その斬撃を義手で受け流すと、右手で顎に掌底、転ばせながら刀剣の上に奴が倒れ込むようにしてやる。簡単に過激派の串刺しがひとつ出来た。

 ジョンは舌打ちすると踵を返した。もう一人の護衛が拳銃カラカルを抜くので、銃口を外しながら引金を絞らせる。それを奪うと、奥から二人。護衛の脇腹に二発を撃ち込むとその死体を放り投げ、その間に片方の頭を撃ち抜き、体重を受け止めたほうは床に転がると、やがて視線も合わされず正確に向けられた銃口から鉛弾を食らう。

 泥煉瓦アドベの暗い廊下に涼やかな風が駆けていく。時間の流れと共に男の背中は離れてゆき、私は裸足はだしで床を踏みしめて歩く。室ではヤズディ教徒の性奴隷おんなたちが泣き濡れている。

 腐ったリンゴから蛆の這う手斧トマホークを掴み取る。そして投擲。風を切りながら手斧は正確に男の脳天を克ち割る。死体の崩れる音。

「次はもっと丈夫な鎖にしておくんだな」


* * * * * *


 岡本公三の暗殺は一部で大きな波紋を呼んだ。ベイルートは中東のパリとも呼ばれたこの土地は、隣国シリアから百万近くの避難民が押し寄せ、人口のおよそ三人に一人が難民という状況に陥っている。その難民に紛れレバノンに潜伏するスンニ派のイスラム国ISIL戦闘員は、――岡本を保護していたPFLPとヒズボラを含めたシーア派の武装勢力と衝突。その事件はISILがのちに犯行声明を出し、暗殺ではなく襲撃事件として報道され、新たな火種を生みながら――イスラエル側はあくまで沈黙を守った。そのせいで、この市内のISILの各拠点や潜伏地もまた騒がしくなっているようだ。連中が忙しく散発的な銃声に対処している。

 機械音。アノニマは反射的に拳銃を向ける。

「僕だよ、アノニマ」

「帽子屋?」

それは陸上歩行型小型無人機だ。帽子屋は『機械仕掛けの沼ウサギマーシュ・ヘア・マキナ』と呼んでいる。

「南米から君を追跡してきたのさ。忘れもんだぜ」

帽子屋は『沼ウサギ』のハッチを遠隔で開いた。中にはS&W社製MP412マグナム・リヴォルバー『スカベンジャー』。アノニマの私物である裸の銃ネイキッド・ガンだ。アノニマは銃の作動をチェックすると、カラカル・ピストルの弾倉から9ミリパラベラム弾を六つ装填してベルトに差した。

「まずは市街を抜けよう。個人情報携帯端末Assistant Personnelを?」

「ここにある」

アノニマは右目を指した。それはサイバネ義眼だ。ユニット化され脳内機械と直接接続されており、デジタル・ズームやパッシブ暗視機能を追加された視界を確保しながら、その映像情報を送受信することが出来る。人間の目に見えない不可視光も探知可能だ。

「なるほど。それじゃあ、僕が『沼ウサギ』で先んじて偵察する。情報は無線接続で君の脳内機械/義眼のARに逐一表示しよう」

了解ダコー

「この地域はPFLPやヒズボラといったシーア派武装集団と、スンニ派のISIL、それに新設の中東地域安全保障連合軍――平たく言えば中東版NATOだね――との三つ巴の戦闘になっている。ここに君の味方が?」

「味方は居ない。だがISILの解体は我々の目的の一つであるから、奴らの排除それ自体に問題は無いはずだ」

「オーケイ。の邪魔立てになる奴ら、という意味だね。君の監督官コミッショナーとの通信は?」

「まだ確立していない。監視モニターはオフだ」

果たしてそうだろうか?

雌狐VIXENも君を回収したい事だろう」

「まだ役立てるにしろ知り過ぎた女The woman who knew too muchを消すにしろ、か? 機密事項を優先する企業の鑑だな――そうであるなら、可能な限り情報を収集して、せいぜい私のを高めておくか」

「ああ、時は金なりZeit ist Geld。せっかく奴らにこのゴミ溜めにされたんだ。僕の役に立つものを漁らせてもらうさ」

『白いカラス』こと帽子屋はそう答えた。

「お前はどこに?」

「すぐ近くさ。空からは僕の鷹が目を光らせている。電子戦兵器やEMPも普及しだした時分だ、電磁波では撃ち落とせない生き物をバックアップの生体端末ウェット・ウェアとして利用しないとね」

「ああ……それは、私も同じ事だ」

機能と価値。優生学と新自由主義。経済格差と恋愛結婚。かつて日向ひむかいアポロは【僕らは愛されなかったUnaffected、選ばれなかった、望まれなかった子供たち】と自らを形容した。すなわち人は、その生まれと環境によって何もかも決定されてしまう……人種、性別、容姿、性格、貧富、思想、行動……ラプラスの悪魔。革命やテロリズムを補強し肯定する卑近な材料。しかし現実には不確定性原理や観察者効果によって、運命は確率されるだけであり、ゆえにその知性は全き結論を出す事は出来ず、そこには解釈Interpretationがあるのみだ。その態度もまた、犯罪の温床となる。何故なら自由意志が確率されるのみで存在しえないのならば、その選択もまた、誰の罪でも無いからである。

 悪平等。選ばれた者のみが入場できる――天国や楽園とは、閉じられたサヂズムである。アポロはそう選んだ。


【エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。そのとき、人々は山にむかって、われわれの上に倒れかかれと言い、また丘にむかって、われわれにおおいかぶされと言い出すであろう。もし、生木でさえもそうされるなら、枯木はどうされることであろう】


 日向アポロは支配・権力・構造的暴力の無い世界アナキズムを望んだ。それは達成されつつある。フラットなネットワークによって執り行われる相互監視と、国家に拠らない仮想通貨オルトコインの流通。『普通の人々ジョン・Q・パブリック』に対する嫉妬を伴う批判カウンター。キリスト教国家に対するイスラム教国家や過激派の台頭。それらのインフラとなるSNSと無人偵察機……。銘々めいめいの正義や真実を掲げ、ファシズムと排外主義は正当化される。

 恐怖と暴力テロリズムは、大衆をアノミー状態に陥れるとなる。そのように彼ら自身の本来性や信仰を失ったとき、安心を求めるがゆえに隣人を家族をとする。その罪の意識を伴い猜疑心は増幅され、新たな恐怖を生む。神や正義真実とは、都合のよい自身の浄化装置と化す。


【私が植え、アポロが水を注ぎました。だが成長させたのは神です】

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