* * * * * *
「誰だ、お前?」
有栖が言った。当然の反応だろう。有栖の周りの【光の部隊】が一斉に私に銃口を向ける――そして、それらは一斉に崩れ落ちる。我々の操作する、既に彼らの頭上で旋回していた照準アシスト付きの
「はは、やはり彼らは
アノニマも続けて私に向かって駆け出し、マチェットを振りかぶる。やれやれ、直情的な女だ。放たれた電磁波は奴の脳内機械をオーバーロード、
「
私はフランス語で問うた。
「わたし……
そう、お前は
「何をした?」
「答える必要は無い」
ミーシャが私を狙撃しようとする。初めから彼らの頭上で追跡していた無人偵察機は正確に彼を狙撃。帽子屋は「あ?」とだけ言ってミーシャの死体を横に見る。奴のラップトップも破壊。
「自己紹介が遅れたかな。私が
日向有栖はただ黙ってゆっくりと呼吸をする。こいつを何度殺しても同じことだ。それは分かっていたじゃないか。テロとの戦争は際限がない。イデオロギーや国家という共同幻想は衰退したと現代人は言うが、しかしマクロな暴力を展開できるのもまた思想や宗教、それに国家という装置や幻想だ。ロシアのクリミア併合、NATOに加盟するバルト三国への【平和維持軍】の派遣。これに対してNATO条約第五条――集団的自衛権は合衆国大統領によって発令されず、NATOの相互安全保障の幻想は事実上瓦解。代わりに、ドイツを中心とするEU軍が【安全保障】の名目でこれに派兵し、
「……全てはお前たちの監視下、という訳か? 全ては制御・管理され理性の下にくだる、とでも? 気に入らないな」
「はは、そういう事じゃないよ。正義感の強い人間たちが、各々の正義だの真実だのに基づいて、
「…………」
無人偵察機は常に世界中を空から監視している。それは光学迷彩を装備し、電子消音器付きの無薬莢弾で、銃弾以外の証拠が残らない暗殺を可能にしている。既にそういった無人機や機械による盗聴や情報収集、暗殺すら可能になっているのだから、普通なら人間を送り込む必要は無いじゃないか。何のためにわざわざ、彼女たちのような女子供を
「問題は、統治者たる
「……英雄没落論?」
「その通り。
「……自己犠牲の美学だな」
「はは。磔にされた救世主の気持ちかな? 誰も
「お前たち
(しかしながら、私はそうは思わないがね)
日向有栖――ソメイヨシノ。そのクローン体は一般の人間の持つ肉体性の特質からは乖離している。すなわちそれは一回性を持たない――復活が可能である。奴らテロリストはいくら殺したところで際限が無い。それはビデオ・ゲームのコンティニューのように返り咲く。奴の予備機はおそらく眠りについており――共有された夢の機能で記憶や意志、自我などを受け継がれ、前の【日向有栖】が斃れた或いは眠りに就いたとき、その意志を引き継いだまま覚醒する。記憶・体験・経験・歴史の共有――人格の再構成、思想の共有、
「なるほどね。ところで、元中尉殿。
ふむ。遠方の端末から体内通信で私の情報を調べさせたか。なに、大したことじゃない。我々は感情の制御をより確実にする為に此処に居る。つまり、情動の数値化……計算可能性の制御下に置く事。それは例えば、帰還した退役軍人やレイプ被害者などのPTSD治療の一環として……内的経験の疑似的な管理・書き換え・制御。脳内物質や神経活動の測定により、我々はその人間の思考をほとんど正確に推測することができる。時空間には過去も未来も存在しない。過去は恥辱から生まれ、未来とは仮定から生まれる。
「それはすなわち、此処こそが
私は人差し指と中指とでこめかみを軽く叩いてみせた。
日向有栖――ソメイヨシノ。科学技術によって拡散する同一個体。その感情豊かな男性脳は、あたかも理性で言葉で、自身を制御出来ていると錯覚している。だが実際は異なる。人々が求めているのは真実。すなわち安寧、制御、管理、永遠……その
「しかし僕にとって死は終わりではない。僕らは【今ここ】を共有することが出来ないから、ありもしない未来や理想に依って、或いは後悔や怨恨に拠って、繋がるほかないのだ。過去と未来とは即ち同義である。
彼らの本質とは、
「ふうん……懐かしの東ドイツ型密告社会の再来――ってワケか」
帽子屋? まだ確保されていなかったか。【
「
帽子屋からの無線通信は私と有栖の周波数帯に向け発信されている。その位置情報は不明だ。
「揃いも揃って、紅茶も無いのに
日向有栖によるアルファ粒子ことヘリウム4の収集は滞りなく行われている。電磁誘導装置のブウウ――――ンンン――――ンンン…………という低い回転音が続いている。
「それはブージャム。だろ? 量子デコヒーレンスの無い
推測にしてはよく出来た解答だ。ヘリウムを絶対零度近い極低温下に置く事で超流動の基底状態に落ち込ませ、電子単位レベルでの電磁波照射により量子ビットを構成する。観測下にない量子の重ね合わせ状態の情報量を利用する事で、従来の計算機とは比較できない高速さを実現する。これを応用し独占すれば、仮想通貨の公開鍵・暗号鍵は無意味化するし、またデータベース化された情報の符合もより高速化するだろう。
「マクロたる世界を動かすのはミクロである電子や量子の世界さ。そりゃ、戦略兵器の核爆弾だって
この紳士は文字だけから出来ている。気に入らないな。これだから男は打算的・感情的で困る。
「聞いているかな? ウミガメモドキの
「水銀中毒の
「Tôi đặt cược
私の視覚に帽子屋の電子メッセージが介入してくる。【僕は潜伏する。必要ならあんたにも声をかけるさ】
そこで帽子屋の交信は途絶えた。香港――か。
「もう先の事を考えてるのか? まず目の前の状況を片付けてからにしようじゃないか。僕らは二本の脚を持ち、一歩一歩ごとに前進するか後退する以外に道は存在しえないのだから」
片付ける? 死体がもう一つ増えるだけだ。私はベレッタの四五口径を再び抜くと、安全装置を外した。
「中尉殿。あんたの手札は緻密に計算されているように思えて、実際のところ隙だらけの打算的行動だぜ。確かに僕らは限られた手の上の物事しか把握できないが、しかし僕らの
離魂病。奴の精神状態は
「デカルト主義はもう飽きたよ。今は二十一世紀なんだ、
銃口は眼前に向けられている。『よく狙え、一人の男を殺すのだ』
「あんたは僕の機械人形をして人望が無いと表現したが、それは異なる。
「あんたは僕たちの
影から現れるのは二人目の日向有栖だ。いや、死体を頭数に含めて、三人目か。
「僕たちは孤独で閉じられた檻の中に浮かぶ無力な合わせ鏡」
「だけど僕らひとりの
「死が独りを分かつまで」
(二人の
――ああ、なるほど。共有された思考の漏洩を防ぐため、無線で広く同時に共有するのをやめて、
■アリス東西南北トウヘンボク
東の国のアリスちゃん
血染め振り袖 剃刀一つ
西の国のアリスちゃん
暖炉のそばで鏡に埋まる
南の国のアリスちゃん
パイナップル投げて大使館爆破
北の国のアリスちゃん
雪寄せ疲れでぐうぐう眠る
四人そろった四人のアリス
さて始めましょと終わらないお茶会を始めて
誰も喋らない
* * * * * *
【システムダウン】
【制御不能】
の文字列。がスマート・コンタクトの表面に。ハルピュイアという名前の
帽子屋だな。と私は思い当たる。二人目と接触し、奴をネットワークハブとして二人の脳内機械に即席のハッキングソフトをリモートインストール、体内通信用の電磁波を利用し我々の無人機にアクセスしたか。奴のペストマスクは――私のコンタクトレンズと同じく、視線等で操作するスマートデバイスだろう。
「いいや、ひとつは――」
残してある。奴がそう言う前に、私は後ろへ飛び退いた。直後に頭上から無音の銃弾。私はベレッタを構え直すと
空中で爆発が起きると、有栖がアノニマを抱いていた。奴はそれを肉の盾として、背後にはウラン鉱山の崖。そこから姿を現すのはUH‐1Y軍用ヘリ『
私は照準を外した。三人はヘリに乗り込むと、ワグナーの『ワルキューレの騎行』を流しながら飛び去って行った。
しばらくそれを見送っていると、ルノー・シェルパを走らせフランス外人部隊の若い大尉が近付いてきて、私に声をかける。
「お怪我はありませんか」
「ああ、問題ないよ。腕がまだ痺れるくらいだ」
自分で銃を撃ったのは久しぶりだったな。拳銃がホールド・オープンしている事に今さら気付いた。歳は取りたくないものだ。私が大尉に連れられ車両に乗り込もうとすると、再び視界にメッセージが表れた。
【
ふう、と溜息を吐く。――やれやれ、私は拳銃のスライドストップを押し下げ、銃身は回転しながら遊底を閉鎖させる。
「ベトナム語の
私は独り小さく呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます