* * * * * *

「どうする、帽子屋?」

 ミーシャが問う。ヴィントレス狙撃銃の照準線レティクルは日向有栖を捉えている。だが向こう側の狙撃手の姿は見えない。ハッタリブラフかもしれない。と、レーザーポインターが歪まない光線をこちら側に向ける。脅しのつもりか。帽子屋が答える。

「僕のイクネウモーンが彼女たちの近くに潜んでいる。集音マイクを装備しているから、その会話から出方を見よう」

「了解。もし動きがあれば――殺していいんだな?」

「ああ…………は最悪、死んでも構わない」

機械仕掛けの沼ウサギマーシュ・ヘア・マキナ】こと帽子屋の陸上歩行型小型無人機イクネウモーンは、アノニマと有栖の傍に潜んでいる。その映像・音声情報は彼の軍用ラップトップに送信され、二人は外部に音の漏れないイヤホンで会話を盗聴する。古びた画面の中で有栖が言う。

「君を北朝鮮の海底プラントから逃がし、泳がせたのは正解だった。君は実に面白い――離魂病患者ドッペルゲンガーのサンプルとしてね」

「何だと?」

「離魂病――解離性障害Dissociative Disorder。それに演技性――いや回避性Avoidant反社会性Antisocial人格障害Personality Disorder。君のこれまでの記憶あらすじに矛盾は無いかな? そしてそれが誰かによって誘導され、創作レクリエーションされたものだったとしたら?」

「それは、――貴様、北朝鮮で私の記憶を弄ったな?」

「いいや、僕たちじゃないさ。――君は、VIXENによるWET計画の被造物だ。WET計画――自我忘失の為の廃人化実験Wrecking Experiment for Transportation……」

WETウェット計画……?」

「まあ聞けよ。VIXENという諜報機関の目算はこうさ。人間の記憶・人格とは脳のどこかに保存されている情報データではなく、それを思い出す際の手順プロトコル過程プロセスなのであって、つまり静的スタティックでなく動的ダイナミックなものだという事。白紙の脳タブラ・ラサにも例えば普遍文法といったモジュールは生得的に存在しており、カンバスや原稿用紙は無限大ではないため、人間はその文法DNAから脱せない。ゆえに、記憶を想起する動的な手順プロトコルさえ数値化し管理可能となれば、誰であっても疑似的な人格・性格・記憶パーソナリティ再現レクリエーション脳内物語の中で可能となるわけだよ」

「パーソナリティの再現……? だが、何の目的で」

造られた目的の伝達Wrought End's Transmissionの為さ。聖書やコーランが今までやってきたのと、まったく同じことだよ。……あるいは、物語の登場人物に感情移入し、あたかも自分が主人公プロタゴニストお姫様プリンセスであると錯覚させる――ひいては、行為の誘導インダクション統制コントロール。仮想敵国の独裁者の行動を制御可能となれば、それほど簡単な民意の誘導物語の拡散は無いからね――これら記憶産業の先駆けは、いずれ未来における主流となるだろう。人々は現実の辛さや退屈さから逃避遁走し、仮想VRの世界に自己を漂流Transportさせる……政治も暴力も、全てはショー・ビジネスってこと」

「…………」

「君は、その実験体だ。そして、実に彼らVIXENの思惑通り、夢中Transportになって暴れてアクションしてくれた。君は僕らに捕縛され、洗脳され、そして彼らによって排除される事で、彼らの正義が担保されるって理屈。無秩序Disorderな殺戮行為を執行した一疋の雌狐は、にテロ組織によって扇動されたという名目カバーストーリーで口封じされ、吊るし上げられる……自分が本当は何者であるか忘却されたままにね。だから僕は、君の本来を取り戻してあげよう、ってわけ」

「……本来の、私……?」

ふふん、と有栖は笑って続けた。

「アノニマ・プネウマ。もと『新日本赤軍NJRA』の少女兵。その目的は天皇エンペラーの抹殺。いくら脳内機械インプラントによって表面上の記憶を歪められているとはいえ、子供時代の条件付け刷り込みは深層心理に眠っているはず――三つ子のプネウマ百まで。古い構造はそう簡単には瓦解しない。何故なら人は生まれてから死ぬまで、他の何者にも変わることが決して出来ないからさ」

「……天皇の抹殺……」

「それは日本国民を、ひいては天皇自身を解放Liberateするため。NJRAのリーダー……アポロ・ヒムカイの理想は、人類の完全なる平等だ。しかし天皇は、受肉したキリストを十字架に磔にし続けるように、人権を与えられず、内面の表現Expressionすら自由に許されない規制されている。――いいや、天皇家に限らない。世界中の現人神アバター――クマリやダライ・ラマを含めて――生きながらに誰かの食いものとされて崇め・奉られている架空存在神の化身を、救済するために抹殺する。もっと具体的・総合的には――人間が等しく人間であるために、邪魔な構造を破壊・再構築する。それはGHQが一度『人間宣言』によって試みたが、結局は失敗に終わった。何故なら日本人は言語によって契約テスタメントをしないからだ。それはすぐにお題目タテマエと化し――その内容も理解しないまま、アンポ・ハンタイやケンポーキュージョーというまじないの詠唱チャントに終始する。そのコトダマが摩訶不思議な力で世界を変えると信仰しながらね。これは何も、日本に限った話ではない。先の大統領選――そして新政権へのデモ活動。僕らは声や言語、法律が世界を構築していると無邪気に信仰しすぎている。だが、実際は世界が言葉によって構造ストラクチャされ、限定的に規定されているに過ぎないんだ。だから言葉を――そしてそれによって紡がれる物語幻想を。僕らは破壊・再構築しなくてはならない。ありのままの世界シュルレアルを取り戻す為にね」

有栖はほとんど一息にそう言った。しばらく沈黙が流れた。

「子供っぽいやつだ。霊の戦士ドゥホボールツィのような……」

それからミーシャが独りごちた。帽子屋が応えた。

「実際、子供なのさ。――うん、

ミーシャは引金を絞った。音もなく放たれる九ミリの重い弾丸は、やがて到達し有栖の脳を吹き飛ばした。

 反撃は来なかった。やはりブラフだったか。或いは頭が無ければ動けない傀儡どもなだけか……。空に輸送機が走る。

「――空挺降下エアボーン?」

誰ともなく呟いた。空からが舞い降りてくる。それは着地。パラシュートと酸素マスクを外し、長い黒髪こくはつを風になびかせる。

「――やれやれ。じゃないか。を撃ってくれるなんて……」

流れてくるのは有栖の声だ。? いいや、だけだ。アノニマの足元には変わらず有栖の死体が転がっている。だがその目の前に再有した再び現れたのも確かだ。有栖は自分の死体に接吻くちづけした。

「やっぱりね。を殺し続けてもまたバグのようにどこからか湧いてくるのは、そういう事だと思ったよ」

自らを納得させるように帽子屋がうんうんと頷いた。困惑するミーシャは訊ねた。

「どういう事だ、帽子屋?」

「彼は僕の探している日向有栖ひむかいありすじゃあないってことさ。その模造品、成果物。彼――いや、彼らの名前製品コード日向ひむかいソメイヨシノ、日向さくら。アポロによって計画された、日向有栖のクローン体。中国の遺伝子編集技術を基に、意図的に男性化失敗遺伝子を導入され、韓国で発展した幹細胞技術の応用。その内面の思考や感覚は無線式ワイヤレスの分散ネットワークによって曖昧に共有されていて――……」

「待て、待て。――それじゃあ奴は、一つの意志や思考を共有する分散した一個体individual、という訳か?」

「分散型コンピューティングみたいなものだよ。分散分人Distributed Dividualsとでも言うのかな。一つの思考は地球上の各地で共有されながら分散処理され、ゆえに肉体性の制約を拡張する。世界各地で同時にそのテロはねを羽ばたかせながらね。――夢を見ているようなものさ。僕らは眠っている間に記憶メモリー整理デフラグし、そして脳に記憶として定着する。奴の語った人格の再現レクリエーションや、パーソナリティ障害云々の生成過程プロトコルは、既に奴自身が雛型として実行されている、ってわけだ」

「それじゃあ何故、奴は日向有栖として振る舞っている?」

影武者ドッペルゲンガーのつもりか――或いは、総体としてのは一つの人格をトーテムやアバターとして共有したほうが、都合がいいのかもしれないな。自我や自己、個人としての性格・性分を忘却する為に――ただ一つの名前アイデンティティいかりとする。それとも自身の遺伝子肉体性への復讐か、あるいは道化ピエロ・ル・フのつもりか…………」

「奴という端末は一体いくつ――いや、何人なんにん存在する?」

「計り知れないね。少なくとも二人目はここに現れた。奴らが確保した【子宮】の数は、三〇〇を超えるんだっけ? アポロが死んだのがおよそ八年前だから――それ以前からの計画であれば、いったい何人の日向有栖たちがこれまで産み落とされた事だろうね?」

「…………」

帽子屋が追い求めるオリジナルはともかく、遍在ユビキタスしていて、という事か。なるほどな。しかし現実的には、そんなに個体数は存在していないだろう。クローン体や脳内機械インプラントにはコストがかかり過ぎるからな。奴らが実行しようとしている、より低コストで効果的な【赤のインクキャップ】を使った計画――それを追うには、フランスの『アーレン・ルージュ』の幹部『司教』の追跡から始めるべきか。エル・パソの一件以来、奴の脳内機械からの傍聴信号シグナルも途絶えてしまったことだし――機械を除去ないし破壊されたか、あるいは何らかの電波妨害の対策を取られたか……まぁ、それも、とりあえずいい。今はの問題を片付けなくてはな。

 私は周囲の建物ストラクチャに光学的に偽装した作戦司令ビークルから降車すると、いつものようにニコニコと笑いながら、ややポカンとしている二人に向け、言った。

「はじめまして――かな? 日向有栖。そろそろ、この話も終わりエンディングにしようじゃないか。…………」

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