* * * * * *

 その葦原はチャド湖の痕跡だ。農業用の大規模な灌漑や温暖化に伴う砂漠化の影響によって湖の面積は縮小の一途を辿り、ナイジェリア・ニジェール・チャド(そしてカメルーン)の国境線はこの湖を基準としていたが、干上がった陸地のいわば空白地帯にボコ・ハラムの過激派集団が居座っている。

 ラムサール条約によって水鳥の生息地として保護されるべき湿地帯ウェット・ランドとしてチャド湖は指定されているが、むしろ周辺砂漠気候地域の水源としての価値が目される。ボコ・ハラムはそこを中心としつつ――周辺の森林でゲリラ戦を展開している。

 曳光弾が飛び交っている。フランス外人部隊と周辺五ヶ国軍の共同戦線は、ベトナムやアフガン、イラクのような泥沼の状況と化している。過剰ともいえるその反応リアクションは、ボコ・ハラムの一の銃声に対して十とも百とも言える物量で彼らは応戦する。しかし彼らが勝つことは無いだろう。ゲリラ戦やテロリズムに打ち勝つことは既に不可能なのだ――それは、彼らボコ・ハラムやISILが勝利を目的としていないからだ。敵をとことん疲弊させ、勝利を諦めさせる。その為のあらゆる努力を惜しまない。それが現代の戦術であり、だ。

 そしてそこには様々な最新兵器が実験として投入される。人工筋肉をアクチュエータとする静音化を実現した四足歩行兵站機械、無人偵察機、それから西欧製の銃火器、迫撃砲、装甲車、戦車…………。それらの製造・輸送・運用には全て兵器企業や民間軍事警備会社といった軍需産業が関わっており、それらは経済リキッドの循環を活発化させる。ゆえに我々にとっては、彼らとの安定した/制御された終わらない戦争Die unendliche Kriegsführungが必要なのだ。

 帽子屋の二足歩行型小型無人機イクネウモーンが村へと偵察に入る。アノニマはそれに続く。イクネウモーンとはコカトリスやバジリスクの語源であり、【あとを追うもの】を意味する。日向有栖を追うストーカーする帽子屋には丁度いい名前だ。

「ミーシャ」

アノニマが呟く。ミーシャが「了解Понял」と応える。二人並んだ歩哨の頭の片方が重たい銃弾によって薙ぎ倒され、アノニマは電子消音器の機関拳銃でもう片方を防弾衣の上から殴り殺す。それが呻き声を上げる前に、音もなく駆け寄りその頭蓋を踏み割る。

 殺人の技術だ。アノニマは回折された光の中に消え、外人部隊をやり過ごす。大国側を相手にするのは分が悪い――そう、我々が暴力を行使するのは、弱者を、持たざる者を制圧する為でしかないのだ。非対称戦争の枠組みの中で、大国は小国を、小国は民兵を、民兵は非武装の民間人を標的とする。銃は、平衡装置イコライザと呼ばれる。それは銃を持った民兵を等しく脅威として均一化し、排除の名目を与えるものという意味だ。たとえ本当は暴力武器兵器を有していなくても――イラク戦争のように、人間は虚構物語に踊ることが出来る。

 勝った者が正義なのだ。排斥Entfremdungされた側が悪なのだ。それは、死者やその場に居ない人間は言語を持ち得ないからだ。勝利は、相手の口を塞ぐことによって得られる。何故なら勝利とは言語によって定義されるものだから。【勝利か死かSieg oder Tod】。それは【言語か死かSprache oder Tod】と言い換えることが出来るだろう。

 雨が降り始めた。アノニマは光学迷彩をオフにする。透明になり背景に溶け込んだところで、実際の肉体からだに当たる水滴とそれによって浮かび上がる輪郭シルエットは隠しようもない。帽子屋の陸上歩行型小型無人機も同様だ(それは消費し続けるバッテリーの節約も兼ねている)。外人部隊に五ヶ国軍、それに敵対勢力のボコ・ハラムもまた熱源を探知する赤外線ゴーグルを装備しているが、アノニマの服装も赤外線偽装が施されており、発覚を防いでいる。

 ブギーマンбаба рогаがやって来るぞ――それは少年兵だ。フランス兵たちはいったん戸惑い、練度も低いはずのただK2を持っただけの餓鬼どもから銃撃を浴びる。アノニマは彼らが銃弾を浴びその頭を下げているうちに、素早く飛び出して機関拳銃を撃ち鳴らす。勇敢にも対峙退治しようとした一人の部隊長らしきは、あっけなく首を撥ねられ、それに恐怖して逃げ出した憶病な少年は拳銃弾に斃される。アノニマは首を失くした死体を漁ると、彼が携帯していた端末を奪い彼らの地図情報と作戦行動計画を入手する。

動くな!Bouge pas!

それはフランス語だ。銃を突き付けられている。規模は分隊だ。

両手を上げろLes mains en l'air.――お前は何者だ Qui diable êtes-vous?!

アノニマはあくまでゆっくりと態勢を整え、言った。


「悪いが、フランス語は分からないんだ」

 フランス語リングヮ・フランカを話さない者は人間ではない野蛮人である蝦夷えみしとケルト。


 光学迷彩を起動。それから閃光弾フラッシュバン。一瞬だけその姿を見失ったフランス兵は、次の瞬間にまず一人が足払いを食らい、脳幹に拳銃弾を受ける。倒れた仲間の空間に銃弾を叩き込むが、その先は虚空である。ファマス突撃銃の閃光マズルフラッシュに盲目した分隊は、一人、また一人と透明な無音に殺戮されていく。

 背後からの斬撃。光学迷彩の輪郭は血を浴びて、赤い歩く影ドッペルゲンガー雨に濡れている清められつつある。最後の一人が震える銃口で赤い影に毎分千発のフルオート射撃を加えるが、それらも全てマチェットの刀身に弾かれる。三〇発の弾倉は空となり、アノニマは、ネイキッド・ガンのPP2000拳銃の引金トリガーを絞り続け、やがてその槓桿は後退したまま停止ホールド・オープンする。

 血はやがて雨に流れる。周囲の喧騒とは裏腹に、一帯は取り残されてしまったように静かだった。気付かれなければ、何も起きなかったと同じこと。戦争はいつも遠くの出来事だった。外部への闘争小ジハード内面の抑圧大ジハードをしばしば忘れさせ、ここではないどこかへと没頭Transportさせる。【闘争か逃走かファイト・オア・フライト】。それは実際的にはトートロジーでしかなかった。

「…………」

 初めに沈黙があった。道中に白い花を付けたキリモドキの一群が咲き誇っている。それから言葉。(それは創世記ジェネシス

「ソメイヨシノ? ……いいや、ホワイト・ジャカランダか?」

桜の木は死体の血を吸い上げて紅い花を咲かす。ソメイヨシノは接ぎ木クローンで殖やされる。それは同化政策の比喩であり、地域の固有種を掃討しながら、日本では四月に桜が咲くものであるという意識が皆に植え付けられる。その意識が日本国民という自覚を咲かす。四季という言語統制。だが同様に、クローン体は遺伝的多様性を持たないが為に同一の細菌やウィルスにいとも容易く感染してしまう。天狗巣テングス病だ。ゆえに日本国内ではソメイヨシノから病気に強いジンダイアケボノへの更新アップデートが行われており、国民に共有されたいわゆるという内的イメージも変容しつつある。それは苦酸っぱく赤黒いサクランボを生やしている。

 ウラン鉱山はぽっかりと空に開いている。重力は降りしきる雨を吸い上げる。アノニマは弾倉を叩き込む。なるほど確かにウランを運び出してはいない――そこにあるのは馬鹿でかい電磁誘導の制御装置。アルファ粒子の収集――ヘリウム4の原子核。

「奴らの目的はヘリウムか? だが、何のために……」

ヘリウムの語源はギリシャ語の太陽ヘリオスである。ヘリオスはのちに同様の太陽神たるアポロと習合され、同一視されるようになった。太陽は水素から核融合反応によってヘリウムを合成し、電磁波を照射する。その電磁波はオゾン層によって有害な波長が吸収され、熱・光エネルギーとして享受される。生物群はすべて、太陽からのエネルギーを如何に消費し続けるか、という命題を生きている。単細胞生物は分裂を繰り返し、また様々の環境に適応するため複雑な有性生殖を導入し、その人口増加に伴い棲み処を追われた為に、互いを捕食する関係となった。【死】の概念の導入である。

 民間人が集まってくる。非武装か? いや、。だからアノニマは少しの間油断した。可視光を操れるという事は、透明になれるのみならずということ。その実態は【光の部隊】。日向有栖の率いる実行部隊。有栖は被っていた狐面を外すと、光を失くした笑みで言う。

「思い出したかな? 君が何者で、何を為すべきか」

「アリス、ヒムカイ……」

有栖は帽子屋に警告する。

 太陽アポロの与り知らぬニュクスにおいて争いエリス破滅アーテーが産み落とされる。三日月は黒い夜空に笑っている。(それはイスラムの旗だ)

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